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世界展望目ざめよ! 1974 | 12月8日
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を持つ患者はより早く回復し,病気になる率も低い。信仰を持っていても,心理的障害,種々の神経症,肉体面での病気などになることがある。しかし,ある精神科医に宗教と精神医学についてどう考えるか聞いたところ,彼はこう答えた。『患者が治療の基礎となる信仰を持っているなら,健全な精神状態に戻るための戦いの50%は,治療の初めの段階で成し遂げられる」。
お年寄り
◆ 世界保健機構(WHO)の調査によると,いわゆる貧しい国の年寄りのほうが先進諸国の年寄りよりも恵まれている。なぜだろうか。一般的に言って開発途上国の老人は地位を与えられ,家族から面倒を見てもらっている。他方,先進諸国では,しばしば老人を引退に追いやり,国家に面倒を見させる。同調査は,年老いた人々が肉体的また精神的に可能な限り,働けるようにすることを勧めている。
消え行く預金者たち
◆ いよいよ多くの人が世界の経済体制に対する希望を失っている。サタデー・レビュー(ワールド)誌に,フランスのストラスバークからリチャード・ネフが報告した点に注目するとよい。「つつましやかな預金者たち,一定の収入しかない人々,債権者たちなどは,いつの世でもインフレによって一番大きな被害を受けてきた。しかし今日,これらの人々でさえ,以前ほどインフレに抵抗しなくなった。預金族は,どこにおいても風変りな消え行きつつある種族となっている。伝統的に保守的なフランスにおいてさえ,1959年に月賦購買者の16倍もいた預金者は,現在では月賦購買者の5倍にすぎなくなった!」。
アフリカの飢きんの原因
◆ アフリカのサハラ地方の飢きんの主な原因は何であろうか。ある“専門家たち”の感情を害するかもしれないが,サイエンス誌はこの飢きんが主として人間自身によって引き起こされたとしている。次のように述べている,「過去数十年にわたる西欧諸国の科学や技術,慈善団体や諸政府の全くの善意からの努力などが,実際には破壊の主な役を果たした。……長い目で見れば,サハラにおける西欧諸国の干渉で住民の側に役立ったものはほとんどない」。
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聖書の第51番めの本 ― コロサイ人への手紙目ざめよ! 1974 | 12月8日
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『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』
聖書の第51番めの本 ― コロサイ人への手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた時期: 西暦60-61年ごろ
含まれている時代: 確定できない
1 コロサイの町はどこにありましたか。
二人の人がエフェソスを離れ,メアンデル川(メンデレス川)沿いに小アジアを東に向かって旅行していました。フリギア地方で,支流のリュコス川が注ぐ所まで来ると,二人は南東に向きを変え,山あいの峡谷に沿ってさらに進みます。やがて眼前に美しい光景が開けます。肥沃な緑の牧草地が広がり,羊の大きな群れが点在しているのです。(羊毛製品はこの地方の主な収入源でした。a)さらに谷すじを上った二人は,右手にラオデキアを見てそれを通り越します。ラオデキアは富裕な都市であり,その地域におけるローマ行政府の所在地です。左手,川の向こうには,神殿と薬効温泉,はでな遊興などで知られるヒエラポリスが見えます。これら二つの都市にはそれぞれクリスチャン会衆があり,また,谷すじをさらに15㌔ほど上った所の小さな町コロサイにもクリスチャン会衆がありました。
2 (イ)パウロがコロサイに送った二人の使いはだれですか。(ロ)コロサイ会衆についてどんなことが知られていますか。
2 これら旅行者が行こうとしていたのはこのコロサイです。二人はともにクリスチャンでした。少なくともその一人はその地域の事情に通じていました。もともとコロサイの人であったからです。その名はオネシモです。彼は自分の主人のもとに戻ろうとしている奴隷であり,その主人はその地の会衆の成員でした。オネシモの同行者は自由人のテキコです。二人は使徒パウロからの使いであり,「コロサイにいる,キリストと結ばれた……忠実な兄弟たち」にあてたパウロの手紙を携えていました。わたしたちの知るかぎりでは,パウロはコロサイを訪ねたことがありません。主として非ユダヤ人から成るその地の会衆は,恐らくエパフラスによって設立されたものでしょう。エパフラスはその会衆で労した人であり,この時にはローマのパウロのもとに来ていました。―コロサイ 1:2,7; 4:12。
3 筆者,およびその書かれた時と場所について,手紙そのものは何を明らかにしていますか。
3 初めと結びのことばの中で述べられているとおり,この手紙の筆者は使徒パウロです。(コロサイ 1:1; 4:18)また,その結びのことばは,パウロがこれを獄の中で書いたことを示しています。これは,ローマにおけるパウロの最初の投獄,
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