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  • 『お前が生まれてくる前から,お前のことを大事にしていた』
    目ざめよ! 1984 | 10月8日
    • 『お前が生まれてくる前から,お前のことを大事にしていた』

      生きる権利と死ぬ権利。治療法を選ぶ個人の権利。子供に対する親の愛と世話。こうした問題は大見出しで取り上げられるだけの価値があります。新聞記事の中には,宗教的な理由で輸血を断わるエホバの証人に関するものもあります。とはいえ,ほかの大勢の人々も関係しています。どんな人の場合にも,医療に関して下す決定は,命や健康を左右するからです。この問題の全体像をつかむ助けとして,子供たちにふさわしい世話を与えるために生き方を大きく変えたある家族の経験に注目することにしましょう。それに続いて,自分の子供が不治の病で死んだ時,殺人の罪に問われたイタリアの一夫婦に関する非常に興味深い事件が取り上げられています。これらの記事とそれに続く二つの記事は,上記の幾つかの問題,特に自分の健康と命を左右する医療に関する決定はだれが下すべきかという問題を考量するのに役立つでしょう。

      今年9歳になるルイジと11歳になるアントネラが昼食を食べに帰宅すると,母親のフィオレラが二人を迎えに出て抱き締め,「きょうは学校はどうだった」と尋ねます。二人が手を洗い,着替えをすませて食卓に着く間も会話は続きます。フィオレラが短い祈りをささげた後,3人は食事を始めます。みんな食欲はおう盛です。父親のカルロは夕方にならないと帰宅しませんが,その3人の話の中には父親の名前がしばしば挙がります。その時の口調は愛情のこもったもので,父親に話す事柄がたくさんあるようです。

      この温かい家族の光景は過ぎ去った昔のもののように思えますか。そのように思えるかもしれません。そう思うのは,今日の家族生活が普通,それとは非常に異なっていることを知っているからでしょう。(囲み記事をご覧ください。)子供たちがその時間の大半を過ごす家族の環境は明らかに堕落しつつあります。

      離婚や別居が広がっているために,“スーツケース児童”という現象が増大しています。子供たちがあたかも荷物か何かのように両親の間を行ったり来たりさせられるのです。両親と一緒に暮らしている子供たちの中には,家庭内でけんかを見せつけられて悲しい思いをする子もおり,悪くすると親に殴られてひどい目に遭うこともあります。退廃した家庭環境はしばしば麻薬の乱用や青少年非行につながります。

      国際連合は1979年を国際児童年と宣言しました。しかし,「事態を改善するには児童年以上のものが必要とされている」と,ファブリジオ・デンティスはレスプレッソ誌の1979年1月28日号に書いています。同誌は,「我々を形造っているのは今日の生活様式であり,変えなければならないのはまさにこの生活様式なのである」と述べました。

      しかし,ご存じのように,生活様式を変え,子供の家庭環境を向上させるのは容易なことではありません。とはいえ,カルロとフィオレラは数年前にエホバの証人と聖書を研究した後その生活様式を変えたのです。二人は家族の中で聖書の諸原則を当てはめることにしました。それで,今では愛がその家庭生活の目立った特徴となり,子供たちにとって祝福となっています。

      どのようにして生活様式を変えることができるか

      生活様式や家庭環境を変えれば良い結果が得られそうな家族をきっとご存じのことでしょう。どうしたらそのような変化を遂げることができますか。それには生活の型を変えることが関係しています。大抵の人は自己本位な生き方をしており,自分の気まぐれや野心を満足させています。出世や快楽の追求に自分のエネルギーの一番良いところを振り向ける人は少なくありません。配偶者に飽きれば,配偶者を替えるのです。

      わたしたちがそれと異なった生き方をするには,自分たちの生活の中で基本的かつ永続する価値基準を優先させなければなりません。これは神と聖書の諸原則とを考慮に入れることを意味しています。そうすれば,カルロとフィオレラの場合と同様,自分たちの霊的必要を満たすことができます。わたしたちはまた,ほかの人々を助ける点で機敏になれます。聖書は,「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」,また,「受けるより与えるほうが幸福である」と教えているからです。―マタイ 22:39。使徒 20:35。

      これはわたしたちと子供たちとの関係にどんな影響を与えるでしょうか。子供たちはわたしたちの邪魔になる物などではなく,人間なのです。子供をもうけるつもりがあったかどうかにはかかわりなく,親のわたしたちに責任がある,立派な人間であることを認識します。愛と霊的価値基準という相続物を子供たちに伝えれば,子供たちは祝福となり得ます。そのような価値基準はどんな家族においても安定をもたらす要素となります。

      そのような見方をしているかどうかによって,子供が生まれてくる前に親がその子のことをどう見るかにも影響が出る場合もあります。カルロとフィオレラの経験をさらに考えることにより,この点をよりよく認識できます。

      子供たちが生まれる前 ― そして生まれたあと

      「子らはエホバからの相続物」と述べた詩編 127編3節の言葉は,子供たちは貴重で,宝のように大事にしなくてはならないことを示しています。ある物を相続したいと思う人は,ふつうそれを受け取るため,またその世話をするために計画を立てます。

      カルロとフィオレラの場合がそうでした。二人はエホバの証人と聖書を研究するまで,聖書の諸原則に従うことが胎児にさえ良い影響を及ぼすことがあるなどとは考えてもいませんでした。例を挙げると,聖書はあらゆる肉の汚れから自分を清めることを強調しています。(コリント第二 7:1)ですからエホバの証人は,たばこを吸ったりスリルを求めて麻薬を服用したりして,自分の体を損なうことをしません。ところが,そうした習慣を避けることは胎児を守るためにも大切であることを示す証拠があります。ですから,フィオレラは再び妊娠した時,聖書の知識を得ていたゆえに,おなかの子供に有害な事は何一つしないようにする一層の理由がありました。バランスの取れたふさわしい食事をきちんと取り,薬の使用に気をつけることにより,貴重な「相続物」である,胎児に対する配慮を示しました。

      しかし,ご承知のように,親にとってそれはほんの始まりにすぎません。赤ちゃんが生まれてくると,その子は栄養のある食事とふさわしい衣類,そして医療上の世話を必要とします。それが家族にとってどんな事を意味するか考えてみるとよいでしょう。例えば,親になった人々の中にはダンスをしに行ったり映画を見に行ったりする時間を作るため,しばしば夕食を簡単にすませて満ち足りていた人がいるかもしれませんが,子供が生まれたからにはその子の必要を考えなければなりません。成長期の子供たちにとって,バランスの取れた健康的な食事は特に大切です。ですから,時には余り手をかけない食事ですますことも必要かもしれないとはいえ,愛のある親は通常自分たちの活動を調整して,子供たちがバランスの取れたふさわしい食事を取れるようにします。エホバの証人はそうするよう努めています。

      しかし,お察しのとおり,子供たちに対する世話ということになると,物質的な要素だけでは十分でありません。子供たちは親の愛と時間と交友とを必要としています。その感情的な必要は,親が子供を「慈しむ」ことによって満たされなければなりません。―テサロニケ第一 2:7。

