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神の目的とエホバの証者(その28)ものみの塔 1961 | 10月15日
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は,ジャッヂ・ルサフォードが「その教会の教えを悪く表わし,宗教的な憎しみと偏見をかもす」という主張に基いている。
ジャッジ・ルサフォードは,いかなる制度の教えをも悪く示していないと多数の人は信ずる。カトリックの高職者が反対しているのであるから,彼らの教えを公開で論じ,WIPで放送して見てはどうであろうか。ジャッジ・ルサフォードは一方の例に立ち,ローマ・カトリックの高職者は反対の側に立って論じ合うとりきめである。人間の救についての聖書の教え以上に一般人の興味をひき,便益なもの,および必要なものはない。それは当面の問題である。公正な心で物事を判断する人は,格別の興味を示している。したがって我々は,そのような公開の論議が取りきめられ,かつジャッジ・ルサフォードの話がWIPで放送されるよう貴下に請願し,希望するものである。i
さて,このヒラデルフィア請願を支持するものとして,全国的な運動,第3番目の最終的な企てがなされ,言論の自由という大切なことについての政府の無活動に抗議することになりました。この請願は,次のような文面でした,
アメリカ合衆国の連邦通信委員およびラジオ放送局への請願状。
ローマ・カトリックの新聞は,ジャッジ・ルサフォードが人間の救いについてのカトリック教会の教えを悪く示していると理由を申し立てて,同氏のラジオ放送に抗議を立てている。幾百万という人々は彼がカトリック教会の教えを悪く示していないと述べ,さらに他の多くの人々は真理が何であるかについて当惑している。
人類の救いは,すべての人にとつて極めて肝要であり,我々はその事の真相を論理的に,かつ十分に論議されるのを聞きたいとのぞむ故,またこのことは一般人の興味を引くと共に人々の便利と必要をはかるものである故,そして,これと類似の請願状がヒラデルフィア・ラジオ放送局WIPに提出された故に,我々はこのことについての公開討論を取りきめるよう強く要求するものである。その討論の一方はローマ・カトリック教会の高職者,他方はジャジ・ルサフォードである。我々は,連邦通信委員が,1934年の通信法第303条(節)にもとづき,その権威を行使するよう請願するものである。すなわち,このことにつき「一般人の益のためラジオをいっそう大きぼに,かつ効果的に使用することを励ます」ことである。我々は,アメリカ合衆国のラジオ放送局が署名者の住む地の放送局だけでなく,全国的にその対論を放送するように請願するものである。
第3番目の全国的な請願は集計され,263万人の署名者たちは,広範囲にひろまったおどしとボイコットという反アメリカ行動に抗議を申し立てたのです。この請願は,1936年11月2日,ワシントン・D・C・の連邦通信委員に提出されました。j 幾百万人の署名者たちのしたこの要求は,ふたたび無視されました。k
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タイ国で良いたよりを伝道するものみの塔 1961 | 10月15日
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タイ国で良いたよりを伝道する
タイ国のバンコクにある支部事務所は大きな地域内のわざを監督します。神の御国の良いたよりをひろめるために新しい国々が開かれているのを見るのはよろこばしいことです。タイ国,カンボジア,ラオス,そしてベトナムから報告は協会に来ます。ここでは宣教者はたくさんの問題と取りくみます。
ある場合には,真理を理解して受けいれるために,読み書きを教えることも必要です。そのことは次の経験からも分かります,「昨年のものみの塔運動期間中,私はみすぼらしい家を訪問しました。夫婦は耳を傾けて良く聞きました。聖書の話を終えて予約を提供したとき,両人は字は読めないし,お金もないと言いました。この障害をどう克服しましょうか。ともかく予約して,友人か子供のひとりに読んでもらってはどうかと提案しました。お金の方は問題になりません。物々交換として同じ価値の品物があるからです。良く考えてから両人は予約しました。2度訪問してから研究が始められ,読むのは私の仕事でした。間もなく奥さんの方が「ものみの塔」研究に出席し始めましたが,私は彼女がかなり良く節を読んでいるのに気づきました。いまでは隣人は,彼女が真理に興味を持ったのが原因で,読むことを学び始めたのにびっくりしています。真理の面での進歩もたいへん良いものでした。最初に会った時から,彼女と夫は移転しました。それまでは,悪鬼崇拝をしていた親族たちといっしょに生活していたのですが,彼女はこれ以上共同生活するのは良くないと考えたからです。彼らの家の所有主は,家賃を取り立てようとしません。なぜなら,その家はそこで死んだ人々の霊で取りつかれていると考えられているからです。しかし,彼女はそのような霊のことをもはや信じておらず,すこしも心配しません。『新しい宗教』によって彼女が持った勇敢さに近所の人はおどろいています。そして,このことがきっかけで彼女はみなさんに証言することができました」。―1961年のエホバの証者の年鑑より
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