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  • 確信をもつて教えるための資格を備える
    ものみの塔 1958 | 2月15日
    • 研究するため,ヱホバの証者はあなたの家に参ります。さつそく聖書の研究にとりかかつて下さい。研究するとき出て来る聖句を調べて下さい。そうすれば6ヵ月の間に驚くほどのことを学ぶでしよう。しかも,研究は無料です。ヱホバの証者とまだ研究したことがないなら,あるいは研究したことがあつても今は止めているのを再び始めたいと思われるならば,東京都港区芝三田豊岡町一番地,「ものみの塔聖書冊子協会」にハガキを出して『聖書研究を望みます』と知らせて下さい。そうすれば,間もなく誰かが訪問して,あなたがヱホバの御言葉を学ぶのを助けるでしよう。あなたを探すことができるように,御名前と住所を忘れずに知らせて下さい。自分自身の家でヱホバの証者と研究した何十万人の人々は真理を学び,今はキリスト・イエスの追随者となつてヱホバ神の真の崇拝を行つています。

      10 イエスの教えはなぜ新しいものではありませんでしたか。忠実を守る人々に与えられる報いは何でしたか。忠実を守らない人々には?

      10 イエスが地上を歩んで教え始められたとき,多くの人は新しい教えと言いましたが,新しいことではなかつたのです。イエスは律法の真髄を人々に伝えられたのです。それは,神を愛せよ ― 隣人を愛せよ,ということでした。イエスは永遠の生命への道を人々に示されていたのです。イエスはすべての人,すべての民族,すべての部族,国語の人のために道を開かれていました。神の言葉の真理すなわち神の律法はもはやイスラエル民族だけに限られることなく,間もなくすべての人に機会が与えられようとしていました。イエスは律法を毀つために来たのではなく,かえつて律法を成就し,その価値をすべての人に示すために来られたのです。イエスは神の言葉を十分に悟り,神の言葉によつて生活されました。それで次の事を言われたのはイエスでした,『それだから,これらの最も小さいいましめの一つでも破り,またそうするように人に教えたりする者は,天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし,これをおこないまたそう教える者は,天国で大いなる者と呼ばれるであろう。わたしは言つておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさつていなければ,決して天国にはいることはできない』― マタイ 5:19,20,新口。

      11 学者,パリサイ人の行いは何を表わしていましたか。今日彼らに似ているのは誰ですか。なぜ?

      11 弟子たちを訓練したイエスは,ヱホバの戒めを守りそれによつて生活することを弟子たちに教えました。学者,パリサイ人の教えと生活を観察したイエスは,彼らが神の言葉の教えよりも,彼ら自身また他の人間の伝説を提唱しているのを見ました。むかし遣わした予言者を通してヱホバは彼らに神の言葉を書き与えられていたのです。今日のキリスト教国についても同じことが言えます。キリスト教国の宗教教職者は人々に聖書を教えていません。彼らは自分自身の伝説,自分自身の考えを持つており,殆んど全部の牧師は神の御国よりも国際連合を指して人類の唯一の希望であると言うことでしよう。この一事だけを見ても,彼らは人類を神の言葉からひき離したのです。彼らはヱホバとヱホバの御子とヱホバの御国を拒絶しました。それゆえに,彼らはもはやクリスチャンすなわち神の言葉の奉仕者であると称えるべきではありません。彼らは『決して天国にはいることはできない』のです。

      12 キリスト教国は真理をあいまいなものにしてしまつた故に,本当の真理を求める人は何をすることが必要ですか。

      12 キリスト教国は聖書の真理を極めてあいまいなものにしてしまつたため,クリスチャンと名乗る各人が真理とは何かを理解することは困難となつています。イエスは言われました,『わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである』(ヨハネ 18:37,新口)ゆえに,聖書に帰り,真理を見出しなさい。人間の伝説に聞くのではなくて,各個人が神の言葉そのものに頼り,聖書が何と述べているかを知ることは極めて必要です。クリスチャンの教えの最初の源にまで辿りなさい。すぐれた奉仕者でキリストの追随者パウロがエペソの会衆に与えた助言に従つて下さい。彼は述べました,『そこで,わたしは主にあつておごそかに勧める。あなたがたは今後,異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。彼らの知力は暗くなり,その内なる無知と心の硬化とにより,神のいのちから遠く離れ,自ら無感覚になつて,ほしいままにあらゆる不潔な行いをして,放縦に身をゆだねている』― エペソ 4:17-19,新口。