      カルロとフィオレラは,イエスが『人は,パンだけによって生きるのではない』と言われたことを学びました。(マタイ 4:4)この真理を認める,愛あるクリスチャンの親は,自分の子供に霊的な訓練を与えます。フィオレラとカルロは,エホバの証人のクリスチャンの集会に出席するようになって,これが実際に行なわれているさまを目にしました。その集会は単に年長の人々のためだけの陰気な集まりではなく,そこには大勢の子供たちが出席していました。その子供たちの打ち解けた幸福そうな様子には,エホバの証人の親が与える平衡の取れた親の愛と世話が反映されていました。

      読者はエホバの証人が家族生活をそのように重要視していることをご存じなかったかもしれません。証人たちは本当に家族生活に重きを置いているのです。その出版物の中にはクリスチャンの親の責務を扱ったものが少なくありません。証人たちの集会ではしばしば,真のクリスチャンは「優しい憐れみの父またすべての慰めの神」であられるエホバ神の属性を反映すべきことが強調されます。こうして,出席している人々はみんな,自分の子供たちの世話をするよう勧められます。―コリント第二 1:3。

      外部の人々の中には,エホバの証人の親が示す優れた特質に注目してきた人がいます。イタリアの一新聞はこう述べています。「彼らは厳格な道徳観を抱いており,それに厳密に付き従う。これは,家族生活のような本当に価値あるものを守る結果になることが多い。夫婦間また子供との関係において,エホバの証人は別居や離婚といった無責任な手段に訴えることを許さない」― 1979年7月31日付,ラ・ナジオネ紙。

      愛ある世話と医療

      しかし,このように言う人もいます。「エホバの証人が良い親でありたいと思っているのなら,どうして自分たちの子供に輸血を受けさせないのか。それは殺人行為ではないか」。このような言葉を聞いたことがありますか。あるいはご自分でこのように考えたことがあるでしょうか。

      このような言葉はエホバの証人だけでなくそれ以外の人々とも関係のある一つの問題とかかわっています。それはこれまでも新聞の見出しになってきた問題です。その問題とは次のようなものです。既に述べたように,愛ある親には自分の子供の福祉を考えてその世話をすることが期待されており,そうした世話には医療を受けさせることが当然含まれています。しかし,自分の子供たちの受ける医療に関する決定において,子供のことを気遣う親にはどれほどの発言権があるのでしょうか。

      これはエホバの証人だけでなく,子供を持つ人であればだれにも関係のある問題です。しかし,エホバの証人のことを念頭に置いて,カルロやフィオレラのように子供たちのためならいつでも死ぬ覚悟ができているほどその子たちを愛している献身的な親についてさらに考えてみましょう。(ヨハネ 15:13)新聞の伝えるところによると,そのような親たちは医師が輸血を処方しても自分の子供に輸血を受けさせようとしなかったと言われています。なぜでしょうか。その人たちは愛のある親たちなのですから,それが冷淡さから出たものでないのは明らかです。

      幾つかの事例では,そのような事件,すなわち親の権利にかかわる事件が法廷に持ち込まれました。これは読者がご自分の子供たち ― 生まれてくる前から大事にされていたに違いない子供たち ― をどのように世話するかということと関係があるかもしれません。こうした点を念頭に置いて読むなら,次の記事は非常に興味深いものとなるでしょう。

  • この二親は愛情深いのか,それとも無情なのか
    目ざめよ! 1984 | 10月8日
    • この二親は愛情深いのか,それとも無情なのか

      自分の子供の受ける医療について決定を下す親の権利に関する問題はさまざまな国で生じましたが,特に注目に値する事件が一つあります。それはイタリアのサルジニア島の主要な都市であるカリアリ市に近い,サロークという小さな町の一夫婦,ジュゼッペ・オネダとコンシリア・オネダにかかわる事件です。

      この事件は世界中に報道されているので,その悲しい経験についてある程度ご存じの向きもあるかもしれません。本誌a およびさまざまな国のマスコミはこの事件を大きく取り上げてきました。

      死病

      オネダ夫妻の幼い女の子,イザベラは重症地中海貧血<サラセミア>という恐ろしい遺伝性の血液病にかかっていました。その病気の治療法として知られているものはありません。それは死病です。場合によっては,輸血によって幾年も延命効果をあげることができますが,医学の権威者たちはそれが治療法でないことを認めています。ハリソンの「内科学の諸法則」(1980年版)はこう述べています。「[ベータ]重症地中海貧血の患者の平均余命は短い。この病気の最も重いものにかかった患者が成人するまで生き延びることはまれである」。イザベラの場合のように病気が重いと,大抵の場合生まれてから二,三年で死亡します。自分の子供がイザベラのような病気にかかっていたとしたら,どうしますか。

      ジュゼッペとコンシリアはイザベラの死が避けられないものであることを知ってはいましたが,二人はその子をカリアリの一診療所に定期的に連れて行きました。そこでイザベラは周期的に輸血を受けていました。それにより一時的にある程度苦痛が和らいだものの,さまざまな問題も生じました。なぜでしょうか。輸血のために鉄分が多くなりすぎるからです。ウィントローブの「臨床血液学」(1981年)は,定期的に輸血を受ける『重症地中海貧血の患者の大半は,鉄分が多くなりすぎて合併症を起こし死亡する』と述べています。この医学書は次の点を認めています。「既に挙げられた治療手段の多くは,大規模な適用には不向きである。[最も効果のある方法]の現在の費用は,一人の患者につき,年間約5,000㌦(約120万円)である」。

      医師の中には,地中海貧血の子供に普通の生活を長くさせる可能性についてバラ色の話をする人がいます。これは別に驚くべきことではありません。絶望的な状態を認めたいと思う人がいるでしょうか。病人が希望を託す医師であればなおのことそう言えます。しかし,不治の病があるということはだれでも知っています。地中海貧血はそうした病気の中に入れなければなりません。ですから,最善の療法について,またさまざまな治療法のもたらす結果についても,相反する見解があるかもしれません。しかし,本当に病気を治す治療法はだれも知らないのです。

      幼いイザベラほど症状の重い子供の場合,たとえ輸血療法を行なったところで,長年持ちこたえられると医学的に保証することはできません。重症地中海貧血に関する統計は厳しい現実を明らかにしています。それは否定しようのない統計です。ミネルバ・メディカ(72,1981,662-70ページ)はISTAT(イタリア中央統計協会)のまとめた数字を載せていますが,それによると,1976年にこの病気で死亡した147人の子供のうち,23.8%は生まれてから4年以内に死亡しました。

      愛のある親を“殺人者”呼ばわりするのはなぜか

      前の記事の中で,エホバの証人と聖書を研究することにより,より幸福な家族生活を送るようになったイタリア人の一夫婦のことを取り上げました。ジュゼッペ・オネダとコンシリア・オネダも同様の経験をし,神の是認を受けた人は「たとえ死んでも,生き返るのです」というイエスの保証の言葉を学んで,その経験はより一層意味深いものとなりました。(ヨハネ 11:25)医師たちはイザベラにある程度の健康と命を保証することもできませんでしたが,神のみ子にはそれができるのです。

