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  • マグロ漁の話とマグロ料理
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • ぐいぐい引っ張られたことがありますか。では,3,000匹から4,000匹もの魚に網を引っ張られ,同時に船も引っ張られたらどうなるか考えてみてください」。その漁師は別の船長の話をしてくれましたが,その船長は判断を誤り,その船には手に負えないようなマグロの群れを網の中に囲んでしまったのです。突然,魚群があばれ出し,船尾は沈みかけました。しかしその瞬間,網を支えていたロープが引っ張る力に耐えられなくなって,はずれてしまったのです。魚と幾千㌦もする網は見えなくなり,二度と姿を現しませんでした。それは実に高価な代価を払って得た教訓でしたが,人命も失われかねなかったのです。

      また高波も危険です。とりわけ漁獲物を海面上に引き上げる際に危険が伴います。海面に浮いている船は大波によって数㍍も持ち上げられますが,漁獲物は大体水中の同じ位置にとどまります。その瞬間船の装具に余分の力が加わることは,容易に理解できます。前述の船長はその点を証明するため,大きなブーム(帆のすそを張る円材)の修理が行なわれている自分の船のほうを指しました。「高波が来たとき,あの部分は,まるでマッチ棒のように折れてしまったのです」。しかし船長は,「幸いけが人は一人もなく,間に合わせのブームを使い,魚を引き上げることができました」と話して安心させてくれました。

      網に掛かった魚を首尾よく引き上げると,魚は素早く甲板下の氷倉に送り込むか,塩水に入れるかします。疲れてはいてもうれしそうな乗組員たちは,加工工場へ向かいます。

      魚肉に関する事実

      かん詰め工場に着いた魚は,まずその大きさによって分類され,臓物を除いてから蒸します。こうして分類するのは魚を均等に蒸すために必要なことです。大きな魚を蒸すには長い時間がかかるからです。それから,一晩魚を放置して,冷まします。すると,魚肉の骨離れがよくなり,皮も取り除かれます。次に,順番に幾つも並んだ鋭いナイフで魚肉をかん詰めにできる程度の大きさに切ります。身の堅い部分は,当地でロミトス,つまり厚切りと呼ばれているものに向けられ,高い値段が付けられます。残りは,すりつぶしたマグロという意味のラヤドとして,かん詰めにされます。

      ご存じないかもしれませんが,この“シー・チキン”(海の鶏肉)の食品としての価値に関し,興味深い事実を幾つかお知らせしましょう。かん詰めのマグロに含まれている栄養素の80%は,人体に吸収されると言われています。そのたん白質含有量は,牛肉,羊肉,また豚肉など,一般に好まれている肉よりはるかに高く,一方カロリーは,油を捨てた場合や水煮の場合には,はるかに低いのです。また,栄養学の権威者によると,マグロなどの海水魚は,良質なヨー素源であると言われています。

      このような魚の話を聞いて,おなかがすいてきたのではありませんか。ここで,マグロサラダの簡単な作り方をご紹介しましょう。かん詰めのマグロから汁を除き,身をほぐします。これに,セロリのみじん切り半カップ,レモン汁茶さじ一杯,甘いピクルスのみじん切り四分の一カップ,サラダ油三分の一カップを加え,かき混ぜます。新鮮なレタスの葉に載せても出せますし,お好みなら,トーストに載せておいしいマグロのオープン・サンドにすることもできます。

      また,マグロのクリーム煮も多くの人から好まれています。二人分のソースを作るには,手なべにバターかマーガリンを茶さじ二杯溶かします。それから小麦粉を茶さじ二杯加え,塊ができないようによくかき混ぜます。塩茶さじ二分の一と牛乳一カップを加え,かき混ぜます。ソースがクリーム状になってきたら,汁を除いてほぐしたマグロを一かん分入れます。さて,このマグロのクリーム煮は,マッシュ・ポテト,ご飯,めん類に掛けたり,トーストに載せて出すことができます。

