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    ものみの塔 1976 | 5月1日
    • 「斧」と切る者

      「斧は,それをもって切る者に向かって自らを高めることができようか」― イザヤ 10:15,新。

      1,2 (イ)個人や国民をどのように用いることは,歴史の上でも珍しいことではありませんでしたか。(ロ)人間をそのように道具として用いたどんな例がありますか。

      ある事柄を成し遂げるために,ひとりの人が別の人を道具として用いるのは,別に珍しいことではありません。ある権力者が一国全体を道具として使う,つまり道具として使われる国の支配者よりも上位の人と仰がれる権力者がその国を道具として使うということは,人間の歴史の中で知られていないことではありません。

      2 例えば,エルサレムのダビデ王の場合があります。彼は,忠実なヘテ人で軍の士官であったウリヤを戦闘で見捨てて確実に死なせるため,その道具として,自分の配下の軍の将帥ヨアブ将軍を用いました。こうしてウリヤは,ダビデがその妻バテシバを犯していた事実を知らずに死にました。(サムエル後 11:1から12:9。列王上 15:5)それから英国生まれの法王ハドリアヌス四世の場合があります。西暦1155年,彼は王ヘンリー二世の治下にあったイングランドを道具にして,アイルランド全土を従わせることに着手しました。それはアイルランドの宗教指導者たちを,ローマ教皇の支配下に入れるためでした。a

      3,4 (イ)古代において,単なる手道具のように用いられたのはどの国ですか。(ロ)イザヤのどの預言の中に,アッシリアの国を道具として用いた方の名前が含められていますか。

      3 アイルランド教会の帰順より幾世紀も昔の時代に,ある強大な,高度の軍事力を有する国が,さらに大きな力を有する者に道具として用いられたことがありました。その古代の国というのはアッシリアで,アッシリアが時の世界強国,すなわち聖書の歴史の二番目の世界強国であった時のことです。それにしても,世界強国アッシリアを単なる道具か手道具のようにして用いることができた,より強力な力というのはいったい何だったのでしょうか。その力の正体は,セナケリブ王支配下のアッシリア人が西暦前732年ユダ王国の国土に侵入する少し前に,人々に知らされました。アッシリア帝国をしのぐその力の正体は,次のことばの中に含められています。

      4 「斧は,それをもって切る者に向かって自らを高めることができようか。また,のこぎりは,それを前後に動かす者に向かって威張ることができようか。それは杖が,それを高く上げる者を前後に動かし,むちが,木でない者を高く上げるようなものではないか。それゆえ,真の主,万軍のエホバは,その肥えた者たちに消耗性の病気を送り続けられる。その栄光の下で,火が燃えるように燃えることが続く。そして,イスラエルの光は必ず火となり,その聖なる者は炎となる。それは必ず燃え上がり,その雑草とその叢林とを一日のうちになめ尽くしてしまう。その森林とその果樹園の栄えを,彼は魂から肉に至るまでも終わらせるので,それは必ず病める者が溶け去るようになる。そしてその森林の残りの木々 ― それはほんの子供でもそれを書き留められるほどの数になる」― イザヤ 10:15-19,新。

      5,6 単なる道具としてアッシリアを用いるエホバの能力につき,イザヤは後ほど,どのように述べていますか。

      5 この言葉は,アモツの子で霊感を受けた預言者イザヤが記録したものです。彼はそのすばらしい預言の書を,アッシリア人がユダの地に侵入した西暦前732年ごろに書き終えました。こうしてイザヤは,その道具を用いている大いなる力が,「真の主,万軍のエホバ」,「イスラエルの光……その聖なる者」であることを断言しています。この聖なる者には一国全体を単なる道具のように用いる能力があるのでしょうか。この質問の,霊感による答えを得るために,預言者イザヤが後のほうで「真の主,万軍のエホバ」について述べていることを聞きましょう。彼は次のように言っています。

      6 「だれが手のほんのくぼみで水を量り,ほんの指尺で天の広さを測り,地の塵をますに入れ,あるいは山々を計器で量り,丘をてんびんで量ったか。……見よ! 諸国民は桶からのひとしずくのようであり,はかりの上の薄いほこりの層のようにみなされる。見よ! 彼は島々をほんのこまかい塵のように持ち上げられる」― イザヤ 40:12-15,新。

      象徴的な斧

      7 したがって,エホバと比べると,諸国民は何のようですか。イザヤ書 10章15節でエホバはご自分を何に例えておられますか。

      7 「真の主,万軍のエホバ」に比べれば,アッシリアを含めすべての国民は,桶から落ちる一滴の小さなしずくか,はかりの上に薄く積もったほこりのようです。したがってエホバは,ご自分の聖なる目的を遂行する際に,どんな国でもご自分が選ぶ国を道具として,いとも容易に用いることがおできになります。ですからエホバは,イザヤ書 10章15節の中でご自分を,切る者,のこぎりを動かす者,杖を振るう者,むちを振りまわす者に例えておられます。エホバはご自分が「木でない」ことを宣言しておられます。そうです,エホバは斧の柄でも,杖でも,むちでもありません。エホバは生きた神,それら象徴的な道具の全能の使用者であられます。では,神が切る仕事にお用いになるその象徴的な斧とは何でしょうか。

      8 イザヤ書 10章5,6節(新)で言われている「アッシリア人」は,正確に言ってだれのことですか。

      8 イザヤの預言書の同じ10章の初めのほうで,その象徴的な斧が何であるかを,エホバご自身が明らかにしておられます。イザヤ書 10章5,6節(新)にはそのエホバの言葉が次のように記されています。「ああ,アッシリア人,わたしの怒りのためのむちよ。彼らの手にある,わたしの告発のための棒よ。背教した国民にわたしはこれを差し向け,わたしの憤りの民を攻めよと,わたしはこれに命じ,多くの分捕り物を取らせ,多くの略奪物を取らせ,それをちまたの粘土のように踏みにじられる所とさせる」。そうです,エホバが明言された目的を遂行されるに当たってお用いになる象徴的な道具は「アッシリア人」です。この名称は一人のアッシリア人でも,アッシリアの帝王を指しているのでもありません。聖書預言の第二の世界強国アッシリアの国民全体のことを言っているのです。どのアッシリア人も,王自身でさえも,エホバが「アッシリア人」に割り当てた業を単独で成し遂げることはできません。そのことは,エホバがアッシリア人を「わたしの怒りのむち」と呼んだあとで,「彼らの手にある,わたしの告発のための棒」と言われている事実が暗示しています。(イザヤ 10:5,新。24節にも注目してください)このことから,複合のアッシリア人,つまりアッシリアの国民全体,とりわけ軍隊を意味していることは明らかです。

      9 イザヤ書 10章5,6節の預言の成就は今日のわたしたちにどのように影響しますか。使徒パウロはこのことをどのように示唆していますか。

      9 しかし,「アッシリア人」に関するその古代の預言と今日のわたしたちとどんな関係があるのでしょうか。それは非常に大きな関係があります。その預言は,遠い過去の事柄だけにかかわるものではないのです。それは生きた預言で,今日におけるその成就は,わたしたちすべてに影響します。わたしたちの時代においては,大規模な,そして最終的で完全な成就を見るはずです。この預言の適用は,西暦前八世紀における成就で完了したのではありません。クリスチャン使徒パウロは,イザヤ書の同じ10章の22節(新)を引用し,西暦一世紀の彼自身の時代に当てはめています。イザヤの預言にたがわず,ユダヤ人の残りの者だけがキリスト教を受け入れました。そういう理由から使徒パウロは次のように言いました。「さらに,イザヤはイスラエルに関してこう叫んでいます。『イスラエルの子らの数は海の砂のようであるとしても,救われるのは残りの者である。エホバが地上で決済をして結末をつけ,しかもそれを短くされるからである」― ローマ 9:27,28。ローマ 15:4もご覧ください。