      1979年の夏に,オネダ夫妻がエホバの証人になることを決めたとき,二人はカリアリ第二小児科診療所の医師たちにもはやイザベラに輸血をしてほしくない,と通知しました。二人は聖書から,神が使徒たちおよび忠節なクリスチャンたちすべてに,『血を避ける』よう命じておられたことを学びました。(使徒 15:28,29。創世記 9:3,4と比較してください。)その結果,それらの医師たちは少年裁判所に介入することを求めました。裁判所は,娘に輸血を受けさせねばならないとこの二親に指示し,定期的に輸血が行なわれるのを進んで見守る責任をこの事件に関係した医師たちに課しました。

      オネダ夫妻が代わりとなる治療法を探してほかの医師たちの助言を求めていたその期間中,その娘は強制的に連れ去られ,輸血をされていました。それでも,病気は悪化してゆき,イザベラの大切な器官の状態は悪化の一途をたどりました。1980年3月に,医師たちはもはや輸血療法を行ない続けるのをやめてしまいました。数か月のあいだ,輸血を受けさせるためにイザベラを病院に連れて来させるよう取り決めなかったからです。医師たちはどうして法廷の指示を受けた責務を遂行しなかったのでしょうか。当局は今日に至るまでこの謎を解こうとはしていません。

      その後数か月のあいだ,オネダ夫妻は自宅で与えることのできる薬を手に入れ,裕福ではないのに,自分たちの手に入る最も良い食事をさせることによって,愛する娘のためにできる限りのことをしました。決して希望を捨てることなく,ドイツやフランスやスイスの専門家たちにも手紙を書きました。

      6月の末に,イザベラの容態が急に悪化しました。それは気管支の感染のためだったかもしれません。重症地中海貧血を患う子供にとって気管支の感染は致命的なものになりかねません。この期に及んで,警察が再びやって来てイザベラを診療所に連れて行き,イザベラはそこで強制的に輸血をされている間に死亡しました。

      自分たちの2歳半になる子供が死病にかかっていることを承知していたとはいえ,その7月2日に,オネダ夫妻の味わった悲しみと喪失感とを想像することができますか。ところが,二人の悲しみにはさらに別の一撃が加えられることになっていました。1980年7月5日の5時ごろ,二人の警察官が友人の家にいたオネダ夫妻を逮捕したのです。二人には生後3か月の2番目の子供,エステルを友たちに託してゆく時間しか与えられませんでした。

      二人はカリアリの地方拘置所に連れて行かれました。そこは“正義の細道”(皮肉もいいところです!)と呼ばれ,イタリアの中でも特にひどい部類に入る拘置所の一つでした。二人は拘置所の別々の監房に拘禁されました。

      どうして殺人罪で有罪宣告を受けることなどあり得るのか

      このつつましい夫婦は20か月間拘留されました。ようやく公判が開かれ,1982年3月10日にカリアリ巡回裁判所は衝撃的な評決を出しました。その評決はジュゼッペ・オネダとコンシリア・オネダを故意の殺人の罪で有罪としました。判決は懲役14年でした。これは多くのテロリストに科される刑よりも重いのです。

      この評決がイタリアじゅうで取りざたされ,大勢の法律専門家たちがその評決を批判した理由もお分かりでしょう。この事件は上訴されましたが,1982年12月13日に,カリアリ巡回上訴裁判所は以前の評決を追認しました。その裁判所のしたことといえば,オネダ夫妻は『特定の道徳観を動機づけとして行動していた』ので,酌量すべき情状があるとして,刑を懲役9年に減刑しただけでした。

      人間によって行なわれる公正なはずの裁きの場である法廷の前で残されていた最後のチャンスは,最高破棄院に上訴することでした。1983年7月8日に,ジュゼッペ・オネダは仮釈放になりました。獄中で3年間過ごし,健康状態が悪化して危険になったためです。しかし,コンシリアは投獄されたままでした。

      最高破棄院

      ローマにあるこの裁判所はイタリアの司法制度の最高機関です。この裁判所は法律の正しい適用と解釈とにかかわる問題を裁き,上訴があった場合に下級裁判所の出した判決を再審理します。法律が守られていなかったとか正しく適用されていなかったとの判断を同裁判所が下すと,この最高法院には以前の評決を無効にし,その事件を再び審理するよう別の裁判所に命ずる権力があります。最高破棄院は1983年12月13日にオネダ夫妻の事件を審理しました。

      最高法院は大抵の場合に,提出された評決を破棄することをしませんし,二度にわたる下級審の不利な評決にはかなり重みがあると思われました。では,オネダ夫妻が公正な裁きを受けて,愛のある,気遣いを示す親である二人が,そのような人間としてみなされる希望が幾らかでもあったでしょうか。

      事態の劇的な展開!

      その日,法廷で起きた事柄をここで再現することにしましょう。

      5人の判事のうちの一人が報告係を務め,事件の際立った点を法廷に提出して冒頭陳述が行なわれた後に,検察当局の言い分の申し立てが始まりました。

      弁護側は,検察当局の代理をする判事を特に恐れます。その判事の要請を無効にするのは非常に困難だからです。しかも,このとき検察当局の代理をした判事は,数多くの有名な事件でその役割を担ってきた老練な裁判官でした。この人はどんなことを言うでしょうか。

      驚いたことに,その判事はこう尋ねました。「この訴訟の際に明るみに出た諸事実によると,父親あるいは母親はいかなる時点においてであれ,その子供の死を望んでいることを表わしたであろうか。カリアリ裁判所はこの質問に対して十分の答えを出しているだろうか」。そして,「少年裁判所はその子を父親と母親の手に委ねたが,それは二人が愛のある親で,子供にとってその家庭環境が最善であると認めたからである」と付け加えました。検察当局の代理をしたこの判事は次いで,『関係していた判事,専門家および社会学者たちは,この親たちが自分たちの子供の保護監督権を与えられるにふさわしいかどうかを定める最もよい立場にあった』ことに注意を促しました。

      オネダ夫妻が悪意を抱いてその子供の死を生じさせたという主張はどうでしょうか。検察当局の代理をした判事はこう言葉を続けました。「我々が冷静になった上で,殺意があったと言えるほど強力な証拠は,挙動の上での証拠も証拠となる他の要素も存在しない。……したがって,これらの理由により,我々は[カリアリの]判事たちがこれらの質問に対して満足のゆく答えを出していないとする」。

      次いで,検察側のこの判事は,「よって,殺意の有無についての評決を取り消すよう本法廷に求める」という驚くべき要請をしました。

      殺意があったことを証明する証拠はないのです。ということは,オネダ夫妻は故意の殺人者などではないということです。それに加えて,検察側の判事は以前の裁判の取り消しを申請していました。

      次いで,同法廷は弁護側の言い分を聞きました。その弁護士たちは国中にその名を知られた人たちでした。弁護士たちは下級審の訴訟手続きの矛盾と,出された判決の不条理なところを指摘しました。

      それから裁判官たちはしばらくのあいだ退廷しました。最後に,裁判長が同法廷の判決を読み上げました。以前の評決を取り消し,本件をローマ巡回上訴裁判所に移し,そこで再審理すること。

      最高法院はその判決の理由を述べた際,とりわけ,小児科診療所と他の行政事務機関の重大な欠点を明らかにしました。『疑いもなく……行政事務機関には重大な落ち度があった。それらの機関は最初の措置を取ったあと……被告の思想上の信条に関する問題をはっきりと,恒久的に解決するための何らかの対策を立てるようにとの明確な要請があったにもかかわらず,それらの機関は全く関心を示さなかったのである』。これは最高破棄院の判決の30ページにある言葉です。

      やっとのことで再会!

