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  • 忠実にしてさとい奴隷と共に目ざめつづける
    ものみの塔 1960 | 10月1日
    • 諸国民に霊的ないやしをもたらします。(エゼキエル 47:7,12)しかし,現代の奇跡はどのようになされていますか。

      10 御国の真理の清い水には生命を与える益があります。神の御心は,この清い水の強力な流れを,どこにみちびきますか。私たちの聖書預言のテレビジョンには,エホバ神がこの川を(古代のエルサレムの宮があつたところから)東に流れさせて,死海に注がせたのです。実際の死海には,1匹の魚も住んだことがありません。ところが,この実体的な死海に何が生ずるかを見てごらんなさい! この死海は,終りの時の期間中に大ぜいの人々に霊的な光線を見させない死のごとき環境を良く表わしています。サタンは,彼らを捕えて,かたい束縛の状態に保ちました。サタンは,偽りの宗教により,大きな霊的な暗やみの中に彼らを閉じこめます,悪魔は,物質主義で彼らを忙がしくさせ,宣伝でもつてあざむき,下級のものに専念させてはげしい生存競争をさせています。このように,目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」級以外の全人類は,1931年まで死んだと同じ霊的な眠りに閉じこめられていましたb。

      11 「川」の水がもたらすいやしを述べなさい。

      11 奇跡中の奇跡として,エホバはいまこの真理の水の流れをみちびいて,この死海のごとき捕われの状態から善意者の「大いなる群衆」を解放します。1931年以来,「ものみの塔」は次第次第にラッパのごとき召を,油注がれた級でない者たちに向けて変え始めました。幾年かの年月が経つ中に,いまや42以上にも達する預言が次から次に,明白な成就を示し,次のことをみな確証しています。すなわちエホバの証者の十分清められた大いなる群衆が,準備された新しい世の社会に入るようにエホバは戸を開かれた,ということですc。真理の水は,その世界的な環境にいやしをもたらし,そしてエホバの操られるままに個人的な環境は変化しました。宗教的な足かせはゆるめられました。世界のわざわいについての光は,御国の真理について考えている人々を以前の伝統的な束縛から自由に開放しました。その環境は住めることができるものになりました。それで,エゼキエルが示すように,多くの数の「魚」は生きるようになりました。この現代の奇跡が始まつてから約30年たたぬ中に,いまでは85万以上の「生ける魚」が「奴隷」の級と共に活潑になつています。彼らは,その罪のうちに死んでいる古い世という生命のない要素から,またハルマゲドンにおける滅びという脅威から出てきて,神に対して生ける者になつています。―エゼキエル 47:1,9。

      12 目ざめている「魚」を生きつづけさせるために,どんな取り極めが行なわれますか。

      12 エホバの奇跡的な御手によつて,これらの「魚」は生きるものになりました。それでは,これらの「魚」が自分自身で餌を求めることをエホバは許しますか。そのようなことはありません。次のテレビジョンの光景が示すところによると,エホバは「魚取り」の制度を設立して,食物を与えます。これは一般の経験とは全く反対です。なぜなら,魚は捕えられると人間の食物になるからです。しかし,この預言の中では,魚はとられてから養われ,生かされています。「すなどる者が,海(死海)のかたわらに立ち,エンゲデからエン・エグライまで,網を張る所となる。その魚は……はなはだ多い」。(エゼキエル 47:10,新口)このことは,かつてイエスが弟子たちに告げた言葉をすぐに思い起させます,「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとする漁師にしてあげよう」。(マタイ 4:19,新口)ほんとうに,網を持つ漁師は今日網のような制度を持つ油注がれた残れる者を良く表わしています。彼らは,前任者である使徒たちのごとく,同じ霊的な魚取りの仕事に基本的に専念しています。この組織化された手段により全地にわたつて救いは施されています。1931年前では,食物は天的な「小さな群れ」の者だけに給されました。しかし1931年以来,救いの活動は世界的な規模で大々的に行なわれ,幾十万という人々を救いにみちびいています。生かされたこれらの「魚」は,キリスト・イエスの「他の羊」と同じです。(ヨハネ 10:16)これらの「他の羊」は,残れる者の木のごとき各成員の「実」と「葉」に依存して,豊に養われています。それで,ハルマゲドンのあらしを生きたまま通過し,その後でも保護をうけるのです。

