聖書は若い人々に良い感化を与える
キリスト教世界の教会員を含めたおとなの間に見られる不正や偽善行為を目にして幻滅を感じている若い人々は,今日決して少なくありません。その結果,権威に対する尊敬の念は薄れ,家族関係は崩壊の危機にひんしています。自らは悪い模範となっていなくても,こうした反抗の精神を持たないように子どもたちを教える点で苦汁をなめている親は少なくありません。彼らの通っている教会は,子どもの訓練に必要な聖書からの指示を教えてくれませんでした。
エルサルバドルのある女教師もこうした経験をしていました。彼女は数年前に夫と別居し,15歳と17歳と20歳になる3人の息子を育てていました。末の息子はまだ従順で正しい敬意を示していましたが,長男は母親の言うことを全く聞かず,悪い仲間と付き合っていました。夜遅く家に帰ってきて,しばらく眠り,母親にひとことも話しかけずに朝早く出て行くという生活が続いていました。また,かっとなっては,家具や電気器具をよく壊しました。17歳の息子も悪い仲間と交わっていました。
しばらくの間病気にかかっていたこの婦人は,病気が治るとエホバの証人の訪問を求めました。そして,訪問したエホバの証人にこう言いました。『わたしが病気の時,上の2人の息子は全然心配してくれませんでした。わたしに話しかけることさえ,具合いはどうかと尋ねることさえありませんでした。これまで信じてきたカトリックは,わたしに何をしてくれたのでしょう。何もしてくれませんでした。わたしたち家族は霊的に破綻しています。助けていただけるでしょうか。あなたは,わたしの家にやって来て聖書について話をしてくださった最初の人です』。
訪問した証人はこう答えました。「そうですね。まず,一番年下の息子さんとあなたの2人と聖書の勉強をすることができます。残りの2人の息子さんをどのように助けたらよいか知るにはもう少し待たなければならないでしょう」。
すぐに聖書研究が始まり,まもなくその婦人は王国会館で開かれているエホバの証人の集会に出席しはじめました。末の息子も同様の良い進歩を遂げました。
ある日,仲間のエホバの証人といっしょに王国会館に座っていたこの婦人はちらりとうしろを振り返りました。すると,彼女は隣りの証人の腕をつかみ,『見てください。だれが来てると思いますか!』と叫びました。
いっしょに座っていた証人はあたりを見回し,会館のうしろのほうに一人の青年がいることに気づきました。
その青年とはだれでしたか。なんと,その女教師の長男だったのです。この時までに,彼はガールフレンドの聖書研究に参加するようになっていました。
母親と息子の関係は依然として緊張しており,お互いの間に会話は全くありませんでした。しかし聖書を勉強するにつれて,息子はしだいに変化しはじめました。敬意に欠けた態度を取らせたり,彼を暴力行為に走らせたりした欲求不満の根がしだいに取り去られていきました。母親を敬うようにとの神の命令のもとに置かれていることを認識するにつれて,息子は母親に深い思いやりを示すようになりました。こうして,母親と息子の間にあったみぞは完全に取り除かれ,2人の間は非常に親密になりました。
2番めの息子はというと,エホバの証人の会衆の若い男子の成員が彼に真の関心を示し,その結果聖書研究がはじまりました。この2番めの息子も今では,クリスチャンの行状という点でりっぱな模範を示しています。
では,前述の息子たちのような若い人々やその他の人々に,実際の生活に聖書を適用する必要性を認識させたエホバのクリスチャン証人についてはどうですか。アメリカ,ウィスコンシン州のある青年は,王国会館を初めて訪れた時に深い感銘を受けた点についてこう語っています。
「それは,わたしが以前行っていた教会の礼拝式とは全く異なっていました。そこに集っている人々は,ただ教会にやって来て『時間を過ごしている』というのではなく,実際に神の崇拝に携わっていました。また,いろいろな話し手がいましたが,そのうちの一人だけでなく,全員が宣べ伝える資格を備えているように見えました。以前の教会との別の大きな相違点は,寄付が集められないということでした。お金ではなく,崇拝に関することが強調されていました。そしてわたしにとって決定的だったのは,人々がほんとうに親しそうに振舞っていることでした」。
このように,キリスト教を実践する点で模範を示すことは,若い人々が自分の生活を聖書に一致させようとする強い誘因となりました。お近くの王国会館に行って,聖書が若い人々にどのように良い感化を与えたかをご自分で直接確かめてごらんになってはいかがですか。