      もちろん新鮮なマグロが手に入る,海の近くに住む人たちは,むしろその方を好みます。ここエクアドルの人たちの好物はアチュン・アパナドと呼ばれる料理で,それにはパン粉をまぶしたマグロという意味があります。マグロを,早く揚がるように薄くて細長い切り身にします。それから,小麦粉,卵,パン粉で作った衣を付け,塩とこしょうを好みに応じて振り掛けます。揚げたてのものを食卓に出し,レモン汁を少し掛けます。変わった料理としては,マグロを丸のまま焼くという方法があります。マグロが半分ほど焼けたなら,小麦粉,牛乳,バター,塩,こしょう,チキン・ブイヨン二個,それにきのこの小さいかん詰めを一かん入れて作った風味の良いソースを加えます。これは本当においしい料理です。

      マグロの調理法にはほかにもいろいろあります。例えば,マグロの蒸し焼き,パイ,またフォンデューなどがあります。

      この貴重な魚の今後の供給量に関し,幾つかの事実が明らかにされています。カナダからペルーに至るこの太平洋沿岸には,およそ300隻のマグロ漁船があると言われています。中には,マグロを求めてはるかスペイン,オランダ,日本からやって来る船もあります。漁獲高はだいたい一定ですが,魚が以前ほど十分に捕れないことを示す事実がほかにもあります。例えば,現在漁船は大型化し,その数も増えているのですから,マグロの漁獲高が以前より多くはないにしても,せめて同じくらいであっても当然です。しかし,漁船の平均航行日数が増えていることは,魚を見付けることが一層困難になってきていることを示しています。需要が増加する一方で,供給が減少していることは,漁獲権をめぐる国際論争といった,以前には余り聞かれなかった問題によっても裏書きされています。

      それでマグロ漁の漁師の話から察すると,少なくとも今のところ,明るい見通しはなさそうです。そうした漁師の問題や他の緊急な問題に対する解決策については,別の機会にお話しすることにしましょう。そのとき,わたしたちはこのエクアドルのマンタを再び訪れることになるでしょう。マンタは今後も,マグロ産業に関する情報の重要な中心地だからです。

  • 人生の真の意義を見いだす
    目ざめよ! 1977 | 1月8日
    • 人生の真の意義を見いだす

      ● 九州に住む一人の女性は,学生時代に病弱な母親が自らの命を絶つのを見るという悲しい経験をして,死について真剣に考えるようになりました。そして,自分の周りにある生きているものすべてが死に向かって動いている現実を考え,本当の生きる目的を求めました。そのころ,エホバの証人が彼女の家を訪れ,家庭で聖書研究が始められましたが,彼女をとりまく周囲の変化に落ち着かず,研究は中断されることになりました。その後,彼女はいろいろな教会を訪ねました。彼女は次のように語っています。「ある時は,教会でシスターと呼ばれる修道女に思いきって声をかけ,聖書を教えてほしいと申し込みました。でも,その研究は決して私に質問を許さず,私は理解ができないままに,ただ眠いのをこらえるだけの退屈なものでした」。やがて就職して教員となり,忙しい毎日を送るようになりました。しかし自分の子供を他の人にあずけて働いている自分の生活をふりかえり,「この生活にどれだけの意義があるのだろう」としばしば考えました。

      ちょうどそのような時期に,エホバの証人が十年ぶりに彼女の家を訪問しました。すぐに聖書研究に応じ,よい進歩を示しました。彼女自身,次のように述べています。「仕事を持っていましたから,研究は夜7時ごろから始められました。冬の7時ともなると外は真っ暗でしたが,その司会者の方は隣の町から電車に乗って予定の時間きっかりに必ず来てくださいました。司会者の親切な援助のおかげで,楽園や永遠の命の希望を心から受け入れることができ,毎日の生活がはりのあるものになりました。申命記 6章の中に,座っていても,道を歩いていても,横になっていても,子供にエホバのことを語りなさいとありますように,子供にもエホバのことをよく教えたいと思い,退職しました」。

      彼女の夫も,初めは無関心でしたが,後に聖書研究に共に参加するようになり,よい理解を示しています。現在彼女は,神に献身した奉仕者として,自分に人生の真の意義を与えてくれた聖書の音信を他の多くの人々に分かち合う業に参加し,大きな喜びと充実感を味わっています。

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