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  • 神の目的とエホバの証者(その34)
    ものみの塔 1962 | 3月15日
    • た。証者たちに対する告訴のひとつは,彼らが「エホバ唯一神論を提唱している」ということでした。密室内での尋問は長く,拷問がともないました。期間は2年から3年もつづいたのです。信仰の否認を拒絶した者たちは,5年以上の入獄を宣告されました。そして,忠実を守った者たちは,最初の刑期が終わったとき再宣告を受けました。

      韓国でも,日本軍の圧制の手は感ぜられました。韓国の最初の証言のわざは,英国からの一姉妹によってなされました。彼女は自費で,協会の初代会長ラッセル兄弟の是認をうけて,日本,中国および韓国を旅行しました。聖書文書販売人としての彼女の仕事は,韓国に住んでいた英語を話す人々や,多数の韓国人に限られていました。1915年のこの旅行中,彼女は600冊以上の「聖書研究」(英文)の本を配布しました。

      1926年,協会は韓国に翻訳部門と小さな印刷工場を設立し,野外で用いる韓国語の出版物を準備しました。韓国語の他の出版物はブルックリンで印刷されて韓国に送られました。1931年,ふたりの兄弟は,この保管所でのわざを管理していました。ひとりの兄弟は翻訳の仕事を行い,他の兄弟は会衆の仕事とか文書配布の仕事を監督しました。東京にあった協会支部の代表者は,講演旅行に来て韓国の兄弟たちに教訓を与えました。1933年,日本の政府は京城にあった協会の資産をいくらか没収しました。1933年6月17日,日本の政府は5万冊の本や冊子を没収しました。東亜日報4493号によると,その文書全部を運び出すために18台の苦力の車が必要でした。1933年8月15日,政府は平壌のエホバの証者の家にあった3万3000冊の本を没収しました。これは東亜日報4452番に報告されていました。

      日本の戦争指導者たちは,アジアの征服に邁進しました。彼らは日本の国の宗教,神道を使用して,大帝国の諸国民を結合しようとしました。韓国人はみな神道の神社にぬかずいて天皇を崇拝することが強制されました。エホバの証者たちは偶像崇拝を拒絶したため,日本の当局に弾圧されました。しかし,制度そのものは1939年まで存続することができました。

      1938年6月18日,日本と韓国にいたエホバの証者たちは逮捕され始めました。1939年,6月29日,韓国の事務所にいた兄弟たちは逮捕されました。同日,1000平方フィートのスペースを必要とするだけの文書が没収されました。翌日の新聞の報道によるとその文書は漢河に持ち出されて燃されました。韓国の多数の証者たちは逮捕されました。神道の神社に参拝しなかった者たちは,刑務所に入れられました。30名以上の者たちは,長い刑期を宣告されました。多数の人は刑務所内で死にました。ひとりの年老いた姉妹は,石にしばりつけられ,2年以上のあいだずっとおじぎをする姿整にさせられていました。私たちのわざは禁ぜられました。

      この偶像崇拝という論争については,韓国の新教徒たちは,安易な道を歩きました。新教徒の教会は,神道の神社におじぎをすることは民事に属することで,宗教的なものでなく,それは「カイザルに属すること」と考えると言明しました。多数の教会の成員もこれは妥協であると認めました。その結果この論争のために長老派教会はいろいろの派に分裂しました。

      ポーランドとギリシャで主の羊をさがす

      ポーランでは,「他の羊」を狩り出すことは高度に組織されて効果的でした。ここでは特に熱心な開拓者がわざを押し進めて行きました。

      戦争中でもポーランドには開拓者がいました。たとえば,ワルシャワの町全部が開拓者により伝道されました。彼らは行商人の振をして家から家に行きました。小さな箱の中には歯みがき,くつずみ,その他の小さなものを入れておいたのです。しかし,彼らは品物を売るのに熱心でありませんでした。むしろ品物が売れない方をよろこんでいました。彼らの目的は,人々に話をして御国のことを告げることでした。物価の高いことと,金のないことは人々の話のトピックでしたから,そのところから会話を始めることができました。人々が不平の言葉を言うときは,会話を正しくみちびいて,戦争前から読まれて,たいへん興味ぶかい小冊子のことを告げることができました。証言はそのようにして行なわれたのです。人々が真理に対して興味を持っていると見るなら,彼らは第1冊を貸しました。その人の名前と住所は,他の兄弟たちに告げられて,こんどは彼らが再訪問をしました。このようにして知合いになり,真実に興味を持つ人々はいっしょに集められて,5人 ― 10人の小さな群れにされ,定められた研究の計画に従い模範的な研究が司会されました。k

      ギリシャでも文書が不足していました。しかし,手元にあるものを巧みに使用することにより,その問題を解決することができました。ギリシャでの証言は,偶然の伝道という性質を帯びていました。

      1940年10月,イタリアとギリシャの間に戦争が始まったとき,軍役に召集された多数の兄弟たちは,軍事的な奉仕にも非軍事的奉仕をも拒絶しました。戒厳令は厳格であって,良心的な反対者たちが良心の理由で軍役を拒絶することは免除されなかったため,兄弟たちは軍法裁判にかけられました。3人の兄弟は死刑に,他の者は終身刑か,20年から7年の刑期が宣告されました。主についてのあかしはいちじるしいものです。種々の状況の結果,いまに至るまで死刑は執行されず,また入獄を宣告された兄弟たちは刑務所から出されています。

      1941年,ギリシヤとアメリカの間の通信が絶たれたとき,主の「他の羊」と兄弟たち全部に奉仕するため最善の努力が払われました。それで,「ものみの塔」の副記事は訳されて彼らに分けられました。また,「救い」と「宗教」という本,および「避難民」という本が訳されて,2500部も謄写印刷され,あらゆる場所の兄弟たちに与えられました。それで集会はすこしも中断されず,兄弟たちにとって大きな祝福となりました。

