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救われるために何が必要ですかものみの塔 1968 | 3月1日
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献身して神と結ばれたこの関係を常に心にとめるべきです。世の人の行ないがどんなものであっても,それはクリスチャンの導きとはなりません。クリスチャンはすべての事において,文字になった神のことばを導きにします。
報いを得るために忍耐する
救われた人の得る全き報いは,私たちが想像できるものをはるかに越えています。それは現存する悪の事物の制度に迫っている滅びに生き残るだけのことではありません。天の御国の治める祝福された地において新秩序の下に生きるすばらしい喜びも含まれます。罪のもたらした恐ろしい結果と利己主義が王キリスト・イエスによって拭い去られる千年期を想像してごらんなさい。(黙示 20:4。コリント第一 15:25,26)キリストが命ずるとき,死者が墓からよみがえるのを見ることさえできるのです。(ヨハネ 5:28)そして千年統治の終了後には忠実の最後の試みに耐える機会があります。もし忠実ならば,救い,すなわちキリストをとおしての神の最大の賜物,永遠の生命を受けます。―黙示 20:5,7,8。
このような栄光の報いが前途にある以上,必要とあれば苦しみをも受け,忍耐するのは当然でしょう。サタンの支配する悪の事物の制度はこぞって神の真の崇拝者に敵対しています。そして神に対する忠実を捨てさせ,献身の誓いを軽視させようと働きかけます。親しい者や親族が,真の崇拝から離れさせようと説得したり圧迫したりする役に回るかもしれません。(マタイ 10:35-37; 7:13,14)しかし,神の霊感によってしるされた次のさとしに聞き従ってください。「[すでに述べた肝要な段階をことごとく経,]神の御旨を行って約束のものを受けるため,あなたに必要なのは,忍耐である」― ヘブル 10:36。
あなたの避け所また盾であるエホバとの連絡を常に保ちなさい。(サムエル下 22:2,3)みたまによって支えてくださるよう神に祈ってください。神は人を立たせることができるからです。(ローマ 14:4)追随者の忠実な指導者,指揮者であられるキリスト・イエスのことばは,こう励ましています。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」― マタイ 10:22。
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子供を訓練することの大切さものみの塔 1968 | 3月1日
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子供を訓練することの大切さ
● 子供を幼い時から訓練することの大切さは,次の経験によって再び立証されました。オーストラリアのエホバの証人のひとりの伝道者が家を離れていたとき,その妻と若いむすこたちが親類を訪問しました。そして食事をするように勧められましたが,その食事には黒いソーセージが出されました。そのむすこたちは家で聖書を勉強したときに,黒いソーセージは血を材料にして作られたソーセージの一種であると教えられていました。4歳と6か月になる一番年下のむすこはその昼食を断わりました。父親から,黒いソーセージには血がはいっていると聞いていたのです。母親は,そのソーセージだけはすべて野菜と肉で作られており,血は少しもはいっていないということをむすこに納得させようとしましたが,その説明では不十分でした。と言うのは,黒い色は血を意味すると父親から教わっていたためです。母親とおばは,それはばかげた不合理な考えだと言って,その子を言い伏せようとしたところ,「そのためにたとえ殺されようと,ぼくは食べません」とむすこは答えました。そのおばが,「そんなことはない。もしお前が殺されることになれば,必ず食べるに違いない」と言い返えしたところ,その子は,「いいえ,食べません。たとえ天が落ちて来て,ぼくが殺されそうになっても,ぼくはどんな血も決して食べません」と答え,そのソーセージを食べませんでした。問題のソーセージに血ははいっていませんでしたが,そのむすこにとっては血の問題があったのです。この幼い子供は自分の信念を堅く守る覚悟ができていました。その信念は明らかに父親と家庭で聖書を勉強して培ったものです。
― エホバの証人の1968年度年鑑より
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