      コンシリア・オネダは,予防拘留の期間が切れたため,今では釈放されています。3年半の苦しみを経たのちに,オネダ一家はやっとのことで再会しました。ジュゼッペとコンシリアは一緒に暮らし,かわいいエステルに愛ある注意の目を向ける喜びを味わっています。では,二人にその体験談を話してもらうことにしましょう。

      ジュゼッペ: 「私たちは1976年に結婚し,1年後にイザベラが生まれました。私たちはその誕生を心待ちにしていましたが,誕生後ほどなくしてどこかがおかしいことに気が付きました。顔色がとても悪く,病弱に見えたのです。イザベラが生後6か月のときに,医師たちはあの子が死に至る恐ろしい病気にかかっているとの診断を下しました。死病にかかっているという診断を聞いて,私たちがどんなにつらい思いをしたかご想像いただけると思います」。

      コンシリア: 「当然のことですけど,その子に対して今まで以上に愛着を感じるようになりました。どんな親でも,死病にかかって苦しんでいる無力な子供に対してそのような反応を示すと思います。私たちはすぐに小児科診療所でイザベラに治療を受けさせました。そこでは輸血が行なわれました。それでも,あの子の容態は悪化してゆきました。1年間輸血療法を続けたのち,あの子のおなかがひどく膨れ上がってしまったのを覚えています。肝臓と脾臓も大きくなっていました。輸血をされるときに,イザベラはとても苦しみました。一度など,動脈を探すのに医師たちが1時間もかかったことがありました。その間ずっと,うちの子は苦しんで叫び声を上げていたのです」。

      ジュゼッペ: 「その悲しみのさなかに,私たちは聖書を研究して本当の慰めを得ました。特に感銘を受けたのは,神が,苦しんでいる人々の目から痛みの涙を間もなくぬぐい去ってくださり,死ももはやなくなるという啓示 21章4節の約束でした」。

      コンシリア: 「これは,たとえイザベラが死んでも,復活によって元気なイザベラに会えることを意味しました。残念ながら,イザベラの死は避けられないことのように思えました。それから,『血を避ける』ようにという神のご命令[使徒 15:20; 21:25]を聖書から学んだとき,私たちは一つのことを決意しました……」。

      ジュゼッペ: 「……聖書の原則に付き従うという決定です。神が死人の中からあの子を復活させてくださる日に,元気なイザベラを迎える希望を抱く唯一の方法は,私たちにとってそれしかなかったのです。輸血がこの病気の進行を止めていないことは目に見えていましたし,サルジニアでは大勢の子供たちが,輸血をされながらも,この同じ病気で幼いうちに死んでゆくことを私たちは知っていました。何か月も輸血を続けて子供が少しも良くならない場合,痛みも少なく,おびえさせることも少ない仕方で,子供たちを自宅で世話することを選ぶ親が少なくないということも聞きました」。

      コンシリア: 「イザベラが再び元気な体にされるという唯一の見込み,つまり神の約束に基づく見込みをどうして退けることができるでしょう。この治療法のもたらす結果について私たちが読んだことからして,輸血は良い治療法でないことを私たちは悟っていました。輸血によって,大切な器官に致命的な障害がしばしば生じることを知りました」。

      ジュゼッペ: 「私たちはこの決定を医師たちに知らせましたが,そこからこのよく知られるようになった話が始まったのです」。

      コンシリア: 「イザベラはとても繊細で,愛情深く,理知的でした」。

      ジュゼッペ: 「2歳を少し過ぎたころでしたが,あの子は『わたしの聖書物語の本』に載せられている多くの事柄をもう知っていました。神のみ名,エホバを知っていました。そして,聖書の登場人物に関する物語の絵を見て理解し,その絵について私たちに話すことができました」。

      コンシリア: 「生きてゆけるだけの健康な体を我が子に与えてやれなかったということは,母親にとってとてもつらいことです。娘のエステルには,イザベラに似たところがたくさんあります。これからは,イザベラに示し続けてやりたかった愛をその分この健康な子供に示してやりたいと思います。家族のもとに,そして私たちにとても優しくしてくださるクリスチャンの兄弟たちのもとに帰って来れて,うれしく思います。でも,獄中で過ごしたあの3年半の年月を決して忘れることはありません。そうした日々の中には,同房者が絶望感から自殺をしようとした日もありました。彼女を助けることはできましたが,それはひどい経験でした。でも,そのお陰でエホバ神にいっそうより頼むようになりました」。

      ジュゼッペ: 「同房者たちは私のクリスチャンの忠誠を打ち砕くためにできる限りのことをしました。暴力や同性愛行為やその他の堕落した事柄です。私が一番恐れていたのは,忠誠を保てなくなって,神の幸福な新しい事物の体制で生きる可能性を失うことでした。時には絶望感に打ちひしがれることもありました。上訴裁判所が判決を追認した時などがそうです。時には自分など生まれてこなければよかったと思うこともありました。それでも,熱烈な祈りによってエホバからの慰めを受けました。また,神が聖書の中にヨブ記を含めておいてくださったことにも感謝しています。ヨブの経験と自分の経験との間に類似点があると思えたからです。言うまでもなく,神はヨブにお答えになり,試みに耐えて『逃れ道』を見いだすための力をお与えになりました」。―コリント第一 10:13。

      「刑務所での悪夢の最も悲惨なときにも,エホバはいつも私の考えの中心にありました。[ヨハネ第一 1:5]また,さまざまな国から無数の手紙を寄せてくださった仲間のクリスチャンたちにも大いに励まされました。それらクリスチャンたちの愛ある関心は,神が私たちをお見捨てにならないことを確証していました。ローマ 1章12節やマルコ 13章13節などの聖句は最後まで辛抱するための助けになりました。私は刑務所から出て来たとき,使徒パウロの言うように,『倒され』てはいましたが,『滅ぼされているわけではありません』でした」。―コリント第二 4:9。

      コンシリア: 「この訴訟が最終的に終わるとき,ジュゼッペと私が完全に無罪放免になるかどうかは分かりません。それでも,私たちが娘を殺したという偽りの嫌疑を晴らすために助力を惜しまなかった人々やその嫌疑を晴らすために今でも働いてくださっている方々に感謝しています。このような嫌疑で告発されるのは,親として最も悲痛なことだと思います」。

      ジュゼッペ: 「これまで起きた事柄について,だれをも恨むことなく耐えてこれたことをうれしく思っています。神と隣人に対する愛があれば,確かに自分たちに与えられている数多くの祝福を数え上げるのに役立ちます。私たちには,家族があり,霊的な兄弟たちがおり,信仰と希望があるのです」。

