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“可能性”が現実となる確率はどれほどですか目ざめよ! 1975 | 9月22日
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がいつ起こるかはだれにも言えません。1日に12機堕落し,そのあと4年間無事故が続くでしょうか。それはだれにも分かりません。
したがって,致命的な「大数の法則」に影響されることはない,という自信をもって飛行機に乗ることができます。
進化の可能性はあるか
生命は偶然に発生し,それから,現在地を覆っている種々の形態の生物に進化した可能性が強い,と信じられていますが,今まで検討してきた確率に関する基本的な概念を理解しているなら,そう信ずることの愚かさを容易に理解することができます。
しかし,次のように言う人があるかもしれません。もし偶然による生命の形成に必要なすべての化学的「原料」を,長期間にわたり十分に種々の方法で混合するなら,最後には生命が発生するのではないか,と。それにはまずだれかが,または何物かが混ぜることをしなければなりません。しかし,論議を続けるためにその必要な条件を度外視して考えてみましょう。一つの細胞の中には幾千もの微少な分子があって,化学作用が行なわれています。そして人間には何兆もの細胞があって,あるものは非常に特殊化された機能を果たしています。これらの過程が,なんの理知の働きもない混合によって始まり進化した可能性は極めて小さなものです。
一組のトランプを使って,その意味を説明してみましょう。
仮にあなたがブリッジをしているとします。一組52枚のトランプの中に13枚あるスペードが全部あなたに配られる可能性はどれほどでしょうか。最初に配られる札がスペードである確率は,明らかに13/52です。残る51枚の札のうちスペードは12枚ですから,確率は12/51となります。次いで11/50,10/49と続いて最後の札は1/40となります。これらの分数を全部掛け合わせると,13枚のスペード全部があなたの手に配られる可能性は約6,350億分の1です。
わたしたちが扱っているのは一組わずか52枚のトランプであることを忘れないでください。
しかも,わたしたちは数字が順番になることを求めていません。もしそれを要求するとすれば,その確率はさらに何倍も小さくなります。まず最初の確率は13/52ではなくて1/52となります。最初に目的通りの札が配られたとすれば,次の確率は12/51ではなくて1/51,その次は1/50(11/50ではない)というふうになっていきます。全部のスペードを数の順番に引く確率の総計は,それらの数字を全部掛け合わせると得られます。1/52×1/51×1/50×1/49×1/48×1/47×1/46×1/45×1/44×1/43×1/42×1/41×1/40。これはどれほどの確率になりますか。
約4,000,000,000,000,000,000,000分の1です。
わずか13の“原料”を順番に並べるだけでこの有様です。この論によれば,各原料はすでに存在しており,しかもどういうわけか適量で存在している,ということを忘れないでください。つまり,その一組の札は,わたしたちが始める前から存在している,ということです。
もう一つ,進歩した生命の存続には両性が要求されます。それで同じ過程が一度ではなく二度生じなければなりません。一組のトランプから13枚のスペードを,数の順に,しかも続けて二度引く可能性はどれほどでしょうか。その答えを出すには,前述の数を二度加えさえすればよいのではなく,2乗,つまりその数にその数を掛けなければなりません。そうすると,確率は16にゼロ40以上分の1となります。
もちろん,一組の生きた人間には,13の原料を単に混ぜて切ることよりもはるかに多くの働きが関係しています。しかしこのことは,生命が偶然に発生し,そのあと進化の道をたどった可能性がいかに少ないかを明確に示さないでしょうか。
実際,その可能性が非常に薄いので,進化論者をもって任ずる人々でさえ,それを信ずることは不可能に近いことを認めています。ジュリアン・ハックスリは,「十分の時間があっても,自然選択の結果がいかにとてつもなく起こりそうもないことであるかは,ちょっと計算すれば実証できる」と言っています。偶然だけによって一頭の馬がつくり出される確率はどれほどか,と彼は問います。その答えの中でハックスリは,「全くの偶然によって一つの系統に幾つもの有益な突然変異が生ずる確率が極めて低い」ことに言及し,さらに次のようにつけ加えています。「これを書き表わすなら,1,000の100万乗[1,0001,000,000],つまり1にゼロが300万ついた数となり,またこれを印刷するなら500ページほどの大きな本が3冊でき上がる。実際にこれは無意味なほど大きな数ではあるが,自然選択がどれほど不確かなものであるかをよく示している。……1にゼロが300万というのは,馬のできる不確かさを示す数字であり,それがいかに起こり得ないものであるかを表わすものである。そのようなおよそ起こりそうもない事柄に賭ける者は一人もいないだろう」。
にもかかわらずハックスリは,信じられないことのようですが,向きを変えて,「それでも進化は起きたのだ」と言います。その態度はどれほど首尾一貫したものに見えますか。もしだれかがそのような確率を信ずるとすれば,それはその人が愚かな決定をしたにすぎません。しかしその人は正直な気持ちで,自分の場合に重みのある証拠 ― 確率 ― がある,と言うことはできません。
それとも「可能性」は設計者の存在を示すか
他方,生命は他の生命から来る,ということは常に知られてはいなかったでしょうか。確かにそうです。ですから,人は自分の経験をとおして,生命は生きている創造者によって生ぜしめられた「可能性」が強い,ということを知ります。この見方は,確率の全概念によって支持されます。なぜそう言えますか。
なぜなら,確率は設計を暗示するからです。わたしたちはほんの一部調べてみただけですが,確率の公理はほとんどすべての科学思想の基本となっています。人間はこれら生命を持たない法則を信じ切っています。それらの法則は非常に一定しているので,わたしたちはそれに“信仰”を置くことができる,と科学者たちは言います。さてわたしたちは,そのような法則が全くの偶然によって存在するようになったと信ずるべきでしょうか。つまり法則には法則の造り主がいないのでしょうか。データ,すなわち確率の重さは確かに,数学上の公理の背後に存在する設計者を指し示します。さらに,もしこれらの公理や,他の物質的創造物に関する法則がそれほど一定不変のものであるなら,その創造者も同じであるに違いありません。
確率の公理のように,諸法則の精確な働きを理解することには大きな喜びがあります。しかし本当に分別のある人はそれだけでは満足しません。その法則を作った方を知りたいと思います。そしてその方を知ったなら,それは無限に大きな喜びとなるでしょう。
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新しい潤滑油目ざめよ! 1975 | 9月22日
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新しい潤滑油
● マッコウ鯨の油は,長い間,工業用潤滑油として利用されてきました。ところが,この種の鯨が絶滅しかけているため,鯨油は著しく不足しています。そこで,メキシコとアメリカに見いだされる砂漠のかん木が,今や,その格好の代用品になるという期待が持たれています。高さ2,3㍍のこのかん木は“ホホバ”と呼ばれています。その種子には50%もの油脂が含まれており,その油の化学的組成は鯨油と似ています。利用者は,減少したこの種の油の在庫を増やすため,このかん木を栽培できるようになることを期待しています。つい最近,一自動車会社は自社のトルク・コンバーター・オイルに鯨油を加えなくなったところ,腐食のために重大な問題が生じた,とこぼしました。
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