      ヱホバに教をうける

      13 永遠の生命を得るための要求を大要しなさい。

      13 イエスはすばらしい教師でした。そして教える業をどのように遂行するかを弟子たちに教えられました。第一に,何時も聖書を用いなさい。そのようにして,真の神のヱホバについて人々に教えることになります。人が永遠の生命を得るためには,生命の創造主である父と父の教えを学ばねばなりません。その教えは彼御自身の御言葉,聖書の中に示されています。ヱホバは聖書を書かせて私たちの時代まで保存されました。それは私たちの教訓と教えのためです。イエスは言われました,『私を遣わされた御父が引かないならば,何人も私のところにくることは出来ない。私は終りの日に彼を復活させる。予言者たちの書に「彼らはすべてヱホバから教えられるであろう」と録されている。父の教えを聞き,知つた者はすべて私のところに来る』(ヨハネ 6:44,45,新世)これから分るようにヱホバが先ず言われることを聞き学ぶことは極めて必要です。そして,ヱホバの言われることを聞くには,ヱホバの御言葉を読み,研究しなければなりません。人がヱホバ神の教えを学ぶとき,その人は当然にキリスト・イエスに導かれます。そして聖書から学んだゆえに,その人はキリスト・イエスが人類の唯一の贖い主であり,キリスト・イエスは御自身の犠牲の価値によつて生命を与え得る方であることを知ります。キリストは『(信ずる者)を終りの日によみがえらせる』でしよう。―ヨハネ 6:54,新口。

      14 今日のクリスチャンにとつて価値あるどんな助言を,パウロはテモテに与えましたか。

      14 クリスチャン宣教を始めた人が,後になると自分に従う人々を真の神,ヱホバ崇拝からひき離す者があることを,パウロは悟つていました。それゆえにパウロは助言したのです,『されど妄なる話と老いたる女の昔話とを捨てよ,また自ら敬虔を修行せよ。体の修行もいささかは益あれど,敬虔は今の生命と後の生命との約束を保ちて凡ての事に益あり。これ信ずべく,正しく受くべき言葉なり。我らは之がために労し,かつ苦心す,そは我ら凡ての人,殊に信ずる者の救主なる活ける神に望を置けばなり。汝これらの事を命じ,かつ教えよ』― テモテ前 4:7-11。

      15,16 (イ)知識を得る唯一の方法とは何ですか。ヱホバの証者と聖書を研究することはどんな価値がありますか。(ロ)ある人々はなぜヱホバの証者と研究することを止めますか。それでも,ヱホバの証者がクリスチャンの原則を曲げて妥協できないのは何故ですか。

      15 敬虔を目ざして自分を訓練する唯一つの方法は,神の言葉を研究することです。人が聖書を読み,聖書の研究に訓練を積んだ他の人と一緒に注意深く研究するとき,その読んだことは信ずべく,正しく受くべきであることが分るでしよう。ヱホバの証者が一生懸命に働き,励んでいるのは,彼らが望みを保ちまた他の人々の生活の中にこの希望と信仰を建て起すためなのです。人々と一緒にその家庭で研究するヱホバの証者は,たとえ聖書の真理が人の個人的な考えと衝突しても神の戒めに固くつき従い,それを教えます。神の正義の律法は学ぶ人個人にとつて,時に心を乱すものであり,その人々は研究をやめます。研究するなら大きく生活を変えなければならないと言うので,研究しようとしないのです。しかし,私たちはその人々と妥協して,しかも引き続き確信をもつて教える資格を保つことはできません。