      サロークのこれらつつましい二親は不当な告発を受けたということに読者はきっと同意されるでしょう。そして,二人が経験した苦しみに対して同情を覚えるに違いありません。しかし,子供の健康を守ることに対する親のかかわりというこの問題のある面について疑問が残るかもしれません。これはわたしたち自身,あるいはわたしたちの親族や友人に直接影響を及ぼすかもしれない問題なのです。

      [脚注]

      a 「目ざめよ!」誌,1983年1月22日号,およびイタリア語版1983年5月22日号。

      [10ページの囲み記事]

      生まれたばかりのA子ちゃん ― 親はどうするか

      愛にあふれた親は,切ない決定を迫られることがあります。例えば,自分が生まれたばかりのA子ちゃんの親だったら,あなたはどうしていましたか。ニューヨーク・タイムズ紙(1983年11月1日付)は次のように伝えました。

      「3週間前に,ロングアイランド州の一夫婦に女の子が生まれたが,その子は健康体ではなかった。脊椎披裂,異常に小さい頭蓋骨,脳水腫つまり脳に液体が多くなり過ぎる障害およびその他の異常があった。たとえ手術をしても,この子はひどい知恵遅れになり,一生,といってもこの子の場合20年ほどだが,寝たきりになる。医師や社会事業家や聖職者と相談した末,生まれたばかりのA子ちゃんの両親は,胸の張り裂けるような選択をした。手術をせずに,自然の経過にまかせるという選択である」。

      部外者の中にはこの決定に同意しない人がおり,事件を法廷に持ち込みました。しかし,事件が米国最高裁判所に持ち込まれたとき,同裁判所はこの事件を却下しました。生まれたばかりのA子ちゃんの事件は,愛に満ちた親でさえ直面するかもしれない切ない問題を如実に物語っています。

      [9ページの図版]

      刑務所を出て,娘のエステルと再会するコンシリア・オネダ

  • ある治療法を退けるのは命を退けることですか
    目ざめよ! 1984 | 10月8日
    • ある治療法を退けるのは命を退けることですか

      「いずれかの治療法を受け入れるとしたら,どの治療法を受け入れるかを決める権利が自分にはあるのだろうか」と自問してみてください。これは考慮すべき重要な質問です。医師の勧めるある療法を退けるのは,命に対する認識の欠如を示すことだと主張する人もいるからです。さらに,関係している危険性を比較考量して,病気の子供に勧められているある特定の治療法を親が断るとしたら,それは愛のないことだろうか,と尋ねることもできます。

      この問題について独断的に語るある人々は,「この療法を受け入れないと言うことは,子供の命はいらないと言うことだ」という主張で,この問題を片付ける傾向があります。しかし,それが物事を単純化しすぎた,極めて皮相的な見解であることが容易に理解できることでしょう。それはむやみに感情をかき立てはしますが,(1)良心と基本的な倫理,(2)本人および家族の権利,そして(3)世界的に注目を浴びるようになった問題の医学および法律的側面などを無視しています。

      良心とは人の奥底にある侵すことのできない部分であり,正気の道徳的な人間にはだれにでも備わっています。著名なカトリックの枢機卿,ジョン・ヘンリー・ニューマンは,『光明へと向かう道は良心に従うことにより見いだされる』と主張しました。ですから,ナチの戦犯が自分たちは命令に従っていたにすぎないと述べた時,世界中の道徳的な人々はそれらの人々が命令よりも自らの良心の声に従うべきだったと答えました。同様に,1982年1月,法王ヨハネ・パウロ2世は,『人々の良心が押さえつけられることがないよう,神に対して声を上げた』と言われています。人の良心に反することを無理に行なわせることは,「人間の尊厳に極めて大きな苦痛を与えることで,ある意味では,身体上の死を引き起こすこと,つまり殺人よりも悪い」と同法王は語りました。

      医療に関する決定において良心が肝要な役割を果たすべきであると考えているとしたら,読者ご自身の気持ちは法王のこの言葉と調和するかもしれません。

      医療に関する問題と良心

      ここに例を挙げましょう。読者がどんな信仰を持っているにしても,カトリックの教理では,たとえ妊娠により母親か子供の生命に危険が生じたとしても,女性は堕胎を求めてはならないとされていることをご存じかもしれません。これが堕胎の合法化されている国に住むローマ・カトリック教徒の医師にどんな問題を投げ掛けるか想像してみてください。1978年5月22日に法律194号が成立して以来,イタリアはそのような国になっています。この法律は,医療に従事する人の側が良心的に堕胎を拒否することを認めています。ところが,第9条は,女性の生命にかかわる場合,医師は「良心的拒否権を行使してはならない」という条件を付けています。では,誠実なカトリック教徒の開業医はどうしたらよいのでしょうか。

      近くにほかの医師がおらず,その医師が自分の良心に反しない範囲で最善を尽くしたとしたら,わたしたちはその人を殺人罪で告発するでしょうか。むしろ,たとえ女性や当局が言い張ったとしても,医師の良心に反することを無理やりに行なわせるのは,「殺人よりも悪い」ことになるでしょう。この例は,良心の求めるところが健康と生命にかかわる医療上の決定に影響を及ぼし得ることを如実に物語っています。

      親と子供と命

      わたしたちは,初期クリスチャンの行なった事柄にも,この点をはっきり認めることができます。皇帝の像の前で香をたくことは偶像礼拝に当たるとして,初期クリスチャンがその行為を拒んだことはきっとご存じでしょう。しかし,その宗教的また良心的な見方は,その人たち自身,および子供たちの健康と命に直接関係していました。なぜでしょうか。『香をささげるか,さもなくば家族もろともローマの闘技場で皆殺しだ』という選択を迫られた時にも,クリスチャンは自分たちの信念を曲げようとしなかったのです。彼らは,その道が自分と自分の子供たちにとって危険であっても,命にかかわることになっても,自分たちの信仰に忠節でした。

      クリスチャンは血についても試みを受けました。「血を避ける」よう聖書の中で命じられていたからです。(使徒 15:20)3世紀のラテン人の神学者,テルツリアヌスは,てんかんの患者が殺された剣闘士の生き血を飲んでいたことを報告しています。それがてんかんの治療法とされていたのです。クリスチャンはそのような“医療上の”理由で血を摂取するでしょうか。決してそのようなことはしません。テルツリアヌスは,『クリスチャンは動物の血さえ食べようとしない』ことを付け加えています。事実,ローマの当局者は,ある人が本当にクリスチャンかどうかを試みたいと思った場合,血で作ったソーセージを食べさせようとしました。真のクリスチャンなら,死刑に処されたとしても,それを食べないことを知っていたからです。これは注目に値することです。今日のエホバのクリスチャン証人もやはり,血を取り入れることを拒むからです。

      さて,これらの初期クリスチャンたちは命をあまり大切にしていなかったのか,それとも殉教者になりたいと思っていたのか,と尋ねてみることができるかもしれません。そのいずれでもありませんでした。それら初期クリスチャンたちとその子供たちを死に追いやったのは,ローマの当局者たちでした。そして,法王が最近述べたように,自分たちの良心に反する行動をするのは死よりも悪いということを知っていたこれら献身的なクリスチャンたちに関する記憶を,わたしたちは重んじるのではないでしょうか。

