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『すべての国の民への証言』ものみの塔 1968 | 11月15日
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かれはイエス・キリストが全世界を支配する力を持っておられることを教えられたのです。それから,かれは党の資金調達に関する献金名簿を返還し,次いでローマ・カトリックの伝道者のところに行き,自分が今ではエホバの証人であることをつげ,十字架と祈祷書を返しました。その後間もなくこの新しい兄弟は休暇開拓者となり,この報告が書かれた時には開拓者の姉妹と結婚して,現在では兄弟自身も正規開拓者として働いています。
多くの巡回のしもべは不活発あるいは弱い伝道者を訪問するために一層多くの時間を用いられるようになった新しい取り決めに感謝を表わしています。一人の巡回のしもべは自分の巡回区で合計120人の弱い人々を訪問し,そのうち100人が定期的な伝道者となり,「ものみの塔」誌の購読を申し込んだと報告しています。別の巡回のしもべは過去24か月の間,自分の巡回区で28人の不活発な人が,援助の結果再び定期的な伝道者になったという喜びを伝えています。巡回のしもべたちがこの取り決めに従ったことは,確かに本奉仕年度のすばらしい拡大に貢献しました。
シリア
人口: 5,067,000人
伝道者最高数: 137人
比率: 36,985人に1人
この1年を成功させようという決意をもってシリアの兄弟たちは奉仕年度を始めました。新年早々北部地方でエホバの証人として知られる各人に対して,官憲による取り調べが行なわれました。エホバの証人の宗教はこの国では承認されていないので,官憲は証人たちのしていることを知りたいと望んだのです。その後一人一人に関する報告書がそれぞれ政府首脳陣あてに送られましたが,兄弟たちに明らかになったところによると,報告はいずれの場合もきわめて有利なものであったそうです。兄弟も姉妹も各々評判が良く,誠実で信心深いと報告されたのです。このため,エホバに仕える人々を投獄させ,またその伝道のわざを中止させる目的で,政府官憲に証人を中傷し続けてきた宗教関係の反対者に対して,兄弟たちはよい解答ができるようになりました。
そうしているうちに,6月の最初の週,中東に戦争がぼっ発しました。シリアに戒厳令がしかれ,それに続いて緊迫した空気がみられるようになり,神の国を伝道する際兄弟たちは特に注意深くしていなければならなくなりました。人々はもはや霊的な事柄に関心を示さなくなり,身近な戦争の進展にすっかり心を奪われていました。真理に敵対する人の中にはそうした情勢を利用して,数名の兄弟をスパイだと密告する者もいました。警官は告発された兄弟たちの家を捜索し,その後,老齢の監督,その妻と娘,そして二人の特別開拓者を含める7人を投獄するために連行しました。もちろん,その家宅捜索から,兄弟たちの有罪を決める証拠は何一つ得られませんでした。これは戦争の始まった日,6月5日に起こったことですが,その日おそく,一人の特別開拓者はもう一人の人と一緒に釈放されました。特別開拓奉仕を始めてわずか2か月目でしたが,この姉妹は臆せず区域内の「羊」のような人を援助し続けました。投獄された人たちは拘留理由が明らかにされないまま,何日も尋問を受けました。警官たちには,かれらが危険人物でもなく,また何ら罪にあたるようなこともしていないことがすぐわかりましたが,逮捕は上司からの発令なので,釈放手続きも正式な手順を踏まねばなりません。警察の話だと,それには二,三日かかるだろうということでした。しかし,何はともあれ戦争で国中が沸き立っている際ですから,重要なこととはいえ,この種の問題を官憲に取り扱ってもらうのは大変むずかしいことです。従って,兄弟を釈放させるための努力は続けられているのですが,この報告を作成している数か月後の今でも,なお5人の兄弟は投獄されたままです。しかし兄弟たちはそこでも忙しく働いています。多くの囚人や護衛たちが神の国について学んでいます。中には初めてそのことを聞く人もいます。わたしたちはこの兄弟たちにエホバの祝福があるように祈り,早く解放されるよう希望しています。
イスラエル
人口: 2,664,400人
伝道者最高数: 126人
比率: 21,146人に1人
昨奉仕年度は,神権的な活動の多彩をきわめた,かつ実り多い年でした。「六日戦争」の間,徹底した灯火管制や,交通制限が実施されたにもかかわらず,集会に出席するために特別の努力を払って,非常事態に対処し,また諸問題が永遠に解決される聖書の確かな希望を伝える機会を努めて捕えようとする兄弟たちの働きから大きな励みを得ました。兄弟たちが大変驚いたことに,多くの親類や知人がやって来て中東戦争の意義に関する聖書の見解を教えてほしいと願い出たのです。その中のある人々は,以前,「福音」に少しも関心を示さなかった人たちでした。その当然の結果として,御国の希望について話し合う道が開かれたのです。
