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現代の人間は何を成し遂げたか目ざめよ! 1973 | 1月8日
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現代の人間は何を成し遂げたか
現代の人間にはほんとうに神が必要でしょうか。今日,多くの人びとは,「神なんかなくたってやっていける。私の生活に神などいらない。神がなくても幸福だ」というようなことを言います。
多くの人がこう言うのは,現代の人間が,技術と科学の分野で驚くべきことをなし遂げているからです。そうした業績のゆえに,人は神を必要としないように感ずるのです。
また,世界の状態が非常に悪いのを見て,こういう状態の存続を許しておくような神ならいなくたってかまわない,と考える人も少なくありません。
こうしたことは,人間にとって神は必要ではないと考える正当な理由になるでしょうか。
現代の人間が成し遂げた業績の多くは,昔の人びとが神にしかできないと信じていたことに等しいというのは事実でしょうか。人間は,現代技術を用いて摩天楼を建て,大河をせき止めてダムをつくり,すべての都市に電灯をともすことができます。互いに地球の反対側にいる人間同志が,受話器を取り上げて話をすることもできます。実際のところ,地球のどこで事件が起きても,人は自分の居間でくつろいだまま,それをテレビで見ることができます。
多くの場所では,普通の人が,昔のある王たちよりも豊かな生活をしています。家はセントラル・ヒーティングになっており,空気調節装置,電気ストーブ,冷蔵庫その他の便利品が備わっています。自動車と飛行機は人びとを遠くの場所へ迅速に運びます。人間は月にさえ行くことができます。
こうした業績を見て多くの人びとは,昔の人間は神を必要としたかもしれないが,現代人は神なしでやっていける,と考えます。
しかし,そのような業績に対して,人間だけが誉れを受けるべきでしょうか。物事のやり方を考え出すすばらしい頭脳を,人間はどこから得たでしょうか。冷蔵庫,自動車その他現代の発明品の原料はどこで手に入れたでしょうか。自分で創造したのでしょうか。これは考えてみなければならないことです。
ほかにも考えてみなければならないことがあります。人間は科学と技術の分野では驚くべき事柄を成し遂げましたが,人間の諸問題を解決して永久の平和をもたらすことにはなぜ失敗しているのでしょうか。
ちょっとあなたの周囲を見回わしてごらんなさい。離婚率,分裂する家庭,性の不道徳,性病などがしだいに増加しています。家族生活と道徳は崩壊しつつあります。ある学校では,学生の半数が性病に感染すると推測されています。
また,都市の状態もしだいに悪化しています。事実,路上での犯罪や暴力がふえているために,何百万という人びとにとっては,近くの店にひと山のパンを買いに行くことさえ危険になっています。「恐怖が街路をのさばり歩き…暗くなると人びとは街路から逃げ去る。昼間でさえしだいにそうなってきている」と,米上院議員マイク・マンスフィールドは述べています。また,ニューヨーク・タイムズ紙は,「地球上のほとんどあらゆる場所で,内面的不法の精神が見られる」と伝えています。
規模の大きいところでは,戦争,革命,破壊などが絶え間なく生じています。核による破滅の脅威を恐れている人も少なくありません。それにも十分の理由があります。
こうした状態は,人間が神を必要としないことを実際に示すものでしょうか。それとも問題は,人間が神の目的を考えずに困難を解決しようとしていることにあるのでしょうか。あるいは神は,人間が神を実際に必要とすることを教えるのをひとつの目的として,こうした問題の存在をしばらくの期間許しておられるのでしょうか。
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人間は神を少しも必要としないか目ざめよ! 1973 | 1月8日
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人間は神を少しも必要としないか
1969年7月20日,何千万もの人びとがテレビを見守るなかで,ふたりの男が宇宙船から月面に降り立ちました。それは最高の技術的業績でした。
約38万4,000㌔の宇宙旅行というこの離れわざは,たしかに人間の知性と発明の才を実証するものでした。それでなかには,『これは神の力を借りずに成し遂げられた』と,考える人がいるかもしれません。
しかし,実際にそうだったでしょうか。人間はどのようにして月に到達しましたか。
法則にかんする知識が要求された
これには何年もの,いや何百年もの準備が必要でした。それはどういう意味ですか。ワールドブック百科事典は次のように述べています。
「1600年代の初めに,ドイツの科学者ヨハネス・ケプラーは,宇宙空間の天体の軌道を説明する惑星の運動にかんする法則を発見した。今日これらの法則は,人工衛星の軌道を定めたり,宇宙船の飛行計画を立てたりするのに利用されている。
「1687年には,サー・アイザック・ニュートンが『運動の三法則』を発表した。これはケプラーの研究が基礎になっている。ニュートンの法則は,ケプラーの法則と同じく,宇宙飛行計画の基礎を成している」。
ケプラーもニュートンも,前述の法則をつくったのではありません。ただそれらを発見した,あるいはそれらの働きを説明したにすぎません。しかし,なぜ宇宙飛行はそれらの法則に依存しているのでしょうか。
