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危険と益とを比較考量するあなたの権利目ざめよ! 1984 | 10月8日
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という病気です。ジョセフ・ボーブ博士はさらに次のように述べています。
「輸血を受ける人のために,医師は予想される益に対する輸血の危険性を比較考量しなければならない。この概念は新しいものではないが,心配する患者に,輸血からAIDSになることはないといって安心させることがもはやできなくなったので,一層差し迫った問題になっている」。
医師たちは1978年当時,オネダ夫妻とその危険について話し合うことはありませんでした。当時,その危険は認められていなかったのです。しかし,今ではその危険が周知のことになっています。輸血の危険がより大きいことを示すこのような知識によって,オネダ夫妻の決定はそれほど大きな批判の対象にならなくなるのではありませんか。
親は危険と益とを比較考量しなければならない
大人であれば,輸血であれ,どんな療法であれ,その危険と益とを比較考量する権利があります。「法的適格性のある大人であればだれしも,自分の体の主とみなされる。賢明な仕方でも愚かな仕方でもそれを扱うことができる。命を救う治療さえ退けることができる。それは他人の関与するところではない。まして,国家の関与するところなどではない」。(ヘースティングズ・センターの会長,ウィラード・ゲイリン医博)しかし,子供のために,だれが危険と益とを比較考量するのでしょうか。
愛ある親が行なう,というのが一般的な経験の示す答えです。例えば,お子さんの扁桃腺の具合が悪くなり,手術を受けるよう勧められたとしましょう。親として,扁桃腺摘出手術の有利な点と危険な点について知りたいと思うのではありませんか。次に,その情報を,抗生物質療法についての危険と益の情報と比較してみるかもしれません。そうして初めて,あなたはほかの大勢の親たちと同様,情報を把握した上での結論に達することができるのです。
もっと重大な状況を考えてみましょう。愛する子供が事実上治療の見込みのない種類のガンにかかっているという悲しい知らせを医師から受けます。医師たちの話では,化学療法を用いることもできますが,化学薬品のために子供の具合は非常に悪くなり,しかもこの段階で病気の進行を止める可能性はほとんど無きに等しいとのことです。最終的な決定を下す権利は親にあるのではありませんか。
テレンス・F・アッカーマン博士の記事からは,親にそのような権利があるという答えを引き出すことができます。a 1 国家は未成年者を守らなければならないという主張に基づいて,数多くの法廷命令が入手されたことを同博士は認めています。ところが,多くの事例において,有名なM・D・アンダーソン病院兼腫瘍研究所は,『法廷命令による輸血を求めない方針』を取ってきました。なぜでしょうか。その理由の一部は,「これらの子供はいずれも潜在的に死病といえる病気にかかっており,結果が良くなることを予見できなかった」ためです。イザベラの場合も同じだったのではありませんでしたか。
アッカーマンは,「自分の子供を自分がふさわしいとみなす仕方で育てる,親の権威を尊重する」ことの価値を強調しました。同博士はこう論じています。「医師には親と家族とを支援する道義的な責務があるということは,小児科開業医の原則になっている。死病となる可能性のある病気に子供がかかっているという診断は親に大きなストレスを課すことになる。それに加えて,親が神の律法に対する違反行為と自分たちの信じる事柄と闘わなければならないなら,自分の役割を果たしてゆく親の能力がさらに損なわれるかもしれない。その上,家族の福利は,病気の子供の福利に直接の影響を及ぼす」。
代わりになる方法
輸血に伴う数ある危険を避けるため,研究者たちは血液の必要を抑える外科的な手法を開発してきました。実のところ,血に関するエホバの証人の立場はこの研究を促すものとなってきました。1983年の末に,米国の新聞各紙はアメリカ心臓学会の大会の席上行なわれた一報告について伝えました。それによると,生後3か月から8歳までの年齢層の48人の子供に対する心臓手術が,輸血なしで行なわれました。患者の体温が低くされ,血液はミネラルと栄養分を含んだ水で薄められました。しかし,輸血は行なわれなかったのです。当初,この手法はエホバの証人の子供にだけ用いられました。こうした手術を受けたエホバの証人の子供たちのほうが,従来の方法を使った手術を受けた子供たちよりも助かる確率がはるかに高いのに外科医たちが気づき,この手法を,担当する患者全体に広げることにしたのです。