この国の兄弟たちにとって,「六日戦争」は,思いもよらぬすばらしい結果をもたらしました。それは,国境線が変更されたので,イスラエルと,以前アラブ連合の領土にあった諸会衆とが喜びの中に再会する道が開かれたことです。およそ20年間,国境線の両側の伝道者たちは,実際のところ連絡できなかったのです。しかし今や互いに訪問できるようになり,協会のF・W・フランズ副会長の訪問中には,エルサレムで合同の大会を開催できました。8月初旬,いろいろな会衆と孤立した群れのほとんど全部の伝道者と,外国からの少数の訪問者とがこのすばらしい大会に出席しました。それは,最近の戦争のために一層激化し悪化する不信の念や偏見の全く見られない,国際的で人種間の障壁のない集まりでした。アラブ人とユダヤ人の別なく兄弟たちが互いに楽しく交わり,ことばの通じる範囲内で経験やニュースを話し合う光景は実にすばらしいものでした。そのような心からの純粋な一致を生み出し得たのはエホバの霊だけです。
エホバという尊い御名を言い表わすことにより,エホバの民はなんと明白に見分けられるでしょう! 近年,アラブ領内の諸会衆は,シオン主義運動を行なっているとして偽りの容疑で訴えられ,政府の手でわざは禁止されましたが,集会と野外奉仕活動は組織されてきました。当局者はその種の告発の根拠として,エホバという聖なる御名の使用されていることを指摘しています。しかし興味深いことにエホバの御名を口にするユダヤ人はイスラエル国内に一人もいません。もし口にしようものなら,多くの人々は直ちにその人々をキリスト教国に属する者と見なしてしまいます。それら多くの人々はキリスト教国の手で苦しめられてきたため,その制度を憎んでいるのです。人々が神の御名をあまりにも知らないため,兄弟たちは家から家の宣教に際して,「エホバの証人」とは「神の証人」の意味であると説明しなければなりません。それに加えて,キリスト教国と真のキリスト教の組織とは異なっていることを絶えず説明する必要もあります。
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読者からの質問ものみの塔 1968 | 11月15日
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読者からの質問
● コリント前書 1章17節の記録によると,キリストが自分を遣わしたのは「バプテスマを施させん為にあらず」,と使徒パウロは言っていますが,それはなぜですか。パウロは信者にパプテスマを施したのではありませんか。
コリント会衆内に起きた分派の問題を論じながら,使徒パウロは次のように書いています。「そはキリストの我を遣し給へるはバプテスマを施させん為にあらず,福音を宣伝へしめんとてなり。而して言の智慧をもってせず,是キリストの〔刑柱〕の虚しくならざらん為なり」― コリント前 1:17,〔新世訳〕。
弟子を生み出し,かれらにバプテスマを施すようにとのイエスの命令を,パウロが深く認識していたことは確かです。(マタイ 28:19,20)パウロは広く伝道旅行をして人々を弟子とし,イエスの命令されたすべてのことを守るように人々を教えました。彼はバプテスマの重要性を軽んずるどころか,それを勧めました。―使行 19:1-5。
コリント前書 1章17節に書かれていることを理解するには,その前後関係を調べる必要があります。その前の節の中でパウロは自分がクリスポとガイオ,それにステパナの家族にバプテスマを施したことを述べています。(コリント前 1:14-16)それはキリストに認められていない自分勝手な行ないによるのではなく,マタイ伝 28章19節に記録されている命令に従ったものでした。
使徒が言おうとしていたことは,個々の人にバプテスマを施すことが自分の独占すべき,あるいは主要な任務とは考えていないということでした。キリストはパウロが伝道すべきこと,諸国民に対する「証人」となるべきことを彼に特に話されました。(使行 26:16; 9:15)パウロは人々にバプテスマを施すことができ,現に施しました。しかしその数が,おそらくあまり多くなかったとする見方には十分な理由があります。聖句の文脈を調べると,分派の生じる危険があったことがわかります。使徒たちが自らバプテスマを施すことに専念していたならば,特定な人からバプテスマを受けたクリスチャンから成る分派や徒党が形成されていたかもしれません。
このような理由でコリントの会衆に最初の手紙を書く数年前,パウロがコリントに滞在していた時に,かれは確かに数人の人にバプテスマを施しました。しかし,バプテスマはただ使徒たちによってのみ行なわれる特別な儀式ではありませんでした。また,使徒から施されたバプテスマは,クリスチャン会衆の他の男の成員によってなされたものより一層重要であったのでもありません。
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