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    目ざめよ! 1971 | 8月22日
    • 就職の機会

      それにまた,人々が大学に行くおもな理由のひとつ,つまり大学へ行けば,より良い職業につくための準備ができるという理由についてはどうですか。現在ではそれさえ疑問視されています。多くの国で,大学卒業者の就職の機会はかつてないほど減少しています。

      大学の就職指導者たちの報告によると,会社の大学卒雇用は大幅な低下を見せています。ミシガン州の職業安定所所長はこれを,「26年の歴史をもつ当職業安定所史上最悪の職業市場」と呼んでいます。そして大学は,以前よりも少ない就職口を求めて互いに競争する記録的な数の学生を卒業させています。

      高い学位をもつ卒業生でさえ苦労しています。モービル石油会社の,大学への求人係りの責任者ロバート・ブロックスバンクは,「将来の報酬をあてにして実業学校に進学した者の多くは,今年は失望するだろう。多くの会社はこれまでの何年来初めてMBA[事業経営学習士]の雇用を削減している」と述べています。

      科学者,教育者,技師,会社の専務取締役など,修士号や博士号をもつ人々が何千人も,経済事情の困難なこの時代に職を失いました。「専門職や技術者のあいだの昨年の失業率は67%に上昇した」とウォール・ストリート・ジャーナル紙は伝えています。1年に4万ドルの収入を得ていたある化学者は,経費削減のため一時解雇になりました。「私は600通余の手紙を書いたが,確実な仕事はひとつも得られなかった」と彼は言いました。

      もうひとつの問題は,ある仕事に対して資格がありすぎると考える人の雇用を会社がためらうことです。博士号をもつ人が,窮余の策として,給料の安い職を申し込むかもしれません。しかし会社はふつうそのような人を雇うのをちゅうちょします。そういう人は,すぐに不満をもつおそれがあるし,さらによい職が見つかればやめるだろう,と会社は考えます。

      ある人々は一時解雇にならなくとも,給料の高い職を自分でやめました。なぜですか。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は次のように述べています。「会社における出世コースをやり過ごして,それから離れた人のほとんどは,めったに後悔することはなく,後悔することがあっても,それは一時的なものだと言う従来の古い生活や仕事の様式に対する彼らの幻滅感はあまりにも強烈で,うしろを振り向こうとする考えは圧倒されてしまうほどである。これは行く先きを知らない人,心を和らげようとして苦慮している人々についてさえも真実である」。

      ちょうど多数の学生が大学での『激越な競争』から手を引いているように,多くの重役たちが,大学卒業後,高遠な希望をもってはいった事業経営,つまり専門職の『激越な競争』から手を引いています。これは大学教育が約束した生活にかんする悲しい注釈と言うことができるでしょう。

      事実,大学の目的と結果に対する幻滅が非常に大きいため,大学にはいって4年の課程を修了する者は今ではわずか3分の1にすぎません。1971年3月にスタンフォード大学で発行された「高等教育にかんする報告」は次のように述べています。「退学者の大多数は,学校をやめるおもな理由として,大学への不満と,自分個人の目標と関心を再考したいという希望とをあげる。……大学は多くの学生の注意と熱意を引くことに失敗している。ある学生にとって,大学生活は確かに消極的な経験なのである」。

      他の仕事

      過去においては,大学はたしかに良い地位を見つける助けになりました。しかし時代は変わっています。今日では,大学教育を必要としない給料のよい仕事がたくさんあります。それらの仕事をしている人は,多くの場所で使える職業技術を身につけることができます。

      最近まで,自分の手で働く人は品位ある仕事をしていないように思われてきました。そういう人は,ほんとうに成功した人とは考えられませんでした。ところが今日では,多くのいわゆる『品位ある』大学卒の専門職の人々が,次の食事をどうするか心配しているときに,大工,鉛管工,事務員,電気工など手に職のある人,自分の手で働く人たちには仕事があるのです。あるごみ収集人は最近,1年に1万ドル(360万円)の収入を得ます。

      人が仕事を習い,自分の手で働くのは少しも恥ずべきことではありません。それどころか,今日ではそれは実際的なことになってきています。これもまた,ある親たちが大学教育の問題を考えなおしている理由のひとつです。彼らは,そうした職業技術を少なくともある程度習える高等学校にむすこや娘を入れて,より有用な職業への道を進ませています。高校卒業後は,つづけてしばらく職業学校にかようか,または貴重な実地訓練を受けるかもしれません。こうして彼らは職を身につけ,責任ある地位に立つ人々がしばしば経験する苦しみを避けます。

      エホバの証人である親は,子どもに有用な職業技術を身につけさせる,もうひとつのきわめて確かな理由をもっています。彼らは聖書の預言の成就から,今日の工業社会が終わりに近づいていることを知っています。まもなく,全能の神ご自身によって死の一撃を加えられます。(箴言 2:20,21。ヨハネ第一 2:17)そのあと,神の新秩序のもとで再建の仕事が行なわれ,全地は楽園に変えられるでしょう。(ルカ 23:43)その時,農業や家庭管理の技術など,いろんなタイプの職がたいへん役にたつでしょう。ですから,エホバの証人である親は子どもたちを今日のいわゆる“高等”教育から遠ざけることにより,ますます堕落していく環境に子どもをさらさないようにすると同時に,新体制での生活のための準備をさせているのです。

  • 「どんなことがあっても私はこれを守ります」
    目ざめよ! 1971 | 8月22日
    • 「どんなことがあっても私はこれを守ります」

      ● ギリシア南部のある大きな島で,特別開拓者として全時間奉仕をしているひとりの女の伝道者は,エホバの証人の信じていることを知りたいと思っていた若い女性を訪問しました。伝道者はその女性に2冊の雑誌を配布し,ただちに「神が偽ることのできない事柄」と題する本を使って聖書研究を始めました。彼女は真理を探求するのを助けてほしいとその伝道者に願い出ました。そして,「もしこれが真理だということを確信したなら,どんなことがあっても,私はこれを守ります」と言いました。研究は続けられ,その若い女性はたいへんよく進歩しました。ところが,障害が生じはじめました。自分の家族の人たちからの激しい迫害がはじまったのです。特に彼女の婚約者からの迫害はひどく,彼女は口ぎたなくののしられ,意識不明になるまで打たれました。しかし,その女性は動揺することもなく,研究を続けました。彼女が夕方家に帰ってみると,3人の教区司祭,ひとりの神学者,それにふたりの修道女が何度か彼女を待ち受けていました。それらの人たちはみな,この「誤導された」女性をなんとかして「正しい道」に連れ戻そうとするためでした。その手段が不成功に終わったのを知った彼女の婚約者は,女性の特別開拓者が彼女との聖書研究を司会している最中に,その家に押し入り,自分の婚約者をつかまえて打ちたたき,また,その奉仕者をもののしったりおどしたりしました。彼女の叫び声を聞きうけた警官がその場に急行したため,その特別開拓奉仕者が裁判にかけられることになりました。しかし,その若い女性は真理を研究して得た知識を用いて,親の考え方を変えさせ,親に自分たちの犯したあやまちを自覚させることができました。今では,それらの人々すべてが集会に出席しており,そのうちの3人はバプテスマを受け,彼女の家では四つの家庭聖書研究が司会されています。こうした特異な事態の結果として,全部で7名の人々が真理を知るようになりました。今では彼女の夫となっている,かつてのその残忍な婚約者も伝道に参加しています。

      ― エホバの証人の1971年度年鑑より

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