      10 イザヤ書 10章6節(新)でエホバが言われている「背教した国民」また「わたしの憤りの民」の正体はどのように確認されますか。

      10 万軍のエホバが,アッシリア人を「むち」また「斧」として用いて攻撃させた古代の相手国はどの国だったでしょうか。このような問いが,今日のわたしたちすべてになぜ関係があるかというと,その古代の国は現代のキリスト教世界を予表していたからです。エホバはその古代の国を,「背教した国民」また「わたしの憤りの民」と呼ばれました。(イザヤ 10:6,新)エホバはこれらの言葉を,サマリアに首都を持つ十部族のイスラエル王国を形成する国民と国を指して言われました。同王国は,エルサレムに首都を持っていたダビデの王国から離反していました。その離反が生じたのは,ダビデの子ソロモン王の死後のことでした。十部族のイスラエル王国が背教していた証拠に,「アッシリア人」自身が,首都サマリアと「その無価値な神々」のことを軽べつした口調で語っています。(イザヤ 10:11,新)イスラエル王国は西暦前997年にエホバを神として崇拝することをやめたのですから,その国の王たちが持ち込んだ神々がどうして「無価値な神々」以外のものであり得るでしょうか。イスラエルは,神としてのエホバを250年以上拒み続けたのですから,エホバが彼らのことを,「わたしの憤りの民」と言い,彼らの上に「怒りのための杖」を用いることは,十分正当化されました。―列王上 12:25から13:6; 16:8-33。イザヤ 10:5,6。

      11 今日のどの宗教組織が,背教した十部族のイスラエル王国と共通していますか。わたしたちはなぜ今その組織の中にいることを望みませんか。

      11 今日のキリスト教世界は,背教した十部族のイスラエル国民と,なんとよく共通しているのでしょう。キリスト教世界が真のキリスト教を捨てて背教することは,神としてのエホバに対する古代イスラエルの反逆によって予表されていたばかりではありません。イエス・キリストおよびその使徒たちによってもそのことは直接に預言されていました。(マタイ 13:24-43。使徒 20:29-31。テサロニケ第二 2:1-12。テモテ第二 4:3,4)ですから聖書を信じている人は皆,定めの時に,万軍のエホバがご自分の怒りのための象徴的な「むち」を,そうです,象徴的な「斧」を,この現代の「わたしの憤りの民」の上に用いられることを確信を抱いて予期しているでしょう。わたしたちは確かに自分がそのような人々の中にいないことを願います。それで,「むち」と「斧」が今日何を象徴しているかを学ぶのはよいことです。

      12 (イ)エホバは,古代イスラエルに関連して「アッシリア人」を「斧」としてどのように使われましたか。(ロ)当時,アッシリアはエホバの組織とどんな関係にありましたか。

      12 預言者イザヤの時代に,エホバは世界強国アッシリアをちょうど「むち」のように振るって,背教した十部族のイスラエル王国に最後の一撃を加えられました。その破滅の年は西暦前740年でした。次いでエホバは,偶像崇拝を行なう民イスラエルを切り倒すために,世界強国アッシリアをご自分の「斧」としてお用いになりました。エホバは,アッシリアの軍隊に首都サマリアを占拠させ,踏みにじられるぬかるみのようなところにさせて,三年の長きにわたる包囲を最高潮に至らせることにより,それを行なわれました。(列王下 17:7-23; 18:9-12)ここでわたしたちは慎重に一つの特別な事柄に注目しましょう。それは何でしょうか。つまりエホバは世界強国アッシリアを,エホバの崇拝から離れた背教者を滅ぼすための器として用いられましたが,アッシリアはエホバの組織の一部ではなかった,ということです。アッシリアは,悪魔サタンの,目に見える組織の一部でした。アッシリアの地は「ニムロデの地」と呼ばれました。これはアッシリアの首都となったニネベという都市を建設したニムロデのことでした。その建設者は「エホバに逆らう強大な狩人」として悪名高い存在となりました。(ミカ 5:6。創世 10:8-12)ここで注目すべきもう一つの事実はこれです。エホバはアッシリアをご自分の「むち」また「斧」としてお用いになりましたが,このことによってその世界強国がエホバの見える組織の一部となったのではない,ということです。その世界強国はエホバを崇拝することはしませんでした。

      「斧」が切る者に向かって自らを高めようとする

      13 エホバの器として用いられることに対する「アッシリア人」の態度はどんなものでしたか。

      13 古代アッシリアには,エホバに仕えようという考えも,正しさを立証するというエホバの目的と栄光のために仕え続けたいという願いもありませんでした。エホバがアッシリアに関してさらに次のように言われたのはそういう理由からでした。「彼はそのようではないかもしれぬが,その気持ちになる。彼の心はそのようでないかもしれぬが,彼は企てる。彼の心にあるものは滅ぼし尽くすこと,少なからぬ国々を絶つことがあるからである」― イザヤ 10:7,新。

      14 (イ)「アッシリア人」はほんの道具として用いられたにすぎませんでしたが,彼自身はどんな「気持ちに」なりましたか。(ロ)その気持ちと調和して,彼は何をすることを考えていましたか。なぜですか。

      14 「アッシリア人」は,自分のために予定されていた方向とは異なる方向へ行く気持ちを持っていました。当時エホバは「アッシリア人」を,わがままな一つの民に懲らしめを与えるというご自分の目的に仕える,ご自分の手の中の単なる道具として用いるつもりでおられました。しかしそれに反して,「アッシリア人」は別のもの,つまり彼自身の野望と合ったものになる気持ちを持っていました。彼は計画を立てます。しかしそれは,かつてニムロデが反抗した神の手の中の道具として仕えるよう,彼の心が忠実に彼を動かすからですか。そうではありません。彼の心はそのようではありません。彼の心はそのような状態にはありません。エホバの正しい目的に沿って目的や計画を立てるよう彼を動かすことはしません。彼は,いわれなく動物を殺すことに興ずる猟師の喜びをもって,国々を滅ぼし絶つことを,ただ好きで企てるのです。そのようにしてエホバではなく,自分自身の偽りの神々を喜ばすことを考えます。ただただ世界を征服することに夢中なのです。エホバが彼を選んで任命するもの,つまり懲らしめを与える代理人になりたいという気持ちはありません。「アッシリア人」のその後の行状は,このことが事実であることを示しました。

      15 「アッシリア人」は,征服した誉れをだれに帰しますか。イザヤ書 10章8節から11節に記録されている彼の言葉は,このことをどのように示していますか。

      15 「アッシリア人」は,彼を単なる道具として使う全能の神を認めないので,エホバに誉れを帰することを全くせず,すべてを自分の手柄にします。十部族のイスラエル王国を覆してその首都サマリアを攻略しようとするときの「アッシリア人」にこの態度が容易にうかがえます。イスラエル人のその王国は,「アッシリア人」が滅ぼし絶つことを決意していた国の一つでした。「彼はこう言うからである。『我が君たちは同時に王ではないか。カルノはちょうどカルケミシのようではないか。ハマテはちょうどアルパデのようではないか。サマリアはちょうどダマスコのようではないか。いつでもわたしの手が,エルサレムやサマリアのものよりも刻んだ像の多いその無価値な神のもろもろの王国を取った時わたしはサマリアとその無価値な神々とにしたように,エルサレムとその偶像にまさしくそのようにしないだろうか」― イザヤ 10:8-11,新。

