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リオの国際歌謡祭り目ざめよ! 1971 | 8月8日
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れた。人々の一般的な好みにしたがって選択する「人気」審査員である。
1970年には,二組の審査員の選択はかなり接近したものであった。しかし,専門家の審査員の意見が有力である。多くの人が望んだとおり,受賞曲はロマンチックなタイプのものであった。アルゼンチンの出しものであったある貧しい農夫のことを歌った民謡が意外にも「金のおんどり」を獲得し,ユーゴスラビアのロマンチックなメロデーが2位を獲得した。ブラジルの曲は,対照に富む,絶叫個所の多い『ソール』ワルツで3位であった。最優秀歌手,作曲家,作詩者,指揮者,管弦楽作曲家,コンボなどにもトロフィーが贈られた。
音楽の質の低下に対処
音楽が人々,とくに若い人々を捕える強い力を持つことには疑問の余地がない。現在の傾向としては,大きな音を出す,ビートの強い“ホット”音楽が好まれている。彼らは音つまりリズムを好むので,なかには歌詩が自分自身の思想や信念を表現しているかどうかに関心をもたない人もいるだろう。しかしクリスチャンの若者は,ポピュラー音楽に危険があることを忘れてはならない。まず「英雄崇拝」がある。歌手や演奏家は英雄ではないが,未熟な若者は彼らを英雄にしたてる傾向がある。たとえば,有名な歌手であったジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンが,麻薬の乱用とかで死んだとき,二つの音楽祭のトロフィーに彼らの名を付けたらどうかという提案が出された。しかし,未成年者の問題を担当している数人の裁判官は音楽祭のときに討論会を開き,このことを「嘆かわしい例の称揚」と呼んだ。
第二に,歌詞はどんな内容だろうか。いんわいな,不道徳な考えを表現していないだろうか。「ボサ・ノバ」や他のブラジル音楽のように,偽りの宗教と関係はないか。少し前に流行した「アクアリウス」は占星術をたたえる歌であった。占星術は,異教国バビロンの宗教に起源をもつ一種の占いで,聖書では非とされている行為である。(イザヤ 47:13,14。黙示 18:21-23)したがってこの種の歌は,真のクリスチャンにはふさわしくない。
音楽は人生の最重要な事柄ではない,ということも若い人たちはおぼえておかねばならない。レコードを取りかえては,「最新ですごいホット」な曲をかたはしから聞いていたら,時間とお金はどうなるか。真のクリスチャンは,こうした音楽の問題にも平衡を保つ必要がある。
第5回国際民謡祭自体も,音楽の質の低下という一般的な傾向からのがれることはできなかった。先回の音楽祭を司会したブラジルの有名な歌手ウイルソン・シモナールは,「第5回歌謡祭は実にひどかった。だから6回目が開かれるとはとても考えられない」と言った。
それは少し言いすぎだと考えた人も多かったが,彼が国内の部と国際的な部でうたわれた一部の歌のことを言っていたのは明らかである。音楽の質が低下していても,わたしたち個人は良いものを選択して,いまでも美しい音楽を楽しむことができる。
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変化した壁の標語目ざめよ! 1971 | 8月8日
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変化した壁の標語
● インドネシアのあるイスラム教徒の家の壁には,「コーランを毎日読みなさい」というアラビア語の標語が書かれていました。エホバの証人の一奉仕者は,ものみの塔協会の雑誌を配布したその家を再び訪問して,「失楽園から復楽園まで」と題する本を用いて家庭聖書研究を始めました。ところが今ではその家の壁には,「聖書を毎日読みなさい」「『あなたがたはわたしの証人である』とエホバは言われる」その他の標語が書かれています。3か月間聖書研究した後,その家の主人は自分の家を会衆の書籍研究のための場所として提供しました。その人は音楽家なので,自分の7人の子どもたちに王国の歌を教えました。現在,その家族は真理のうちにそろって良い進歩を遂げています。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
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