      16 『義は不義とどんな係り合いを持つのか。光は暗やみとどんな交わりを持つのか。キリストとベリアルとなんの調和があるか,信仰と不信仰となんの関係があるか。神の宮と偶像となんの一致があるか。私たちは,生ける神の宮である。神がこう仰せになつている,「私は彼らの間に住み,かつ出入りをするであろう。そして私は彼らの神となり,彼らは私の民となるであろう。」だから,「彼らの間から出て行き,彼らと分離せよと,ヱホバは言われる。そして汚れたものに触れてはならない。」「そうすれば私はあなた方を受け入れよう。」「そして,私はあなた方の父となり,あなた方は私の息子,娘となるであろう。」全能者なるヱホバがこう言われる。』(コリント後 6:14-18,新世)ヱホバから教えを受ける人々を,ヱホバは受け入れて彼らの父となり,彼らは永遠の生命を得ます。これ以外に,永遠の生命を得る道はありません。神の言葉を求めてそれを読みかつ学び,弟子となることが早ければ,それだけ早く人は慰めと喜びと祝福を得ます。そして,敬虔な献身のために訓練しているのです。パウロがテモテに語つたように,それは『今の生命と後の生命との約束を保ち』ます。

      17 教える者となるまでには,どれ位長く待たねばなりませんか。

      17 今日,神の言葉の真理を未だ何百万の人に教えねばなりません。それにひきかえ,教える資格を備えた奉仕者は十分にいないのです。ヱホバの証者の多くは真理に新しく,他の人を教えるという責任をまだ引受けていません。家から家に伝道していますが,教える者の務めをまだ引受けていないのです。教える者となるには,どれほど長く待たなければなりませんか。それを決めるのは難しいことではありません。神の言葉の基礎の教えを知るならば,少くともその真理を早速他の人に教え始めるべきであると,パウロは示しています。その人が円熟するにつれて,進んだ研究においても他の人を援助できます。しかし,それ以前にも教える者となれるのです。野外で証言する際に会う他の人が,神の言葉について何も知らないか,あるいは僅かしか知らないとき,新しい御国奉仕者は教科書として聖書を使いながら,自分の知つているだけの事を少くともその生徒に教えることができるでしよう。

      18 (イ)怠けて教えることをしなかつた当時の人々を叱つて,パウロはどのように言いましたか。(ロ)このことは今日のクリスチャンにあてはまりますか。

      18 知識を持つていても,知つていることを他の人に告げることをしなかつた人々に対して,パウロは極めてはつきりとこう告げました,『あなたがたは,久しい以前からすでに教師となつているはずなのに,もう一度神の言の初歩を,人から手ほどきしてもらわねばならない始末である』(ヘブル 5:12,新口)この事について,あなたはどれほど長い間,ヱホバの証者の一人,すなわちクリスチャンであると主張してきましたか。クリスチャンであると公けに言う人で,円熟の域に達してクリスチャンの教えに成長しているなら,今では教える者となつているべきです。「牧師が私の代りに聖書を研究してくれます」と言つて,クリスチャンが自分の責任を避けることはできません。キリスト教国の牧師は会衆の監督であると主張していますが,パウロはこのような監督に対して語つているのではありません。パウロは,クリスチャンであると公けに言うすべての人に話しているのです。あなたは神の言葉を他の人に教えていますか。『あなたがたは,久しい以前からすでに教師となつているはず』であると,パウロは述べています。あなたは既に長い間,神の会衆に行つていますから,真理とは何かを知つているはずです。では,なぜ他の人に真理を教えていないのですか。それで,ヱホバの証者にあてはまることは,キリスト教国のすべての人にも適用されます。彼らは神の御国のこの良いたよりを伝道して教えるべきだからです。さて,あなたは神の会衆と一緒に学ぶことによつて円熟に進んでいますか。そして,あなたの会衆の外にいる他の人のところに毎週行き,あなたの学んだ事をその人々と共に研究していますか。

