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神の目的とエホバの証者(その15)ものみの塔 1961 | 4月1日
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トム: アメリカ合衆国の政府はどうしましたか。協会の仕事を禁止しなかったでしようね。
ジョン: いいえ,それがそうではなかったのです。カナダの禁令に続き,同年の2月にその共謀が国際的なものだということが,はっきりしてきました。ニューヨークにあるアメリカ陸軍情報局が協会の本部を調査し始めました。協会が敵国のドイツと連絡をしている,という情報がとんでいたのです。アメリカ合衆国はその当時,ドイツ,ならびにその中心勢力と戦いを交じえていたので,これは非常に重大な嫌疑でした。ブルックリンベテルの本部がドイツ政府にメッセージを送るための本拠になっているという報告が,いつわりにもアメリカ合衆国の政府になされたのです。
ロイス: まあ,どのようにしてですか。国際的なスパイの一味によってというわけですか。
ジョン: いいえ,この嫌疑はそれよりももっと馬鹿げていました。1918年という年は,ラジオ放送,電信,電話が西欧中に設置される4年前でした。1915年までには,無線電信も試みられていました。しかし,これらのものは,確実性にとぼしく,無線電信によるメーセージを遠くへ送ることはできませんでした。1915年にだれかがラッセル兄弟に小さな無線受信機をあげました。本人は余りこれに興味がなかったのですが,本部のベテルのだれかが,ベテルの屋根に小さいアンテナをはり,メッセージをひろおうとしましたが,あまり成功しませんでした。1918年に受信機は戸棚にいれられてしまいました。ベテルから放送されたということは一度もありませんでした。1918年に陸軍情報局の者が二人ベテルを調べにやってきた時,無線受信機がおかれていた屋根に案内されました。それから,倉庫におしこまれている機械そのものをも見せました。この人たちがアンテナをはずし,受信機を持っていってしまってもよいかと言った時に,兄弟たちは即座に同意しました。両方とも長い間使われてなかったということは明らかでした。e
次の動きは1918年2月24日の日曜日に見られました。その日ラッセル兄弟は,後日「現在生存する万民は決して死する事なし」と題されるようになった話を,はじめてしました。これはカリフォルニアのロサンゼルスでした。f その週の木曜日,つまり2月28日に,ロサンゼルス会衆に属する協会の大きな会館と宿舎は政府により,手入れされ協会の出版物は没収されました。その時までにすでに20名以上の証者は徴兵の件で,軍と軍の刑務所に拘留されていました。g
「御国の音信」は反撃をよぶ
ロイス: 一体だれのためにこうなったのかを協会はどうにかして,示すことはできなかったのですか。
ジョン: そうですね,1918年の3月15日に,協会は牧師にそそのかされてもたらされたこの圧迫を暴露して,抵抗しようと決めました。この圧迫はその時各方面から加えられていました。「御国の音信,第1号」と呼ばれる新しい出版物を発表しようということになりました。「聖書研究生月刊」はそれ以前絶刊になっていました。それでその時の状況にかなうものが準備され,アメリカ合衆国,カナダ,英国の民衆の憤りをよびさますために使われました。
新しい冊子はニューヨーク市で3月5日に出されました。
主題の聖句,「天国は近づけり」がでており,マタイ伝 3章2節から引用したことが示されています。わくの中の左側には「クリスチャンの知識増進のために発行される」,「諸国民を教えよ」という言葉がはいっていました。右側には「宗教的寛容の原則と,クリスチャンの自由の原則を擁護する」という言葉が書かれていました。六つの欄にわたっている見だしにはこう書いてあります,「宗教的偏狭 ― パストー・ラッセルに従う者たちは人々に真理を告げたために迫害された ― 聖書研究者に対する仕うちは『暗黒時代を思わせる』」。それからもう少し小さな見出しで,「『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを,おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら,あなたがたをも迫害するであろう」。という聖句がのせられていました。その下には迫害の事実とわざを禁ずることがカナダで始まったことがあげられていました。カナダの証者を滅ぼそうとした牧師たちの責任が真向から問われていました。h またドイツにおいても証者が迫害されているという報告が載せられていました。
ロイス: ドイツでも証者が迫害されていたのなら,あなたがたがドイツびいきではないとわかったはずですのにね。
ジョン: そうです。多くの人は知っていました。でもロイスさん,おぼえているでしょう。人々の感情は高まっており,エホバの証者は人気のない少数派だったのです。しかし,アメリカの徴兵に関して次の記事(声明)がだされました。
アメリカ合衆国の政府は政治的,経済的制度であるゆえに,その基本的な法律のもとに宣戦を布告し,その市民を召集して兵役に服させる力と権威があるものと,我々は認める。いかなる方法においても,徴兵,あるいは戦争を妨害しようとする意向はない。我々のメンバーのある者が法律の保護を受けようとしたことが,迫害の手段として使われている。
「御国の音信,第1巻」もまた,戦争に関する聖書研究生の立場を述べました。それに加わえて,ベテルから取り除かれた無線電信機のことと,政府が不必要に協会の本部を調査したことについても報告されていました。一面の最後には第7巻,「完成した奥義」とそれに対する牧師たちの反対に関する報告が載せられていました。裏側の頁のほとんどに,3月24日の「世界は終わった,現在生存する万民は決して死する事なし」― ニューヨーク州の弁護士名誉会員ジェー・エフ・ルサフォードによる無料の講演」を大々的に宣伝し,ニューヨーク市の人々がきくようにすすめました。この講演は同じ講演者,ルサフォード兄弟によりその前月の2月にロサンゼルスで始めてなされたものですが,3000名の興味ある人々が出席しました。i これは一般の人々に対して非常な興味を誘った話で,近代のバビロンから逃れでて,終りのない生命へと導かれるこのような大群集に公けに知らされたことは,この時が始めてでした。この早い頃の知らせを心にとめた人はたくさんいました。