      16 「アッシリア人」のそうした不敬な言葉はだれに対して吐かれたものですか。どんな宗教的諸勢力があったにもかかわらず,彼は「王の王」となりましたか。

      16 これはなんと不敬な言葉でしょう。なぜなら,唯一の生ける真の神エホバに向かって侮べつ的な態度で投げつけられたからです。「アッシリア人」には,征服することを目的として自分が手を伸ばす諸都市は,すでに征服した諸都市と同じようになること必定と思えました。彼が征服した諸地域は,土地の王たちによって支配されていました。彼は今やその王たちを自分に従属する領主としました。したがって彼の君候たちは現実に「王」でした。そういう理由で彼は「王の王」として自分のことを誇ることができました。「アッシリア人」は,自分が征服した王たちを有していた諸都市に,多くの「神々」や,人間の作った多くの偶像のあることに気づきました。事実,サマリアとエルサレムの偶像よりもずっとたくさんありました。ところが,そうした神々や人工の偶像がそんなにも多くそれら非イスラエル人の諸都市にあったにもかかわらず,「アッシリア人」はそれら異教徒の都市を征服していたのです。そのことは彼がそれらの神すべてに勝って強力であった証拠ではありませんか。そうだ! と「アッシリア人」は自分に対して答えました。

      17 なぜ「アッシリア人」は,サマリアとエルサレムも容易に征服される,と考えましたか。

      17 その「神々」は存在しないも同然の無価値な神々でした。だから首都サマリアとエルサレムもわけなく征服されるはずだというわけでした。なぜなら,それらの都市には,「アッシリア人」に屈従した非イスラエル人の諸都市よりも神々や彫像が少なかったからです。王の王の「アッシリア人」はこのように推論しました。

      18 サマリアを征服するアッシリア人の能力は,どんな重要な事柄に負うところがありましたか。

      18 当時,十部族のイスラエル王国は,背教の国,宗教上の変節者となっていました。金の子牛の崇拝に転じ,異教のバアル崇拝をさえ行なっていました。サマリアはエホバをその神とせず,代わりに無価値な神々や人間が作った偶像を有していました。ですから「アッシリア人」が,三年にわたるサマリアの包囲に成功して,西暦前740年に同都市を攻略したのは,少しも不思議ではありません。この手柄により,「アッシリア人」の横柄さと,エルサレムにおけるエホバの崇拝に対する傲慢無礼はいよいよつのりました。サマリアに対して軍事的勝利を収め,略奪し,そして「ちまたの粘土のように踏みにじられる所」としたことを,そのアッシリア人征服者は自分自身の手柄にしました。無敵であるかに見える自分の戦力を誇りました。イスラエルが捨てた神の手の中にある刑執行用の道具として自分が使われていたことに,全く気づいていませんでした。

      19 そこでどんな質問が生じますか。

      19 さてここで,非常に興味深い一つの質問が生じます。それは次のような質問です。サマリアと十部族のイスラエル王国がキリスト教世界を予表していたからには,今日のキリスト教世界に関連して,背教したイスラエルの経験した事柄が,わたしたちの生きている時代にもう一度繰り返されるのでしょうか。

      帝国主義者との決済は約束されている

      20,21 イザヤ書 10章12節から14節によると,エホバはなぜ「アッシリア人」の言うことに関心を向けられますか。

      20 わたしたちはどう考えますか。エホバのみ名の置かれている都市を脅かすようなことが言われているなら,エホバご自身が関心をお向けになるべきではないでしょうか。それは当然のことです。そこでエホバは預言者イザヤにより,アッシリア帝国建設者の自己賛美の独白を突如妨げ,こう言われます。

      21 「そして,エホバがシオンの山とエルサレムでその業をことごとく成し終えるとき,わたしはアッシリアの王の心のおごりの実と,その目の高ぶりのうぬぼれに対して決済を行なうことにする。それは彼がこう言ったからだ。『自分の手の力で確かにわたしは行動し,自分の知恵でそうする。わたしには確かに理解力があるからである。わたしはもろもろの民の境を除き,蓄えられた彼らの物をわたしは必ず略奪し,わたしは強力な者のように住民を卑しめた。そして,巣でもあるかのように,わたしの手はもろもろの民の資源をつかみ,残されている卵を人が集めるときのように,実にわたしはまさに全地をかき集める。翼をはばたかる者も,口を開く者も,声高に話す者も確かにいなくなる』」― イザヤ 10:12-14,新。

      22 征服を世界的なものにするためには,「アッシリア人」はどんな戦利品を取らねばなりませんでしたか。

      22 「アッシリア人」の口から出たその言葉からすると,世界強国アッシリアが,サマリアを攻略するだけで満足しないことは明らかです。アッシリアは「まさに全地をかき集める」ことを望むでしょう。エルサレムとユダの地は集めるには良い卵でした。アッシリアの帝国主義者は,全世界を征服する力と知恵と理解力が自分にはある,と考えていました。

      23,24 (イ)「アッシリア人」が全地をかき集めるのは,どんな点で,捨てられた巣から人が卵を集めるのに似ている,と彼は考えましたか。(ロ)エホバが,このことに関しては言うべきことがある,と感じられたのはなぜですか。

      23 「アッシリア人」にしてみれば,そうすることは,驚いた親鳥が捨てていった巣から卵を取り出すのと同じように容易なことに思えたでしょう。卵を取ろうとして伸ばす侵略の手を打ち返す翼のはばたきはないでしょう。抗議の口を開くこともされないでしょう。アッシリアの軍隊が行なう略奪や強奪や追放に対して声高に不平を鳴らすこともないでしょう。それで「アッシリア人」は征服した領土を思うままにし,境界線を変えたり消し去ったり,あるいは人々を生まれた土地から追放したりするでしょう。ちょうど,生き残ったイスラエル人を,神から与えられたイスラエルの地からアッシリアに追放し,人のいなくなったその地を他の国民集団で再植民したときと同じように。

      24 エホバは,「アッシリア人」の切に望んでいた獲物が,エルサレムとユダの地であることをご存じでした。そこは,地上に残る,エホバの崇拝の最後の拠点でした。それについては,エホバにも当然言うべきことがありました。事態がそこに立ち至っては,エホバは行動を余儀なくされました。

      25 当時,シオンの山とエルサレムに,エホバが行なわれる業がありましたが,それはなぜですか。

      25 西暦前八世紀のその危険な時に,エホバは,「イスラエルの光……その聖なる者」として,シオンの山とエルサレムとにおいて,一つのなすべき業がありました。(イザヤ 10:17,新)背教の王アハズの治世中に,ユダの地は,エルサレムを含め,異教の偶像崇拝で汚されてしまいました。しかし,その子ヒゼキヤの治世の初めに,エホバの霊がエルサレムのその新しい王を動かし,国から偽りの崇拝と無価値な神々を一掃させ,エホバの神殿の立っていたシオンの山とエルサレムに,エホバの清い崇拝を復興させました。ヒゼキヤは,「アッシリア人」がサマリアを覆す五年前に統治を開始しました。そして29年間,西暦前716年まで,義をもって支配しました。

