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  • 勇気をもって耐え忍び神に奉仕する
    ものみの塔 1963 | 12月15日
    • 任命された地域のことを考えてください。エホバはいく度もモーセをパロの所につかわして,ご自身のさばきを伝えさせました。彼がそのようにいく度も王宮を訪れたのは,いうまでもなくパロが善意を示したからではありません。もしかしたらパロはエホバの崇拝に加わるかも知れない,という気持でその訪問が行なわれたのではありません。むしろそれは,エホバのさばきを知らせ,エホバの御名を宣明するために,エホバのご命令に従って,反対をものともせず行なわれた訪問でした。「我わが手をエジプトの上に伸てイスラエルの子孫をエジプトの中より出す時には彼ら我のエホバなるを知ん」とエホバは宣言されました。(出エジプト 7:5)そういう状況のもとで伝道するには勇気がいりました。

      13 エレミヤは奉仕でどんな経験をしましたか。私たちはそれからどんな益を得ますか。

      13 エレミヤも奉仕において困難に会いました。神は彼に,『エレミヤよ,私はあなたに良い伝道区域をあげよう』とは言われませんでした。反対に神は,『あなたがエルサレムの人々に伝道すると,彼らはあなたと戦うでしょう』と言われたのです。事実そのとおりになりました。国民の背教のゆえにエホバが,彼らの上に滅びをもたらされる,ということをエレミヤが警告したとき,彼らは笑い,あざけり,ひやかしました。宮の近くで伝道していた時など,宮のつかさのひとりが,エレミヤの言ったことを聞いて腹を立て,彼を足かせにつなぎました。支配者たちはエレミヤを数回も獄に投げ込みました。ある時エレミヤは,そのことにひどく失望して,『神のことについてはもう話すこともすまい』と言いました。しかし彼はそういう気持を克服しました。(エレミヤ 1:19; 20:1,2,9)そして23年間そのことを伝えたにもかかわらず,人々はたいした反応を示しませんでした。「二十三年のあいだ…我これを汝等に告げ頻にこれを語りしかども汝らきかざりき」。(エレミヤ 25:3)そうしたことがあってもエレミヤは,40年後もやはりその仕事をしており,勇敢に伝道していました。彼は,エホバが彼をつかわして伝道させられたことが成就する時までその仕事から離れなかったのです。こうした勇敢な例こそ,「わたしたちの参加すべき競走を,耐え忍んで走りぬ」くように,私たちを励ますものです。

      落胆しても勇気を出す

      14 最初によく聞いた人を再び訪問するとき,どんながっかりするような経験をすることがよくありますか。なぜですか。

      14 あなたが神と神の御国について話しかける人のなかには,聞く人もあります。しかしそのうちの多くの人にあなたは失望するでしょう。そのことを知っておくのはよいことです。初めて会ったときにはよく聞いたのに,次に訪ねたときにはぜんぜん関心を示さない,という人にあなたは会うでしょう。イエスはその状態を,道端に落ちて,根をおろさないうちに鳥についばまれた種にたとえておられます。そういう場合には,悪魔が自分と同じ精神をもつ者を使って,神の御言葉を偽り伝え,そうすることによってその人の関心を奪ってしまったのです。ですから落胆しないでください。―マタイ 13:3,4,19。

      15 なぜある人々は,しばらくの間は学んでいることに非常な喜びを示しながら,のちになってエホバの証者との研究を止めるのですか。

      15 別の人たちはあなたが訪問する時,聞くだけでなく,喜んでその言葉を受け入れます。ですからあなたはその人たちに話したことを気持よく感じます。その後何回か訪問してもあなたを歓迎さえします。しかしそういう人のなかに,浅い土の中で急速に成長する植物のような人がいます。根を深くおろさないのです。親せきの者や友だちから嘲笑をあびせられると,それに当る気がないのです。聖書から学んだ事柄は真理だと知っているかもしれません。そして,あなたとの聖書研究をやめたほうが良いと思うと,むしろ申しわけなさそうに言うかも知れません。しかし,人間への恐れに支配され,神の戒めに従おうと考えるだけの神への愛がないために,結局は脱落してしまいます。―マルコ 4:5,6,16,17。