      神の命に従つて教えること

      19 議会の宗教家たちは,なぜ使徒たちの伝道に反対しましたか。これは使徒たちにどんな影響を与えましたか。

      19 ヱホバの証者は良いたよりを伝道しているゆえに,世界の多くの場所でヱホバの証者を圧迫する迫害が起つています。しかし,迫害のために彼らが不活溌になることはありません。ペテロも彼の時代において,非常に熱心に神の御国の良いたよりをひろめました。病気の人々をいやし,また伝道したために,ベテロは投獄されたのです。当時の宗教家,すなわち議会<サンヘドリン>は,使徒たちがキリスト・イエスについて人々に教えることに強く反対しました。使徒たちが人々に聖書の教育を与えて建設的な業を行つたゆえに,宗教家たちは『彼らを呼び一切イエスの名によつて語り,また教えざらんことを命じたり』(使行 4:18)しかし,使徒たちは人に指図されたからといつて,伝道を止めませんでした。支配者が使徒たちを投獄したとき,使徒行伝 5章20節の記録が示すように,ヱホバの天使は牢獄の扉を開いてこう告げました。『さあ行きなさい。そして,宮の庭に立ち,この命の言葉を漏れなく,人々に語りなさい。』初期の使徒たちに対するヱホバの天使の言葉は,今なお神の言葉の一部であつて,今日のクリスチャンにも等しく適用されます。この生命と来るべき生命に関する言葉は,今なお地の極にまで宣べ伝えられねばなりません。当時の宗教家はその言葉が宣べ伝えられることを望みませんでした。それは彼らの仕事の妨げとなつたからです。朽ちつつある既成の宗教から離れて,キリスト・イエスの新しい真実の宗教に従う人々は余りに多かつたのです。

      20-22 (イ)使徒行伝 5章29節において,ペテロと使徒たちは従順に関するどんな原則を述べましたか。また詩篇 26篇11節においてダビデは?(ロ)ヱホバの証者は,今日どのようにこの原則に従いますか。彼らは確信をもつて伝道する資格があることをどのように示しますか。

      20 使徒たちが牢獄にいないことが分つて後,彼らは『宮の庭に立つて,民衆を教えていることが報告され,彼らは直ちに急いで議会<サンヘドリン>に連れてこられました。聖書の記録はこう述べています,『彼らを連れてきて,議会の中に立たせた。すると,大祭司が問うて,言つた,「あの名を使つて教えてはならないと,きびしく命じておいたではないか。それだのに,なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を,はんらんさせている。あなたがたは確かに,あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと,たくらんでいるのだ」。これに対して,ペテロをはじめ使徒たちは言つた,「人間に従うよりは,神に従うべきである」(使行 5:27-29,新口)使徒たちは支配者を恐れなかつたのです。彼らが神から受けた命令は,教え,伝道することでした。彼らはダビデが予影したイエスのようでした。ダビデは言いました,『されどわれはわが完全によりてあゆまん』(詩 26:11)彼らは言葉と手本によつて誠実さを教えた立派な人々でした。キリスト・イエスを手本として,彼らはひるむことなく,人々の心と思いを固定した偽善の古い宗教から,真理と生命の言葉,神の御国が人類の唯一の希望であることを彼らに教えた宗教へと立ち返らせたのです。

      21 使徒の時代と同じことが今日でも起つています。ドミニカ共和国の支配者は,カトリックの牧師の手引きによつてヱホバの証者を殴打した上に投獄しました。それはヱホバの証者が御国の良いたよりを伝道しているからです。ポーランドをはじめ鉄のカーテンの背後の国々の支配者は,共産主義の教義と牴触するというので真理を宣明してはならぬと言います。それでもヱホバの証者は使徒たちが当時に伝道したと同じ方法で伝道することを止めません。必要ならばヱホバの証者は地下に入つて伝道と教える業を続けます。彼らは人間よりも神に従うのです! ヱホバの証者が自由に伝道する機会のある国々においてさえ,その業は宗教指導者の手によつてしばしば反対に遭います。これらの悪しき者がヱホバの真理の宣明を妨げようと欲するなら,彼らはヱホバの裁きをも受けるべきです。

      22 しかし,真のクリスチャンは神の言葉に従います。それで口をつぐむことをせず,かえつて教える資格があることを自ら証明します。彼は神の会衆の群の集りに行きつづけ,そこで熱心に学んで研究します。それは確信をもつて他の人に真理を伝えるより良い資格を備えるためです。彼はキリスト・イエスの足跡に従つて歩み,伝道し,教えねばならないと知つています。彼は神の言葉に忠実でなければならず,また,ヱホバの御命令を最後まで成し遂げねばなりません。そして,すべてのよい業に備えをなし,教える資格を持たねばなりません。また,初期の弟子たちと同じく御国の宣明に熱心であつて,自分自身の忠実を証明しなければならないのです。