      26 エホバは今や何をする機が熟したとお考えになりましたか。これにはどのアッシリア王が関係していましたか。

      26 ヒゼキヤ王は,父アハズ王がアッシリアと結んでいた軍事同盟を解消し,その結果,「アッシリア人」とヒゼキヤの神エホバとが対決するに至りました。エホバが,神に反抗するアッシリアの王を罰し,そうすることによって,「アッシリアの王の心のおごりの実と,その目の高ぶりのうぬぼれとに対して決済を行なう」機がちょうど熟したとお考えになったのは,そのような状況の下にあった時でした。(イザヤ 10:12,新)このこととかかわりのあった王は,サルゴン二世の子,セナケリブでした。彼の長い名前には,「シンは兄弟らを増したもう」,または「シンが(失せた)兄弟らを戻したまわんことを」という意味がありました。「シン」という語は,アッシリアの月神の名前でした。

      27 エホバは,アッシリアの内部組織に干渉することなく,なおそれをご自分の象徴的「斧」としてどのように使うことができましたか。

      27 わたしたちの時代にも,セナケリブに符合するものがあります。したがって,エホバがその現代の対型的「斧」をどのように扱って切ることを行なわれるかは,研究に価する興味深い問題です。この研究を始めるに当たって,次のことを忘れないようにしましょう。つまりエホバはアッシリア帝国にそれ自身の組織を所有させたということです。エホバは同帝国内部の諸制度には干渉されなかったのです。それでもエホバは世界強国アッシリアを,ご自分の「斧」として使うことができました。ではどのように用いられたのでしょうか。アッシリアの襲撃を方向づけることにより,その象徴的な「斧」をその攻撃すべきところに誘導することにより,それをお用いになったのです。そのようにしてエホバは,ご自分が切ろうと思うものを切り倒させたのです。b

  • 反宗教的「斧」からのきたるべき解放
    ものみの塔 1976 | 5月1日
    • 反宗教的「斧」からのきたるべき解放

      1 宗教に関するどんな事実が多くの人々に示されねばなりませんか。どのように?

      今日,多くの人々が理解しかねている一つの事柄は,唯一の真の宗教があり得,また実際にあるということです。なぜ彼らはこの事実をひどくきらうのでしょうか。なぜなら,それは他の宗教がすべて偽りであることを意味し,自分の宗教もその中に入るからです。したがって彼らはその真実を強制的に示される必要があるでしょう。これは近い将来に行なわれます。というのは,その時には,世界最大の患難の最中に,偽りの宗教がすべてぬぐい去られ,ただ一つの真の宗教だけが残るからです。真の宗教は,人類史上最大の反宗教運動から救い出されるのです。

      2 すべての宗教戦争を一掃するためにエホバは何をしなければなりませんか。

      2 聖書は全人類が崇拝すべき唯一の方としてだれを示していますか。それは,エホバという定まった名前をお持ちになる至高者なる全能の神です。(ジェームズ王欽定訳聖書の出エジプト 6:3; 詩 83:18; イザヤ 12:2; 26:4をご覧ください)生きた真の神がひとりしかおられないのと同じく,その神が聖書中に啓示しておられる正しい宗教,純粋で汚れのない宗教もただ一つしかないはずです。(ヤコブ 1:27を参照)人類は一つの純粋の宗教をもって出発しました。今や全能の神が,ご自分に対する一つの正しい崇拝形式の下に全人類を一致させ,そうすることによってすべての宗教戦争を一掃される時が来ました。―ゼパニヤ 3:8,9。エフェソス 1:9,10; 4:4-6。

      3 ヒゼキヤ王の治世中に,イスラエルとユダの両王国に危機が臨んだいきさつを述べなさい。

      3 偽りの宗教がすべて滅びることは,西暦前八世紀に予示されました。その当時は,ニネベに首都を置くアッシリア帝国が,世界強国の地位にありました。この帝国の拡大が進行していた間に,サマリアに首都を持つ十部族のイスラエル王国は滅ぼされ,エルサレムを首都とする隣国の二部族のユダ王国は猛攻撃の下に置かれました。両王国に危機が臨んだのは,西暦前745年に統治を開始した,エルサレムのヒゼキヤ王の治世中のことでした。五年後,すなわち西暦前740年,十部族のイスラエル王国はアッシリアの侵略者たちの手に落ちました。その次に,しかも直ぐに落ちるかに見えたのは,隣国のユダ王国でした。しかし八年が経過しました。ヒゼキヤは依然エルサレムの王座についたままでした。また,サルゴン二世の子セナケリブが,拡大を続けるアッシリア帝国の王となっていました。

      4 イスラエルを含む諸国家の軍事力による征服は,なぜアッシリア帝国による間接的な反宗教運動であったと言えますか。

      4 この世界征服に関係したアッシリアの歴代の王は,征服された王国や国民の神々がにせものであることを暴露しました。彼らはそれらの神々が神でないこと,実在しないものであること,「無価値な神々」であることを,被征服国と国民に示しました。(イザヤ 10:10,11。列王下 18:33-35。イザヤ 36:18-20および37:12,13)そのようにして世の諸国の神々の地位を引き下げることは,サマリアおよびサマリアがその先祖アブラハム,イサク,ヤコブの神エホバを捨ててその代わりに選んだ偽りの神々とを覆すに及んで,頂点に達しました。そうした神々が皆それぞれの国民を,世界強国アッシリアの強い手から救い得なかったのは,ヒゼキヤ王がエホバへの祈りの中で言った通り,「彼らは神ではなく,人の手で作ったもの」であったからです。(イザヤ 37:18-20,新)諸国民が崇拝していた『神でないもの』に対する数々の軍事的勝利は,世界強国アッシリアによる,なんと大きな間接的反宗教運動だったのでしょう!

      現代の反宗教的代理機関

      5 アッシリアのその反宗教運動は,ずっと昔に生じたことであるのに,なぜわたしたちの時代と関係がありますか。

      5 世界強国アッシリアには分かっていませんでしたが,その反宗教運動の背後にはエホバ神がおられました。背教したイスラエル王国を攻撃した時には特にそうでした。エホバは世界強国アッシリアを,ご自分の象徴的な「斧」または「むち」として用いておられました。(イザヤ 10:5,15,新)そうしたことはすべて非常に遠い昔のことでしたが,それが預言的に予表した事柄は,必ず実現させられます。このことは近い将来に,わたしたちの世代のうちに必ず起こります。その代理機関,すなわちエホバがすべての偽りの宗教を破壊するのにお用いになるその象徴的な「斧」または「むち」は,いったい何でしょうか。遠い過去における場合と同じくその代理機関はエホバの見える組織の一部ではなく,エホバを唯一の生ける真の神として崇拝している者でもありません。聖書の巻末の文書はそれを描写しています。啓示 17章はそれを,七つの頭と十本の角を持つ緋色の「野獣」として描いています。そしてその野獣には,国際的な宗教上の娼婦,大いなるバビロンが乗っています。啓示 17章7節から12節によると,その「野獣」は第八番目の世界強国,すなわち世界平和と安全のための国際機構,国際連合であるに違いありません。