      16 何が人々の生活からみことばを枯らしてしまいますか。

      16 もう一つのグループは,いばらの中に落ちた種のようです。みことばを芽生えさせるかも知れませんが,あまりにも多くの他の事柄や問題にまといつかれて,そのための心配が多く,まずそのこと ― 勤務時間を長くすること,お客をもてなすこと,娯楽を追い求めること ― をしなければならないと思うので,時間がなくなってしまいます。そういう人たちは気持のよい人たちで,すわって話を聞きたいのはやまやまですが,どうにもその時間がありません,と言うでしょう。―ルカ 8:7,14。

      17 こうした経験に対して私たちはどのように反応すべきですか。

      17 あなたはそのような経験をすると,意気消沈し,失望しますか。そんなことがあるということを前もって知っておいて,失望しないようにしてください。むしろ,真理をかたくとらええ,『耐え忍んで実を結び』,あなたの場合は神のことばが,良い正しい心に受け入れられたのであることを証明してください。そして,熱心に奉仕を続けることにより,迫害に会って枯れたり,古い世の物質的利益のために神の新しい世の希望を捨てるような人間ではないことを示してください。神の御心を行ないつづける勇気をもっていることを証明してください。―ルカ 8:8,15。テモテ後 4:10,11。

      18 信頼していた人にがっかりさせられたときはどうすべきですか。

      18 これらの事柄に対して平衡のとれた見方をもつ人は,またほかの問題に対処する力も与えられます。そして個人的な問題のために元気をなくすようなことはありません。時には,クリスチャン会衆内の友だちですら,人をがっかりさせるようなことをすることが事実あります。彼らも正しいことをしようとするのです。でも不完全です。私たちもだれひとり完全ではありません。ではほかの人からがっかりさせられたならどうしますか。信仰の導師であるキリスト・イエスの残された模範をよく考えてください。

      19,20 このことに関連してイエスはどんな経験をされましたか。そして私たちに益となるどんな模範を残されましたか。

      19 人間としての生涯の最後の晩のこと,イエスは祈るために弟子たちと共にゲッセマネの園に行かれました。すると間もなく剣や棒を持った暴徒がやってきてイエスを捕えました。弟子たちは事のなりゆきを見とどけるまではそこにいましたが,そのあと,記録が示すとおり「皆イエスを見捨てて逃げ去った」のです。(マタイ 26:56, 新口)その晩おそく,大祭司の中庭で,ひとりの女中がペテロを見て,あなたもイエスの弟子のひとりに違いない,と言いました。しかしペテロは,「わたくしはその人を知らない」とやりかえしました。そういうことが3回ありましたが,みなその中庭で起きました。イエスは鶏が鳴いたあとペテロを見られました。(ルカ 22:55-61)しかしイエスの心は動揺しませんでした。イエスは,仲間の弱点によって神に対する自分の忠実をゆるがされるようなことはされなかったのです。イエスは天にいます御父に頼り,御父を信頼しておられました。

      20 それから三日目,死人のなかからよみがえらされた時イエスは,しようと思えば自分を捨てた人々を責める機会がありました。が,どうされましたか。彼らのしたことを叱責されなかったのです。『お前たちはあの晩よくもあんなことをしたな。もう絶対に口を聞かないでくれ。これで絶交だ!』とは言わなかったのです。また,冷い態度を示して口もきかない,というようなこともされませんでした。反対にイエは,弟子たちと共に勉強し,共に祈って彼らが強くなるように援助されました。それは彼らが再び動揺することなく,神の勇気あるしもべであることを証明するためです。イエスは自分の感情よりも,弟子たちの忠実さを重視されたのです。私たちの従うべきなんという模範でしょう。―ルカ 24:44-50。