それは,宇宙空間にある天体が,それらの法則どおりに動いているからです。したがって人間は,数学的計算により,特定の天体が,一定の時刻にどこにあるかを決定することができます。こういう計算ができるのは,天体の運動が秩序正しく,一貫しているからです。
たとえば,月は地球の周囲のいつでも予示できる軌道を,平均時速約3,700キロで回っています。月が地球を1周するには29日と12時間44分2秒8かかります。同様に,地球は太陽のまわりを時速約10万7,000キロの猛スピードで飛んでおり,太陽をひとまわりするのに365日と6時間9分9秒54かかります。
したがって,地上の人間は月へ飛ぶさいに,軌道を回る月の,26万4,500キロ前方の宇宙空間の1地点をめざして宇宙船を打ち上げるのです。人間は種々の計算により,月が予定の時刻に必ずその地点に来ることを知っています。もし宇宙船が正しい指示を受け,また動力を備えているなら,その地点に到達し,月着陸は可能になります。
法則と秩序の根源
宇宙飛行を可能にする天体の正確な運動は何によるのでしょうか。あなたはこのことを考えてみたことがありますか。初の地球周回軌道飛行を行なったアメリカの宇宙飛行士ジョン・グレンは,感動して次のように述べました。
「われわれの周囲にあるものは,全宇宙の整然とした秩序である…直径何百万光年もの多くの銀河系が,みな相互の関係を保ちながら定められた軌道を動いている。
「こういうことが偶然に起こりえたであろうか。あちこちをさまよっていた一群の星が,偶然のことから,突如自ら軌道を描いて回り始めたのであろうか。それは私には信じられない…何かの力がこれらをすべて軌道に乗せ,そしてそこにとどめているのである」。
宇宙科学者のウェルナー・フォン・ブラウン博士も,「宇宙の存在の背後にすぐれた合理性のあること」に感動し,次のように説明しました。
「有人宇宙飛行は驚くべき業績である。しかし,それは今までのところ,畏怖の念を誘う広大な宇宙を眺める,小さな扉を開いたにすぎない。こののぞき穴から,宇宙の果てしない神秘を見るわれわれは,その創造者を信ずる心をますます強めるのみである」。
そうです。数学的にきわめて正確に統御された天体の膨大な複合体が宇宙内に発見されたのです。ケンブリッジ大学の数学の教授P・ダイラックは,サイエンティフィック・アメリカン誌に次のように書いています。「神は非常に高級の数学者で,宇宙をつくるさいに非常に進んだ数学を応用した,と言えばこの状態を説明できるかもしれない」。
地球や月や星を秩序正しく運行させている法則があるならば,その法則をつくった者がいることは明らかではありませんか。これらの法則が存在しなければ,天体は無秩序の状態にあるでしょうから,宇宙飛行は不可能でしょう。では,これらの法則をつくりそれを維持する神がいなければ,人間の月着陸もまた不可能であることは明白ではありませんか。
しかし人間は,月へ行くときだけ神に依存しますか。
食物の供給
最近,いわゆる「緑の革命」のことが盛んに報道されています。これは“不思議”な小麦や“奇跡”の米などの改良品種を作ることによってもたらされたものです。それで一部の専門家は,人間の創意が,増加する地球の人口に十分の食物を供給するだろうと言います。
しかし,人間は食物を供給する名誉を自分に得ることができるでしょうか。食物の生長は,実際に,人間の努力と技術に依存していますか。
実際のところ,いわゆる“奇跡”の穀物は人間によって創造されたのではありません。すでに存在するある種類の小麦や米をただ交配させることによって,より高収量の品種をつくりだしたにすぎません。なるほど人間は,骨折って種をまき,水をやり,そして実ったものを収穫するのにも一生懸命に働きます。しかし人間がそれを生長させるでしょうか。そうではありません。植物が食物をつくるのです。
植物はこれを,光合成として知られている驚くべき作用によって行ないます。数年前,生物学の教授フリッツ・W・ウェントは,これについて次のように書きました。
「エネルギーの点から見るなら,これに匹敵するものはない。光合成は,世界中の緑色植物を生長させるのである。…また,生産量の点から見るなら,人間の工業などは微々たるものにしか見えない。世界の製鋼工場は毎年3億5,000万トンの鋼鉄を生産し,世界のセメント工場は3億2,500万トンのセメントを生産する。しかし,世界の緑色植物は,毎年1,500億トンの砂糖を産出するのである」。
光合成が,「世界で最も重要な単一化学作用」と呼ばれている理由がこれでおわかりでしょう。地上の生物はすべて,なんらかの面で光合成に依存しています。しかし何が光合成を可能ならしめているのでしょうか。ひとりでにそうなったのでしょうか。
緑色植物が食物をつくるのに用いるものはよく知られています。それは,空気から取り入れた炭酸ガスと,土から吸い上げた水と,太陽光線です。これらはみな,植物の細胞の内部の,葉緑素と呼ばれる不思議な物質のあるところまで浸透します。これで光合成という驚くべき働きの舞台が整います。サイエンス・ニュース・レター誌はそれを次のように説明しています。
「『神々』が奇跡を行なうのはここである。太陽光線は大きな化学変化に必要なエネルギーを供給し,葉緑素は反応を制御する配電盤の役目を果たす。炭酸ガスと水は,これらふたつのものの影響のもとで結合し,すべての食物の基礎である単糖を合成する」。緑色植物はまた,この糖を用いて,さらに複雑な炭水化物,脂肪,たんぱく質,ビタミンなどをつくる。