      6 「野獣」に乗っている者は何を表わしていますか。その乗り手の滅びにキリスト教世界の滅びが含まれているのはなぜですか。

      6 啓示の書の描写によると,「野獣」は,その乗り手つまり世の政治支配者すべてとひゆ的に言って不道徳な性関係を持ったこの象徴的な「女」を,滅ぼします。その「女」は,偽りのバビロン的宗教の世界帝国以外の何を表わし得るでしょうか。この宗教帝国には,キリスト教世界,すなわちサマリアに首都を持っていた,背教し変節した古代イスラエル王国の現代の相対物が含まれています。今日に至るまでキリスト教世界は,偽りのバビロン的宗教の世界帝国から離れよとの神の命令に従おうとしていません。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい。彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の数々の不正な行為を思い出されたのである」。(啓示 18:4,5)したがって,大いなるバビロン全体に臨む破滅はキリスト教世界をも抱き込みます。そのことは背教したイスラエル王国とその首都サマリアに破滅が臨んだのと同じほど確かです。

      7,8 (イ)使徒ヨハネは,偽りの宗教の世界帝国の滅びをあらかじめどのように描写していますか。(ロ)天はそれを滅ぼした栄光をだれに帰していますか。しかし,「大患難」のその始まりのあと,地上には何が残っていますか。

      7 わたしたちは今日,十本の角を持つ「野獣」がその時に偽りの宗教の世界帝国に対してすることをあらかじめ見ることができます。神のみ使いが使徒ヨハネに次のように言っているからです。「また,あなたが見た十本の角は十人の王を表わしている。彼らはまだ王国を受けていないが,一時のあいだ野獣[現在は国際連合]とともに王としての権威を受けるのである。……そして,あなたの見た十本の角,また野獣,これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせ裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼きつくすであろう」― 啓示 17:12-16。

      8 「野獣」の国際連合は気づいていませんが,エホバはこれをご自分の象徴的な「斧」として用いて,大いなるバビロンを,そうです,偽善的なキリスト教世界,すなわち十部族のイスラエル王国とその首都サマリアaに相当する現代の組織を滅ぼされるのです。そういう理由で,大いなるバビロンを全滅させる誉れはエホバに帰せられます。天では次のような叫びが響き渡るでしょう。「救いと栄光と力はわたしたちの神のものである。その裁きは真実で義にかなっているからである。神は,その淫行によって地を腐敗させた大娼婦に裁きを執行し,ご自分の奴隷たちの血について報復をなし,それを彼女の手から要求された」。(啓示 19:1,2)国際的な宗教上の娼婦大いなるバビロンに対するエホバの裁きの執行は,人類史上例のない,予告されていた「大患難」の始まりとなります。(マタイ 24:21,22)この「患難」は,キリスト教世界および残りの大いなるバビロンすべての滅びをもって終わりを告げるのではありません。まだ,七つの頭と十本の角を持つ緋色の「野獣」,エホバ神が偽りのバビロン的宗教の世界帝国のあらゆる部分を切り倒すのにのお用いになる象徴的な「斧」が残っています。

      9 国際連合は刑執行の業を行なったのでエホバの組織の一部となるのかどうかについて質問するのはなぜ妥当ですか。わたしたちはだれからその答えを得ることができますか。

      9 ここでわたしたちは,古代アッシリアに関する場合と同じように,次のような質問をしてみることができます。「野獣」の国際連合は,エホバの「斧」として用いられるのであるから,エホバの見える組織の一部となるのだろうか。これは当を得た質問です。なぜかというと,1918年の12月に,国際連合の先駆者である国際連盟は,「地上における神の王国の政治的表現」とたたえられたからです。だれがこの賛辞を呈したのでしょうか。それはアメリカ・キリスト教会連邦会議でした。その国際連盟は第二次世界大戦に関連して失脚し,そのために今日の国際機構である国際連合によって引き継がれる必要が生じました。(啓示 17:8)ローマ法王はそれを,「世界の最後の希望」と言明しました。ではわたしたちは,国際連合はエホバ神の見える地的組織の一部であると言うべきでしょうか。その答えを得るには,144の加盟国のうちの,キリスト教徒だと公言しない半数の加盟国に尋ねてみるだけで十分です。彼らが意識している限りでは,彼らはエホバの組織であること,あるいはその一部になることを望んでいません。

      10 啓示 17章13,14節が示しているように,「野獣」組織は,エホバに「斧」として用いられたあとエホバに対してどんな態度を取るでしょうか。

      10 エホバが「野獣」の国際連合を,大いなるバビロンを切り倒す「斧」としてお用いになったあと,その「野獣」機構は,「斧」を振るう者に対してどんな態度を取るでしょうか。その態度はエホバ神とそのキリストに対して友好的なものでしょうか,それとも非友好的なものでしょうか。前もってその答えを得るには,聖書の預言を調べねばなりません。その預言は,世の諸国家がいかに一致してその平和と安全のための国際機構を支持するかを,鮮明に描写しています。ですから彼らは,エホバの油そそがれたみ子イエス・キリスト,「神の子羊」の天の王国に対して共同戦線を張るのです。啓示 17章13,14節は,「野獣」とその「十本の角」について次のように述べています。「これらの者は一つの考えをいだき,それゆえに自分たちの力と権威を野獣に与える。これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼とともに征服する」。―啓示 19:19-21; ヨハネ 1:29もご覧ください。

      11 これはなぜサマリアを覆したあとの世界強国アッシリアが示す態度と合致し符合しますか。

      11 わたしたちの質問に対する答えはここにあります。大いなるバビロンに対する裁きの執行の時にエホバ神が振るわれるその象徴的な「斧」の示す態度が,預言的に描写されています。「斧」は,天におられる,それを振るう方に背き,その方に対して自らを高めようとします。エホバの油そそがれた主の主,王の王に反抗して,力を合わせて戦う諸国民は,組織的な方法でエホバ神ご自身と戦うのです。なぜでしょうか。地上における自分たちの国家主権を保持するためです。このことは,「神の子羊」イエスの誕生前八世紀において「アッシリア人」が取った行動に驚くほどよく合致し,符号します。世界強国アッシリアが,サマリアを覆して生き残ったイスラエル人の背教者をアッシリアの領土に追放したあと取った態度は傲慢無礼な,自らを高める態度でした。

      12 当時のアッシリアの「斧」は,セナケリブ王の時代にどのように行動しましたか。彼は最初のうちどの程度エルサレムを脅かしましたか。

      12 古代のその時代において,その象徴的な「斧」は,国々を征服した栄光と誉れを自分だけに帰し,それを用いた方に背きました。この横柄で傲慢無礼な行状は,セナケリブがアッシリアの帝王であった時代にその極に達しました。その強力な軍隊をもって彼は二部族のユダ王国の地に攻め入りました。(列王下 18:9-25)イザヤ書 10章28節から32節は,まさにその侵攻の道筋を真に迫った筆致で詳しく描写し,セナケリブの軍隊が,シオンの山の上のエルサレムに向かって,一地点から次の地点へと無敵の進軍を続けながら,恐怖を広めていく様を述べています。確かに同市の住民は,アッシリア軍が同市に対して手を振って脅しただけで通り過ぎたとき,さぞあんどの胸をなで下ろしたことでしょう。