      本や冊子の数がずっと少なくなったので,私たちは公園や公立の庭園のベンチにすわっている人々に伝道のわざをするようにしました。そういう人々に御国についての証言をしたのです。もし聞く人々が興味を持っているなら,私たちは1冊の冊子を貸して,この次に別の冊子を渡し,分からなかった点を話し合うことを告げました。次の訪問のときは,2番目の冊子を提供し,もしこれらの良いことが認識できたなら,他の興味を持つ人々といっしょに冊子を定期的に研究することをすすめました。2冊か3冊の冊子を研究して後ものみの塔や書物の研究に参加するよう招待しました。このように主のご準備により,再訪問の方法が確立し,1941年以来「他の羊」の数は増加しました。l

  • 「精神一到何事か成らざらん」
    ものみの塔 1962 | 3月15日
    • 「精神一到何事か成らざらん」

      ― オーストラリアで

      被服工場で働いている一姉妹は,地域大会に出席したいと思いましたが,休暇が許されなかったので辞職を申し出ました。ボスは,大会から帰ってから何をするのかと彼女にたずねました。彼女は答えました。「別に気にしていませんわ。たぶん,あなたは求人広告をなさるでしょうから,私がそれに応募するつもりです」。彼女が帰って見ると,求人広告が出ていました。それで彼女はそれに応募して,職を得ました。彼女は今も以前と同じ仕事をしています。―1962年のエホバの証者の年鑑(英文)より

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1962 | 3月15日
    • 読者よりの質問

      ● 性道徳の乱れたこの世の中で,少女はどのように誘惑を警戒することができますか。

      少女が思春期に達するか肉体的に成熟すると,性の点では,精神よりも肉体の方が発達しています。若い人々は,最初はグループでつどい,のちになると二人で一緒にいるのを好みます。もし彼らが,性のことについて両親から,正しく教えられていなかったら,恐らく少年や少女は親しくなりすぎて,一般にペッティングとかネッキングといわれていることを行なうようになるでしょう。しばらくそういうことをしていても彼らは別に悪い結果を見ません。ところが,そうした行為が非常に危険になる時がきます。なぜですか。これに対する答えは,野性的でもあり従順でもある哺乳類のウシ属の性的要求とセックスから学ぶことができます。

      雄牛と雌牛の大群が草を食べながら草原をはいかいします。普通雄牛は,性的目的をもって雌牛に近づくことなど考えません。もしそうしたなら,歓迎されるどころか,雌牛の角で突かれるかも知れません。雄牛と雌牛の間にはペッティングとか性的関係はゆるされていません。それは雌牛のからだが子を産む状態にないからです。雄牛もそれを知っているらしく,雌牛に近よろうとしません。しかし,子の産める状態になったなら,雌牛はそのことを知らせます。群れの中に雄牛がいないなら,ほかのところにさがしに行き見つけるまでは落ち着きません。交尾したら雌牛は満足し,その最後的結果として子牛が生まれます。この点でおもしろいことは,雄牛が生殖行為をしたがらない季節がないということです。

      もし,私たち人間が,これらの動物から教えられるなら,性に関する重要なこと,その目的,その行為の結果を学ぶことができます。

      雌牛の場合と同じように,思春期に達した若い少女のからだは,妊娠できる状態にあり,性的感情が非常に強くなっています。もしある少年と交際しているなら,この喜ばしい新しい気分は,その「ボーイフレンド」の親切からくるのだと考えがちです。ですからその少年に夢中になってしまいます。ボーイフレンドが性的感情を起こして彼女にそのことを知らせるなら,その好色なボーイフレンドのいう通りに身をまかせてしまいます。1回だけのそうした性行為でも妊娠するかも知れません。

      ある人は,愚かにも異性と性行為をしても妊娠しない「安全」な時を知っていると考えていますが,それはたいへんなまちがいです。その道の生物学者さえ,女性が妊娠しない時を正確には知らないのです。これは,女性の側のある不定期性に原因するものです。

      卵子 ― これから赤ちゃんがはじまる ― が成熟した時,あるいは卵巣から卵管を通って子宮に行く時にある時間卵管の中にいます。この時間が人によって非常に異なるのです。卵子と精子がいっしょになった時に受精がおこるわけです。それと同じ時に,男性が性的感情を起こして性行為を行なうなら,赤ちゃんが生まれることになります。子供を生むことは女だけがもつ特権です。実際のところ,これだけが,人間の女性を創造したおもな理由なのです。

      少女が少年と1回性行為をしただけで妊娠した例はたくさんあります。2,3分間性的感情を満足させるのに,処女の少女は,たいへんな値を払わねばなりません。危険で罪深いこの道に足をふみいれると,将来やってくる誘惑に打ち勝つのをむずかしく感じるようになります。誘惑に陥った未婚の若い少女が払う値はひどいものです。恥じ,悲しみ,汚名,多くの問題などがすなわちそれで,もし献身したメンバーであったなら,会衆から排斥されるという危険もともないます。少女は,自分のからだの構造とその機能を,特に性に関することがらをよく理解していなければなりません。そして,卵子が成熟して,性的に心を動揺させ,欲望を起こさせる間も,理解をもって自分を処すなら,品行正しいほんとうのレディのように行動することができるでしょう。そして処女性をけがすことや,それによってくる恥や良心のかしゃくを避けて,清く幸福な妻,正当な子どもたちの母親となり,性に夢中になっている人々のもつ性の問題など少しもない,義の住む新しい世へと進んでいくことができるように,若い時代を賢明に過ごすでしょう。

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