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年を取っても若さを保つ目ざめよ! 1981 | 10月22日
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できる限り自立する
どんなに善意から出ているにしても,若い人々があなたをかばったり保護者気取りになったりする余り,子供のころに引き戻されてはなりません。独りで暮らしてゆけるのなら,そうするのです。自分で家を管理し,自分で炊事ができるのなら,そうするのです。自分で家の芝を刈り,車を洗えるのなら,そうするのです。
一方,心身いずれかの面で弱ってきて助けが必要なら,助けが差し伸べられる時に礼儀正しく,感謝の念を抱いてそれを受け入れるようにします。ただ年を取ったからではなく,必要に応じて助けてもらうようにします。そうすれば自尊心を保てますし,人の好意に甘え過ぎているのではないかと罪悪感を感じることもありません。
過去に生きてはならない
思い出を胸に秘めておくのは悪いことではありませんが,古い手紙や写真など昔をしのばせる品々を多く手元に置き過ぎたり,思い出にばかりふけっていたりすると,沈んだ気持ちになりかねません。過去に生きるより,現在起きている事柄と取り組むようにし,同時に将来の予定を立てるようにします。明日あるいは翌週何をしたいかを決めておくなら,毎日張りのある生活ができます。
昔の思い出を現在に移し変えることもできます。例えば,「主人が死んでから全然お菓子を焼かなくなったわ」というやもめのようになるのではなく,近所の人や友人にケーキを焼いて驚かせるのです。そして,「お口に合わないかもしれませんが,主人の好物でしたの。主人はチョコレートケーキが大好きだったんですよ」と話せるでしょう。他の人を喜ばせることにより,自分が幸福になれます。こうして,心に秘めていた思い出が一転して新たな様相を帯びてくるのです。
明白な事実を受け入れる
自分が昔のように若くはないという事実を受け入れなければなりません。しかし,そうでない人がいるでしょうか。年齢が自分の半分ほどの人々に遅れを取らないようにしようなどとは思わないことです。自分が若くはないことはかなりはっきりしているのに,まだ若いことを“示そう”とするのは理にかなったことではありません。悪びれることなく,優雅に年を取ってゆきましょう。
年を取る機会を与えられたことに感謝の気持ちを失わないようにしたいものです。若くして亡くなった幾百万もの人々にはその機会が与えられませんでした。朝起きる時に,起きなければならないと言って不平を言う若い人々のようになるのではなく,自分がまだ生きていることを喜ぶお年寄りのようになりましょう。
― 終わり ―
ウィルヘルムは原稿を読みながら時々含み笑いをしたりほほ笑んだり,時にはうなずいたりしていました。こういう反応ならうまくいくのではないかと思いましたが,物を書く人の例にもれず,どんな意見が出て来るか幾らか気懸かりでした。
「立派な記事ですね。啓発的で有益です。でも,もう一つ付け加えたい点があります」。
その新たな目標 ― いつまでも若さを保つ
ウィルヘルム・ヒルマンは次のように話してくれました。「私が町から離れた所でまだ働いていた時のことですが,81歳までそこで働いていたんですがね,家内が聖書を組織立って研究するようになったんです。週末には家内と一緒に過ごすため帰宅しました。ある時,1週間ずっと家にいて,家内がエホバの証人と一緒に行なっていた研究に参加することができました。それはなかなか興味深いものでした。後日,仕事をやめてから,私は定期的に加わるようになりました。
「研究を通して,人間に対する神の当初の目的は,人間が決して年老いることなく,永遠に生きることであったという点を学びました。神の王国が間もなくこの当初の目的を実現させることを学んで胸が躍りました。その時,啓示 21章4節にあるような預言が成就するのです。『また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである』。
「過ぎ去ってゆく『以前のもの』の中には,様々な問題や困難の伴う老齢も含まれていることを学びました。ヨブ記 33章25節(新)の言葉が私自身にまた他の人々に成就するのを生きて見ることができると教えられ,希望が膨らみました。『彼の肉は若いころよりもみずみずしくなり,その若い時の精力の日に返るように』という聖句です。
