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多くのものに感謝ものみの塔 1962 | 2月15日
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仕事を中止することなく,戦火の下でも人々の家々を訪問し,再訪問を行ない,家庭聖書研究を司会しました。そして,その難しい年月でも多くの増加という祝福をいただきました。
アメリカの大会
1946年,戦後程なくして国際大会がオハイオ州クリーブランド市で開催されると発表されました。英国の支部の僕,プライス・フェースは,協会の会長から出席するよう招待されました。そして私たちはみなこの喜びを分け合いました。ところが,すこしたってから,私にも出席を招待する手紙が送られました。私はほんとうに驚いてしまいましたが,またうれしく思いました。私は本当に感謝しました!
当時の旅行には多くの困難がともないました。しかし,小さな船に乗ってマンチェスター・シップ・カナルを下って,やっと大海に出ることができました。すばらしいことがたくさん備えられていると私は知っていました。そして,私は最大限にそれを楽しみたいとのぞみました。ほんとうに最大の楽しみを持ったと思います。第一にブルックリン・ベテルの家族と会って幸いに感じました。ロンドンの家族とくらべてブルックリン・ベテルの家族はたいへん大きく思えました。しかし,それは幸福な交際の時で,数多くの兄弟たちと知合になり,新しい永続的な友情をつくることができました。協会の会長ノア兄弟といっしょに,私たちはギレアデへ行き,そこでも別の大きな神権的な家族に会いました。生徒たちと御国農場の家族と会ったのです。学校がちょうど終わった時だったので私たちは卒業式に出席し,演壇にのぼった講演者たちの暖かい,友情のあふれた,有益な助言を聞くことができました。ギレアデにいたときはほんとうに楽しい時で,心から感謝しました。
そして,私たち一行は夜の旅行でクリーブランドへ行き大会に出席しました。その大会は私の出席した1953年と1958年の大会ほど大きいものではありませんでしたが,私にとってはたいへん大きなものでした。私は簡易食堂の部で働きました。それは大きな仕事でしたが,愉快なことも多く,大会の仕事に参加できたことは大きな満足感を私にもたらしました。その大会全部は,本当にすばらしいものでした! いまでも私の脳裡に強くきざまれている事実は,それが「よろこびの民」の大会であったということです。多数の国からの幸福な民は,エホバを崇拝してたたえるために集まりました。そのときに「神を真とすべし」という本が発表されました。その本は,『石をとりのぞき』善意者のための道を平らにするため,いまでも使用されています。(イザヤ 62:10)ノア兄弟が巡回のわざとその大会のことを説明した夜をはっきりおぼえています。それは会衆の人々をたいへんよろこばせて,すばらしい祝福をもたらしました。その夜,私は演壇上のノア兄弟の背後に坐っていました。ノア兄弟がその仕事のことを説明して,ブルックリン・ベテルの家と工場拡大の計画を告げたとき,大聴衆は万雷の拍手で答えました。演壇からみなさんの顔をはっきり見ることができませんでしたが,みなさんのよろこびを感ずることができました。その経験は,いまでも私の心の中にはっきり残っており,私は深く感謝しています。
もっと多くのものに感謝
そのときから幾年か過ぎ去り,私たちの霊的な楽園は富んだものになりました。ベテルにいたすべての人が忠実な奉仕を保ったわけではありません。ある人は感謝の気持ちを失いました。彼らは神から与えられたものに対する感謝の念を失いました。これは私にとって良い教訓になり,私は委ねられた奉仕に感謝の念を持ちつづけました。一方,それとは反対の人々もいます。その中のある人は私よりも長い年月ベテルで奉仕して,いまでも忠実を保ち,その特権に感謝しています。私はこれらの人々からも学ぶことができました。彼らは私をよく励ましてくれました。
ロンドンのクレイベン・テラスにある本部は狭くなってしまいました。『天幕の紐をのばす』ことが必要になりました。(イザヤ 54:2)交通の便が良く,しかも都心から離れた適当な場所が必要でした。私たちはすばらしい場所を得ることができたのです! 実際には郊外地でありながら,ロンドンの地下鉄はすぐ近くまで来ています。昔のミル・ヒル村に近いところに私たちの新しい家がつくられました ― 品位を備えた建物で,美しい環境のなかにあります。それは楽園のようです。しかし,そこでは活動が盛んに行なわれています。現代の印刷機械は幾十万冊という雑誌を印刷します。心から感謝します。
