-
真理に対して確固とした立場をとるアフリカの「善意の人々」ものみの塔 1971 | 6月15日
-
-
読み書きができるのはわずかひとりぐらいである。聖書の真理を教えようとする人々にとって,こうした実状は真の挑戦となる。しかし,エホバの証人のあいだでは4人中ほぼ3人は読み書きができ,その比率は急速に上昇している。これは,1951年にエホバの証人が読み書きのクラスを(他の多くの国々におけると同様に)設けたことによる。教えられる言語で出版された聖書文書とともに,「読み書きを学ぶ」と題する小冊子が用いられるので,聖書の真理も同時に教えられて行く。
それら読み書きのクラスはまる1年間開かれ,卒業式には配偶者や両親,友人たちが出席する。現在1,000ばかりの,こうした読み書きを教える学校が開かれている。過去10年間に6,162人が読み書きを学び,現在7,279人が在籍している。
聖書によるこうした教育と訓練により,忠誠とクリスチャンの資質の点で,他の土地に住む兄弟たちに伍して行ける真のクリスチャンが生み出された。最近起こった内戦で,以前の「ビアフラ」にいたエホバの証人たちは,政治に関与せず,中立な立場を取ったためにひどい苦しみを受けた。彼らは,強健な男子をひとり残らず軍隊に集める「ビアフラ」の徴兵をのがれた一団としてはなはだしく不当な扱いを受けた。しかし,それらエホバの証人たちはクリスチャンとして,どちらにも加担せず,また殺害に加わろうともしなかった。そのため,彼らは欧打され,中には殺された者もいた。女性たちは強姦され,家や集会場所は焼かれた。こうしたことすべてを通して,彼らは堅い立場を取ったのである。大会のプログラムでは多くの人が登場して,その苦しい数か月間のきびしいながらも感動的な経験を話した。
カメルーンからの報告
ラゴスの大会には国境をへだてたカメルーンからの出席者もいた。カメルーンでは最近政府がものみの塔協会の支部事務所を没収し,エホバの証人が集会所として用いる,いくつかの王国会館を閉鎖し,彼らの活動を禁止した。エホバの証人たちにはさまざまな形の圧力や迫害が加えられたが,彼らも真理に対して確固とした立場を取っている。
エホバの証人に対するこうした処置に遺憾の意を表わす全世界から寄せられた何千通もの手紙が政府当局に届き,現在この問題は特別に審議されている。この国には1万4,000名のエホバの証人がおり,その報告は65%の人たちの活動に基づいたものである。
ケニヤのナイロビ
ナイロビの大会には,ウガンダとエチオピアおよびタンザニアの代表が,それぞれの国におけるわざの増加に関する報告を携えて参加した。夜が明けるとまもなく,120人を上回る北アメリカからの訪問者の第1団がナイロビのエンバカシ空港に到着した。エホバの証人の正直さに関するすぐれた評判を知っている税関当局は,一つの荷物も検査せずに通過させてくれた。第2団はま夜中近くに到着した。ある親しみぶかいアフリカ人の航空職員が,税関の別のグループの役人たちに,その一行がエホバの証人であることを説明し,「この人たちがクリスチャンだということにはまちがいがありませんよ」と言った。責任者は,税関のチョークのしるしすらついていない荷物を運び出す手伝いとして,ひとりかふたりのアフリカ人の証人が税関の広間にはいることを許可した。
神の真理のことばは現在ケニヤで急速に広まっているが,出発当初,その伝道の進歩の速度はゆっくりとしたものだった。1931年ふたりのエホバの証人がカメルーンで短時間を過ごし,2,000冊の聖書文書を配布した。ひとりのエホバの証人がこの国に移住して,聖書研究の集会場所として彼女の家を開放したのは1949年のことである。1955年,ものみの塔協会のN・H・ノア会長と理事のひとりM・Gヘンシェルが当地を訪れて,わざの組織化を図った。1960年,エホバの証人の数は100名に達した。支部事務所は1962年に設立され,現在966名のクリスチャンが神のことばを教えている。
