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人体 ― 卓越した工学の驚異目ざめよ! 1970 | 5月8日
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人はいません。じん臓は,ろ過紙・こし器・再吸収装置を完備した200万近い小体から成っており,1日に190リットルの液体をろ過できます。しかもたった2対しかなく,その各は手のひらにすっぽりはいってしまうほどの小さなものです。
次に,人体の循環系を考えてみましょう。それは,毎日の食料品や生活必需品を供給するのに必要な施設である,都市の道路・鉄道・海運施設に比べることができると思います。都市には,そのほか,下水装置,清掃や塵埃処理の取り決めや設備もあります。同様に人体には血液が循環しているため,供給物が体内の各所に運搬され,老廃物は運び去られます。
たとえば,アメリカ合衆国には,2億余の人々に食料を供給するため,何キロにも及ぶ道路が敷かれています。しかし,体内には「道路」や「輸送管」に相当する,動脈・静脈・毛細血管がなんと約16万キロにわたって延びており,生命を維持する栄養が,30兆に上る細胞に運搬されています。そして,人体の約5リットルの血液がこの膨大な経路を完全に循環するのに,どれぐらいの時間がかかると思いますか。驚くかもしれませんが,わずか1分前後です。
人体を循環する「道路」の交通規制は,完全の域に達しているといえます。たとえば,血液は一方向にしか進行できません。この一方交通が可能なのは,工学用語で「制御弁」として知られている弁が,静脈内に理想的に取り付けられているからです。血液は相当の圧力を受けて心臓から送り出され,動脈を通って毛細血管に達します。下端部から心臓への帰路につく血液は低圧のまま,脚や胃腸筋肉の働きにより,静脈を伝わって上部に押しやられます。そうした筋肉の緊張や収縮運動により,血液は静脈間を流れます。筋肉運動に加え,「制御弁」の働きにより,血液は心臓に向かって流れてゆきます。
しかし,何千キロに及ぶ体内の循環系統各所に,等量の血液が供給されるのはどうしてですか。それは液体がある特定の目的で循環している導管装置には共通の問題です。たとえば,建築物各所に設置された暖房用のラジエーターに熱水を送る際,個々のラジエーターに流れ込む水量の調整が問題になります。装置全体に等量の水がゆきわたるようにするには,絞り弁あるいは調整弁を取り付けねばなりません。
体内を循環する血液の量を一様に保つ場合も同じで,体組織や器官内を通る小動脈内にあるコックが調整の役割をしています。それらが,心臓からの距離にかかわりなく,血液の流量を制御します。それらのコックは各臓器に送られる血液の流れを適当に制御するほか,必要ならば臨時に開き,通常以上の血液を送ることもします。人体の内部では,最高の水力工学と輸送技術が確かに数々の驚異を織り成していることがわかります。
温度および環境調整
現代の工学者は,極度の寒暑にもかかわらず,外部の気象状況と無関係に室内が一年じゅう適温に保たれるような建築物を造ります。しかし,もっとも精巧な環境制御装置といえども,人体には比べものになりません。人体は自動温度調整をみごとに応用しながら体温を調節します。周囲の気温にかかわりなく,人体の自動温度調整装置は体組織の温度を36.7度から37.2度に保ちます。
寒い冬には,ある種の燃料をもやすと熱が得られることをご存じでしょう。燃料がもえると,その燃焼過程で起こる酸化作用によって熱が放出されます。しかし人体の場合はどうですか。体内で「火」が燃えるわけではありません。ではどのようにして熱が発生するのですか。
実際には人体も燃焼の過程を利用し,酸化作用によって熱を得ているのです。体内にぶどう糖が生成され,その分子が体内で分解される結果,エネルギーが放出されます。そうした体熱の発生現象が,新陳たい謝として知られているものです。
さらに寒気にさらされると,筋肉が緊張するのに気がつかれましたか。それも人体の発熱方法の一つで,その場合筋肉が使用されます。からだが冷えてくると震えはじめます。筋肉の緊張と震える作用の意義について,有名な生理学者アーサー・C・ガイトン教授は,「生理医学の教科書」と題する本の中で次のように述べています。
