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読者からの質問ものみの塔 1969 | 10月1日
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について細かい定めをもうけ,くどい祈とう文をつくっていました。これらのために公の祈りは,人にほめられる,いかにも敬虔そうな,独善的なものに堕していました。そのような指導者たちは,だまされやすい人たちを感動させたかもしれませんが,神を感動させることはできませんでした。よりきびしいさばきが,「長い祈」をするそれらの偽善者たちを待ち受けていました。―ルカ 20:47。
聖書に記録されている正しい祈りの中に,かなり長い祈りがいくつかあることは事実です。聖書にしるされている宮の献堂式の時のソロモンの祈りは,10分近くかかったものと思われます。(列王上 8:23-53。歴代下 6:14-42)ヨハネは,イエスが最後の晩に弟子たちとともにされた祈りを記録していますが,これは26節にわたります。(ヨハネ 17:1-26。ネヘミヤ 9:5-38もごらんください)これらの祈りは,特別の時にささげられた,特別の公の祈りです。神はソロモンの祈りを聞き,これをよしとされました。イエスの祈りもそうされたことは確かです。(歴代下 7:12。ヨハネ 11:42)そしてわたしたちはこれらの長い祈りが聖書に記録されていることを感謝しています。
聖書中に,神の喜ばれる祈りの例があることからすると,イエスが批判したのは祈りの長さというよりも,長くて,くどい,うわべを飾った祈りの背後にあるまちがった動機であったことがわかります。したがって,ソロモンやイエスのように,霊の思いをもつ,心の平衡のとれた人たちが,正しい動機で,心から長い祈りをささげたときは,エホバはそのような祈りを退けませんでした。
公の祈りや個人の祈りの長さについて規則は必要ありません。聖書にもそれは定められていません。ですからいろいろな祈りがあっていいわけです。
特別の試練や問題,または事態に直面したときの,とくに個人の祈りは,長い祈りが適当かもしれません。ゲッセマネの園ではイエスはかなり長い間祈られました。また12使徒を選ぶ前にも,「夜を徹して神に祈られ」ています。―ルカ 6:12,口語; 22:41-45。
他方,聖書には,当面の問題だけを取りあげた,きわめて簡潔な,すぐれた祈りがたくさんしるされています。(ネヘミヤ 2:4。列王上 18:36,37。列王下 6:17,18。ヨハネ 11:41,42。使行 1:24,25)それらの問題には他のいろいろな事柄が関係していたかもしれませんが,その場では,そうしたことを含めるのは適当でしたか。祈った人たちはそう考えなかったようです。またわたしたちは,イエスの模範的な祈りが簡潔であったことを思い出します。―マタイ 6:9-15。
祈りをするとき,その場の事情を考慮に入れねばならないことは明らかです。イエスは夜を徹して祈ることになんの不都合もないことを知っておられましたが,4000人の人間に物を食べさせる前に,極度に長い祈りをされましたか。聖書はこう述べています。「イエスは……七つのパンを取り,感謝してこれをさき,人々に配るように弟子たちに渡され(た)」。(マルコ 8:6,口語)同様に今日の会衆の集会でも,事情を考慮しなければなりません。たとえば主の晩さん式では祈りが4回行なわれます。もしこれらの祈りがみなひどく長いならば,式場の使用にかんするきちんとした取り決めや,式の話そのものが不必要に妨げられます。ですから平衡を保ち,よい判断を働かせることが必要です。
つまるところ,わたしたちが,宗教指導者たちの祈りにかんするイエスのことばから学ぶべき重要な点は,正しい動機と考えの大切さです。祈りをささげるクリスチャンは,人から「気高い」と思われるために祈りをするということがないようにしなければなりません。聞く人を感動させようとして麗々しいことばを使うべきでもありません。慈愛深い天の父に祈るということはすばらしい特権ですから,人は誠実な,へりくだった態度で,絶えずこの特権にあずかるべきです。(ルカ 18:13,14)もしわたしたちが祈りをこのように見れば,わたしたちの祈りの長さや内容は,公のものにせよ私的なものにせよ,時にかなった,そして必要を満たすものとなるでしょう。
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「あまり科学的ではない」ものみの塔 1969 | 10月1日
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「あまり科学的ではない」
● 進化論者が,証拠もないのに進化論を事実と断定していることに注目して,「聖書の洪水と氷河時代」(英文)と題する本は240ページで次のように述べています。「ダーウインは遺伝に関する自分の思いつきを,科学的な発見として発表したが,それはあまり科学的ではない。……かれを教育者や科学者ではなく宣伝家と考えるなら,かれの独断的な考えや,救世主的ともいわんばかりの自信のほどが理解できる。自分の態度が自信に満ちていれば,証明は必要なし,とかれは考えた。そして,証明なくして,他の学者はダーウインの考えを強力に推し進めた」。
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