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『こうべを上げ』て救いを知らせるものみの塔 1969 | 4月15日
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気づきました。その本がシンヤンジャ語の「神を真とすべし」であるとわかったときの兄弟の喜びと驚きを想像してください。兄弟はそのボーイを自分のへやに呼び,ボーイも兄弟であることを確かめました。二人の兄弟は互いにあいさつし,秘かにともになったことをいかに喜び合ったことでしょう。やがてお客の兄弟は,このボーイとやはり献身した兄弟である他のボーイが,給仕の合い間を利用して他の二人のボーイと聖書研究をしていたことを知りました。
次の経験が示すように,確固として妥協しない兄弟たちは非常に強められてきました。青少年政治活動の一員が兄弟たちの家を捜査し,兄弟たちに罪をきせるような文書を発見しようとしていました。ある村で彼らは「良いたより」の小冊子を読んでいた一兄弟を捕え,他の兄弟の家から数冊の「ものみの塔」誌を見つけました。そして二人の兄弟をつかまえて,その地の警察に連行しました。次の日,どこからその禁止された文書を入手したかを尋問するため,もっと大きな警察に連れて行かれ,「どうしてお前たちはそのような不法な本を買い入れたのか」と尋ねられました。一人の兄弟は,「失礼ですが,あなたはこの雑誌に何が書いてあるかをご存知ではありません。わたしたちはこれがとてもよい文書であることを知っています」と答えました。警官は怒って「よく聞け。これは禁止された不法の本であると言っているのだ」と言いました。兄弟は穏かに,「はいおっしゃることはちゃんと聞きました。しかしわたしたちはこの雑誌を長年読んできています。そしてこれがとても価値のある本であることを知っています」と言いました。その警官は兄弟たちをどう扱うべきかを上司に電話で尋ねたとき,「それらの人々に悪い所はない。家に帰しなさい」との指示を受けたのです。それで,兄弟たちは釈放されましたが,その経験によって非常に力づけられました。
インドネシア
人口: 110,000,000人
伝道者最高数: 1,757人
比率: 62,607人に1人
インドネシアには人の住んでいる島が3000あり,伝道するための区域は大きく分散しています。その上,交通機関が不備なため,旅行と通信連絡は容易ではありません。1968奉仕年度のあいだ,数多くの島や都市が特別開拓者によって新たに伝道されるようになりました。しかし人口の約7割はまだ伝道されない土地に住んでいます。
インドネシアではむすこや娘を都会に送って,高等教育を受けさせる親が多くいます。そうした若者たちは生まれた土地の因襲から離れるため,真理を聞いたり受け入れたりする面で不必要な妨げがありません。真理を学んだ場合に,そうした若い人々の多くは開拓奉仕を選びます。これは子供が学校を終え,学位や卒業証書を得るように願う家族から反対を受けることになります。説得やおどしがうまくゆかない場合,親は仕送りをやめ,子供は財政的に困窮します。宗教的な背景もあって反対が特に強い場合には,家族から勘当されることもあります。特別開拓者や正規開拓者の中には,こうした苦難や反対に合いながらも大学を中退した若い人々が多くいます。言うまでもないことですが,これらの人々は「良いたより」の忠実な伝道者としてりっぱに働き,羊のような人々,特にほかの若い人々を助けています。
バプテスマを受け,休暇開拓奉仕を始めた時に親から仕送りを止められたある若者は,朝家を出る時に食べ物が何もなかった日が何度もあったのを覚えています。それでも,必ず文書を配布し,お米や野菜を買って帰り,ひもじい思いをしたことは一度もありません。生きるために必要な物を備えるというエホバの約束を信頼した彼は開拓宣教奉仕を続け,今は特別開拓者として奉仕しています。
ある事務所で働き,妻と5人の子供を養っている一兄弟は,同時に休暇開拓奉仕をもしています。彼は朝,仕事に出かけるまえ自分の家族に聖書を教え,日中もあらゆる機会をとらえて職場の仲間に伝道し,帰りには乗り物の中で聖書のパンフレットを配りました。仕事の帰途に家から家に伝道する計画をたて,彼は休暇開拓を続けています。
香港
人口: 4,000,000人
伝道者最高数: 228人
比率: 17,544人に1人
奉仕年度の初めは不穏な事態のため,いつもの年より証言のわざは困難でしたが,時が経つにつれ,生活は平常に復しました。香港は物質の面で大いに繁栄しており,大多数の人々は生活の物質面に心を用い,物質の富をたくわえることこそ安全の道であると考えています。昨年中何人かがエホバの組織を離れました。その理由は,「真のクリスチャンとしての生活に伴う損失は大きすぎる」というものでした。香港を去って他の国に行った人もいます。そのため一昨年より伝道者の数は減少しました。しかし時の緊急さを認識し,「良いたより」が中国人にも伝道されなければならないと理解している,すぐれた一群の伝道者が今もこの地で働いています。
