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愛の新しい戒めを守るものみの塔 1965 | 10月15日
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が2本のくぎにかかりました。6時間後にイエスは死にました。それで無残に足を折られることは免れたのです。イエスの弟子たちは,これを見なかったとしても,目撃者からすぐにその事を聞きました。(ヨハネ 19:25-27)弟子たちはイエスを恥じますか。この人に従い,その教えを信じ,これこそ神の国において治めるために神から選ばれた者であると信じたことを否定しますか。少なくともペテロは,これらの事を予告したイエスの言葉に感傷的に反対したとき,イエスがペテロを叱ってのちに言われた言葉を思い起こしたはずです。イエスは次のように言われました,「だれでもわたしについてきたいと思うなら,自分を捨て,自分の〔苦しみの杭〕を負うて,わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのため,また福音のために,自分の命を失う者は,それを救うであろう……邪悪で罪深いこの時代にあって,わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては,人の子もまた,父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに,その者を恥じるであろう」― マルコ 8:34-38,〔新世〕。
17,18 (イ)イエスはご自身の死によって,愛にみちたどんな目的を成就されましたか。(ロ)私たちは今どんなすばらしい関係にはいれますか。どのように?
17 イエスは地に来られたおもな目的をご自身の死によって成し遂げました。それは父の愛するみ名を立証することです。(ヨハネ 17:6; 18:37)イエスはまた人類のために贖いを備えました。それは贖いを受け入れるすべての人,「わたしが命じることを行なう〔ゆえに〕あなたがたはわたしの友である」とイエスから言われるすべての人のためです。(ヨハネ 15:14)イエスは,天に位のある新しい宇宙政府の王となる権利を得,また「わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではな(く),罪は犯されなかったが,すべてのことについて,わたしたちと同じように試練に会われた」かたとして,追随者のために神の大祭司となる権利を得ました。―ヘブル 4:15。
18 復活の40日後にイエスは,ご自分のもとおられた天に戻りましたが,地に遣わされた33年半と宣教の務めは,イエスにとって忘れることのできないものです。いまイエスは設立された御国にあって王となり,地に対して治めを行なっています。私たちは,イエスの弟子にふさわしい事を証明するならば,いまでもイエスの愛と愛情また父エホバ神の愛を受けることができます。それには私たちにも愛が必要です。―マタイ 25:31-40。ヨハネ 15:7-10。
19 (イ)世界中の人々は,エホバの証人の間にどんな性質を認めていますか。それはなぜ普通とは異なっていますか。(ロ)真実の愛に動かされているエホバの証人は,なぜ多くの人から「普通」でないと思われる生活をしていますか。
19 イエスの忠実な弟子たちは新しい戒めを守りました。今日エホバの証人の新世社会も,それを守ることに誠実な努力を払っています。エホバの証人の全国大会,国際大会は公の注目を集め,戸別訪問の活動によってさえも,エホバの証人は全世界何百万の家庭の人々と接しています。神と隣人に対し,また互いに対してエホバの証人が抱く愛は,多くの国々において新聞,ラジオ,ニュース映画により伝えられてきました。国際紛争,国内の分裂,人種問題も,エホバの証人の愛の絆をたつことはできません。迫害にあい,そしられながらも,エホバの証人は心を苦くしません。(コリント前 13:6,7)毎週3回,会衆の集会に出席し,週末や晩の自分の時間の多くをささげて聖書を教えることに専念しているエホバの証人の生活は,多くの人から見て「普通」ではないかも知れません。しかしエホバの証人は,今日の世界が「普通の」世界ではなく,また今が「普通の」時ではない事を,知っています。まぎれもない聖書の預言の成就は,今が世界の歴史上もっとも異常かつ重大な時であることを示しています。真実の愛はそれを見逃しません。ハルマゲドンを目前にした今日,私たちは何百万いや何億の生命が間もなく消し去られるかも知れない深刻な事態に思いを致さなければなりません。そうなれば,それらの人々に私たちが愛を示すことはもはや不可能となります。―マタイ 24:34-42。