「その結果筋肉のたい謝が行なわれ,発熱速度が増加する。震えはじめる前でさえ,体内の総発熱量が50%ふえることも珍しくない。からだが震えはじめると,発熱量は通常の200ないし400%も増加する」。
身体の発熱装置に劣らず驚異的なものに,冷房装置があります。暖気に接すると,人体は発汗します。つまり人体は蒸発作用によって,熱を発散させているわけです。現代の冷却装置の主要原理の一つとなっているのは,本質的には蒸発現象です。水が蒸発すると,水が気化するために冷却現象が起こります。しかし,工学者がこの原理を応用しはじめるはるか昔から,驚嘆すべき人体はそれを使いこなしていたのです。
高等光学
人間の目の水晶体は,もうひとつの驚異といえます。水晶体をとおしてさまざまな形状が知覚され,網膜の上で焦点が合わされます。目の焦点を合わせる作用は,写真機の光学装置に似ています。水晶体も写真レンズも,距離を調節するのにその形を適当に変えます。しかし,写真機は手で調節しなければなりませんが,目のほうは焦点距離に合わせて,その厚みと湾曲率を自動的に調整できます。
人間の視覚に関してさらに興味深いことがあります。それは,ある物体が人間の目の水晶体のような凸レンズを通過する場合,その像は倒立像,すなわち,さかさまに映るということに関係があります。網膜の上に像が結ばれ,次にそれが脳に送られる過程でも同じことが起こります。しかし,人間の脳は自動的に映像を解釈するので,外界がさかさまに見えることなく,正常に映ります。これも,人体の機能がいかに精巧であるかを示す別の例にすぎません。
こうして簡単に人体を調べるだけでも,それが工学の見地からいかに驚異的なものであるかが理解され,わたしたちは人体の偉大な創造者の知恵に心を打たれます。理知を持つ正直な人ならば,昔の聖書の詩篇作者と同様,こう神に語りかけずにはいられないでしょう。「われなんぢに感謝す。われは畏るべく奇しくつくられたり」― 詩 139:14。
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「あなたを喜ばすために求めるのですよ」目ざめよ! 1970 | 5月8日
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「あなたを喜ばすために求めるのですよ」
◆ 自分の人格を改めることを願う人にとって,神のことば聖書はすぐれた助けとなります。次の経験はこのことをよく示しています。レユニオンでのこと,ある全時間の宣教奉仕者は戸別伝道で,若い婦人に「とこしえの命に導く真理」と題する本を配布しました。その婦人は,「あなたを喜ばすために求めるのですよ。夫は宗教に全然関心がありませんわ」と述べました。再び訪問した開拓者は,その婦人の主人が示した反応に驚かざるを得ませんでした。開拓者が驚いたのも無理のないことです。主人はこう述べました。「あの本を読み終えましたが,エホバが人間のため,御国の下に用意された数々の祝福を知って,わたしはほんとうに驚きました。ほんとうのところその時まで,わたしは正義の世界などは決して存在し得ないと確信していました。手をこまねいているわけにはゆきません。妻とわたしは聖書を研究することに決心しました」。1週間後,ふたりはすべての集会に出席するようになり,その夫は2か月足らずで伝道を始め,神権宣教学校にもはいりました。また村の司祭に手紙を書き,以前の教会との関係をすべて断つこと,また神のみことば聖書と一致して神に奉仕しはじめたことを知らせました。そしていろいろの点で生活を改めたため,家族はその益を受け,幸福な生活をするようになりました。夫は以前週末になると,家族を置いてひとりで狩猟に出かけたものでしたが,それをやめ,また多くの時間をかけていたスポーツもやめました。今では夫婦ともに熱心な伝道者です。夫は3人の人に聖書を教えており,ふたりは次の大会でエホバに献身を表わすことを待ち望んでいます。
― エホバの証人の1970年度年鑑より
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