前述の科学雑誌はなぜ『神々』がこのすばらしい変化をつかさどる,というのでしょうか。なぜなら,そのようなすばらしい作用は,最高の英知だけが考え出し,そして創造できるものだからです。これは,「まだだれも試験管の中で再現し得ていない作用である」とウェント教授は説明しています。
実は,光合成は人間の能力で再現できないばかりか,これがどのように行なわれるかをさえ人間は理解していないのです。科学記者のジョン・フェイファーはこう述べています。「研究者たちは光合成の過程を『黒い箱』のようだとよく言う。はいって行くものもわかるし出てくるものもわかる。しかし,箱の中で行なわれていることはすべてよくわからない,という意味である」。
人間の理解のおよばないそのような複雑な過程が,偶然に生じたと信ずることは,確かに考えられないことです。これは実際に,ある強力な『神』が行なったことなのです。わたしたちが食物の供給をその神に依存していることは明らかではありませんか。
生命の複雑な相互依存
あなたは,光合成が,生命をささえる酸素も供給してくれることをご存じでしたか。植物の細胞は,水素と酸素で成っている水の分子を分解すると,水素を利用して食物を作り,酸素は不要なものとして排出します。しかし人間は酸素を取り入れます。それは人間が生きるのに必要なものです。
一方,植物は,人間の体細胞内部の,エネルギーを生み出す過程に依存しています。なぜそう言えますか。なぜなら,炭酸ガスは,人と動物のエネルギーを生み出すこの過程において,廃物として生産されるからです。そして緑色植物は,地球上のすべての食物の源である光合成をつづけていくために,この炭酸ガスを必要とするのです。
生命は実に,生物間のこの驚嘆すべき炭酸ガスと酸素の交換に依存しているのです。もしこれが何かのことでくずれるなら,地球上の人間は死に絶えてしまうでしょう。
しかし人間はまた,自分の周囲で絶え間なくつづいている他の多くのすばらしい作用にも依存しています。たとえばミミズは土を肥やします。推測によると,1エーカー(約40アール)の土地の中のミミズは,1年間に10トンの土を耕やし,植物の生長に必要な,命をささえる表土を肥やします。
また,花を受精させるミツバチがいなければ,「多くの果樹と野菜は枯れてしまうだろう」とある百科事典は述べています。地上のどこを見ても,そこにはすばらしく協力しあう多くの複雑な関係が存在します。人間が命を神にあおいでいることは明らかではありませんか。―使行 14:16,17。
生命の起源
それでもある人は,人間が生きていくのにほんとうに神が必要だろうか,という疑問を持つかもしれません。「『試験管の中で生命を創造』という新聞の見出しを読んだことがある」とそういう人たちは言うでしょう。人間が生命を創造したというのは事実ですか。
いいえ,事実ではありません。生命の基本単位である生細胞を構成する物質のまたその構成要素をいくつかつくった,というだけのことです。科学者たちが,彼らの実験室の中で,せいぜい数個の原子でできているアミノ酸のような分子をつくり出した,というにすぎません。しかし,幾百万もの原子で構成された1個のたん白質の中には,幾千ものアミノ酸があるかもしれないのです。しかも1個の生細胞は,他の複雑な物質とともに何百ものたん白質で構成されているのです。
生細胞はほんとうに複雑ななぞです。J・A・V・バトラーは,近著「ザ・ライフ・プロセス(生命への過程)」の中で,「今日われわれが知っている最も簡単な生物でさえ,信じられないほど複雑である。それらがつくられた段階を想像してみるのは困難である」と述べています。そういうわけで,1971年のアメリカナ百科事典は,「科学者たちは,実験室内で生命を合成し得る状態からはほど遠い」と述べています。
生細胞があまりにも複雑なために,科学者たちがそれをつくり始めることさえできないでいるのは明らかです。しかし,人間や他の多細胞生物は,単細胞生物よりもはるかに複雑なのです。
人間をつくり出す
女性の胎内の1個の受精した細胞は,秩序だった方法にしたがって成長し,人間の赤ちゃんになります。「それは奇跡と言うほかはない」と,1965年10月25日号のニューズ・ウィーク誌は述べ,さらにこうつけ加えています。「受胎という重要な時を正確にとらえうる技術はない。それにひきつづいて,どんな不思議な力が人間の胎児の種々の器官や無数の神経網を発達させるのか,これを説明できる科学者はひとりもいない」。
受精した最初の小さな細胞の中に,完全に成長したひとりの人間をつくり出すための指示と方法がすべて秘められているのです。それらの指示を英語で書きつづるなら,24巻の大英百科事典が数組必要でしょう。しかもそのあと,からだがつくりだす何十億という細胞は,これらの指示をすべて含んでいるのです。
ところが,どういうわけか,各細胞内の指示は,各細胞の専門分野における発達に必要な指示のほかはみな抑圧されてしまうのです。したがって,ある細胞は筋肉細胞になり,他の細胞は神経細胞,さらに他の細胞は骨その他の細胞になります。それから,これら何百種もの異なる細胞は,ある驚くべき支配力によって組織され,想像もおよばないほどすばらしくつくられた人間の赤ちゃんになるのです。
