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    目ざめよ! 1974 | 12月22日
    • を取り付けることを許すようにすればよいであろう。ふさがっているときにはそれを消しておくのである」。

      “福音宣明における文書”

      ◆ AP通信の報道によると,最近テキサスで開かれた米国南部バプテスト派牧師会議のさい,カリフォルニア州バン・ヌイの第一バプテスト教会牧師H・L・フィケットは,「福音宣明のためにもっと多くの文書を使うように呼びかけ,エホバの証人をその例として挙げた」。彼は,エホバの証人が自分たちの福音宣明の業を推進するために生産している膨大量の雑誌に言及した。1973年の間,証人たちは,およそ2億3,500万部の雑誌と2,200万冊近い書籍を全世界に配布した。

      娼婦の会合

      ◆ 700人の娼婦の会合が最近サンフランシスコで開かれた。今日,この事だけで眉をひそめる人は少ない。しかし,少なくともある人々は,その娼婦たちがメソジスト教会に集まったことを聞いて驚いたことであろう。クリーブランド・プレス紙に載った一通の手紙には,次のように書かれていた。「それはマフィアが警察の施設で会合を開いているようなものである」。

      子どもたちは学校へ行っているか

      ◆ 「親たちは,自分の子どもが教師の監督の下で安全だと考えている」とロンドン警視庁の古参警官は述べている。しかし,彼はロンドンにおける少年犯罪は,「これらわんぱく小僧たちが,学校で出席だけ取ってとん走する」ので激増している,と述べている。彼は,「無関心な」教師たちにその責任があると述べている。

  • 聖書の第52番めの本 ― テサロニケ人への第一の手紙
    目ざめよ! 1974 | 12月22日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      聖書の第52番めの本 ― テサロニケ人への第一の手紙

      筆者: パウロ

      書かれた場所: コリント

      書き終えられた時期: 西暦50年ごろ

      含まれている時代: 確定できない

      1 (イ)テサロニケ第一の書が書かれたいきさつを述べなさい。(ロ)それはいつでしたか。この手紙はどんな位置を占めていますか。

      使徒パウロがマケドニアの都市テサロニケを訪ね,その地にテサロニケ人の会衆を確立したのは,50年ごろ(西暦),彼の二度めの伝道旅行の時でした。その後一年もたたないころ,シルワノ(「使徒たちの活動」の中ではシラス)やテモテと共にコリントにいたパウロは,その地でテサロニケの人々への最初の手紙を書きました。それは彼らを慰め,彼らの信仰を築き上げるためでした。それは西暦50年の終わり,もしくは51年の初めでした。この手紙は,パウロの書いた物のうち最初に聖書の正典になったものであると思われます。そして,恐らくマタイの福音書を別にすれば,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で最初に書かれたものであると考えられます。

      2 この手紙の筆者と典拠性についてどんな証拠がありますか。

      2 この手紙が典拠の正しいものであり,損われていないものであることは,圧倒的な証拠によって裏付けられています。パウロは自分がその筆者であることをはっきりと述べており,またこの書は,霊感によるみことばの他の部分と内面的な調和を保っています。(テサロニケ第一 1:1; 2:18)この書簡は,ムラトリアン断片をはじめ,霊感による聖書の最古の目録の多くの中に名を挙げられています。a また,初期教会著述家の多くもこの本から引用したり,この本に言及したりしています。その中にはイレナエウス(西暦170年ごろ)もおり,名を挙げてこの書について述べています。三世紀初めのチェスター・ビーティー・パピルス第二番写本はテサロニケ人への第一の書を含んでおり,また,現在フランスのガンにある,三世紀の別のパピルス写本(P30)は,テサロニケ第一,第二双方の断片を含んでいます。b

      3,4 テサロニケにおけるパウロの宣教は早く成功を見ましたが,結果としてどのような事が起きましたか。

      3 この手紙が書かれる以前の,テサロニケ会衆の短い歴史をひとわたり見ると,この都市の兄弟たちに対するパウロの深い配慮の理由をはっきり理解できます。その発足当初から,この地の会衆は激しい迫害と反対を経験しました。使徒 17章で,ルカは,パウロとシラスがテサロニケに着いた時の事を述べ,「そこにはユダヤ人の会堂があった」としています。三つの安息日にわたってパウロはユダヤ人に伝道し,聖書に基づいて彼らと論じました。パウロはそこにさらに長く滞在したものと思われます。そこで自分の職業を営むだけの時間があり,さらに,会衆を確立し,組織するだけの時間があったからです。―テサロニケ第一 2:9; 1:6,7。

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