      これは医療に関する決定とは分野が異なると思う人がいれば,D・N・ゴルトシュタイン博士の書いた次の言葉に注目するとよいでしょう。

      「この立場[ある治療を拒否する人に無理やりにその治療を施すこと]を取る医師たちは,自分たちの命をさえ惜しまず原則に対する最高度の献身的行為をもって歴史に輝きを加えた殉教者たちすべての犠牲を退けている。宗教上の良心のとがめを感じるような行為をするよりは確実に臨む死を選ぶそれらの患者たちは,……[強制的な]バプテスマを受けるよりは……自分たちの命を代償として支払った人々と変わらないからである。……医師はだれも,魂を滅ぼして体を救うために,法の手を借りようとすべきではない。患者の命はその人自身のものである」―「ウィスコンシン・メディカル・ジャーナル」誌。

      真の命を選ぶ

      大抵の人は,「命」が単なる生物学的な存在以上のものを意味することに同意するでしょう。命とは,理想や価値観(政治的,宗教的,科学的,芸術的など)を中心とした一つの存在です。そのような理想や価値観がなければ,存在そのものは無価値なものかもしれません。ですから,第二次世界大戦中,愛国的な男女は政治的な理想,民主主義や言論・信教・良心の自由などの価値を守るために,自分の命をかけました。このようにして理想を守った結果として,大勢の子供たちが死に,ほかにも無数の子供たちが孤児になりました。

      この点をよく示しているのは,イタリアの政治家アルド・モロの劇的な事件でした。モロは,政府当局がテロリストの要求をのまなかったために,1978年に残忍な仕方で殺害されました。時として,より高い主義主張の名において人命が犠牲にされるのは明らかです。

      ですから,道徳的な人が妥協して自分の理想を棄ててしまうよりは,自分の生物学的な存在を危険にさらす道を選ぶ場合があるということを理解できるでしょう。そうすることによって,真の命,つまり完全な意味での命を選んでいるのです。これはクリスチャンの理想にも確かに当てはまります。

      クリスチャンは人命を神聖なもの,神からの貴重な贈り物と見ます。理知的で,教養のある人だった使徒パウロのことを考えてみてください。パウロは命を脅かされるような状況や殴打に遭いましたが,このように述べています。「わたしはすべてのものを損失しましたが,それらを多くのくずのように考えています。それは,自分がキリストをかち得……るためです。……何とかして死人の中からの早い復活に達しえないものかと努めているのです」― フィリピ 3:8-11。

      パウロは,神から非とされることを承知しながら,ある事柄に携わることは決してなかったに違いありません。パウロが,人間としての命や健康を数年長く享受するだけのために,自分の場合には天での命を意味した「真の命」を失う危険を冒したりしなかったことに疑問の余地がありません。(テモテ第一 6:19)しかし,次の点を考えてみてください。

      今日,天での命を待ち望む教会員は無数にいます。あるいは,読者もその一人かもしれません。ですから,将来のとこしえの命の希望を抱く人が重い病気にかかって,神が禁じておられると自分の感じる療法を退けたからといって,その人が命を退けているとして非難するのは決して公平なことではありません。むしろその人は長年地上で生きてきており,回復してこの地でさらに長生きするかもしれません。しかし,いずれにしても,そしてたとえ医師が未信者であったとしても,当人が自分の永続する将来の命を考慮に入れて,それに従って医療に関する決定を下すのは道理にかなったことと言えるでしょう。

      医師があなたやあなたの身内の人にある療法を勧める際,問題のこの面を論ずることはめったにありません。しかし,医師があなたに知らせなければならない肝要な面が一つあるのです。それは,危険と益と呼べるかもしれません。自分自身と自分の家族のために,この点を考慮してみなければなりません。そうすることにより,自らも賢明な決定を下し,ほかの人々の取った道が知恵の道であったことを理解するのに役立つかもしれません。

      [13ページの囲み記事]

      子供のための健康上の世話 ― イエズス会士の見解

      聖十字大学(米国)の準教授でイエズス会士のジョン・J・パリスは,“子供のための健康上の世話の法律的および倫理的側面”という会議の席上で話をしました。(1982年4月1日)同教授はあるエホバの証人に輸血をするよう命じたユダヤ人の判事について話しました。パリス教授は,「判事は自分の宗教と自分が正しいと考えたところとに従ったが,そうすることによって,患者の宗教を侵害した」と述べました。

      そしてさらにこう付け加えています。「キリスト教の神学は,単に呼吸をしていることが生命だという考えを支持していない。病院ではだれ一人死なない。彼らは病勢を止める……。[病院では]命は神聖ではなく,至上のもので,死は失敗である。しかし,ユダヤ-キリスト教の伝統では,死は人間の状態の一部であり,命の旅の一部である。これらは文化的生活環境基準にかかわる決定であるという事実を避けることはできない。時として,最善の治療法は,治療しないことである」。

      [14ページの囲み記事]

      とこしえという概念が分析を変える

      ルース・マックリン博士はアルバート・アインシュタイン医科大学(ニューヨーク)の哲学者です。倫理学の授業中の討論で,一人の医学生が「鎌状赤血球貧血にかかっていて,輸血を受けずに出血多量で死ぬ覚悟をしている」エホバの証人の患者について話しました。その医学生はこう述べました。「この男性は論理的で,その思考過程は健全でした。宗教上の信念が,唯一の治療法と相入れない場合,どうしたらよいでしょうか」。

      マックリン博士はそれに答えてこう述べました。「この男性は誤りをおかしていると我々は強く感じるかもしれない。しかし,エホバの証人は輸血をされるのは『血を食べる』ことで,血を食べればとこしえの断罪を受けることになる[かもしれない]と信じている。我々は医学で危険と益の分析を行なうよう訓練されているが,とこしえの断罪と地上での残された命とをはかりに掛ければ,その分析は異なった角度を取ることになる」― 1984年1月23日付,ニューヨーク・タイムズ紙。

  • 危険と益とを比較考量するあなたの権利
    目ざめよ! 1984 | 10月8日
    • 危険と益とを比較考量するあなたの権利

      自分の体は自分のものです。自分の命は自分のものです。これらの陳述は当然の言葉のように思えるかもしれませんが,医療に関する,人の基本的な権利を指し示す言葉です。自分にどんな処置が施されるかを決める権利は本人にあります。多くの人はもう一人の医師の診断を聞いてから決定することによりこの権利を行使します。また,ある特定の療法を拒否する人もいます。ローレン・H・ロス博士の行なった1983年の調査から,『入院患者の20%は治療を拒否する』ことが明らかになっています。

      しかし,自分が病気になったりけがをしたりした場合,どのようにして決定を下せるでしょうか。医師でもないのに,どうしたら最善の療法を知ることができるでしょうか。わたしたちは通常,専門家,つまり専門の教育を受け,経験があって,人々を助けることに一身を献げている医師たちに頼ります。医師と患者は,「危険と益の割合」を検討しなければなりません。それは一体何のことでしょうか。