エホバの組織から離れた者が戻るのを助けるため,十分の個人的な注意を払うことの大切さはどんなに強調しても強調しすぎるものではありません。6年ほど前のこと,真理に対して深い愛と認識をいだいているかに見えた一人の若い姉妹は,突然すべての交わりを断ちました。それは,真理に反対していた両親にしいられて,ある男性と結婚し,夫のおばの家で暮らすことになったためです。そのおばも真理の大の反対者でした。会衆は円熟したある姉妹が彼女を訪ねる取り決めを設け,定期的な訪問を通して彼女を励ましました。やがてその人は引っ越していまい,もはやどうすることもできないように思えました。ところがある日,その人を援助してきた姉妹に一通の手紙が届いたのです。その手紙には,以前激しく反対していたおばが死んだので,今やだれかに自由に訪問してもらえると書かれていました。そして彼女は真理から離れたことを悔い,真理の道に戻りたいとの熱烈な願いを述べました。そして,兄弟姉妹たちに自分を許していただき,研究を再開して,霊の思いを取り戻すことを助けてほしいと願い出たのです。すぐにこの婦人との連絡が取られ,必要な助けが与えられました。その後,巡回大会に出席し,兄弟たちの思いやりと個人的な援助に対する深い感謝を述べました。こうして真理に戻ることができました。
中国語の「神が偽ることのできない事柄」の本は兄弟たちにたいへん喜ばれました。一人の宣教者の姉妹は次のような手紙を寄せました。「毎週火曜日の晩この本を研究することが発表されたとき,以前真理に対してなんらかの興味を示した人の関心を再び燃えたたせたいとの熱意をいだきました。10年ほどまえ真理に関心を示しましたが,なんら行動を起こさなかったある婦人は,出席するようにとの招待に応じました。その婦人の子供たちは成長ざかりでしたから,彼女はなんとかして聖書を研究したいと願っていたところのようでした。それで私がこの機会をとらえて,家族全員で聖書を研究するよう提案したところ,婦人は直ちに応じました。今では,夫と3人の子供を含め家族全員で研究をしているだけでなく,その婦人はすべての集会に出席し,戸別訪問の宣教にも参加しています」。
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読者からの質問ものみの塔 1969 | 4月15日
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読者からの質問
● コリント前書 10章4節には,荒野におけるイスラエル人が「彼らに随ひし霊なる岩より飲みた……り」と書かれています。これはどういう意味ですか。―アメリカの一読者より。
使徒パウロは,エジプト脱出後のイスラエル人に神がなされた備えについて語りました。「皆おなじく霊なる食物を食し,みな同じく霊なる飲物を飲めり。これ彼らに随ひし霊なる岩より飲みたるなり,その岩はすなはちキリストなり」― コリント前 10:3,4。
使徒パウロはここで二通りの意味を考慮していたと思われます。つまり文字通りの意味と霊的な意味とです。
前の聖句で紅海を通過することに触れていること考えると,パウロがまず,神が荒野においてイスラエル人に奇跡的に備えられた文字通りの飲食物に言及していると思われます。エホバはイスラエル人のために定期的にマナを備えられました。この文字どおりの食物は奇跡的に,つまりエホバの霊によって生み出されたものですから,「霊なる食物」と呼んでさしつかえないでしょう。
同様に,神はご自分の霊によってイスラエル人に飲み物を備えられました。エジプトを去ってまもなく,人々は水にこと欠きました。神の指示に従ったモーセはつえを取り,岩を打って水を出し,約200万人のイスラエル人とその動物たちとに飲ませました。(出エジプト 17:5-7)40年の放浪旅行の終わりごろ,モーセが再び岩を打ったとき,この大きな会衆のために水が激しく流れ出ました。―民数 20:1-11。
文字通りに取る場合,イスラエル人は「彼らに随ひし……岩」よりどのように水を飲みましたか。モーセが最初に打った岩が40年間もイスラエル人のあとをころがってついて来たわけではありませんが彼らは少なくとも2回,つまり40年の初めと終わりごろ,神によって岩から出された水を得ました。この意味において,文字通りの水が彼らに従ってきたと言えるでしょう。あるいは,そのように多量の水が備えられたとき,それは幾分川のようになってイスラエル人に「随ひ」,もしくは彼らとともに流れたのかもしれません。それでイスラエル人は旅をしながら,しばらくの間その水を飲むことができたにちがいありません。
しかしこのことは,これら当時のイスラエル人が彼らに従うあるいは彼らと共に進む霊の備え物にあずかった方法をどのように示していますか。イスラエル
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