      13,14 セナケリブはどんな命をうけていると主張しましたか。エルサレムの住民に対してそのようなことを言った目的はどこにありましたか。

      13 けれども,セナケリブの主な目標は,ヒゼキヤ王が「エホバの座」に座っていた聖都を破壊することでした。(歴代上 29:23)そこでエルサレムの住民を恐怖に陥れてヒゼキヤ王に反逆させ,町をセナケリブに渡させるために,一人の代表が,アッシリアのかなり大きな軍隊をしたがえて,エルサレムの城壁の前に立ちました。ヘブライ語を話すあるアッシリア軍の将は公然と,セナケリブはエホバの命を受けた者であり,エルサレムを征服するためのエホバの代理であると主張しました。エルサレムの城壁の上にいたユダヤ人たちに聞かせるために,セナケリブの代弁者は傲慢な態度で次のように言いました。

      14 『また我とても今エホバの旨によらずしてこのところを滅ぼしに上れるならんや エホバ我にこのところに攻めのぼりてこれを滅ぼせと言いたり』― 列王下 18:9-25。

      15 イザヤ書 10章15節によると,セナケリブは,エルサレムを攻撃して破壊すると脅すことにより何をするつもりでしたか。

      15 そこでエホバは確かな理由から,アッシリア人に不利な預言の中で,アッシリアの王が抱く神を無視した目的を暴露されました。「斧は,それをもって切る者に向かって自らを高めることができようか。また,のこぎりは,それを前後に動かす者に向かって威張ることができようか。それは杖が,それを高く上げる者を前後に動かし,むちが,木でない者を高く上げるようなものではないか」。(イザヤ 10:15,新)言い換えれば,象徴的な「斧」である世界強国アッシリアはいまや,偶像崇拝に用いる木の彫像などではないエホバ神を自分の道具として用いるのでしょうか。答えは否です。しかしアッシリアの王は,エルサレムとその神殿を攻め滅ぼすと脅すことによって,そうする考えでした。

      16 イザヤ書 10章16節から19節によると,アッシリアが成功しないことをご自分の民に確信させるために,エホバは何をすると言われましたか。

      16 世界強国アッシリアが,象徴的な「斧」で切ることをされる方エホバに向かって自らを高く上げることなどできないことをご自分の民に確信させるために,エホバは続けてこう言われます。「それゆえ,真の主,万軍のエホバは,その肥えた者たち[アッシリアの太った,頑丈な者たち]に消耗性の病気を送り続けられる。その栄光[または豊饒]の下で,火が燃えるように燃えることが続く。そして,イスラエルの光は必ず火となり,その聖なる者は炎となる。それは必ず燃え上がり,その雑草とその叢林とを一日のうちになめ尽くしてしまう。その森林とその果樹園の栄えを彼は,魂から肉に至るまでも終わらせるので,それは必ず,病める者が溶け去るようになる。そして,その森林の残りの木々 ― それらはほんの子供でもそれを書き留められるほどの数になる」― イザヤ 10:16-19,新。

      17 エホバはそのようなひゆ的な言葉を用いることにより,当時に関し,また近い将来に関してどのような質問を起こされますか。

      17 万軍のエホバは「イスラエルの光」また「その聖なる者」でした。それでどのようにしてエホバは,無数の雑草や叢林のようなセナケリブの地上部隊を焼き尽くし,アッシリア軍の将たちを,森林か果樹園に立つ木々のように終わらせるお考えだったのでしょうか。どのようにしてセナケリブの軍隊の木々のような将たちの数を減らして,ほんの子供が自分の十本の指で数えたあとその数を書き留めることができるほどに,残りの者を少なくされたのでしょうか。b また,現代におけるこのすべてと同一の事柄を,全能の神エホバは近い将来どのようにして成し遂げられるのでしょうか。これらは興味深い問題で,これから調べてみるだけの価値があります。

      セナケリブとヒゼキヤの対型

      18,19 「ものみの塔」の以前の号に載せられているように,セナケリブとヒゼキヤがだれを表わしていたという説明は,今も同じですか。

      18 西暦前八世紀のその預言的な劇が現代において成就するのであれば,セナケリブ王はだれを表わし,ヒゼキヤ王はだれを予表していたのでしょうか。彼らがだれであるかは,1945年4月1日付の「ものみの塔」誌(英文)に掲載された,「エホバの宇宙主権は立証された」という題の記事の中で述べられている通りで,変わっていません。その記事は,102ページの最初の節の中で次のように述べています。「キリスト・イエスは大いなるヒゼキヤです。すなわちヒゼキヤによって予表された,しかしヒゼキヤよりも偉大な,統治している王です。ヒゼキヤの侵略的な敵セナケリブは,悪魔サタンを表わしていました。セナケリブはサタンを崇拝し,サタンの世界支配のために仕えました」。この見方は,それより前の「ものみの塔」誌,1942年9月1日号の見方と一致しています。270,271ページの,「宗教が返り咲くことはない」という題の記事の中では,セブナが除かれてエリアキムがヒゼキヤ王の王室の執事に任命されたことが取り上げられていて,終わりから四番目の節の中で次のように述べられています。

      19 「ヒゼキヤ王が執事を交替させたのは,セナケリブがエルサレムを攻撃する時に生ずる,近づきつつある危機に対して備えるためでした。セナケリブは,主が神殿に来られたあと,そして主が不忠実な者たちの権力を奪い,忠実なしもべたちに恵みを与えられるときに,エホバの契約の民を攻撃する悪魔とその組織を表わしています」。―イザヤ 22:15-25をご覧ください。

      20 ではヒゼキヤ王治下のエルサレムの住民はだれを表わしていますか。

      20 では,セナケリブの軍隊の代表がエルサレムの城壁の前に立ってヒゼキヤ王をこきおろし,包囲せずに町を降伏させようとした時のエルサレムの住民はだれを表わしましたか。それはアッシリアの軍隊が,背教した十部族のイスラエル王国を滅ぼしてから約八年後のことでしたから,エルサレムに住んでいたヒゼキヤ王の忠節な民は,背教したイスラエルの現代の対型を含む現代の大いなるバビロンの中から出た,エホバを崇拝するクリスチャンたちを表わしました。彼らは,大いなるヒゼキヤであるイエス・キリストの支配下にある,エホバのメシア王国を支持する立場を取りました。―啓示 18:4。

      21 これは,預言劇の成就における,エホバのクリスチャン証人がすでに登場しているどの時点を表わしていますか。

      21 このことは,その預言劇の現代における成就の正確な時を表わしています。その時は,世の「大患難」が進行している時でしょう。キリスト教世界を含む偽りの宗教帝国である大いなるバビロンは,エホバの象徴的な「斧」によって滅ぼされてしまうでしょう。エホバのクリスチャン証人たちは神の命令に従って(背教十部族のイスラエル王国の対型を含む)大いなるバビロンの中から出たために,大いなるバビロンの罪にあずからず,したがってきたるべき「大患難」の間に彼女の「災厄」を共に受けることはありません。

