暴力!―あなたにとって増し加わる脅威
見るからに神経質そうな強盗にピストルを突きつけられてその銃身を見下ろせば,だれに言われなくとも,今日における暴力の増大があなたにとって本当に脅威であることを身にしみて感じるでしょう。心臓は早鐘を打ち,冷や汗がたらたら流れます。恐慌に近い状態の中で,生きてこの場を逃れることができるだろうかと考えます。冷たい,無情な銃身は何の憐れみも約束しません ― じっと見つめる暴漢の氷のように冷たい目も。暴力行為の増えていることを示す最新の統計がまさにそのとおりであることを,あなたは極めて説得力のある不愉快な方法で思い知らされたのです。
上記のような場面について自分がただ読んでいるにすぎないことをうれしく思いませんか。もちろん,そういう経験を実際にすることがないよう望みますし,その可能性にいつもおびえて暮らすのも確かに何の益にもなりません。しかし同時に,今起きている事柄に目をつぶるのも無謀な行為と言えるでしょう。
情報に通じた人であれば,わたしたちが暴力の時代に生きていることをすぐに認めるでしょう。それでも,自分自身が銃身を見下ろしているのでない限り,その事についてはあまり心配しないかもしれません。しかし,暴力行為に遭遇する可能性が現実にあることを無視すべきではありません。a 多くの国では現在,路上その他の公共の場所で婦女暴行や強盗に遭う恐れは常に存在するのです。政治不安や労働不安が突如暴力行為に発展することもよくあります。また,(善意から出ているとしても)一触即発の可能性を含んだデモ行進や,故意の傷害の中でも最も無分別な暴力行為である予測できないテロ行為などがあります。
しかしそれだけではありません。家庭内で,家族の者に対するひどい暴力行為があればその影響をまさに身をもって経験することになります。トロント・スター紙のある記事は,「増加する暴力」という見出しで,カナダには「暴力を振るわれる妻が毎年49万人ほどいる」と伝えました。また米国では,殴られる妻が毎年200万ないし600万人,自分の親族に虐待されるお年寄りが50万人います。また米国の国立児童虐待・放任対策センターによると,「虐待され放任される子供の実際の数は毎年……少なくとも100万人に上る」ということです。ですから近ごろでは,「自分の家庭の中で,自分の親族に殺されたり,危害を加えられたり,襲われたりする可能性のほうが,他の社会的状況の中におけるよりも高い」と,ある社会学者は述べています。
こうした事に加えて,スポーツ競技の際にファンや選手が同じように演じる暴力行為が増加の一途をたどり,テレビ番組や映画やビデオカセットなどに現われる暴力場面が計画的に増やされており,そのうえに昔ながらの暴力行為である戦争や革命があることを考えると,世界は本当に狂ってしまったのではないかと考えざるを得ません。そして,次のような疑問がわきます。なぜ今の時代はこんなにも暴力的なのだろうか。いつの時代にもこのような状態だったのだろうか。それとも,わたしたちが目にしている事柄には特別の意義があるのだろうか。この暴力の時代の狂気から永久に逃れる方法が何かあるだろうか。
次の記事はこうした疑問に答え,より良いものを指し示す目的で書かれました。わたしたちはこの記事が,この増大する脅威に対して,情報に基づいた,そして平衡の取れた見方を得るのに役立つことを願っています。
[脚注]
a 「目ざめよ!」誌の1980年1月22日号の7-11ページには,暴力犯罪の増加に起因する不幸な結果を避けるためにどうすればよいか,優れた提案が載せられています。