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火に耐えるものを用いて正しい土台の上に建てるものみの塔 1967 | 1月15日
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使徒パウロは土台となるべきものが何であるかをよく知っていました。そしてコリント会衆を設立した時,彼はしっかりとその土台をすえました。それは神と一致して働くためであり,また自分の仕事に神の是認を求めたためでした。ほかの同労者はすべてパウロの置いたその土台を認めてその上に建てるべきであり,ほかに土台を求めてそこに建物を移そうとしてはなりませんでした。それでパウロはこう戒めています。「すでにすえられている土台以外のものをすえることは,だれにもできない。そして,この土台はイエス・キリストである」。(コリント第一 3:11)これは主イエスが使徒ペテロに語られた岩のことでした。「わたしはこの岩の上にわたしの〔会衆〕を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない」― マタイ 16:18,〔新世訳〕。
21 水の浸礼に関して,パウロはイエス・キリストをどのように土台としましたか。
21 開拓者であったパウロはコリント会衆について,『わたしは土台をすえた』と語っています。(コリント第一 3:10)さて,パウロがイエス・キリストを土台に置いたとはどういう意味ですか。伝道のために初めてコリントに来た時,パウロが宣べ伝えたのはケパつまりシモン・ペテロや有弁なアポロ,また自分自身ではありませんでした。またパウロは自分の名によって浸礼を施すということもありませんでした。それでパウロはコリント人にむかって,「あなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと,だれにも言われることのないためである」と論じています。(コリント第一 1:15)コリントを離れて間もなくパウロはエペソに立ち寄りましたが,そこでパウロはイエスの名によって浸礼を施しています。(使行 19:1-7)それでパウロはコリントにおいてもこの名によって浸礼を施しました。
22,23 (イ)コリントのユダヤ人と働いたパウロはイエス・キリストの土台をどのようにすえましたか。(ロ)土台であるイエス・キリストはご自分の弟子に対し,神によってどんなものとされましたか。
22 使徒パウロはイエス・キリストを土台としてすえました。すなわち,イエス・キリストが罪と死からの救いの基であることを教えました。コリントにおけるパウロの開拓活動に関する記録は簡明にこう述べています。「パウロは安息日ごとに会堂で論じては,ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めた。シラスとテモテが,マケドニヤから下ってきてからは,パウロは御言を伝えることに専念し,イエスがキリストであることを,ユダヤ人たちに力強くあかしした」。(使行 18:1-5)異教のギリシャ哲学に染まったこの土地においても,パウロは知恵に重きを置く異教徒やこの世的に賢い哲学とイエス・キリストとを混合せず,神に対する人間の犠牲として刑柱に付けられたイエス・キリストを伝道しました。パウロはこう語ります。
23 「いったい,キリストがわたしをつかわされたのは,バプテスマを授けるためではなく,福音を宣べ伝えるためであり,しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それはキリストの〔刑柱〕が無力になってしまわないためなのである。ユダヤ人はしるしを請い,ギリシャ人は知恵を求める。しかしわたしたちは,〔刑柱〕につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは,ユダヤ人にはつまずかせるもの,異邦人には愚かなものであるが,召された者自身にとっては,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神の力,神の知恵たるキリストなのである。神の愚かさは人よりも賢く,神の弱さは人よりも強いからである。あなたがたがキリスト・イエスにあるのは,神によるのである。キリストは神に立てられて,わたしたちの知恵となり,義と聖とあがないとになられたのである。それは,『誇る者は〔エホバ〕を誇れ』と書いてあるとおりである」― コリント第一 1:17,22-25,30,31,〔新世訳〕。エレミヤ 9:24。
24 コリントのような異教哲学のとりでにはいりながら,パウロはだれを宣べ伝えつづけましたか。なぜ?
24 福音を伝道するためにコリントに来たパウロが,異教ギリシャ人の世俗的な知恵に圧倒されることはありませんでした。彼は世俗的な知恵を誇示してギリシャ人の哲学と対抗し,それによって追随者を得ようとはしませんでした。また彼は,世俗的な知恵,人間の論説や哲学などを求める者たちの耳をくすぐろうともしませんでした。彼はクリスチャン会衆の土台としてイエス・キリストをすえるためにそこに来たのです。それでパウロはコリント人への第一の手紙 2章1-5節でさらにこう語ります。「兄弟たちよ。わたしもまた,あなたがたの所に行ったとき,神のあかしを宣べ伝えるのに,すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら,わたしはイエス・キリスト,しかも〔刑柱〕につけられたキリスト以外のことは,あなたがたの間では何も知るまいと,決心したからである。わたしがあなたがたの所に行った時には,弱くかつ恐れ,ひどく不安であった。そして,わたしの言葉もわたしの宣教も,巧みな知恵の言葉によらないで,霊と力との証明によったのである。それは,あなたがたの信仰が人の知恵によらないで,神の力によるものとなるためであった」。〔新世訳〕
25 コリントのパウロと同じような環境におかれる時,開拓をするクリスチャンはどのように感ずることがありますか。しかし,どうすればよいですか。
25 こうして,昔の使徒パウロのごとく,宣教の面で開拓をする今日のクリスチャンは,世俗の哲学的な知恵のとりでにはいる時,自分が弱いことを感ずるかも知れません。しかし,神の霊と力とを証明して,神に対する信仰をかためることができるのです。
26 (イ)主はコリントにいたパウロをどのように力づけましたか。それでパウロは何をしましたか。(ロ)コリント会衆がその何年後にもしっかりと立っていたのはなぜですか。