      目ざめつづける

      13 この「奴隷」級と共に目ざめつづける一つの道を述べなさい。

      13 次の質問が尋ねられるでしよう,『急速に動いて行くこの「忠実にしてさとい奴隷」級と共に,どのように目ざめつづけることができるか』。この油注がれた群れの成員は,円熟さ,聖書の知識,神権的な経験,そしてエホバの目的と神の御心のまぼろしについては,幾年も進歩しています。目ざめつづけておくれないようにするため,いくつかの事をすることができます。第一に,証明ずみの神の径路を通して与えられ,ものみの塔協会を通して出版される「正しい時の食物」を取りつづけなければなりません。霊的な食事を1回でも欠かすことはできません。個人的な研究のほかに,会衆の研究会に毎週出席することは,ぜひ必要です。研究の集会を1回かかすなら,その人は霊的に衰弱し,霊的にやせおとろえて弱い状態になります。そのような不注意な減食がつづくなら,新しい世の社会の早い進歩と歩調をそろえるだけの強い者にはなれません。油をそがれた残れる者は,指導者としてひとつの決意を持つています。それは,エホバの御心を行なつてエホバの至上権を立証し,永遠の生命という賞を得ることです。「他の羊」に属する者であるあなたは,勝利を求めるこの強烈な疾走において,残れる者といつしよに旅行をするだけ強くなれますか。食べることは生命を意味するものであると見なして,熱心に食べなさい。たしかに,それは生命を意味します。

      14,15 目ざめた状態を保つもう二つの道を説明しなさい。

      14 別のことは,神権的な道,仕方,および政策に従うことです。黙示録にはこう書かれています,「全能のエホバ神よ,あなたの御わざはまつたく偉大ですばらしい。永遠の王よ,あなたの道は正しくて真である」。(黙示 15:3,新世)私たちは,民主主義的な仕方や方法によつては,もはや制御されません。そのような道は,人間の意志を強調します。私たちが新しい世の社会にみちびかれるとき,私たちは神の御こころを行なおうと決意しています。神の御こころは,神の設け給うた「忠実にしてさとい奴隷」の指導を通して神権的に私たちのところへ来ます。

      15 第三に,私たちは制度内の割り当てられたところにとどまることによつて,目ざめつづけることができます。「大いなる群衆」の者は,「忠実にしてさとい奴隷」を通してつくられた割り当てに対して,異議を申し立てたり,調節を加えようとしてはなりません。また,他の人に任命されている仕事をしようとしてもなりません。パウロは次のように書いています,「なぜなら,一つのからだにたくさんの肢体があるが,それらの肢体がみな同じ働きをしてはいない。(ロマ 12:4,新口)それで,各人は自分に割り当てられた奉仕を行なうようにしましよう。もし,会衆の伝道者という立場であるなら,協会の指示に一致しつつ伝道奉仕を効果的に,そして熱心にしなさい。もし会衆内の僕であるなら,その仕事を正しく行なうのは彼の義務です。もし,その人が正しく行なわないなら,人間の目に見えない監督を行なう御使たちは,変化を必ず生じさせるようにするでしよう。イエスは,次のように語りました,「人の子はその使たちをつかわし,つまずきとなるものと不法を行う者とを,ことごとく御国から取り集め」る。―マタイ 13:41,新口。

      16 人の持つ資力については何をすることができますか。

      16 また,私たちはものみの塔協会への奉仕と経済的な寄付により,目ざめつづけることができます。エホバは,この機関を通して,私たちに多くのことをされました。それに答え応ずる私たちの愛と感謝を示す最少限度のことは,全世界的な伝道のわざを拡大させるために金銭と時間を寄付することです。1931年前,残れる者が少数の時でも,彼らは協会のわざのために幾百万ドルも寄付しました。いまでは,「大いなる群衆」の者も,今日の協会の教育的なわざを世界的で最も重要なわざにすることに,よろこんで参加したいと思うにちがいありません。私たちの持つ時間と金銭という資力を物惜しみせずに寄付しましよう。エホバは,このわざが初期の段階であつたときに油注がれた者の寄付を祝福しました。それで,今日の「他の羊」の寄付も,正義の人類に対する大きな祝福という結果になることはたしかです。―イザヤ 60:5; 61:5,6。

      17,18 (イ)なぜ愛と忠節は,目ざめた状態を保つのに必要ですか。(ロ)尊敬と従順は,人が目ざめていることをどのように示しますか。

      17 すべてのものに愛を示して,忠節な行いをすることにより,私たちは目ざめつづけることができます。天にあるエホバの制度は,愛によつて特徴づけられています。同様に,愛は地上にある新しい世の社会の顕著な特徴です。愛があるからこそ,新しい世の社会は古い世とはなはだしくちがうのです。このことも,進歩的な「忠実にしてさとい奴隷」の大きな特徴です。その奴隷の群れの初期の成員であつた使徒パウロは,次のように書きました,「わたしは,あなたがたに勧める,あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き,できる限り謙虚で,かつ柔和であり,寛容を示し,愛をもつて互に忍び合い,平和のきずなで結ばれて,聖霊による一致を守りつづけるよう努めなさい」。―エペソ 4:1-3,新口。