      反宗教的「斧」の企て

      22 その時諸国はだれに代わって,だれに戦いをしかけますか。そしてエホバは,西暦前八世紀にされたどんな正当な問いかけを再び行なわれるでしょうか。

      22 ここで覚えておく必要があるのは,象徴的な野獣に「力」と「座」と「大きな権威」とを与えたのは,龍すなわち悪魔サタンであるということです。西暦1919年以来,その野獣に対して政治的な「像」が作られています。したがって,セナケリブがエルサレムを脅かした時は,野獣の「像」を構成する諸国が悪魔サタンに代わって,主の主,王の王である「神の子羊」に対し戦いをしかける時を表わしています。(啓示 17:14; 19:19-21)それは,ハルマゲドンと呼ばれる世界情勢の上に臨む,「全能者なる神の大いなる日」の始まる時です。(啓示 16:14-16)それは何を暗示しますか。次のことです。つまり,エホバが最初西暦前八世紀に問いかけられた次の事柄を,再び正当に問いかけ得るまでに世界情勢が進展したということです。「斧は,それをもって切る者に向かって自らを高めることができようか。また,のこぎりは,それを前後に動かす者に向かって威張ることができようか。それは杖が,それを高く上げる者を前後に動かし,むちが,木でない者を高く上げるようなものではないか」― イザヤ 10:15,新。

      23 なぜエホバのクリスチャン証人は,「アッシリア人」の現代の相対物に協力して大いなるバビロンを攻めることをしませんか。またペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会もそれをしないのはなぜですか。

      23 その時までには全能者なるエホバ神は,象徴的な「斧」を,もはやご自分に無用なものとして捨てておしまいになるでしょう。いまやエホバはそれを滅ぼす別の理由をお持ちです。(イザヤ 10:16-19)「斧」がエホバの組織の一部であったことは一度もありません。またエホバがそれを象徴的な「斧」として一時的にお用いになったからといって,そのためにそれがエホバの神権的な組織の一部になるわけでもありません。そういう強力な理由があるので,エホバのクリスチャン証人たちは,きたるべき「大患難」の間に,現代の「アッシリア人」の暴力的な大集団と協力して偽りの宗教の世界帝国を滅ぼすようなことは決してしません。また,長年エホバの証人と密接な関係を有してきた宗教法人,すなわちペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会もそれをしません。この協会は,1884年12月に法人組織となって以来,妥協することなく大いなるバビロンを暴露し,神のみ手によるその滅びを指摘してきましたが,それでもそのような協力は行ないません。

      24 (イ)エホバはペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会を,現代の「アッシリア人]を「斧」として用いる方法とは異なるどんな方法で,ご自分の器として用いてこられましたか。(ロ)この協会が,古代の「アッシリア人」を模倣して自分を高めようとしたことがその歴史の中で一度でもありましたか。あるいは「大患難」の時にそれをするでしょうか。

      24 エホバは,現代のアッシリア人の「斧」を用いる方法とははるかに異なった方法で,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会をご自分の代理機関として用いてこられました。ご自分に代わって,キリスト教世界を含む大いなるバビロンの宗教の偽りを,聖書に基づいて暴露する機関として用いてこられました。エホバは同協会を用いてすべての人々(特にクリスチャンであると公言している人々)に対し,ご自分がその偽りの宗教の世界帝国に裁きを執行しないうちに,その中から出なさい,と警告してこられました。全世界に配布されたものみの塔協会の出版物は幾億冊にも上り,現在では160以上の言語で出されています。ものみの塔協会は,これまで90年以上運営されてきましたが,エホバのみ手の中にあるこの道具はその間,自分を用いている方,すなわち自分の手の届かない高い方,主権者なる主エホバに対し,古代の「アッシリア人」を模倣して「自らを高め」ようとしたことなど一度もありません。c (イザヤ 10:15)「大患難」がぼっ発するとき,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会および世界中にあるその支部は,「野獣」の国際連合に加わって大いなるバビロンに対する激しい反宗教活動を行なうようなことはしません。

      25 (イ)現代のアッシリア人の「斧」と一緒になって自らを高めることをしようとしなければ,どんな結果になるでしょうか。(ロ)反宗教的な政治当局者は何を解体させることができ,何を解体させることができませんか。

      25 (キリスト教世界を含む)大いなるバビロンのその激しい滅びに生き残っても,協会は「斧」である現代のアッシリア人と一緒になって,その斧で切ることをする方に対し自らを高める,あるいは威張るようなことは絶対にしません。それをしなければ,今日のアッシリア人の「斧」は必ず協会と,協会が代表しまた奉仕しているエホバのクリスチャン証人に対し激しい行動に出るでしょう。キリストの治めるエホバの王国を宣べ伝える者たちに対するそのような国際的行動こそ,野獣の国際連合が,主の主,王の王である「子羊」と戦う方法なのです。(啓示 17:14)そういう形で現代のアッシリア人の「斧」は,それをもって切ることをされた方に対し自らを高めようとするでしょう。世界の反宗教的な政治当局者たちは,以前の国法によって合法化された宗教法人を解体させることはできるでしょう。しかし,世の法律によって宗教団体として法人化されているのではない世界的な兄弟関係,「仲間の兄弟全体」,エホバのクリスチャン証人を解体させることはできません。―ペテロ第一 2:17; 5:9,新。欽定訳。

      ハルマゲドンの戦争による解放

      26,27 (イ)古代の「アッシリア人」が言ったどんな言葉と似た言葉をエホバの証人たちはその時に聞くかもしれませんか。(ロ)エホバの主権を支持する人々はその時,イザヤ書 10章24節から26節に記されているどんな励ましの言葉を思い起こすでしょうか。

      26 エホバのクリスチャン証人は,ヒゼキヤ王治下のエルサレムの住民によって表わされていたのですから,西暦前732年当時,アッシリアの代表がエルサレムの城壁の前で言った傲慢無礼な言葉を思い出してみましょう。「国々のすべての神々のうちに,わたしの手から自分の国を救い出した者があるか。だからどうしてエホバがわたしの手からエルサレムを救い出せようか」。(列王下 18:35,新)昔のその預言劇が,切迫した「大患難」の後半において成就する時,忠実な霊的イスラエルの残りの者たちと,彼らの忠節な地上の仲間である「大群衆」とは,これに似た言葉を聞くのでしょうか。その危機に臨んでわたしたちは,現代のセナケリブ悪魔サタンと,地上にいる厚顔なその手先たちに条件を決めて降伏するのではなく,エホバの宇宙主権の支持者として,シオン山上のエルサレムに与えられたエホバの励ましの言葉を思い出すでしょう。

      27 「シオンに住んでいる我が民よ,むちでよくあなたを打ち,エジプトがしたようにあなたに向かってよく自分の杖を上げたアッシリア人のゆえに恐れてはならない。なおほんのしばらくの間だからである ― そうすれば,[神の]告発は終わる。彼らが衰える,わたしの怒りも。そして万軍のエホバは,オレブの岩のそばでのミデアンの敗北の際のように,彼に向かって確かにむちを振るう。その杖は海の上にあり,エジプトにしたように確かにそれを上げる」― イザヤ 10:24-26,新。士師 7:12から8:21。出エジプト 14:1-31。

      28 西暦前732年,情勢が非常に険悪に見えたとき,ヒゼキヤ王は何をしましたか。そしてセナケリブは何を予期すべきことを知らされましたか。

      28 世の「大患難」が頂点に近づくにつれ,エホバの証人にとって情勢が非常に険悪になるとき,何を期待すべきですか。西暦前732年当時,セナケリブは,偶像崇拝を行なう国民の偽りの神々が無力であるのと同じくエホバも無力であるかのように,徹底的にエホバをののしりました。(列王下 19:10-13)それでヒゼキヤ王はそのことをエルサレムの神殿にいますエホバに申し上げました。エホバは預言者イザヤを通してヒゼキヤを励まされただけでなく,その時エルサレムから幾キロか離れたリブナにいたセナケリブにも挑戦の言葉を送られました。(列王下 19:8,14-34)こうして不敬なセナケリブは,自分が挑戦した神の手にかかって惨敗するということを知らされました。ついでエホバは,真の神としてのご自身の正しさを立証すべく行動を起こされました。