      ひざの具合が悪くなったとしましょう。ある医師から手術を勧められます。しかし,麻酔や手術の危険性あるいは足の機能に後日及ぶ障害の危険性はどの程度のものでしょうか。一方,どんな益がもたらされる可能性があり,自分の場合にそれらの益が実際に得られるという可能性はどれほどのものでしょうか。危険と益に関する全体像が説明されたなら,決定を下す権利は本人にあります。つまり,情報を把握した上で同意を与えるか,その治療法を退けるかの決定です。

      危険と益とを比較考量する

      現実の状況,つまり前述のジュゼッペ・オネダとコンシリア・オネダの場合の,危険と益の割合を考慮してみましょう。

      オネダ夫妻の娘,イザベラは非常に重い病気にかかっており,医師たちはその子に定期的に輸血をするよう勧め(要求さえし)ました。愛に満ちたこの二親は,主に聖書の律法に対する自分たちの知識のゆえに異議を唱えました。とはいえ,危険と益の割合の問題はこの事態にどのような影響を及ぼし得たでしょうか。

      近ごろの人々は大抵,患者の体内に血液を入れることは安全で効果的な療法であるとみています。しかし,17世紀当時,瀉血は老若を問わずだれに対しても行なわれる一般的な医療行為で,しばしば致命的な結果を招いていたということを忘れてはなりません。当時,親が自分の子供に対して瀉血が行なわれるのを拒んだとしたら,どんなことが起きていたでしょうか。

      瀉血の全盛時代は終わりました。医療に携わる人々は今では輸血を支持しています。近年,医師たちは多くの事を成し遂げてはきましたが,輸血に危険の伴うことを認めないわけにはゆきません。ジョセフ・ボーブ博士(米国血液銀行協会,輸血によって広まる病気対策委員会の委員長)は,血液から肝炎にかかることが1943年に初めて取り上げられた,と最近語りました。同博士はさらに次のように述べています。

      「それから約40年を経た現在,血液によって運ばれる少なくとも4種類の異なったウイルスで肝炎になる可能性が,輸血に伴う危険として認められている。また,血液や血液製品によってうつるものとして,ほかにも数多くの感染因子が挙げられている」―「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」誌,1984年1月12日号。

      自分,あるいは自分の家族の健康や命に関連して問題を比較考量しなければならないとして,そのような病気にかかる危険は一体どれほど大きいのでしょうか。医師たちでさえ確かなことは言えません。輸血が行なわれてからずっとあとになって,これらの病気が原因で死ぬ人がいるからです。一例として,肝炎の一つの型(B型)だけを取り上げてみましょう。この病気のスクリーニング(病気の有無のふるい分け)は部分的にしか成功をみていません。あるニュース報道(1984年1月10日付)は次のように述べました。

      「米国アトランタ市にある疾病対策センター(CDC)によると,1982年中,約20万人のアメリカ人がB型肝炎にかかった。病気が急性だったために入院した人は1万5,000人を数え,112人が死亡した。この病気に起因する慢性的な合併症により,さらに4,000人が死亡している」。

      イタリア,ドイツ,日本およびその他の国々で,輸血によって生じた肝炎のために死ぬ人がほかに何人位いるでしょうか。確かに,輸血による死は比較考量すべき重大な危険の一つなのです。

      また,輸血に関する危険と益の割合において,危険の占める割合は大きくなってきています。(ミラノの)ジオルジオ・ベネロニ教授は1982年5月に,「我々の知識が増えるにつれて,対応する輸血に関連した危険の数がいよいよ多くなっていることに我々は気づいている」と述べました。医師たちの間で警鐘を鳴らすものとなった一つの発見は,死亡率の極めて高いAIDS(後天性免疫不全症候群)という病気です。ジョセフ・ボーブ博士はさらに次のように述べています。

      「輸血を受ける人のために,医師は予想される益に対する輸血の危険性を比較考量しなければならない。この概念は新しいものではないが,心配する患者に,輸血からAIDSになることはないといって安心させることがもはやできなくなったので,一層差し迫った問題になっている」。

      医師たちは1978年当時,オネダ夫妻とその危険について話し合うことはありませんでした。当時,その危険は認められていなかったのです。しかし,今ではその危険が周知のことになっています。輸血の危険がより大きいことを示すこのような知識によって,オネダ夫妻の決定はそれほど大きな批判の対象にならなくなるのではありませんか。

      親は危険と益とを比較考量しなければならない

      大人であれば,輸血であれ,どんな療法であれ,その危険と益とを比較考量する権利があります。「法的適格性のある大人であればだれしも,自分の体の主とみなされる。賢明な仕方でも愚かな仕方でもそれを扱うことができる。命を救う治療さえ退けることができる。それは他人の関与するところではない。まして,国家の関与するところなどではない」。(ヘースティングズ・センターの会長,ウィラード・ゲイリン医博)しかし,子供のために,だれが危険と益とを比較考量するのでしょうか。

      愛ある親が行なう,というのが一般的な経験の示す答えです。例えば,お子さんの扁桃腺の具合が悪くなり,手術を受けるよう勧められたとしましょう。親として,扁桃腺摘出手術の有利な点と危険な点について知りたいと思うのではありませんか。次に,その情報を,抗生物質療法についての危険と益の情報と比較してみるかもしれません。そうして初めて,あなたはほかの大勢の親たちと同様,情報を把握した上での結論に達することができるのです。

      もっと重大な状況を考えてみましょう。愛する子供が事実上治療の見込みのない種類のガンにかかっているという悲しい知らせを医師から受けます。医師たちの話では,化学療法を用いることもできますが,化学薬品のために子供の具合は非常に悪くなり,しかもこの段階で病気の進行を止める可能性はほとんど無きに等しいとのことです。最終的な決定を下す権利は親にあるのではありませんか。

      テレンス・F・アッカーマン博士の記事からは,親にそのような権利があるという答えを引き出すことができます。a 1 国家は未成年者を守らなければならないという主張に基づいて,数多くの法廷命令が入手されたことを同博士は認めています。ところが,多くの事例において,有名なM・D・アンダーソン病院兼腫瘍研究所は,『法廷命令による輸血を求めない方針』を取ってきました。なぜでしょうか。その理由の一部は,「これらの子供はいずれも潜在的に死病といえる病気にかかっており,結果が良くなることを予見できなかった」ためです。イザベラの場合も同じだったのではありませんでしたか。

      アッカーマンは,「自分の子供を自分がふさわしいとみなす仕方で育てる,親の権威を尊重する」ことの価値を強調しました。同博士はこう論じています。「医師には親と家族とを支援する道義的な責務があるということは,小児科開業医の原則になっている。死病となる可能性のある病気に子供がかかっているという診断は親に大きなストレスを課すことになる。それに加えて,親が神の律法に対する違反行為と自分たちの信じる事柄と闘わなければならないなら,自分の役割を果たしてゆく親の能力がさらに損なわれるかもしれない。その上,家族の福利は,病気の子供の福利に直接の影響を及ぼす」。

