-
あなたの奉仕会王国宣教 1974 | 12月
-
-
用いているものに取り入れることができると感ずるようなものであるべきである。
「わたしは,今日至る所で善良な人々が考えていると思われる質問を短く話し合うために訪問しています。人々は今『神は人間のことを本当に配慮しておられるのだろうか』といぶかっています。神は不正を許し,人類が永遠に苦しむままにしておかれるでしょうか。あるいは神は将来のいつか介入して,戦争,腐敗,苦しみや他の悪い状態を終わらせてくださるでしょうか。こうしたことをお考えになったことがきっとおありでしょう。〔意見を述べる余裕を与える〕
「聖書を読んで,わたしたちは神が人類のためにより良い状態をずっと昔に約束されたことを理解します。しかしそれらの預言のあるものが書かれてから数千年が経過しています。それで提起できる質問は,もし神が配慮しておられるなら,なぜこのような悪い状態に終わりをもたらすことをされないのかということです。いままでに神がそうなさらなかったことに何か理由があるでしょうか。こうした質問に聖書は答えています。例えば,ここペテロ第二 3:9で使徒が何といっているかごらんください。〔聖句を読む〕
「エホバとは創造主であり,生きた真の神です。次の数節では『エホバの日』が来ること,そしてその時にはこの古い秩序がその圧制的な支配や不完全さとともにあたかも火によるかのように滅ぼされてしまうことが示されています。これは神の新しい事物の体制への道を備えるものとなるのです。どうぞ13節が述べていることに注意を払ってください。〔聖句を読む〕
「神の天の政府が邪悪な状態を除き去る時,正義が地に宿ります。しかしこのことはまた別の質問を提起しませんか。これはいつ生じるか,またわたしたち自身どのようにしてその祝福にあずかれるかということです。これらの質問や他に関連した質問はこの「ものみの塔」誌の中で聖書から答えられています。わたしたちはすべての方々がこの雑誌を予約してお読みになるようお勧めしています。一年間24冊で800円のご寄付でお読みになれます。予約なさる方々にわたしは喜んでこの『ものみの塔』を一部さしあげます」。
司会者は伝道者たちがもし望むなら9節あるいは13節の,どちらか一つの聖句を用いて聖書の話を簡潔に行ない,それから予約の提供に移れると説明する。関心を示す方々にはいつでも「ものみの塔」と「目ざめよ!」の二つの予約を1,600円ですすめることは良い方法であることを提案してください。もし予約を望まないなら,2冊の雑誌を50円の寄付で提供することを強調する。1月以降もこの聖書の話を用いたいと望むなら,自由にそうすることができる。
12分: 閉会のことば。冊子を残らず配布することを思い出させる。「良いたよりを伝える」の要点を含める。76番の歌。
-
-
そのことにつき話すのは助けとなります王国宣教 1974 | 12月
-
-
そのことにつき話すのは助けとなります
1 神のみことばは舌の正しい使用に関し多くを語っています。(ヤコブ 3:1-10)舌を押えてことばを出さないほうがよい情況が多くある一方,確かに「語るに時」があり,よく選ばれたことばが『銀のほりものに金のりんごをはめた』ような時もあります。(伝道 3:7。箴言 25:11)「知恵ある者の舌」が語る良いことばは「人をいや」し,無思慮で思いやりのないおしゃべりとはきわ立った対照をなすものです。―箴言 12:18。
2 もちろん不完全な人間として,わたしたちはすべて自分の舌で罪を犯しますし,仲間の信者の感情を害するようなことがあるかもしれません。(ヤコブ 3:2。ヨハネ第一 1:8)わたしたちが許しを必要とするものであるということを認識すれば,小さな事がらを問題にしたりするようなことはなく,確かにわたしたちが兄弟たちに対してあわれみ深くあるようにさせるでしょう。しかしながら,もしある人が悩まされており,ある小さな罪を思いと心から除くことができなければ,自分に罪を犯している人に話すことを拒むことによって情況を改善するようなことはできません。こうした沈黙は疑惑と不信を生みだし,すでに存在している断絶の状態を広げるものとなるでしょう。他方,「憤っても,罪を犯してはなりません。あなたがたが怒り立ったまま日が沈むことがないようにしなさい」という助言に従い,わずかの時間の理解ある話し合いをすることは長い間存在した不満を取り除いてしまうでしょう。―マタイ 5:23,24。エフェソス 4:26。