人間の複雑さは,下等動物でさえいかに複雑にできているかを知ることによって,最もよく認識することができるでしょう。たとえば,コンピューター科学者のウォーレン・S・マックロック博士は,「実際のところ,コンピューターなんてまぬけで,ばかなやつだ。…知恵おくれのアリほどのあたまもない」と言いました。また,ナチュラル・ヒストリー誌は,「ヒトデの神経組織には,種々の神経節や神経せんいがあって,ロンドンの電話交換局よりも複雑である」と述べています。
アリやヒトデの驚くべき複雑さは,それよりもはるかにすぐれた人体という神の創造物のすばらしさを強調しないでしょうか。人間の神経組織は,1秒間に実に1億余の知覚を記録し,人間の目は,完全にピントの合った天然色の立体映画を撮影し,人間の肝臓は,生命をささえる何百という化学転換を継続し,他の多くの器官も同じように驚くべき働きをします。あなたも,「われは畏るべく奇しくつくられたり」と叫んだ聖書の記述者と同じ気持ちになりませんか。―詩 139:14。
したがってわたしたちは,現在も過去におけると同様常に命と,その命をささえる作用を神にあおいでいる,という結論からのがれることはできません。神のすばらしい創造物は,その秩序と完全さゆえに,必ず賞賛を勝ちとります。
一方,人間のしていることはたいへん無秩序で不完全です。いたるところに苦悩と嘆きと悪が見られます。それであなたは,「なぜだろう。なぜ神はこうしたことに何の手も打たないのだろう。神が悪の存在を許しているのは,神がそんなことはどうでもいいと考えているのか,あるいは神が人間のことを忘れてしまった,ということなのだろうか」と考えるかもしれません。
[5ページの図版]
人間の宇宙旅行は,天体の連動を支配する法則に依存する。これらの法則を最初につくったのはだれか
[6ページの図版]
太陽光線,空気から取り入れられる炭酸ガス,土から吸い上げられる水,これらが奇跡的に結合して,人間の食物を生産する
[7ページの図版]
人間と動物は酸素を取り入れて炭酸ガスを出し,植物は炭酸ガスを取り入れて酸素を出す。この循環は人間が考え出したものではない
[8ページの図版]
『赤ちゃんが生まれ出るのは,奇跡というほかはない。これに関係している種々の不思議な力を理解できる科学者はいない』
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神は人間のことを忘れてしまったのか目ざめよ! 1973 | 1月8日
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神は人間のことを忘れてしまったのか
人間の努力にもかかわらず,世界の状態や,世界がかかえている問題は,相変わらず悪化の傾向をたどっています。ですから人びとが,『神は人間のことを忘れたのだろうか』と言う気持ちは理解できます。あなたも,そのように考えたことがありますか。
今日,多くの人は,神は忘れてしまったのだ,と思い込んでいます。そういう人たちは,神は地球上に人間を造っておきながら,私生児をつくってそのあとその子どもを見捨ててしまう男のように,人間を捨ててしまったと考えているようです。そんな神なら,神など必要ないと思うのは当然でしょう。
しかし,人間の創造者は,実際にそういうことをしたのでしょうか。あなたは心からそのことを知りたいと思いますか。
ある人びとは知りたいようなふりをするだけです。なるほどそういう人たちは,『もし神がいるなら,人間になぜこのような苦しみをさせておくのか』と言うでしょう。しかし,その答えを探求するよりも,神はいないと信ずるか,または,神がいるとしても,神は人間のことを忘れてしまったのだ,と信ずるほうを好むのです。そして,そういう人たちは多くの場合,誇り高くて,証拠を調べようとさえしません。
昔にもそのような人たちがいました。彼らは神について自己流の考えを持ち,その考えが正しいかどうかを,誇り顔をして,調べてみようとはしませんでした。イスラエルのダビデ王は,そういう人びとについて次のように言いました。「悪しき者は誇り顔をして,神を求めない。その思いに,すべて『神はない』という」。「彼は心のうちに言う,『神は忘れた』」。―詩 10:4,11,口語。
今日においても,神に対してこれと同じことを言う人たちがいるので,わたしたちがそのことを調べてみるのは適切なことと言えます。
神はほんとうに忘れたのか
わたしたちのからだが,人間の支配や指示を受けずにその機能を果たしているということは,神がまだわたしたちの生命作用をささえておられることを示していないでしょうか。わたしたちは,傷をしたらすぐにその傷を直してくれる,すばらしく複雑な治ゆ作用から今でも益を受けています。また,わたしたちが食べる種々の食物を筋肉,骨,頭髪,つめその他の建築資材に変えるすばらしい作用はどうですか。わたしたちを益するために働きつづけるこれらの作用はほんとうに,神が人間を忘れていることを示すでしょうか。
もっと調べてみましょう。わたしたちは,美しい日没,雪をいただく山々,砂浜,緑の渓谷,とうとうと流れる川,色とりどりの香り高い花々など,地上に置かれた美しいものをどんなにか楽しむことでしょう。そのことを考えてみてください。また,小さな種がどのように生長して,驚くほど変化に富んだおいしい実を結ぶかを考えてください。美しい日没やくだけ波をつくり出す法則,また植物が食物をつくる作用を,神は依然として保ってはおられませんか。こうしたことはみな,神が人間のことをおぼえてくださる証拠ではないでしょうか。
