-
神の目的とエホバの証者(その33)ものみの塔 1962 | 3月1日
-
-
の証者がそのホールを借りて1940年の国際大会を行なった直後でした。しかし,最も驚くべきことは,1941年9月3日から7日までライセスターで行なわれた大会でした。この5日間の神権的な大会に約1万2000名の証者たちが集まりましたが,戦時中のむずかしい時にその大会が開かれたことは,実になみなみならぬ努力が必要でした。いろいろの勢力はエホバの証者に好意を示さなかったため,食事,宿舎および交通の面で,そのような大群衆の集会に大へんむずかしく,大きな妨害を克服することが必要でした。1941年8月6日-10日,アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス大会でなされたジャッジ・ルサフォードの主要な講演は,レコードに録音されてロンドンに飛行便で送られました。検閲者たちはその入国を許可し,この英国の大会にちょうど間に合いました。この大会によって,英国の兄弟たちは霊的にぐんと強められました。そして,戦争中のむずかしい状態下にあってもエホバの証者が一致と愛の協力を持つことを示しました。h
ブルックリンからの文書の輸入は禁止されたので,英国の兄弟たちは出版物を野外に補給しつづけるため,国内で大規模な印刷の仕事をしました。大ぜいの活発な開拓者たちは,幾千人という人々に奉仕していたのです。後日,英国の講読者のための「ものみの塔」誌の輸入も禁ぜられました。しかし研究用の記事は禁ぜられなかったので地方的に印刷されました。それで毎週1度の「ものみの塔」研究集会は,妨害なしに行なわれました。
英国では男性も女性もみな徴兵制度に編入されました。多数の判事は兄弟たちに軍役免除を拒絶しました。それで1593の判決があり,刑期の合計は6世紀を越えるものでした。刑の宣告を受けた者の中334名は婦人でした。彼らは戦争の義務を命ずる国家の指示に従わなかったため兄弟たちと共々に刑務所に入れられたのです。英国で開拓者奉仕をした証者たちは,ポーランド,ドイツ,オーストリア,ベルギーおよびフランスから避難してきた人々でした。彼らは戦争の始まる前に英国に来ました。しかし,戦争が激烈になるにつれて政府は戦争のつづく期間中,彼らをマン島の収容所に収容しました。エホバの証者であったアメリカ人とスイスに国籍をもつ者は,国外に追放されました。
それで,英国のエホバの証者はむずかしい制限を受け,戦争のために活動が限定されましたが,中立の立場をしっかり保ち,神への忠実を守りました。エホバを自由に崇拝するための戦いは,英国で弱まりませんでした。むしろ,世界の他の場所と同じように,その戦いをつづけて行きました。
-
-
「彼らは一致の中に伝道する」ものみの塔 1962 | 3月1日
-
-
「彼らは一致の中に伝道する」
― 1962年のエホバの証者の年鑑より ―
フィリピン
人口: 27,473,000人
伝道者最高数: 35,713人
比率: 769人に1人
拡張された事務所と宿舎の新築,印刷を始めたこと,御国宣教学校の設置はフィリピンの神権的な歴史の中でも画期的な出来事でした。主の豊かな恵みに対する感謝は深まっています。この気持ちを表わした典型的なものとして次のような手紙が兄弟たちから送られてきました。「私たち一人一人は貧しく新しい建物の建築資金を用立てることはできませんが,会衆として何かしたいと思います。それで融資のかわりに私たちの寄付を受け取って下さい」。
次の経験は忍耐の価値をよく示しています。「私が真理を学んでからというもの,夫は大そう怒り,エホバの証者にだけはならないでほしいと告げました。ある晩,私と子供たちを殺そうと夫はピストルを手にして部屋にはいってきたのです。私はエホバに祈り,祈りは答えられました。夫は何もしなかったのです。それから私は朝も昼も晩も祈るようになりました。できるとき,そして夫を怒らせずにすむとき,私は何時も平和な新しい世と約束されている祝福のことを語りました。私の祈りながらの行いは少しずつ夫の心をやわらげ,激しい迫害のあとで夫の憎しみは消え去ったのです。夫は理解を示し,勉強するようになって遂には水の浸礼により献身を表わしました。今日,私の家庭は喜びにあふれており,エホバによって今までになく密接に結び合わされていることを二人で共に喜んでいます」。
別の忍耐は異なった祝福をもたらしました。北部出身のある姉妹は必要の大きな所で奉仕するため,遠いボホールに行きました。この姉妹は間もなくホームシックになったので,それを聞いた両親は家に帰るように熱心にすすめましたが,姉妹は祈りつつ,任命地にとどまることを決心しました。6ヵ月たたないうちに,エホバはその忍耐を祝福して17人の伝道者を加えて下さいました。その中には警察署の署長,その妻と娘もいます。
ラジオ放送もよい成果をおさめ,兄弟たちの提供する番組「人々が考えていること」は良い評判を得ています。ある都市では毎週のこの番組に人気があるため,D級からA級の時間に移され,ある炭酸飲料の大会社がスポンサーの特権を買って出ました。
全島で行なわれている大きな証言のわざに,パンフレットも役割をはたしています。一人の特別開拓者から次の手紙を受け取りました。「学校の教師をしている夫婦の家で一銭も持たない女中さんにパンフレットを渡し,そのとき不在だった主人にも後で見せるようにと言っておきました。翌日,その家の前を偶然に通ったところ,女中さんから声をかけられ,主人が会いたいとのことでした。驚いたことにその夫婦は待ちかねていたように私たちを迎え入れ,『これらのパンフレットを読むやいなや真理を発見しました』と語りました。その言葉を聞いた時の喜びはとうてい言い表わすことができません。この手紙を書いているいま,二人は定期的に勉強し,よく進歩しています。」
-