「その時まで,聖書は興味深いが純粋に歴史的な本であると考えていました。ところが徐々にそれが信仰の書となってゆきました。そしてとうとう,80代に入って大分たってから,私はバプテスマを受けてエホバの証人になりました。
「昔の友人に会うと,少しも年を取っていないようだと言われます。そういう時は,その通りかもしれないと話し,その理由を説明しています」。
自分の聖書をテーブル越しに差し出し,ウィルヘルムはイザヤ書 40章30,31節(新)を指差し,そこを読むようにと言いました。「年少の者は疲れ果てることもあり,うみ疲れることもある。若者も必ずつまずくであろう。しかし,エホバを待ち望んでいる者は力を取り戻す。彼らは鷲のように翼を張って上って行く」。
そして,ウィルヘルムはこう言いました。「エホバについて学び,エホバに希望を置くのに自分は年を取り過ぎているとだれも考えるべきではありません。“老いた鷲”の言うことを信じなさい。それは,神の新秩序において,いつまでも限りなく年を取っていきながら,いつまでも限りなく若さを保てることを知っている希望なのです」。
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長寿と満足のいく仕事目ざめよ! 1981 | 10月22日
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長寿と満足のいく仕事
世界的に有名な交響楽団の指揮者が大手のレコード会社と5年契約を結び,年に4枚のレコードを吹き込むことにしました。何の変哲もない話に思えるかもしれません。しかしその指揮者,レオポルド・ストコフスキーは当時95歳で,その契約によれば100歳になるまでその激しい仕事に忙しく携わることになっていたのです。ストコフスキーは96歳で亡くなりました。
これは例外的な出来事ではありません。コンサートのステージには80代,90代の人々が特にひしめき合っているように思えます。特に有名な幾人かの人々の名前を挙げるだけでも,当年95歳になるピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン,80歳になるバイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツ,88歳になるギターリストのアンドレス・セゴビアなどがいます。故人になった音楽家の中では,指揮者のかがみと言われたアルトゥーロ・トスカニーニが90歳になるまで第一線で活躍し,アーサー・フィードラーがつい昨年85歳で亡くなるまで有名なボストン・ポップス管弦楽団の指揮をし,スペインのチェロ奏者パブロ・カザルスが96歳になるまでカザルス音楽祭の指導者にとどまっていました。
故人になった35人の指揮者のリストをまとめた,カリフォルニア大学サンディエゴ校医学部の助教授,ドナルド・H・アトラス博士は,その平均年齢が73.4歳であったと述べています。アトラス博士によると,それと比較して,平均的なアメリカ人の寿命は68.5歳です。この医師は次のように述べました。「このグループの中には58歳以下で死んだ人は一人も見られなかったので,まだ分かっていない何らかの要素のゆえに彼らが初期の致命的な局所貧血性血管病という現代の疫病から守られていることは少しも疑えない」。
その『まだ分かっていない要素』を説明する助けになると思われるのは,米国の保健・教育・福祉省が発行した「アメリカにおける仕事」と題する1973年の報告の調査結果です。その報告は,仕事における満足感と全般的な幸福感の二つを,長寿に寄与する要素の筆頭として挙げていました。
3,000年ほど昔,賢明なソロモン王はこう語りました。「わたしは人がその業を歓ぶこと[その仕事を楽しむこと,新英訳]に勝るものが何もないのを見た。それがその分だからである」。(伝道 3:22,新)長寿の秘けつは「のんびりやることだ」という一般の意見とは反対に,前述の研究や様々な例は,有意義で満足のいく仕事が長寿に寄与することを示しているようです。アトラス博士はこう付け加えています。「満足のいくと思われる指揮者たちの生き方が,生きていく年に命を与え,命に年を加える方法を示してくれることを願ってやまない」。
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