さらに調べてゆくと,神が物質面だけでなく他の面でも人間の世話をしていてくださることがわかります。神は,そのみことばである聖書をとおして,人間に道徳的導きと助言を与えてくださいました。聖書にしるされている神の律法が非常にすぐれているために,英国の有名な裁判官ブラックストーンはあるときこう言いました。「もし人間の法律がこれに反しているとすれば,その法律にはなんの効力もない。有効な法律は,その力と権威をすべて,直接間接にこの本源から得ているのである」。
人間が神の律法に従って生活すれば,その生活は向上し,満足のいくものとなるということは,経験が示すところです。初期の米大統領トマス・ジェファーソンは次のように書いています。「聖書の勤勉な熟読はよりよい市民,よりよい父親,よりよい夫をつくる。…聖書は世の中で一番良い人間をつくる」。神がそのみことばである聖書を準備されたということも,神が人間を忘れていないことを示す明白な証拠です。
人間の苦悩にかんする疑問
しかし人間の苦しみは今まで続いてきました。そのため義人でさえあるとき,「神は 恩を ほどこすことを忘れたまふや」と言いました。けれども彼は性急に結論を下すようなことをせず,よく調べました。そして次のように言いました。「神よ なんぢの途はいときよし…なんぢは奇きみわざをなしたまへる神なり…なんぢその民を…羊の群のごとくみちびきたまへり」― 詩 77:9-14,20。
しかしある人びとは,地上であらゆる悪が行なわれ,また人間が苦しんでいるのを見て,どうしてそんな結論が下せるのだろうか,と考えるかもしれません。『恵み豊かな全能の神が,どうしてこの苦しみを許しておけるのか』と彼は言うでしょう。
このことについてしばらく考えてみましょう。もし神が無責任にも実際に地上の子どもたちを捨てたのであれば,神はもう人間に対して親切ではないはずです。しかし,すでに検討したように,神が人間に対して驚くほどの善を行なってこられ,また現在も行ないつづけておられることは明白です。それでこのことから,神は十分の理由があって人間の苦悩を一時的に許しておられる,ということが理解できるのではないでしょうか。
人は最初,人類がいく世紀にもわたって経験してきたような苦しみを許すことを正当化する理由は全くない,と思うかもしれません。しかし,そういう結論を性急に下すのは正しいことでしょうか。善良な親が,愛する子どもを一時的に苦しみに会わせるような事態は生じ得ます。たとえば,痛みを伴う手術を許すのは,それが必要だと考えるからです。
苦しみを許している理由
まず最初に,わたしたちは人間の苦悩が実際にどのように始まったかを知る必要があります。それは神の怠慢または失策のためだったでしょうか。
その反対です。神のことばである聖書が示すところによると,人間の苦悩は,最初の人間夫婦アダムとエバが神を捨てたことから始まりました。このふたりは,自由な道徳行為者として創造されていたので,反逆したみ使いサタンの影響を受けて,意識的に神のおきてを無視しました。こうして,いくつかの重要な問題もしくは疑問が生じました。それは次のようなものです。
人間は,神から独立して,自分の問題をうまく処理してゆく能力を持つ者としてつくられているだろうか。簡単に言えば,人間にはほんとうに神の導きと指示が必要だろうか。またこれと関連して,最初の夫婦の子孫の中から,創造者に対して従順で忠節な者がでるかどうか,という疑問もあります。
したがって争点は,神の支配の仕方の正しさと,人間の成功と幸福は実際に神の支配への服従に依存しているかどうか,ということとが関係した道徳上の問題でした。神のほうが強力かどうか,ということはこの問題とは関係ありませんでした。またこれは,人間だけに影響する局部的な問題でもなく,天のみ使いたちまでが関心をいだいているほどの問題です。
もちろん,神はサタンを,そしてアダムとエバを直ちに滅ぼすことができました。それは神の反対者を一掃することになったでしょう。また,わたしたちの属する人類もそこで終わっていたでしょう。しかし実際にはそれは問題の解決になりませんでした。
たとえば,アダムとエバの子孫のだれかが,神の支配権に対して忠節を保つかどうかという問題は解決されません。また,それらの子孫のなかに,サタンから試みられたとき,あくまでも神に忠実でありうる者がいるかどうか,という疑問も解決されません。ですから,反対が直ちに一掃されていたなら,傍観者たちの心のなかには,サタンの非難がはたして真実であったかどうかに関して疑問が残ったでしょう。
そこで神は,これらの問題を永久に解決することを決意されました。なぜなら,これらの問題は神の支配の仕方に挑戦し,被造物の神に対する信頼に影響する重大なものだからです。
結果はどうでしたか。神に対するサタンの非難は当たっていましたか。それとも偽りでしたか。
問題に決着をつける
ところで,あなたはどうお考えですか。過去6,000年にわたる人間の歴史は,神から離れた人間が自分の事柄を自分で治めるのに成功したことを示しているでしょうか。それとも,歴史の記録は,人間が神のことばどおり,神の導きを必要とすることを示しているでしょうか。―エレミヤ 10:23。
証拠はだれの目にも明らかなはずです。神に依存せずに自らを律してきた人間の記録は,暗い失敗の記録です。それは人間を言うに言われない苦しみに追いやる結果になりました。『この人かの人を治めてこれに害をかうむらしむることあり』と聖書が述べているとおりです。―伝道 8:9。