この建物内に御国宣教学校のあることは付加的なよろこびです。地域,巡回および会衆の兄弟たちといっしょに生活することは,私たちのよろこびです。私たちの家族は大きくなりますが,同時にたくさんの祝福を私たちにもたらします。
1914年,真理が私の心に達して心を富ませたあのすばらしい御国の年の私から見ると私はすこしく年を取りました。1922年に全時間の伝道のわざを始めた時から見ると,年を取りました。しかし,どういうわけか私は年寄のような気がしません。私は今でも若い兄弟たちといっしょに働くことができます。若い兄弟たちは私にたいへん親切で,それに対して私は深く感謝しています。
私の働いているところから,私が最初に働いた昔のミーレ印刷機が見えます。その機械がいまでも使えるなら,私だって働けないわけではないでしょう。詩篇記者の次の言葉は,いまでも私の心に鳴りひびいています,「我いかにしてその賜へるもろもろの恩恵をヱホバにむくいんや」。たしかに私はもっともっと報いなければならないと信じます。そして,私は感謝の念をもって報いたいと思います。
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「彼らは一致の中に伝道する」ものみの塔 1962 | 2月15日
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「彼らは一致の中に伝道する」
― 1962年のエホバの証者の年鑑より ―
日本
人口: 93,400,000人
伝道者最高数: 2,082人
比率: 44,861人に1人
過ぐる年のあいだ日本の伝道者はよく働きました。それでいま自分たちの働きの実を見て使徒パウロと同じく叫ぶことができます。「わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ」。(ピリピ 4:1)これらの勤勉な働き人,良いたよりを伝道する奉仕者は,共に信仰に固く立つ大勢の新しい兄弟にとり囲まれています。それはまことにすばらしい収穫であり,エホバは祝福を与えられました。明らかに宗派的な宗教は聖書とその真理を日本の人々に印象づけることができませんでした。しかし真に任命された神の奉仕者はこの国の人々にいま真理を伝え,大勢の人々を神の言葉の真理にひきつけています。これらの謙遜な人々は生命に至る道を見出して,新しい世の喜びを待ち望んでいます。以下に掲げるのは日本と沖縄で得られたきわめて興味深い経験で,支部の僕から寄せられたものです。
日本にはきわめて新しい御国伝道者がいます。事実,伝道者の20パーセントは過去1年のあいだに奉仕を始めたばかりの人々です。しかし新しい人でさえもすべてのことにエホバの道を認めて行なうとき,心をおどらせる成果を野外でおさめることができます。ある会衆のしもべは新しい姉妹と一緒に家から家に行き,はじめて聖書の話を使って伝道するその姉妹を訓練することを取りきめました。その姉妹は実によく準備したのです。最初の家でしもべが話して予約をすすめましたが,家の人はきっぱり断りました。しもべは励ますつもりで新しい伝道者にむかい,全部の家の人が予約する訳ではないと説明しました。次の家で姉妹は自分一人で大そう上手に聖書の話をしたので,家の人は興味を覚え,すぐに予約しました。次はまたしもべの番でした。一生懸命に努めましたが,1冊の雑誌さえ配布できません。それでこの度は新しい伝道者に何も言いませんでした。4軒目の家で姉妹は熱心に聖書の話をして,またもや「ものみの塔」の予約を得ました。会衆のしもべは自分もたしかに訓練を受けていると感じました。その後この伝道者は同じく周到な準備をしてこれらの人々を再訪問し,両方の家で新しい聖書研究を始めることができたのです。今では両方の家の夫婦ともそろって集会に出席しています。ほかにも大勢の熱心な新しい伝道者が成果を生み出しています。
子供の伝道者は今まで何時も雑誌配布の面ですぐれていましたが,今度はその活動を拡大しています。ある男の子は地域のしもべを伴って再訪問に行きました。そのうちの1軒で若い婦人
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