アフリカの多くの国々におけると同様,ケニヤでの問題の一つは一夫多妻主義である。今日まで,エホバの証人の会衆には,一夫一婦という聖書の規準を守るため事態を調整した夫婦が306組ある。この高い道徳規準にかなう人々だけにバプテスマを施すというエホバの証人の主張は,政府当局者に感銘を与えている。
ナイロビ大会中,ある婦人は自分の家を訪れたエホバの証人に,「あなたがたの宗教はほんとうに人々を変化させますか」と尋ねた。
「市立競技場においでになり,ご自分で確かめてはいかがですか」という気持ちの良い返事がかえって来た。
彼女はそこでなんとすばらしい変化を目にしたことか。なぜそう言えるのか。アフリカの男性は家族の他の成員のために十分あるかどうかはおかまいなしに,自分ひとりで食事をとることが多い。家族の他の者は彼が食べ終わるのを待って食事をするのである。また,妻には重労働を全部させたうえに,子どもの世話もさせる。しかし,ナイロビに集まったエホバの証人たちはもはやそうした生活のし方をしていない。男たちは,アフリカの教会でよく見られるように女たちと別々になってはいなかった。家族がいっしょになって腰かけていた。夫と妻は子どもの世話をする責任をわかち合っていた。父親と母親それに子どもたちがいっしょに食事をしていた。それらの家族は聖書の真理によってもたらされた新しい家庭生活と家族の一致とを反映させている。
この大会でバプテスマを受けたのは四つの国々からの合計101名の人々だった。ものみの塔協会の会長による公開講演はスワヒリ語に通訳され,2,503名というケニアにおける出席者最高数の聴衆が集まった。
ナイロビ大会の最終日,ノア会長は閉会のことばの中で,聖書の高い諸原則にそって生活を変化するよう他の人々を訓練する教育のわざに引き続き携わるよう全員を励ました。また,会長の発表によれば,アフリカの10か所で開かれた「善意の人々」大会の出席者合計は17万5,218名に上り,仲間の人々を数えるエホバの証人の隊ごに新たに加わった奉仕者としてバプテスマを受けた人の数は5,115名だった。確かに,聖書の真理に対して確固とした立場を取り,自らを神の善意の人々として証明するアフリカの人々はますます増加している。
-
-
老齢は妨げにならないものみの塔 1971 | 6月15日
-
-
老齢は妨げにならない
● リベリアで休暇を利用して全時間奉仕をした人のうち,最年長者の奉仕者は76歳の老人でしたが,彼はなおも「さらに多くのことをする」必要性を感じました。どの家でもその年齢に敬意を表わして,老人を招き入れ,彼の話に耳を傾けました。階段を一,二段上ることさえ困難であるにもかかわらず,その老人は家から家の伝道という宣教活動の一部を欠かしませんでした。実際,手足を使うと痛みが少なくなることを発見したのです。後になって老人は次のように報告することができました。「わたしは毎日家から家を訪問し,夕方には再訪問をしたり,家庭聖書研究をしたりしました。現在わたしは四つの良い聖書研究を司会しています。しかもその全員が定期的に集会に出席しています」。老齢は休暇開拓奉仕をする上で少しも妨げにならないことを確信した彼は,こう付け加えました。「今わたしは他の老人たちに開拓奉仕をするよう励ましているところです」。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
-
-
読者からの質問ものみの塔 1971 | 6月15日
-
-
読者からの質問
● 請求書の支払いに関して,クリスチャンはどんな見方をしますか。―アメリカの読者より。
この質問に関係する事態は数えきれないほどありますが,その基本となる答えはきわめて簡単です。ロマ書 13章8節の次の助言がこの問題に確かに当てはまります。「汝等たがひに愛を負ふのほか何をも人に負ふな」。借りたため,あるいは商品を購入したり労務を提供してもらったりしたため,他の人に支払う義務のある金銭を渡さないのは,確かに愛の欠けた行為です。霊感を受けた詩篇記者は次のように書いています。「あしき者はものかりて償は
-