26 主がコリントにいたパウロを激励したのも不思議ではありません。「ある夜,幻のうちに主がパウロに言われた,『恐れるな。語りつづけよ,黙っているな。あなたには,わたしがついている。だれもあなたを襲って,危害を加えるようなことはない。この町には,わたしの民が大ぜいいる』。パウロは1年6カ月の間ここに腰をすえて,神のことばを彼らの間に教えつづけた」。(使行 18:9-11)神の言を世俗的に賢い異教の哲学の前に敗退させてはなりません。パウロがコリントに設立した会衆はしっかりと足場を定め,何年かのちパウロがこの地のクリスチャンに第一と第二の手紙を書いた時にも繁栄していました。それは正しい土台の上に設立されていたゆえにしっかりと立つことができました。
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燃えないものを使うことが必要ものみの塔 1967 | 1月15日
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燃えないものを使うことが必要
1 クリスチャン会衆はいつ設立されましたか。何を土台として? ペテロの話はそのことをどう示しましたか。
「神の建物」に許された唯一の土台は神のみ子イエス・キリストです。キリスト教国ではなく,真のクリスチャン会衆は19世紀前の西暦33年シワン6日五旬節の日に,エルサレムでこの土台の上に設立されました。「神の同労者」として仕えた使徒ペテロは神の建物の土台がだれであるかを勇敢に発表し,その場に集まるユダヤ人への話をこう結びました。「だからイスラエルの全家は,この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが,〔刑柱〕につけたこのイエスを,神は,主またキリストとしてお立てになったのである」。
2 心をさされたユダヤ人に対するペテロの助言はどんな土台に注目させましたか。今日の宇宙時代に,神の建物の成員はどこに立っていますか。
2 その後,心をさされたユダヤ人が神の備えに応じて何をすべきかを尋ねた時にも,ペテロは神のただ一つの土台に忠実に従ってこう勧めました。「悔い改めなさい。そして,あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために,イエス・キリストの名によって,バプテスマを受けなさい。そうすれば,あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」。(使行 2:1-38,〔新世訳〕)ここですえられた土台は幾世紀もの間,きびしい風雨に耐えています。そして今日,物質主義的,また現代主義的で,科学を崇拝するこの核宇宙時代にも,神の建物を構成する人々は依然としてこの不滅の土台の上に立っています。
3,4 (イ)わたしたちの救いの基礎としてどんな犠牲を認めるべきですか。なぜ?(ロ)イエスの上に建てるにあたり,彼があがないの犠牲であることだけを認めればよいですか。ペテロの五旬節の時の話は何を示していますか。
3 イエス・キリストを土台として建てるということは,わたしたちの罪のためのあがないの犠牲としてのイエス・キリストの上に建てることだけを意味しているのではありません。イエスのささげた人間の犠牲がわたしたちの永遠の命への救いの基となっていることは確かです。わたしたちはイエスのことばをそのことばどおりに受け入れねばなりません。「人の子がきたのも,仕えられるためではなく,仕えるためであり,また多くの人のあがないとして,自分の命を与えるためである」。(マタイ 20:28)またわたしたちは使徒パウロのことばをその字義どおりにとらねばなりません。「神は,すべての人が救われて,真理を悟るに至ることを望んでおられる。神は唯一であり,神と人との間の仲保者もただひとりであって,それは人なるキリスト・イエスである。彼はすべての人のあがないとしてご自身をささげられた」。(テモテ第一 2:3-6)しかし,わたしたちはイエス・キリストがあがない主以上のものであることを認めねばなりません。
4 わたしたちは復活し,天の栄光を受けたイエス・キリストに信仰と望みを置かねばなりません。これはペテロが五旬節の日にユダヤ人に伝道した事柄です。ペテロはイエスが復活していること,および神の右に上げられ,サレムの王であり至上の神の祭司であった昔のメルキゼデクの予表した王なる祭司とされていることを説き明かしました。
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ユダヤ教徒に証言ものみの塔 1967 | 1月15日
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ユダヤ教徒に証言
● 時おり兄弟たちはいろいろな問題が原因で,世間から非難を受けることがありますが,そのような非難がもたらすことになった良い結果を知るのも興味深いことです。奉仕年度中にオーストラリアのある姉妹は血の問題に関して神への忠誠を守って死亡しました。そのニュースは国中に伝わりました。このことに関連した経験が監督から協会へ送られてきました。その地方のラビは監督の名を電話帳でしらべ,エホバの証人が死に至るまでもその立場を守る理由をユダヤ教の婦人会で説明してほしいと電話で依頼してきました。エホバの証人のとる立場に関してユダヤ教徒の婦人たちから同じ質問をされたラビは答えることができなかったのです。この会衆のしもべは招待に応じて補佐とともに出かけました。そしていささか驚いたことに集会所には70人の婦人がいました。監督はユダヤ教の聖書を使って約20分間にわたり血に関するエホバの証人の立場を説明しました。それから質問の時間が設けられましたが,質問の多くはラビ自身から出されました。質問が出つくした時,訪問に対する人々の心からの感謝を示す拍手がひとしきり起こり,兄弟たちが立ち去る時には多くの人が微笑して手を振っていました。兄弟たちはよく準備してこの場にのぞみ,また小冊子も携えてきていました。そしてラビの許可を得て出席者に1冊ずつ手渡しました。このように,非難がその時は不利なものに思えても,それがエホバの聖なる御名に誉れとなる良い結果になることもあります。
― エホバの証人の年鑑より
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