人間の努力は,神の法則に導かれる宇宙に見られる秩序と正確さとは,なんと正反対だったのでしょう。人間が自分の事柄を律してゆくのに神の導きを必要とすることは明らかです。なぜなら,神のおきてを無視したことは無秩序という結果を招いたからです。魚が水を必要とし,他の生物が呼吸をするための空気を必要とするのと同様に,人間は神に依存することを必要とするものに造られています。
またサタンは,もし機会が与えられれば,全人類を神にそむかせてみせるという態度を取りましたが,それはどうなりましたか。この主張も偽りであることが証明されました。というのは,状況のいかんにかかわらず神に忠節を保つ人間が,歴史を通じて常に存在したからです。―ヨブ記 1,2章。
なぜ長い時間をかけたか
しかしなかには,なぜ神はこの問題の解決に6,000年近い時間をかけたのか。もっと早く,満足のいく解決はできなかったのか,と言う人がいるかもしれません。
もし神がずっと昔にこの問題に介入されていたとすれば,人間は,有効な政府をつくり出し,またすべての人に繁栄をもたらすのに必要な技術を発達させるための十分の時間が与えられなかった,という非難の起こる可能性があります。しかし今や人間は,あらゆる型の人間の支配を試み,また原子の利用や月旅行をも含めてとほうもない技術の進歩をはかる十分の時間を持ちました。結果はどうでしたか。人類を祝福するすばらしい新体制が出現しましたか。
現在の状態はそれどころではありません。地球上の不幸と難問題はかつてなくふえています。事実,犯罪,汚染,戦争,家庭の崩壊その他の問題は危機的な段階に達していて,科学者たちは人間の生存そのものがおびやかされていると考えています。1969年11月28日号のサイエンス誌は次のように述べています。
「これら多数の危機を阻止するより良い方法がいつまでたっても見つからないとなれば,われわれの余命は10年から20年,いや5年から10年,あるいはそれ以下というところかもしれない。われわれが1980年まで生きられるチャンスは五分五分までもいかないかもしれない。
「こういえば不確実で非常に劇的に聞こえるかもしれない。しかし,危険のあらゆる源と,それがどのように増加しているかを検討したあと,これ以上楽観的な推測のできる科学者がいるだろうか。時が短くなっているのは,われわれの問題が指数的そして増加的性格を有するためである」。
6,000年近くの自治を経験したのち,そして科学の「進歩」もその究極に達したのち,人類は滅亡のふちに立っています。神をさておいて人間は自らを治めることはできないということが,なんと明らかでしょう。また,これらの問題を解決するのに神は十分の時間を許さなかった,という不平は今はもうだれにも言えません。
しかし過去6,000年の間,神は人間の苦悩を終わらすために何をしてこられたでしょうか。何もせずに,人類がもがき苦しむのをただ眺めておられたのでしょうか。地上の生物が生きてゆくのに必要な法則や作用をりっぱに維持してこられたのは事実です。しかし,平和,健康,幸福という人間の必要を満たすために,神は何か行なわれるのでしょうか。
[10ページの図版]
神のことばである聖書を備えられたことは,神が人間を忘れていない明白な証拠である。聖書は老若を問わずすべての人間に満足のいく導きを与え,また人間を向上させる
[11ページの図版]
親は十分の理由から,いくらか苦しみはあっても,愛する子どもに手術を受けさせる。神が一時的に苦しみを許しておられるのにも十分の理由がある
[12ページの図版]
魚が水を必要とし陸の動物が空気を必要とするものに創造されたのと同じく,人間は神の導きを必要とするものに創造された
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神はどのようにして人間の必要とするものを満たしますか目ざめよ! 1973 | 1月8日
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神はどのようにして人間の必要とするものを満たしますか
昨今,わたしたちは毎日のように,人間は自分の問題を解決するのに助けを必要としているということを思い起こさせられます。USニュース・アンド・ワールド・リポート誌は,「目下のところ,現代の諸問題を解決する点では,いかなる政府も歯が立たないようである」と述べました。
医学問題の論説委員,フランク・J・エイド博士は,世界情勢の絶望的状態を指摘し,「生き残って[30年足らず先の]21世紀を見ることはできまいとする,先見の明のある人びとが非常に多いのは恐るべきことである」と述べました。
人類の窮状は嵐の海でほんろうされている船の乗客のそれにたとえられています。カナダの社会科学の教授,ウィルソン・ヘッド博士は,「われわれは方向もかじも失っており,どこに向かっているのかわからない」と嘆き,インテリジェンス・ダイジェスト誌の論説委員は,「世界の問題を解決できるのは神だけである」と語りました。
しかし,人間が解決できなかった問題を神に解決してもらえるでしょうか。解決を神に期待すべき理由がありますか。
神が行なってきた事がら
太陽や雨や生きとし生ける美しいものすべてを備えて,この地球をこんなに楽しい住みかにしてくださった親切な神にあなたは何を期待していますか。永続する平和と幸福という,人間の必要とするものを満たすために神が何かをしてくださるだろうと期待してはいませんか。神はそうするために何らかの準備をしてこられましたか。
