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世界展望目ざめよ! 1975 | 1月8日
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世界展望
世界的規模の問題
◆ 世界の直面しているさまざまな問題が相互にからみ合ったものであることを認める人はしだいに多くなっている。国連のクルト・ワルトハイム事務総長は次のように述べた。「人類が直面している難題の多くは,根深く,複雑であり,何よりも長期的な問題である。それらを速やかにあるいは一気に解決する方法はない。それらは相互に密接に関連し合っており,またすべての人の生活と直接関係を持っている。それらは世界的規模の問題だからである。それに対処するには全世界的な共同行動が必要である……この地上における我々の将来は,社会の経済上の新しい体制を作り出す我々の能力に大いに左右されることになろう。それはすべての民族の権利と利益と願望を認め,それを平等にする体制でなければならない。これはきわめて重大かつ複雑な問題であるゆえ,それに対処する唯一の道は,これまでに成し遂げたいかなるものをもはるかに上まわる全世界的な協力を図ることである」。
食糧不足の倫理
◆ 生物学者ポール・アーリックは,人口爆発と食糧不足による災いが迫っていることを予告しており,そのことで知られている。彼は世界的な危機が切迫していることを強く確信しており,次のように提言している。「少しでも余分の資金があるのに……今,買えるだけの食糧を蓄えておかないなら,その人は愚かである」。だがそれで安全なのだろうか。本当はそうでない。アーリック自身もこう認めている。「自分と自分の家族のために一年分の食糧をしまい込んだからといって,それで問題がすべて解決したなどと思ってはならない……危機がやって来た時……あなたと同じような予防策を取らなかった人とその蓄えを分かち合うことを倫理的に求められないだろうか。それとも,隣人が来てその食糧の一部を持って行こうとするとき,その人を撃ち倒すことが正当化されるのだろうか」。
歓迎されたエホバの証人
◆ エホバの証人は,最近ニューヨーク市で二つの大きな大会を開いた。その地方のアムステルダム・ニューズ紙は,証人たちが同市を訪れたことについてその論説欄の中で次のように述べた。「わが国民の道徳観が厳しく問われ,主要な宗教が昔から確立されてきた道徳律に対する反抗に直面している時にあって,エホバの証人の大会をここに迎えるのは喜びである。これは,教導と実践をもってその信条を多年揺らぐことなく守り続けてきた宗教グループであり,自分の宣べ伝えることを厳格に実践するという面で今日の世界でまれな存在である」。
異教徒の“クリスチャン”
◆ オーストラリア,シドニー市のメソジスト派牧師テッド・ノフは,オーストラリアの僧職者たちによってなされている異教的な慣習に対して最近強く抗議した。デイリー・ニューズ紙はこう伝えている。彼は,「教会内で迷信や黒魔術がなされているのを許しているとして教会人をとがめた……教会は偽りを真理とし,異教の慣習を典礼とし,迷信を教理として教えてきた,と彼は述べた……牧師が着ける特殊なえりは,古代アテネの雄弁家のなごりであり……僧職者が着る黒い長い衣は,古代の魔術者の儀式に由来するものである,と彼は述べた」。ノフはさらにこう述べている。「彼らは四世紀の異教の慣習を取り入れ,説教壇から十字架について教えている……十字架そのものは,古代に用いられた多産の象徴であった」。
身なりは重要
◆ テキサス州ボーンのスター紙に投稿したオットー・ラーム夫人は,大部分の若者の長髪姿が汚ならしく見えることについて論じた。しかし,彼女は次のように書いている。「二人の青年が[エホバの証人の]王国会館からわたしの家の戸口にやって来た。きれいにひげをそり,髪を短く刈り,きちんとした服装をしたこれらの若い人々と話すのは喜びだった。もっと大勢の若者が彼らの模範に見倣ってくれることをわたしは望む」。
公害による死者
◆ ニューヨークに住む二人の科学者は,1963年から1972年の間に大気汚染のためにニューヨークで10万8,000人が死んだことを明らかにした。つまり,1日に最低28人が死んだことになる。この二人,H・シュメルとT・ムラウスキーは,主な汚染物質である亜硫酸ガスの量が60%も減少したにもかかわらず,死亡率は変わらなかった,としている。それで,ニューヨーク・ポスト紙はこう述べている。「この研究結果は,市,州,連邦の環境問題担当者たちのひそかな喜びを引っくり返してしまった」。なぜだろうか。「なぜなら,ある人びとが考えるとおり,この研究は,米国で最も厳しい大気汚染規制条例も何ら役に立たなかったことを示しているからである」。
“理路整然とした団体”
◆ 米国の公立学校用の現在の教科書,「20世紀のアメリカ政治」は,信教の自由を守るために最高裁判所が果たした役割を説明している。その教科書によると,「エホバの証人は,高度に組織化され,非常に理路整然とした団体である。その信条と行動のために,彼らはある人々からの批判や敵意をさえ浴びている。……聖書に堅くつき従おうとする証人たちは,国旗に敬礼せず,“世の戦争”のための兵役を拒否する。……エホバの証人に関連した事件について……顕著な点は,そのほとんどが,戦争遂行を十分に支持しない人々に対する一般の風当りが強かった第二次世界大戦中に,最高裁まで行って判決が下されたことである」。
