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  • 「ユダ族のしし」と共に治める者たち
    ものみの塔 1962 | 9月15日
    • 者が地上に生きており,イエスの足跡に従っています。彼らは,「ユダ族のしし」の治める千年の御国がきわめて近いことを知っています。それゆえに彼らは,イエスがマタイ伝 24章14節(新口)に預言した通り,「この御国の福音」を全世界で宣べ伝えているのです。彼らは,イエスこそ,もろもろの民が従うと預言されたシロであることを,知らせています。王権は彼のものであり,彼はそれをエホバ神から受けたからです。諸国民が好んでも好まなくても,イエスは地に住むすべての人を治めるでしょう。

      70 地の人々は,いまどのように賢明でなければなりませんか。それはなぜですか。

      70 ゆえにすべての民である皆さん,賢明でありなさい。「御国の良いたより」を受け入れ,人々の当然に従うべきこの者,「ユダ族のしし」に全く従いなさい。そうすることは,「ユダ族のしし」および共に治める者たちの千年統治によって地が楽園に変えられるとき,地上で永遠の生命と平和と喜びを得ることを意味します。

  • 神の目的とエホバの証者(その46)
    ものみの塔 1962 | 9月15日
    • 到着しました。軍隊の車輛,自動車,逃亡中の老人たち,兵士,男女と子供たち,その全部はロシア軍からアメリカ人の方に逃げて行く人々でした。大通りや道沿いの畠には,あらゆる種類の鉄砲,弾薬,装具,紙,本,自動車,車輛,こわれた自動車,人間の死体などがごろごろしていて,なんとも言えぬ大混乱の様子でした。不安気な人々の顔には,絶望,悲しみ,,そして恐怖がまざまざと示されていました。人々は終りの日おそろしい経験とみじめな失望を身に泌みて感じていたのです。そこで私たちは気の狂った悪鬼的な人間による不敬虚な支配制度の終りを目撃しました。これは12年間存在していたが,結局無になった巨大なシャボン玉のようでした。

      後になって聞いたのですが,私たちの出発もちょうど良い時でした。キャンプから出発後2時間して,SSの警備兵たちは森をぐるりと取りかこんで,森の中に残っていた者を一人残らず射殺したということです。(陸軍少佐のインチキな命令に従って,それ以前に出発した者も殺されたのです)全部で360人から400人の囚人が銃殺されました。

      すでに学んだごとく,他の国々でもエホバの証者はナチの占領下で苦しみました。たとえば,オランダではドイツ軍の収容所内に約400人の証者たちが入れられていました。その中,約50人の証者たちは収容所内で殺され,数人は収容所内の病気で死にました。しかし,収容所に入れられなかった者たちは伝道を忙しくしていました。5年間にわたるナチの占領が始まる前に,317人のクリスチャン奉仕者はオランダで伝道していました。第二世界大戦が終ったときには,地下にもぐったこれらの奉仕者の熱心な努力により,1945年には2166人が野外で活発に奉仕していました。

      益を交互に交換する

      独裁者たちの残酷な支配下にあっても,エホバの証者は耐え忍びました。そのことを示す報告がたくさんあります。また解放された証者たちが家から家に伝道したときに,心打つような歓迎を受けました。そのことを全部お話しする時間はありませんが,一般の人々はかって囚人だった証者たちを見て,死人からよみがえされた者のように感じました。

      奉仕のための再組織が始められ,証者たちを会衆に集めて,野外のわざに活発にする努力が払われました。各国々で支部事務所が再開され,健康に恵まれた僕たちが巡回の僕になったり,兄弟たちの神権的な必要物をまかなうことはぜひ必要でした。兄弟たちは苦しい戦争の経験を経て,霊的に強められました。しかし,物質的には貧しかったため,印刷の仕事を再開し,印刷した文書や他の聖書の手引を供給するために,一時しのぎの設備が必要でした。食物や衣服は2番目に考慮されました。主要な目的は,戦争の辛さを経験したこれらの国々に生命を与える聖書の食物を与え,霊的な滋養物で再び建ておこすことでした。先ず,証者自身を建ておこし,次に霊的に餓死しかかっている善意者たちを建ておこすことが必要でした。物質的な面において,すべての国々が,戦争の災難を受けた国々ほど困ったわけではありません。そのような国々に住む証者たちは,ただちに世界的な救援運動を組織しました。それは1946年1月に始まりました。アメリカ合衆国,カナダ,スイス,およびスエーデンにいた幾千人もの証者たちは,自発的に不幸な兄弟たちに衣服や食物を買うための金を寄付しました。この救援計画は2年半つづけられ,オーストリア,ベルギー,ブルガリア,中国,チェッコスロバキア,デンマーク,英国,フィンランド,フランス,ドイツ,ギリシャ,ハンガリー,イタリー,オランダ,ノルウェー,ヒリピン共和国,ポーランドそしてルーマニアにいる証者たちを援助しました。送り出された衣類は105万6247ポンドに達し,食物は71万8873ポンドに達しました。その他,12万4110の靴も送られました。この品物全部の価値は,132万2406ドル90セントです。

      金銭的な価値を考慮することに加えて,これら必要な品物を集めたり配分したりするのに費された数多くの愛の時間を考えねばなりません。たしかに,兄弟たちはそれぞれの祝福を分け合いたいという愛を示し,それは互に有益でした。一つの面で物質的な益が与えられると共に,そのお返しとして別の面では忠実をしっかり保った不滅の記録が与えられました。

      多くの国々で文書の配布は禁ぜられました。しかし,戦争中の世界において証者たちは第一世界大戦中のとき以上に多くの活動をしました。証者たちが熱心に野外奉仕をしつづけたことを示すいちばん強い証拠は,活発な伝道者の数が増加したことです。第二世界大戦までの伝道者最高数は,7万3469名でした。しかし,1940年から1945年までの第二世界大戦中,伝道者の最高数は,ほとんどその2倍にあたる14万1606名でした。

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