      23 人が真のクリスチャンになるのを助けるものは何ですか。その目的のため,ヱホバの証者はどのように援助しますか。

      23 使徒たちが当時に御国を伝道した方法と,今日ヱホバの証者がその業を行う方法とは何ら相異していません。信仰復興運動,巨大な教会の建設,政治家を動かす宗教家たち,異なつた宗派を一つに合わせることなどによって,国がクリスチャン国家になる訳ではありません。これは人々がヱホバの御目的を理解する上に助けとはならないのです。そうではなく,家から家に行き,憎むべきことのために歎き悲しむ人々を探し出して真理を教えるとき,人々は宗教についての考えを変えます。真のクリスチャンが知らない人の家に行き神の言葉からの慰めを与えることによつて,クリスチャンは効果を収め,その人は生活の仕方を変えるでしよう。力を合わせることによるのではなく,真理がそのことをします。この事を心に留めて下さい,『主の僕たる者は争つてはならない。だれに対しても親切であつて,よく教え,よく忍び,反対する者を柔和な心で教え導くべきである』― テモテ後 2:24,25,新口。

      24 他の人を教えるという点で,偽りの宗教家の用いる方法はクリスチャンの用いる方法とどのように比較できますか。

      24 過ぎ去つた昔には,一つの国が興つて他の国に戦いを挑み,宗教戦争によつて人々の宗教を変えようと図つた事が時にありました。権力者と同じことを人々に信仰させようとして,世界の各地で宗教家は異端審問所を開きました。宗教家たちはインド人また異なる信仰を持つ他の人々に,迫害者の信仰を強制しようとしてきました。パウロは決してそれらの方法を用いず,キリスト・イエスもその事を意図されませんでした。初期クリスチャンは,人々と一緒に坐り,巧みに,我慢強く,静かにまた謙遜に神の言葉を人々に話して真理を教えるという簡単な方法を用いました。柔和に教え導くなら,悪く導かれている人にも真理を教えることができます。聖書に反対している人々でさえも,巧みに近づくなら神の奉仕者に聞くでしよう。

      25 ヱホバの証者はひきつづき何をしますか。真理を求める人々は何をするように励まされていますか。

      25 ゆえに,今日ヱホバの証者は終りが来るまでこの良いたよりを証しのため全世界に伝道しつづけようと努めます。そして,このすべての期間を通して,彼らも次のことを言えるでしよう,『ヱホバよ,ねがわくはわれを裁きたまえ,われわが完全によりてあゆみたり。』神の言葉を彼らと共に学び,聖書から得る知識を実際に用いて下さい。そして賢い人々と共にいて,あなた自身が賢くなって下さい。その場合,あなたは次のことを確かに知るでしよう。すなわち,愚かな者の友となる者は悪くなりますが,知恵はそれを見出す者にとつて生命の木となるという事です。あなたは生命を愛し,天の御国の下にある神の新しい義の世界に住みたいですか。それでは,『平坦なるところに立ち,もろもろの会のなかにて』ヱホバを讃めなさい。そのとき,あなたは何時も次のように言うことを決意するでしよう。『されどわれはわが完全によりてあゆまん』。

  • 異端者の取扱い
    ものみの塔 1958 | 2月15日
    • 異端者の取扱い

      トーマス・アクイナスは,13世紀の人でローマ・カトリック教会の有名な哲学者です。彼の著「サマ・セオロジー」は興味あることに今日でもローマ・カトリックの標準の権威書として不動の地位をしめていますが,異端者の取扱いに関して,質問12の3条,2a,2aeで次のように論じています。『魂に生命を与えるところの信仰を腐敗させることは,一時的な生命を支えるところの貨幣を偽造するよりも遙かに由々しいことである。ゆえに,貨幣偽造その他の悪人が世の支配者によつて直ちに,正当な死に渡されるとすれば,異端者はその異端の罪が証明され次第,破門に留まらず,殺されるのは全く当然であろう。』

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