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    目ざめよ! 1974 | 1月22日
    • はほとんど忘れかけていました。ファンディーの潮津波はここを訪れる人が見逃してはならないものです。事実,この自然現象を見たいと思う人たちのために観潮時刻表さえ発行されているのです。

      潮津波は,満ち潮で押し寄せる強力な水の流れが海に注ぎ込む川の流れとぶつかる時に起こります。川岸にはさまれた狭い水路で,上流に押し進んでゆく水の壁ができるのです。海に注ぐ川なら,どこでもこの奇観が見られるわけではありません。これは普通,浅い川や川床に急傾斜があるところで起こります。

      ファンディー湾に流れ込む多くの川でこの現象が見られます。あるところではわずかに数㌢から十数㌢ですが,ずっと大きな潮津波のできるところもあります。シグネクト湾から30㌔内陸に入ったモンクトン市では,旅行者たちが,90㌢から120㌢も盛り上がったペティコディアク川の潮津波をいつも見物しています。これはなかなかの景観であるとはいえ,中国の銭塘江や南米アマゾン川の場合に比べると,ファンディーの潮津波もそれほど大きなものではありません。アマゾン川では,流れ込む海水が高さ4.8㍍もの滝となり,幅1.6㌔にわたり,時速20㌔以上の速さで川を上って行くさまが見えるのです。そうです。潮の満ちる勢いにはほんとうに強力なものがあります。

      潮の干満に合わせて生活する

      長年の間,海洋生活者の生活リズムは“潮の時計”によって支配されてきました。漁師の船団も,商船や軍艦もみなひとしく潮の影響を受けてきました。かつて船舶界有数の繁忙な場所とされたノバスコシア造船所は潮の干満に応じて作業を行なっていました。20世紀におけるファンディー湾の船荷の積み降ろしについても同じです。

      潮の干満はファンディー湾沿いの多くの漁師の生活を今でも支配しています。“やな”を利用した一つの漁法は高い柱に網を巻きつけた一種のわなですが,魚を取る作業は事実上潮の流れが行なっています。潮が満ちている時には柱のてっぺんだけが水の上に出ています。潮が引いて行く時,後退する水は魚を網のさくに残して行きます。それで,干満になるとすぐ,漁師は荷車や手押し車をやなまでどろの中に乗り入れで自分の魚を集めます。ところが,漁師と競争で獲物に急ぐものがいます。あたりにいつもたむろする,おなかをすかせたかもめの群れです。しかし,一刻のむだもできないさらに大きな理由かあります。今や再び満ちてくる潮はだれをも見境なしにのみ込むからです。

      押し寄せる潮の流れを動力として利用することは別段新しいことではありません。英国では,潮の流れで回す水車の力で水をくみあげる装置が最初にロンドン市にできました。それは古いロンドン橋に取り付けられたものです。ドイツのハンブルグでは,1880年に至るまで,潮力を利用した汚水くみあげ施設が用いられていました。そして,ファンディー湾の潮の満ち引きも粉ひき所の動力として働いてきました。また,そうした潮力利用の製材所がメーン州においてほんの20年前まで用いられていたことも明らかです。

      しかし,ファンディー湾の潮の流れによって大規模な動力を得るとなると,また問題が異なってきます。その可能性について今世紀には多くの研究がなされてきました。最も大々的な企てがなされたのは,ニューブランズウイック州とメーン州の境界にあるパサマコディー湾です。しかし,いずれの場合にも,とどまることのない巨大な力をとらえるだけのものを人間は持ち合わせていませんでした。人間は協力と技術と資金を欠いたのです。

      ファンディーを見直す

      再びファンディー湾は注目の的となっています。ファンディー湾が見直されているのはなぜですか。

      技術上の経験から来る確信によって,潮力の利用ということが,夢の領域からある程度現実の問題へと移って来たのです。国際的な調査研究が進み,今では潮力を活用した二つの施設が現実に運転されています。一つは,ソ連のムルマンスクの北約970㌔にあるキスラヤ湾に設けられた小さい実験的な施設です。もう一つは,フランスのランス川にまたがる大々的な発電施設であり,現在では毎年5億4,400万㌔ワットの電力を生み出しています。「だから不可能ではないのだ」と技術者たちは言い,彼らはいま自分たちの技術を巨大なファンディーとなんとか取り組ませようとしています。

      別の理由は,潮力に伴う根本的な問題が解決されるようになったことにあります。潮力の場合には,産出されるエネルギーの量が潮の干満という自然のリズムに支配され,エネルギーの必要な時間と必ずしも一致しないという問題がありました。しかし,新しい逆流式タービン発電機の開発と,毎日できるだけ定量のエネルギーを供給するための新しい計画法とによって,潮力利用の実際性が見直されるようになったのです。

      そして今,ファンディー湾への新たな注意を促している大きな要素は,エネルギー危機の問題でしょう。また,しだいに高まる汚染の問題も関係しています。潮力は本来“きれいな”動力であり,大気,土地,水などに対する汚染の問題は知られていません。さらに,潮力は鉱物資源の場合のように尽きてしまうということがなく,絶えることのない潮の干満と同じく常に存続する動力源です。

      こうして,動力に対する需要はあり,それに応ずるエネルギーは存在しています。また,技術上の問題の多くも,複雑で難しい面を含むとはいえ,今日解決しがたいものではありません。では,ファンディーの潮の干満から人間がいっそうの益を得ることを阻んでいるものはなんでしょうか。費用です! そのような膨大な計画を財政的に支えてゆくこと,莫大な建設費,それに,高い利子率と高まるインフレの傾向とが大きな障害となっているのです。経済上の利益が優先されることの多い今日の世界の事物の体制では,これは確かに障壁となり,ファンディーの並はずれた大きな潮の満ち引きも当分は活用されることがないでしょう。

  • 盲人にも『汚染は見あたらなかった』
    目ざめよ! 1974 | 1月22日
    • 盲人にも『汚染は見あたらなかった』

      ◆ アメリカ,ワシントン州に住む19歳のある大学生は,生来の盲人ですが,エホバの証人とともに聖書研究を定期的に行なって喜びを得てきました。彼は,その聖書研究を司会している奉仕者に招かれて,その地方で開催されたエホバの証人の大会に3日間全日出席しました。その大会後に行なわれた聖書研究のさい,大会をどのように楽しく過ごしたかについて尋ねられた,その盲目の青年はこう答えました。「すばらしい大会だったと思います。その大会に出席して,多くの喜びを得ました。会場では汚染は見あたりませんでした」。そこで,奉仕者は尋ねました。「失礼ですが,目の見えないあなたが,汚染は見あたらなかったと言われるのはどういう意味でしょうか」。

      学生はこう説明しました。「空かんにけつまずくこともありませんでしたし,新聞紙やたばこの吸いがらを踏んだりしたこともありませんでした。だれもたばこをのんではいませんでしたし,私の行っている大学や私が出席している他の団体の会合で耳にするようなきたないことばも聞きませんでした。それに,人びとも,また幼い子どもたちさえ親切でした。押し合ったり,争ったりする人もいませんでした。私はみなさんが示したこうしたりっぱな特質を特に尊いと思っていますし,これらの人たちは聖書の教えに従って生活しているということがよくわかります」。

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