      18 最後に,私たちは尊敬を払い,従順であることにより目ざめつづけることができます。私たちの知るごとく,エホバは,「忠実にしてさとい奴隷」のものみの塔協会を用いて,今日の地上の統治体にしています。ものみの塔協会は,私たちの尊敬と,最善の支持をうけるのにふさわしいものです。聖書には次の言葉がかかれています,「神の言をあなたがたに語つた指導者たちのことを,いつも思い起しなさい。彼らの生活を……見て,その信仰にならいなさい」。(ヘブル 13:7,新口)時折り,円熟していない人々が協会の運営について,軽べつ的な言葉や,不注意な話,あるいは露骨な批評をすることがあります。そのようなことは,ハルマゲドン前のこの時代にエホバが御自分の御心を行なわせるためにすばらしい仕方で用い給う手段に対して,全く尊敬を欠いていることを示します。たしかに,神の聖霊によつてみちびかれている協会は,私たちのいちばん深い尊敬と,真心からの従順をうけるのにふさわしいものです。

      19 「忠実にしてさとい奴隷」は,どのように時勢より先がけていましたか。

      19 全く,「忠実にしてさとい奴隷」は,1914年の来ることに目ざめていました。1942年,間ちがえることのないエホバの確実な御霊でみちびかれた「忠実にしてさとい奴隷」は,民主主義諸国家が第二次世界大戦に勝利を得て,国際連合制度が設立されるであろう,と知らせましたd。彼らは出来事について目ざめていました。なぜなら,それは3年後にたしかに生じたからです。1958年の神の御心国際大会のとき,ダニエルの預言について驚くべき事前の知らせが,すぐ将来に起る出来事について与えられました。そのような霊的な先見の証拠は,「御心が地に成るように」(英文)という本の中に記録されています。「忠実にしてさとい奴隷」は,ふたたび神を愛するすべての人々をみちびくために時勢に先がけて警戒を払つていたのです。たしかに現在の安全は,「忠実にしてさとい奴隷」と共に目ざめていることに依存しているのです。

      20,21 (イ)人は,いま霊感の目的にみちる生活を,どのように過ごすことができますか。(ロ)マタイ伝 25章21節は,どのように適用しますか。それは,何を励ましていますか。

      20 いま霊感の目的にみちる幸福な生活をするため,目ざめていなさい。神の御心を行うことは,私たちを全く夢中にさせ,魅惑をそそるもので,私たちにとつて最大の刺戟になります。以前の「死海」の状態に逆戻りしてはなりません。死んでいる魚,悪臭を放つ魚になつてはなりません。しかし,生きた魚,霊的に健康な魚,そしてパウロが書いているように『キリストの知識のかおり』を持つ実体的な魚でありなさい。(コリント後 2:15)あなたの伝道を聞こうとしない者たちを盲目の世界にのこし,あかりの消えた盲目の牧師に従がわせなさい。目の見えないこうもりの方が,霊的に眠つている牧師よりも大きな知覚力を持つています。しかし,「大いなる群衆」にあなた方,および啓発をうけたいと願う他の者たちは,昼も夜もそのあかりをともしている目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」級に従いなさい。現在および将来の新しい世におけるあなたの幸福は,あなたが残れる者と共に働くことに依存するのです。イエスは,自分の霊的な兄弟たちである残れる者について,こう語りました,「あなたがた(『大いなる群衆』のもの)によく言つておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである」。―マタイ 25:40。

      21 いま,よろこびと隆盛のときにいる残れる者と共に目ざめつづけなさい。イエスは,この「忠実にしてさとい奴隷」にたいして,次のようなお賛めの言葉を述べています,「良い忠実な僕よ,よくやつた。あなたはわずかなものに忠実であつたから,多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。(マタイ 25:21,新口)残れる者と共に目ざめて忠実な御国奉仕を行ないなさい。残れる者と共に御国のよろこびを分かち合いなさい。それは大きな力をもたらします。永久に生きるため,キリストの下にある「忠実にしてさとい奴隷」と共に目ざめていなさい。

  • ベルギー領コンゴにおける御国伝道
    ものみの塔 1960 | 10月1日
    • ベルギー領コンゴにおける御国伝道

      ベルギー領コンゴにおける御国伝道も,昨年中すばらしい発展をみました。この国では,多くのごたごたがあり,伝道のわざは禁止令のもとで行なわれたにもかわらず,兄弟たちは御国会館でいつもの集会を開くことができました。首府レオポルドビルで行なわれた記念式の時には,おどろくべきことが起きました。同市内の六つの分会が,日曜日の公開講演に一緒に集まるようとり決めたところ,1417人が出席するという盛況でした。

      ある若いヱホバの証者は,真理のために非常に熱心です。学校で休みの時間に級友を集めては御国の話をしました。ある生徒は反対して彼を「預言者」と呼んで嘲笑しました。ひとりの生徒が,この若い証者のことを教師に告げました。その教師は,「エホバの証者」という表現を聞いて驚き,それが何を意味するか,またエホバとは,だれか知りたいと思いました。その若い兄弟は,喜んでその機会を利用し,さらに証言を行ないました。すつかり感動した教師は,もうひとりの教師を呼んでその話を聞かせました。そしてあとになつて他の教師に,この生徒こそ彼のクラスで行儀で最高点を採つた唯一の生徒だと話しました。なお同教師はその証者に,家で読めるような本をもつてきてもらいたいと頼みました。―1960年度のエホバの証者の年鑑(英文)より。

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