      29,30 (イ)イザヤを通してエホバからとがめられて,セナケリブはどう考えたと思われますか。(ロ)次いでどんなことが起きましたか。

      29 預言者イザヤを通してエホバからそういう屈辱的な知らせを受けたあとのセナケリブの眠りは,どのようなものだったでしょうか。そういう反撃を受けたあとですから,彼は恐らく,よしあすは,このエホバという神をひどい目に会わせてくれる,と考えたことでしょう。セナケリブは約20万の軍隊をもってこれに当たるつもりだったでしょう。しかし,その前に少し睡眠を取らねばなりません。すると突如,異様な静けさが感じられました。雑草か叢林のようにあたり一帯に広がっていたアッシリア軍は静まりかえっています。その眠りは普通ではありません。何事が起きたのでしょうか。

      30 「そしてその夜のこと,エホバの天使が出て,アッシリア人の陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が朝早く起きてみると,なんと,彼らはみな死体となっていた。それゆえ,アッシリアの王セナケリブは引き揚げて,行って戻り,ニネベに住んだ。そして,彼の神ニスロクの家でひざまずいていたときに,その子アデランメレクとシャレゼルが剣で彼を殺し,彼ら自身は……逃れた」― 列王下 19:35-37,新。

      31 その古代の劇の成就において,現代のアッシリア人の「斧」は,それで切る者に対して自らを首尾よく高めることにどのように失敗しますか。

      31 アッシリア人の「斧」は,それで切る者に向かって自らを首尾よく高めることに失敗したのです! セナケリブとその軍隊の現代の相対物が,その同じ神に対し,その証人たちをまっ殺すると脅して自らを高めようとする,きたるべき「大患難」の時にも,同じようになるでしょう。古代の預言的な劇の成就として次に何が起きるか,1945年4月1日付の「ものみの塔」誌は,108,109ページで次のように説明しています。

      ……次には,エホバの神権組織の中に避難しているエホバの証人が包囲されて,アッシリア人の対型,悪魔サタンの圧倒的大軍により滅ぼされる危険があるように見えるでしょう。しかしそのような将来を心配する必要はありません。エホバはご自分の残りの者とその仲間たちのために戦ってくださいます。幾千年か昔にユダの地でなさったように,ハルマゲドンにおいてもエホバは,『ご自身と,ご自身が愛しておられる王のために』「不思議なわざ」を行なわれるでしょう。セナケリブの大軍の18万5,000を殺し,逃げ帰らせて非業の最後を遂げさせるみ使いとして仕えたあの同じ神のみ子,すなわち統治中の王なる子キリスト・イエスにより,エホバ神は戦いに出て行かれ,邪悪な挑戦者の世界機構を破壊してしまわれるでしょう。セナケリブと同じく,悪魔サタンは,地上にある見える自分の組織が完全に打ち倒されて死んでしまうのを見るでしょう。次に彼は自分の見えない悪霊の組織が崩壊し滅びるのを見,最後に自分自身が激しい滅びを被ります。どの悪霊の力も,彼を救うことはできません。

      32 エホバが象徴的な「斧」を振るい始められる時を,その時がまだこないうちから心配したり恐れたりする必要がないのはなぜですか。

      32 そういうわけで,わたしたち忠実なエホバの証人は,いつか近い将来に,反宗教的な「斧」が,わたしたちの神の全能の手の中で,大いなるバビロンに対し振るわれるのを見ることになるでしょう。偽りの宗教の世界帝国の上にもたらされる滅びは恐ろしいものでしょう。世の政治分子が反宗教的になり,不倫な関係の相手であった大いなる国際的娼婦に憎しみを表わす時,わたしたちは心配する必要がありますか。その必要はありません。世はすでにわたしたちを憎んでいます。しかし,エホバ神とイエス・キリストは憎んではおられません。エホバが反宗教的「斧」を振るい始められるとき,それはエホバの忠節な証人たちには向けられません。大いなるバビロンが切り倒され,火のような滅びで焼き尽くされるのを見るという大きな特権をわたしたちは得るのです。その滅びのあと,反宗教的「斧」は,その使用者エホバに対して自らを高くしようとすることを,わたしたちは知っています。それはわたしたちの生存にとって恐ろしい脅威となるでしょう。しかしわたしたちはその時に,わたしたちの神を憎む人間への恐れに負ける必要はありません。わたしたちの恐れはエホバに対するものでありますように。

      33 不利な裁きを執行するためにエホバはどのみ使いを遣わされますか。わたしたち証人にとり,またエホバにとって,それはどんな結果になりますか。

      33 人を畏怖させるその時に,諸国民はハルマゲドン,すなわち人と神との最後の決戦場に到着していて全力を結集しているでしょう。(啓示 16:14-16)それは,エホバが不利の裁きを最も大々的に執行される時となるでしょう。その裁きは,エホバがその時にお捨てになる反宗教的「斧」の上に執行されるのです。その反宗教的「斧」は,自分自身をうまく動かしてわたしたちをめった切りにすることはできません。万軍のエホバは,ご自分の最も偉大なみ使い,すなわち天使長イエス・キリストを遣わして,大いなるセナケリブ悪魔サタンの攻撃軍をことごとく打ち滅ぼし,再び目覚めることのない眠りに投げ込まれます。それは,「大患難」の最高潮における,反宗教的「斧」からのなんと大きな救いとなることでしょう。しかし最も重要なこととして,それは「真の主,万軍のエホバ」にとり,いつも忠実な代理者イエス・キリスト,大いなるヒゼキヤによる,なんと輝かしい立証となることでしょう。

      34 真の宗教と,今それを実践しているわたしたちはどうなりますか。

      34 ですから,熱心なエホバの証人の皆さん,勇気を出してください。わたしたちが行なっている真の宗教,聖書に基づいた崇拝の形式が,地のおもてから一掃されることは決してありません。現在わたしたちを活発な証人として持つ唯一の生ける真の神エホバのこの崇拝と共に,わたしたちは事物の全体制の激しい終わりの時に守られて生き残り,エホバの新しい不滅の事物の体制の中に入れられるのです。そこでは,大いなるヒゼキヤ,すなわち王なるイエス・キリストの支配下で,真の崇拝が永遠に栄えるのです。

  • 生き方を変えさせたタイプの仕事
    ものみの塔 1976 | 5月1日
    • 生き方を変えさせたタイプの仕事

      ● インドで開かれた,「神の勝利」地域大会で話をするよう割り当てられた一人のエホバのクリスチャン証人は,話の原稿を職場の同僚にタイプしてもらうよう取りきめることができました。その同僚は原稿の資料に夢中になり,自分もその大会に出席できるかどうかを知りたいと思いました。もちろん出席することができ,実際に出席しました。最初の日に深い感銘を受けたその人は,会社に有給休暇の申請を出しました。許可が得られその人は大会のプログラム全部に出席しました。その後真剣に聖書を研究するようになり,エホバの証人の集会すべてに出席し始め,間もなく,自分の学んでいる事柄を他の人々に話すようになりました。家族は熱心なヒンズー教徒であり,家族からの反対に直面しながらも,その人はしっかり立ち,イエス・キリストの忠節な弟子になることを望んでいます。

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