3 親切なことばは関係の改善に貢献するばかりでなく,他の人々を励ましたり,築き上げたりするものです。わたしたちはみな気落ちすることがありませんか。古い体制は驚くほどの圧力をわたしたちの上にかけています。生活することは何よりももっと難しくなりました。確かに思慮深い友の励ましあることばから,わたしたちは益を受けます。親切なことばや,聖書からの励ましを与える考え,あるいはただ親しみ深いあいさつだけでも,わたしたちの心を喜ばせるのに必要な『良いことば』であるかもしれません。―箴言 12:25。
4 特にわたしたちの考えや黙想が霊的な事がらを中心とするとき,わたしたちの会話は励ましを与えるものとなるでしょう。(フィリピ 4:8)そこから得られる付加的な祝福は霊的な事がらがわたしたちの思いや心にもっと深く印象付けられるということです。そしてわたしたちは話し合うべき良い事がらをたくさんに持っていないでしょうか。これらは,ものみの塔の出版物の中からわたしたちが読み取った際立った要点であるかもしれませんし,個人研究を行なっていた時に特に印象付けられた聖書の文脈,あるいは会衆の集会でわたしたちの注意をひいた事がらかもしれません。励ましを与える経験もまた,「聞く人たちに恵みとなる」ものとなります。―エフェソス 4:29。
5 時には舌の良い使用をするのに勇気が必要となる場合もあります。わたしたちの身近な人が重大な悪行の罪を犯し,ただそれをかくそうとするような時は特にそうです。強い感情的な気持ちがわたしたちの上に重くのしかかり,この事がらを長老に話すことを避けたいという気がします。しかしもしわたしたちがだれか他の人の重大な非行を見逃すとしたら忠節ということに感覚を歪めていることになるでしょう。(申命 13:6-8)そして,これは必要とされている長老からの霊的な援助からその人を引き離してしまうことになり,罪の道にその人をかたくなにさせてしまうからです。さらに,会衆の清さや,それをとがめられるべきこととしてあらわにすることに配慮を欠いていることを示すことになります。わたしたちは実際にはエホバとその律法に対する忠節の主張を否定することになり。エホバのみ前における自分自身の立場を危うくする可能性があります。それで,話すことは難しいことかもしれませんが,それは関係するすべての人に正しく有益なことではありませんか。
6 このことにつき疑問の余地はありません。会衆の平和と一致を保つために,適切な時期における連絡は非常に大切なものです。それで長老は自分たちの責任を果たしてゆく時,この面でりっぱな模範を示すことに関心を示さねばなりません。人の生活に相当の影響を与える事がらにおいて,長老は自分自身で決定を下すことをせず,仲間の長老に相談をする場合,分別をもって行動しなければなりません。箴言 15:22はこう述べています。『相はかることあらざればはかりごとやぶるはかる者おおければはかりごと必ず成る』。このことを認識する長老たちは話し合いを年四度の集まりに限らず,問題や提案につきお互いに相談するために時を費やしたり,重要な事がらが長老団全体に知らされるよう確かめます。
7 時々,長老たちが集まる場合に,ある面で良い模範を示していない兄弟姉妹につき意見が述べられるかもしれません。多分,その人を奉仕会の実演に用いないとか,その人を一時開拓奉仕に任命しないといった決定が下されるかもしれません。もしそうした場合があるならば,長老たちはその人がより良い模範となるように援助を試みるなら,その人は益を受けるでしょう。連絡を取ることに失敗するなら,怒りや落胆の気持ちを起こさせます。愛は必要な援助を与えるそのような牧羊を速めることになります。
8 聖書は舌を正しく用いることに関し,優れた指針を与えてくれるので,わたしたちは何と幸福なのでしょう。わたしたちすべてがこれらに従うよう努力できますように。そして兄弟の喜びや励ましに貢献いたしましょう。
-