聖書は,神がそうしてこられたことを示しています。神の最初の目的は,人間が楽園の地で完全な健康に恵まれ,幸福に生活することでした,神はこの目的を決して変えませんでした。ですから,サタンがアダムとエバを神から引き離した直後,神はサタンを滅ぼす救出者もしくは苗裔を起こすことを約束しました。その苗裔は,アダムとエバの子孫の中で,神への忠節の道を選ぶ人びとすべてを益する,平和な義の新秩序を確立するのです。神はその救出者がサタンをどのように滅ぼすかを預言的なことばでこう説明しました。『彼[つまり苗裔]は汝[サタン]の頭を砕かん』― 創世 3:15。
やがて神は「苗裔」がどの家系から来るかを明らかにし,忠実なしもべアブラハムに,『なんじの子孫[つまり苗裔]によりて天下の民みな福祉をうべし』と告げました。(創世 22:18)後に神はイスラエルのダビデ王に関してこう約束しました。『われまたその裔をとこしえに長らえ そのくらいを天の日数のごとくながらえしめん その裔はとこしえにつづき その座位は日のごとくつねにわが前にあらん』― 詩 89:29,36。
神はまた,何世紀にもわたってそのみことば聖書の中で,この約束の『苗裔』による義の支配が人類にもたらす多くの祝福について述べました。たとえば,悪人はすべて断ち滅ぼされ,義人だけが地上で永遠に生き,人類は回復された地上の楽園で完全な健康と平和を享受することを予告しました。(詩 37:9-11,29。イザヤ 11:1-9; 25:6-8)それで,神は人間のことを忘れるどころか,これまで長年の間ずっと,人類を永遠に祝福する準備をしてこられました。
しかし,神がご自分の目的の進展を図るには,その約束の救出者である支配者を地上につかわす必要がありました。なぜですか。
約束された者が到来する
その者が到来したとき,それはまさしく『裔,すなわちキリスト』であることが正式に明らかにされました。(ガラテヤ 3:16; 4:4)その誕生にさいして次のような発表がなされました。『彼は大いならん,至高者の子と称えられん。また……永遠に治めん。その〔王国〕は終わることなかるべし』― ルカ 1:30-33〔新〕。
ところが,そのイエス・キリストは地上におられたとき,支配を開始しませんでした。開始することになっていたのでしょうか。いえ,当時はその時期ではありませんでした。イエスがしたのは,人びとの必要とするものを奇跡的に備えて,ご自分がいかに望ましい支配者になれるかを明示することでした。たとえば,イエスは二度ほど,わずか2,3箇のパンの塊と何匹かの魚で何千人もの空腹な人たちに食物を与えました ― マタイ 14:19-21; 15:34-37。
また,イエスは病人を奇跡的に癒しました。(マタイ 15:30,31)それにもまして驚くべきことに,死人を生き返らせたのです! たとえば,あるやもめがそのひとり子の葬儀にさいして嘆き悲しんでいました。たまたまその哀れな光景に出くわしたイエスはやもめに,「泣くな」と告げ,その息子の遺体のそばに行って,『若者よ,我なんじに言う,起きよ』と言いました。すると,若者は生き返り,イエスはその人を『母にわたし』ました。―ルカ 7:11-16。
しかしながら,イエスは有形の恩恵以上のものを人びとにもたらしました。平和と幸福のうちに生活する方法をも人びとに示して,純粋の愛を実践する仕方を実際に教えました。イエスは,『われ新しき誡命を汝らに与う,なんじら相愛すべし。わが汝らを愛せしごとく,汝らも相愛すべし』と言いました。―ヨハネ 13:34,35。
それから,イエスは反対者たちの手で殺されました。しかし,その死は重要な目的にかない,アダムの子孫のために死からの救出方法を備えるものとなりました。どうしてですか。
人間はその父祖アダムから罪と死とを受け継いでいるゆえに死んでゆきます。(ロマ 5:12)しかし,イエスはかつて天のみ使いだったので,その生命力は天から地に移されたものであって,その命は罪人アダムから伝えられたのではありませんでした。このようなわけで,イエスの完全な人間としての命は,アダムが神に対して罪を犯して自分の子孫すべてのために失った生命の権利を買い戻す贖いとして与えることができました。―マタイ 20:28。ヨハネ 3:16。
ですから,イエスの死は思いもよらない事がらではありませんでした。事実,神の預言は,「苗裔」のくびすが砕かれることを予告していました。(創世 3:15)くびすの傷のように,イエスの死は苦しいものでしたが,彼を永遠に無力にするものではありませんでした。なぜなら,神は再びイエスを生き返らせたからです。多数の目撃証人がその復活について証言しました。―マタイ 28:1-10。使行 1:8-11; 2:32。
今日における意義
『しかし,聖書の述べるそうした事がらすべてがどうして私の益になるのか。イエスが実際にそれらの奇跡を行ない,神が確かに彼を復活させたにしても,今日飢えや病気で死んでゆく人びとに,それがどうして益になるのか』と問う人がいるかもしれません。
だれでも非常に重要な仕方で益を受けることができます。どうしてですか。イエスは当時の人びとにそうしたすばらしいことをすべて限られた規模で行なったのですから,それは天の命によみがえらされたイエスが世界的な規模で同様のことを行なえるとの神からの保証となります。しかも神は,イエスがそうした事がらすべてを人類のために行なうと約束しておられるのです!