      代わりになる方法

      輸血に伴う数ある危険を避けるため,研究者たちは血液の必要を抑える外科的な手法を開発してきました。実のところ,血に関するエホバの証人の立場はこの研究を促すものとなってきました。1983年の末に,米国の新聞各紙はアメリカ心臓学会の大会の席上行なわれた一報告について伝えました。それによると,生後3か月から8歳までの年齢層の48人の子供に対する心臓手術が,輸血なしで行なわれました。患者の体温が低くされ,血液はミネラルと栄養分を含んだ水で薄められました。しかし,輸血は行なわれなかったのです。当初,この手法はエホバの証人の子供にだけ用いられました。こうした手術を受けたエホバの証人の子供たちのほうが,従来の方法を使った手術を受けた子供たちよりも助かる確率がはるかに高いのに外科医たちが気づき,この手法を,担当する患者全体に広げることにしたのです。

      輸血がどうしても必要だと医師たちのみなす症例のあることは理解できないことではありません。しかし,客観的に言って,次のように言うことができます。(1)輸血が本当にどうしても必要だと自分たちの確信する症例はごくまれであることを大勢の医師たちも認めている。(2)不必要な輸血をするという,長年にわたる有害な習慣がある。(3)輸血の引き起こすゆゆしい危険のために,輸血の危険と益の割合について独断的になるのは不可能である。ですから,エホバの証人でない人でも輸血をしないで欲しいと求める人が少なくないことを伝えている病院もあります。

      将来の希望

      喜ばしいこととして,個人の権利と尊厳にいよいよ注意が向けられるようになっています。イタリアのような啓発された国々は,できるだけ広範囲にわたる自由を保障するための努力を払っています。その中には,情報を把握した上で医療に関する決定を下す自由が含まれています。アメリカ医師会の作成した一小冊子は次のように説明しています。「医師の勧める治療法や手術を受けてみるか,それを受けずに生きてゆく危険を冒すかを最終的に決めるのは患者でなければならない。それは個人の自然権であり,法律もそれを認めている」。

      これは未成年者にもあてはまります。親であれば,子供に影響を及ぼす医療に関する決定を下す上で,親として積極的な役割を果たさなければなりません。米国の裁判官の一協議会は,「子供にかかわる医療命令についての判事便覧」の中で次のように書いています。

      「取るべき処置に選択の余地がある場合 ― 例えば,医師が80%の成功率のある処置を勧めても親がその処置を良しとせず,成功率が40%しかない処置については親に異存がない場合 ― 医師は医学的には危険が大きいとはいえ,親の側に異存のない道を取らなければならない」。

      読者が医療に関する正確な情報を入手する自分の権利,そうです自分の責務を認識しているのであれば,このような助言は非常に意義のあるものになり得ます。大抵の場合,別の医師の意見を聞いてみるのは賢明です。その医学的障害を治療するさまざまな方法について,またそれぞれの療法に伴う潜在的な危険と益について尋ねてみることです。次いで,危険と益の割合を知り,情報を把握した上で医療に関する決定を下すことができるでしょう。その権利があなたにあることは法律で確立されています。神とあなたの良心とは,あなたにその責務があると述べています。

      [脚注]

      a 「善意の限界: エホバの証人と小児ガン」,「ヘースティングズ・センター・レポート」,1980年8月号。

      [16ページの囲み記事]

      おびえる小児科医

      ジェームズ・オレスキ教授は最近次の事を認めました。

      「小児科医また免疫学者としての私をおびえさせるのは……我々がAIDSについて知る前に,大勢の未熟児に輸血をしてきたという警戒期間がまだ終わっていないことである。……70年代の後半および80年代の初頭に,在庫していた血液が実際にAIDS因子で汚染されていたとしたら,大勢の未熟児がこの病気にかかる危険にさらされていたことになるかもしれない。……AIDS用の簡単なスクリーニング検査法はなく,その診断用の検査なしには,この病気の潜伏期にありながら自分は健康で献血できると感じる人を見分ける方法が実際には存在しないことに問題がある」―「データ・セントラム」,1984年1月号。

      [17ページの囲み記事]

      血液 ― 命の贈り物?

      「昨年の10月にサム・クシュニックが死亡したとき,家族の者たちはユダヤ教の肩衣に包んで,お気に入りの靴をはかせて埋葬してやりたいと願った。ところが,葬儀屋はその遺体に触れようとしなかった。死亡診断書によると,その死因はAIDS ― 後天性免疫不全症候群 ― だったのである。

      「クシュニック事件で異例なのは,AIDSの患者が死んだとき,のけ者として扱われたという点ではない。際立っていたのは,サムがまだ3歳で,しかもこの病気にかかる危険の高い主要なグループ ― 乱交を行なう同性愛者,ハイチ人そしてヘロイン中毒者 ― のいずれにも属していなかったことである。ロサンゼルスのこの幼い少年は,輸血をされたのちにこの病気にかかったAIDSによる死者の一人で,そのような人の数は少ないながらも,増加しつつある」。(1984年3月12日付,ウォール・ストリート・ジャーナル紙,1ページ。)サムは生まれたとき未熟児でした。病院の医師たちは検査のためこの子の血液の幾らかを取った際,その代わりに献血者の血液を輸血しました。この子が2歳でAIDSを発病したのち,その献血者たちの跡がたどられました。その一人は同性愛者で,幼いサムの命を奪った病気の症状はまだその人には現われていませんでした。

  • 言葉探しゲーム
    目ざめよ! 1984 | 10月8日
    • 言葉探しゲーム

      『あなた方の信仰の果てを得なさい』

      右に示された文字の迷路の中から,ペテロ第一 1章に出てくる21の言葉ないしは表現が見つかるはずです。それらの言葉ないしは表現を決めるに当たって,下に示された文章を完成させてください。次にそれらの言葉を文字の迷路の中から見つけ,丸で囲んでください。(答えは23ページにあります。)

      ペテロ第一 1:6-9。

      ペテロが手紙を書き送った人々は _ _ _ _ _ _ _ _(1)によって悲嘆させられています。

      しかし,彼らの _ _ _ _(2)の試された質は,_ _ _ _ _ _ _(3)の表わし示される時に,_ _ _(4)と _ _ _(5)のいわれとなります。

      彼らは自分たちの信仰の果て,すなわち _ _ _ _(6)の _ _ _(7)を得ます。

      ペテロ第一 1:10-12。

      このことに関して,_ _ _ _ _ _ _(8)は勤勉な探究と _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _(9)を行ない,霊が示していたのは,特にどの _ _(10)のことかを調べました。…… _ _ _ _ _ _(11)でさえ,こうした事柄を熟視したいと思っています。

      ペテロ第一 1:14-19。

      それでわたしたちは,_ _(12)であったために抱いた _ _ _ _(13)によって形作られるのではなく,すべての _ _ _ _ _ _(14)において _ _ _ _(15)者となるべきです。わたしたちが父祖伝来の _ _ _ _(16)行状から救い出されたのは,_ _ _(17)もの,つまり _ _(18)や _ _(19)によるのではないからです。それは,きずも汚点もない _ _ _ _(20)の血のような _ _ _ _ _(21)血によるのです。

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