輸血がどうしても必要だと医師たちのみなす症例のあることは理解できないことではありません。しかし,客観的に言って,次のように言うことができます。(1)輸血が本当にどうしても必要だと自分たちの確信する症例はごくまれであることを大勢の医師たちも認めている。(2)不必要な輸血をするという,長年にわたる有害な習慣がある。(3)輸血の引き起こすゆゆしい危険のために,輸血の危険と益の割合について独断的になるのは不可能である。ですから,エホバの証人でない人でも輸血をしないで欲しいと求める人が少なくないことを伝えている病院もあります。
将来の希望
喜ばしいこととして,個人の権利と尊厳にいよいよ注意が向けられるようになっています。イタリアのような啓発された国々は,できるだけ広範囲にわたる自由を保障するための努力を払っています。その中には,情報を把握した上で医療に関する決定を下す自由が含まれています。アメリカ医師会の作成した一小冊子は次のように説明しています。「医師の勧める治療法や手術を受けてみるか,それを受けずに生きてゆく危険を冒すかを最終的に決めるのは患者でなければならない。それは個人の自然権であり,法律もそれを認めている」。
これは未成年者にもあてはまります。親であれば,子供に影響を及ぼす医療に関する決定を下す上で,親として積極的な役割を果たさなければなりません。米国の裁判官の一協議会は,「子供にかかわる医療命令についての判事便覧」の中で次のように書いています。
「取るべき処置に選択の余地がある場合 ― 例えば,医師が80%の成功率のある処置を勧めても親がその処置を良しとせず,成功率が40%しかない処置については親に異存がない場合 ― 医師は医学的には危険が大きいとはいえ,親の側に異存のない道を取らなければならない」。
読者が医療に関する正確な情報を入手する自分の権利,そうです自分の責務を認識しているのであれば,このような助言は非常に意義のあるものになり得ます。大抵の場合,別の医師の意見を聞いてみるのは賢明です。その医学的障害を治療するさまざまな方法について,またそれぞれの療法に伴う潜在的な危険と益について尋ねてみることです。次いで,危険と益の割合を知り,情報を把握した上で医療に関する決定を下すことができるでしょう。その権利があなたにあることは法律で確立されています。神とあなたの良心とは,あなたにその責務があると述べています。
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言葉探しゲーム目ざめよ! 1984 | 10月8日
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言葉探しゲーム
『あなた方の信仰の果てを得なさい』
右に示された文字の迷路の中から,ペテロ第一 1章に出てくる21の言葉ないしは表現が見つかるはずです。それらの言葉ないしは表現を決めるに当たって,下に示された文章を完成させてください。次にそれらの言葉を文字の迷路の中から見つけ,丸で囲んでください。(答えは23ページにあります。)
ペテロが手紙を書き送った人々は _ _ _ _ _ _ _ _(1)によって悲嘆させられています。
しかし,彼らの _ _ _ _(2)の試された質は,_ _ _ _ _ _ _(3)の表わし示される時に,_ _ _(4)と _ _ _(5)のいわれとなります。
彼らは自分たちの信仰の果て,すなわち _ _ _ _(6)の _ _ _(7)を得ます。
このことに関して,_ _ _ _ _ _ _(8)は勤勉な探究と _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _(9)を行ない,霊が示していたのは,特にどの _ _(10)のことかを調べました。…… _ _ _ _ _ _(11)でさえ,こうした事柄を熟視したいと思っています。
それでわたしたちは,_ _(12)であったために抱いた _ _ _ _(13)によって形作られるのではなく,すべての _ _ _ _ _ _(14)において _ _ _ _(15)者となるべきです。わたしたちが父祖伝来の _ _ _ _(16)行状から救い出されたのは,_ _ _(17)もの,つまり _ _(18)や _ _(19)によるのではないからです。それは,きずも汚点もない _ _ _ _(20)の血のような _ _ _ _ _(21)血によるのです。
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