      「力を合わせて戦う」

      21 エホバの民の会衆との交わりに対してどんな態度をとるべきですか。

      21 神への奉仕で忠実を証明したいと思う人は,感情を害したり,物質を追い求めたり,迫害のためにエホバの民の会衆から離れることはできません。真のクリスチャンにはみな,徳を高める霊的交わりが必要です。クリスチャンが,神への奉仕の備えをする所は,会衆の定期的集会です。また,勇気を出し耐え忍んで神のみこころを行なえるように信仰を強められるのも集会においてです。今日の神のしもべは,これらの集会に対して,初期クリスチャンと同じ見方をしなければなりません。初期クリスチャンは,同信の人たちと集まるためには,不便をいとわないばかりか,危険をもかえりみませんでした。激しい迫害がのぞんで,ヘロデ王がヤコブを殺し,ペテロを獄に投じても,他の者が恐れて集会をやめるようなことはありませんでした。戸を閉めきって集会を開くなど,必要な注意を払いながら,共に集まって祈り,励まし合いました。霊的に生きつづけ,またイエスの教えどおりに証言をつづける勇気を出すには,そういう集会が必要であることを彼らは知っていたのです。(使行 12:1-5,12-17)集会が必要なことは今日でも変りありません。真のクリスチャンはみな,トロアスの兄弟たちのように,神のことばを学ぶために集まる特権を尊重しなければなりません。パウロがしばらくの間トロアスの兄弟たちを訪問した時のことです。パウロは夜通し話して,集会は明け方までつづきましたが,兄弟たちはとどまって話されることを聞きました。(使行 20:7-11)エホバの民の会衆と集まる機会があるなら,それを十分に活用してください。このことについては,キリスト教以前の雲のように多いエホバの証者のひとりであるダビデの例から励ましを得てください。ダビデは言いました。「人われにむかひていざエホバのいへにゆかんといへるとき我よろこべり」。―詩 122:1。

      22 エホバはどんな方法を用いて私たちが勇気をもつように援助されていますか。それで私たちはどんな決意をもつべきですか。

      22 神を愛し,神のみこころを行なう人々には,なんというすばらしい励ましがあるのでしょう。正義を愛するがゆえに神の御国の伝道者になる機会をとらえて,他の人に『正義の宿る新しい天と新しい地』を指し示すすべての人に対し,エホバは聖書にしるされた忠実なしもべたちの生涯の記録を通してすばらしい励ましを与えられています。(ペテロ後 3:13)また,共に集まり,共に伝道するための準備をとおして,彼らが強くなり信仰のうちにしっかりと留まるよう援助されます。また,彼らが宣教において耐え忍び,『今は悪い時代なので』『時を生かして用い』,奉仕に励むようにご自身のことばを通して勧めておられます。(エペソ 5:15-17)エホバは,祈りのうちにエホバに近づく特権を彼らに与え,ご自身の聖霊をもって彼らを後援されます。もしあなたがこの神のご準備に定期的にあずかるなら,勇気を出すあらゆる理由があります。そして堅く立ち「一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられないで」しょう。「このことは,彼らには滅びのしるし,あなたがたには救のしるしであって,それは神から来るのである」。―ピリピ 1:27,28,新口。

  • 熱意は問題をなくす
    ものみの塔 1963 | 12月15日
    • 熱意は問題をなくす

      ◆ 月10時間の目標を達成するためにどんな計画を立てていますか。夫は不信者で,その上3人も4人もの子供がいるため,目標達成は中々むずかしいと言われるかたがありますか。マラヤの地域大会でパプテスマを受けたある姉妹の経験は多くの方の参考になるでしょう。彼女には不信者の夫と4人の子供がありますが,御国会館で開かれる週3回の集会を欠いた事がなく,努力して,月々12時間の奉仕もしています。「なるほど,でもそれほどめずらしい事ではない。そのような姉妹ならたくさんいるし,もっと良くやっている人もある。でも,私の問題はもっと大きい」,と言われる方があるかも知れません。

      しかし,この姉妹には普通の人にない大きな障害があるのです。彼女は完全なめくらであり,御国会館の行きかえりにも,野外奉仕にも,だれかに手をひいてもらわねばならないのです。教会の信徒としてすごした彼女は,長年の間霊的な暗やみの中にとじこめられていました。教会の人で彼女の聖書研究を助けた者は一人もありませんでした。しかし,彼女がエホバの証者と勉強していることを知った時,牧師は聖書を読んであげる,自分と一緒に聖書研究をしようなどと申し出,エホバの証者との勉強を中断させようとしてさまざまの努力をしました。しかし,ひとたび真理に接した彼女をひきもどすことはできませんでした。普通では克服できぬほどの障害をかかえた彼女が,エホバの御心を行なうことのために,それほどの熱意を抱くようになったのはなぜですか。イザヤ書 35章にある,「そのときめしひの目はひらけ」とのエホバの約束の言葉の意味を深く考えたからです。彼女の強い願いは美しい自然を見るということはもちろん,さらに,彼女のかわいい4人の子供たちを自分の目で見る事です。―1963年エホバの証者の年鑑から

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