1917年7月に発表された「完成した奥義」はベテルにいる者たちの間に分裂をおこさせ,それが多くの会衆にも及んだということを,覚えていらっしゃることと思います。それにもかかわらず,忠実な残れる者はずっと活発に奉仕し,あとでルサフォードが報告したところによると,7000人の証者は「完成した奥義」を一生懸命に配布していました。j 数にかぞえられなかった人々も冊子や招待ビラを人々の家で配ったり,個人的に口頭で証言しました。
ロイス: 人気のある宗教制度に真向から立ち向うためには,ずい分強い信念が証者には必要でしたね。特に証者が直面したひどい妨害のことを考えるとなおさらですね。
ジョン: この「御国の音信」を国中で配布するには勇気と信仰が必要でした。宗教指導者たちは怒りをおさえきれず,すでにものみの塔協会に対して公然と反対の行動をおこしていました。このうえ更に暴露するなら,もっときびしい迫害が彼らの上にのぞむということは明白でした。しかし人々が自分たちを守るために,事実を知らされねばならぬということを証者は知っていました。つまり,だれでも神の目的に関して自分自身の役目を果たさねばならなかったのです。それで,牧師たちの協会に対する戦いをやめないばあいでも,彼らを暴露することは必要だと認めました。
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真実性ものみの塔 1961 | 4月1日
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真実性
現代の考古学的な発見は,次のことを示しました,「ヨセフの歴史全部は,その詳細にいたるまで,古代エジプトの実際の出来事とまつたく一致していると言わざるを得ない」。―シャーフとヘルゾグ著「宗教の知識の百科辞典」(英文)
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読者よりの質問ものみの塔 1961 | 4月1日
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読者よりの質問
● ルカ伝 24章37-43節でイエスは化肉した霊者ではなく,人間であり,おなかがすいたので弟子たちと一緒に食事をすると言いましたがなぜでしょうか。この場合のイエスは化肉した霊者であると協会は教えていませんか。―アメリカ合衆国の一読者より。
この問に関する聖句はこうです,「彼は恐れ驚いて霊を見ているのだと思った。そこでイエスが言われた,『なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないがあなたが見るとおり,わたしにはあるのだ』。〔こう言って,手と足とをお見せになった〕。彼らは喜びのあまり,まだ信じられないで不思議に思っていると,イエスが『ここに何か食物があるか』と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると,イエスはそれを取って,みんなの前で食べられた」。新口。
「ものみの塔」誌の中で,何度も述べられていますが,使徒ペテロがイエスに関して語ったごとく,「肉においては殺されたが,霊においては生かされた」という聖書的な証拠は,たくさんあります。それで私たちはそう結論せざるを得ないでしょう。もし,イエスが肉体のまま復活したなら,天に肉体をたずさえていったことになります。しかし「肉と血とは神の国を継ぐことができないし,朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」のです。肉の体をもった人間イエス・キリストは「神の栄光の輝きであり,神の本質の真の姿」であることはできません。彼の人間の体は「パンで…世の命のために,〔彼が支え〕…たものでした。彼がその肉体をもって復活させられたとするなら,彼は生命の賜物を取りもどし,人類はあがなわれなかったことになります。―ペテロ前 3:18,コリント前 15:50。ヘブル 1:3,ヨハネ 6:51,新口。
それなら,イエスの言葉をどのように理解すべきでしょうか。弟子たちは,イエスが彼らの中に突然現れたので,幽霊をみているのだと思いました。あらしのために,弟子たちが困っていた時に,イエスが海の上を歩いて彼らの方にくるのを見た時も,やはり彼らは幽霊だと思いました。(マタイ 14:26,27)まだ彼らに受けいれる備えがないことを理解させようとすることより,イエスは単に,彼がお化けとか幽霊でないこと ― 実際に彼はそうではありません ― そして,たしかに彼であるということ,また,彼がそのばあい化肉してたしかに肉体をもっていたということを,彼らに保証しました。言いかえれば,イエスは,それが彼らの想像の結果とか,あるいはだれかほかの者だったというのではなく,正真正銘のイエス ― 死ぬ前に弟子たちが知っていたと同じ ― だということを,確証したのです。
のちになって,弟子たちがその時に国を復興するのか,と質問したときにイエスが答えたことも,これと同じような考えです。(使行 1:6)彼は,彼の国が天的のものであり,イエスと共に,彼らが天から治めるのだと,わざわざ説明しませんでした。このような驚くべき新しいしらせを受けいれる備えが,まだ彼らにはありませんでした。「わたしには,あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが,あなたがたは今はそれに堪えられない」。(ヨハネ 16:12,新口)それでイエスはその時,イスラエルの国を復興する時期は,彼らの知る限りではないと,言われただけなのです。そして,御国は肉的イスラエルに復興されることは決してなく,霊的イスラエルに与えられるということを,あとになって,彼ら自身で悟らせるようにしました。それと同じことが,ルカ伝 24章37-43節に記録された,弟子に対するイエスの言葉についても言えます。彼は自分が霊者として復活させられ,その時は彼らのために肉体をとったのだと,説明しようとはしませんでした。ただ,弟子たちがずっと知っていたそのイエス,その人であるということを強調しただけでした。おなかが空いていたために食物を下さいと言ったのではなく,彼が実在の者であり,単なる想像ではないということを,彼らの心に印象づけるため,言ったにすぎないのです。
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