しかし,それはいつですか。約束の「苗裔」はいつサタンを砕いて,従順な人類を祝福するのですか。サタンが最初の人間夫婦をそそのかして神に反抗させて以来,約6,000年経ちました。サタンの邪悪な体制を終わらせる神の時がついに近づいたと,どうしていえるのですか。
一つの理由は,今日存在する異常なまでに混乱した状態は『事物の体制の終結』をしるしづけるものとしてイエスによって予告されていたということです。イエスは,食糧不足,疫病,不法その他の状態が広まるであろうと言いましたが,それは今やはっきりと見られます。―マタイ 24:3-14。
別の理由は,反抗によって引き起こされたあらゆる論争に決着をつけるのに重要な時間がこれまでに十分与えられてきたということです。サタンは明らかに,全人類を神から引き離せると唱えましたが,そうしえなかったことは明白です。(ヨブ 1,2章)過去6,000年の歴史はまた,神から独立した人間は平和と幸福を民にもたらす政府を確立する点では全く無能であることを示してきました。
人間の必要とするものが満たされる時
こうして,神の約束の「苗裔」がサタンの「頭」に致命的な一撃を加え,この腐敗した事物の体制を拭い去る時が到来しました。(創世 3:15)腐敗のない世界は人類が切に必要としているものではありませんか。ところが今では,人間がそうした政府を作り出しえないことは一般に認められています。社説担当記者デイビット・ローレンスは述べました。「アリバイを調べれば調べるほど,地上の不幸は人間のしわざであることがわかる。われわれの主要な弱点は,自治の問題を解決していないということである」。
では,望ましい政府を求める人間のこうした必要を神が満たしてくださることを,喜ぶべきではありませんか。神の油そそがれた王,イエス・キリストの支配のもとで全地の物事はほんとうに正しく管理されるでしょう。約束の「苗裔」に関する預言はこう述べます。
『[かれは]正義を もて貧しき者をさばき公平をもて国のうちの卑しき者のために断定をなし その口の杖をもて国をうち その口唇の気息をもて悪人をころすべし 正義はその腰の帯となり忠信はその身のおびとならん』― イザヤ 11:1-5。
今日,人間による不公正な支配のもとでは何億もの人びとの基本的な必要さえ満たされてはいません。たとえば,殻物をすき込んだり殻倉に貯蔵したりする農家に手当を支払う政府があるかと思えば,他方では毎日,何千人もの人びとが餓死しているのです。事態があまりにも重大なため,ミシガン州立大学の食糧専門家ボーグストロム博士はこう言いました。「われわれは自分たちの窮境の規模を全く理解していない。われわれの態度ゆえに,人類家族の半数余の人びとが生活必要品の極度の不足にあえいでいるのでは,われわれはすでに大災厄に陥っているのではなかろうか」。
同時に,世界の各地の人びとも適当な住まいを切実に必要としています。非常に『進歩した』政府のもとでさえそうなのです。サタデー・レビュー紙は述べました。「1972年の今,米国では少なくとも1,000万世帯 ― 6家族のうち1家族 ― が依然,ひどくいたんで,非常に不健康な,もしくは全くみじめな家に住んでいる」。
また,疾病や老化そして死は引き続き人間家族を苦しめています。人間は健康と若々しい活力を必要としていますが,そうした必要を満たすには全く無力です。ネイサン・W・ショック博士は,「老化の原因は皆目わからない」と述べました。ですから,老化と死を癒す,もしくは阻止する方法は,人間にとってはさらに大きななぞなのです。
では,現代の人間は明らかに神を必要としているのではありませんか。わたしたちは人体の生活作用の維持,また緑色植物による奇跡的な食物の生成や地球の他のあらゆる資源の点で神に依存しています。しかし,それらのものの正しい用い方に関する神の導きも必要です。特に,病気や老化また死を避けるには,神に人体を調整してもらわなければなりません。
それにしても,神は人間のためにそのようなことを確かにしてくださるのでしょうか。あなたなら親切な神に何を期待しますか。もしあなたにそれだけの力があるなら,人間の必要を満たし,平和で幸福な生活をさせて人間を祝福するのではないでしょうか。では,人間の愛ある創造者がそれをしないなどと考えてよいでしょうか。
神はそのみことば聖書の中で,『新しい天』すなわちキリストをかしらとする義の政府,および『新しい地』つまり全く義にかなった新しい地的社会を創造すると約束なさいました。神の代弁者はその新しい体制について,あたかもそれがすでに運営されているかのように述べたのちこう言います。
『見よ,神の幕屋,人とともにあり,神,人とともに住み,人,神の民となり,神みずから人とともにいまして,かれらの目の涙をことごとく拭い去りたまわん。今よりのち死もなく,悲しみも,叫びも,苦痛もなかるべし。前のものすでに過ぎ去りたればなり』。
このような約束はあまり良すぎて信じられませんか。それでも,信頼できるのです。全能の神は,それが信頼できるものであることを保証しておられます。というのは,神自らさらにこう仰せになるからです。『見よ,われ一切のものを新たにするなり……書きしるせ,これらのことばは信ずべきなり真なり』― 黙示 21:1-5。
真の平和と健康と幸福という,人間の必要を満たすことを神が意図しておられるとは驚くべきことではありませんか。あなたは神の備えに対して感謝の念をいだいていますか。イエスは,神に感謝を表わす方法を示し,山上の垂訓の中で,『まず神の〔王国〕と神の義とを求めよ』と言いました。―マタイ 6:33〔新〕。
神の王国とは,その約束の「苗裔」の手中にある政府であり,それこそ人間の必要とするものを満たす神の器です。わたしたちはその神の王国政府についてできるかぎり学ぶことにより,その王国を求めます。こうして,それが実在しているという確信を培います。それから,地上におられた当時のイエスが行なったように,他の人びとにその王国を唱道し,それを平和と幸福のための人間の唯一の希望として広めます。
これこそ,エホバの証人が人びとの家を尋ねて,聖書について人びとと率直に話し合って行なっているわざです。証人たちはまた,自分たちの王国会館に定期的に集まって神の備えについて勉強し,そこで神とその王国に対する信仰を建て起こす資料を学んでいます。それで,証人たちの集会に出席し,そのような貴重な教えを彼らとともに楽しく学ばれるよう心からお勧めいたします。
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