ある牧師の見解
◆ 米国ミネソタ州セントポール市の市議会が,審議中の同性愛権利条例に関する公聴会を開いたさい,一人の婦人は聖書のことばを引用して自分の意見を述べた。するとある人が反論してこう言った。「わたしの前で聖書からそんな信心深げなことばを言うのはよしてほしい」。これを述べたのはだれだろうか。それはバプテスト派の牧師で,セントポール地区教会協議会の専任牧師であるウイリアム・D・ヤングであった。彼の見方が支配的になり,その条例は5対1で可決された。
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聖書の第53番めの本 ― テサロニケ人への第二の手紙目ざめよ! 1975 | 1月8日
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『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』
聖書の第53番めの本 ― テサロニケ人への第二の手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: コリント
書き終えられた時期: 西暦51年ごろ
含まれている時代: 確定できない
1 書かれた時と場所を示しているものはなんですか。テサロニケの人々にあてて第二の手紙を書くように促したものはなんですか。
テサロニケの人々に対する使徒パウロの二番めの手紙は最初の手紙のすぐあとに書かれました。これが最初の手紙のすぐ後に書かれ,しかも同じ都市コリントで書かれたということは,同じ兄弟たち,つまりシルワノとテモテが再度パウロに加わってテサロニケの会衆にあいさつを送っている点に示されています。これら三人はいずれも,初期クリスチャン会衆にあって各地を旅行したしもべたちであり,コリントで共になった後再び三人が一緒になったという記録はありません。(テサロニケ第二 1:1。使徒 18:5,18)おもに取り上げられている事がらと論議の性質から見ると,パウロはこの会衆が陥っている誤りに関連してこの会衆を直ちに正す緊急な必要を感じていたと思われます。
2 何がこの手紙の典拠性を証明していますか。
2 この手紙の典拠性はテサロニケ第一の書の場合と同じように確証されています。この手紙もイレナエウスその他の初期著述家たちによって引用されています。その一人に殉教者ユスティヌス(西暦140年ごろ)がいますが,「不法[罪]の人」ということばを使っている彼は明らかにテサロニケ第二 2章3節に言及しているものと思われます。この手紙は,テサロニケ第一の書が出ているのと同じ初期の目録の中に出ています。チェスター・ビーティー・パピルス第二番写本の中には含まれていませんが,テサロニケ第一の書の後欠けている七葉のうちの最初の二葉の中にはほとんど確実に含まれていたものと思われます。
3,4 (イ)テサロニケ会衆にはどんな問題が起きていましたか。(ロ)この手紙はいつどこで書かれましたか。この手紙によってパウロは何を成し遂げようとしていましたか。
3 この手紙にはどのような目的がありましたか。パウロがテサロニケの人々に与えた助言から判断して,テサロニケ会衆の中には,主の臨在が目前であると主張する人々がおり,それら憶測者たちが自分の説を盛んに宣べ伝え,会衆内に少なからぬ動揺を生み出していたことがわかります。そして,そのことを理由にして,手ずから働いて自分の必要な物を備えることさえ怠っていた人たちがいたようです。(テサロニケ第二 3:11)パウロはその最初の手紙の中で主の臨在について幾度か述べましたが,その手紙が朗読された時,それら憶測をめぐらす人々は,性急にもそれを自分たちの説の裏付けとし,パウロのことばを曲げて,そこに意図されていない意味を読み込んだのでしょう。
4 パウロはこうした状態に関する報告を受けていたものと思われます。それはおそらく,この会衆への最初の手紙を運んだ人を通してであったでしょう。そのため彼は,自分が深い愛情を抱いていた兄弟たちの考えを正すことを切望したようです。こうして,西暦51年,パウロは,自分の二人の仲間と共に,テサロニケ会衆あての手紙をコリントから送りました。キリストの臨在に関する誤った見解を正すことに加えて,パウロは,真理のうちにしっかりと立つことを勧める暖かい励ましを与えています。
テサロニケ人への第二の手紙の内容
5 パウロとその仲間はどんなことについて神に感謝しますか。どんな保証のことばを述べていますか。そして何を祈りますか。
5 主イエス・キリストの表わし示されること(1:1-12)パウロとその仲間は,信仰と互いに対する愛という面での,テサロニケの人々の優れた成長について神に感謝をささげます。迫害のもとでの彼ら
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