20 (イ)このような「普通の」生活についていえば,愛の新しい戒めは,私たち各人に何を求めますか。(ロ)いま純粋の愛を学び,それを培うことはなぜ肝要ですか。
20 私たち一人一人についてはどうですか。「わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい」と教えた戒めを各自が守りますか。兄弟たちまた正義を愛する心を持ち,興味を示す人々を助けて永遠の生命を得させるため,世の中で「普通の」生活といわれるものを犠牲にすることをいといませんか。このわざに没頭した人々に生命を得させるため,自分の生命を危険にさらし,あるいは失うことさえあるのです。鉄のカーテンの背後あるいは他の場所で,まさにこの事をしているエホバの証人が毎日どこかにいます。なぜですか。「主は,わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって,わたしたちは愛ということを知った。それゆえに,わたしたちもまた,兄弟のためにいのちを捨てるべきである」。(ヨハネ第一 3:16)真実の愛をいま学ばなければなりません。そしてよく学ぶことが必要です。将来,試練や誘惑にあうとき,また難しい決定を下さなければならないとき,愛があれば,正しい事をして忍耐できるからです。世が私たちの情緒をかきたて,感傷に訴え,他の人の生命にかかわる本当の福祉あるいは原則に盲目にならせようとしても,私たちは真実の愛の道を見失わないでしょう。―ヤコブ 1:12。ヨハネ第一 4:17,18。
21 神の新しい秩序の間近いいま,真実の愛は私たちにどんな将来を保証していますか。私たちは何をすることに励むべきですか。
21 神の新しい秩序は近いのです。その下で地に住む人々は愛を働かせ,現在の秩序の下で利己主義が成しとげたどんなものより千倍もすばらしい事を成しとげるでしょう。彼らはこの地を文字通りの楽園にするだけでなく,神のみ霊の実すなわち愛,喜び,平和,寛容,親切,善,信仰,柔和および節制にみちた霊的な楽園にします。あなたの生命のことを心にかけつつ,私たちは祈ります,「汝らの愛,知識ともろもろの悟とによりいやが上にも増加り,善悪を弁へ知り,キリストの日に至るまで潔よくしてつまづく事なく,イエス・キリストによる義の果をみたして,神の栄光と誉とをあらはさん事を」― ピリピ 1:9-11,文語。
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よい行いは証言になるものみの塔 1965 | 10月15日
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よい行いは証言になる
「外部の人に対して知恵をもって歩み続ける」際に,私たちの振舞いはとくに人々の注目の的になります。それ自体が良い証言となって良い便りを伝える機会が開かれる結果になります。ベルギーの一姉妹が働いていた事務所で,同僚の女性たちは昼休みにいろいろな事を話し合うのが習わしでした。同僚の一人は,その姉妹が意見を求められた時など,とても落ち着いていて,他の人のようにいつもはやり言葉を使おうとしない事に気づきました。この女性は姉妹に向って「私もあなたのように応答ができたらと思うわ,だってあなたは他の人たちと違うんですもの」と言い,それに対して姉妹は「聖書を学んだので物の見方が変ってきたのです」と答え,もっと聖書の原則を学ぶようにその婦人を励ましました。昼休みに何回も会話を重ねるうちに,その人は雑誌を求め,また書籍研究に招待されました。彼女はすぐ聖書を勉強したいといい,しばらくして御国会館で伝道活動の発表を聞いた彼女は野外奉仕に参加する事を望みました。しかし彼女と,いま真理に関心を示しているもう一人の同僚はまず自分たちの結婚関係をきちんとすべき事を悟りました。聖書的な見解をよく理解した二人は問題を解決するためすぐ行動に移りました。聖書の原則と一致する自分たちの行いで証言となるように望み,宣教を通じて他の人が真理を学ぶ事を援助できるようになるためいま忙しく聖書を勉強しています。
1965年度エホバの証人の年鑑から
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