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台湾からの報告ものみの塔 1954 | 9月15日
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口頭の方法が広く用いられています。書物を通して学ぶ代りに,アミ種族の人々の記憶力は非常に良く,その清い心は,古い世の哲学とか,不道徳で汚されては居りません。問題となつている点が,心に明白に植えつけられるまで,人々は沢山の質問をします。その心は,彼等の参考書となります。そして心はいつも彼等と一緒にありますから,本棚に置かれて忘れられて仕舞う本よりも手頃で便利なものです。アミ種族の人々が真理を学ぶ時,彼等は毎日真理を語り,考えます。それで真理はいつまでも新鮮で,明瞭なのです。
長い年月の間,台湾の兄弟達は孤立していました。しかし現在では,全世界に亘る新しい世の社会の兄弟達と密接な関係を持つていると感じて非常によろこんで居ります。台湾に入ることが出来,そして兄弟達の手元に届けられるだけの聖書,文書,ものみの塔の雑誌を兄弟達は協会から受けました。政府の禁止令を無くさせようと,引き続いて努力はなされていますが,彼等はそれについて感謝を表わしています。
ニューヨークの兄弟達は,救済の衣服という親切な贈物を台湾の兄弟達にいたしましたが,これによつて,全世界の兄弟達と共に一つとなつているという感じは,強く台湾の兄弟達の心に刻み込まれました。世界の半周も離れた場所であつても,兄弟達は苦しみや困難に際して共に一つであるという明白な証拠が示されました。それに加えて,その衣服の分配を監督した警察官達にとつて,それは大きな証言でありました。ボロボロの衣服は真理に非難をもたらすであろうと思つて,奉仕に行くことが出来なかつた多くの兄弟達は今や全く備えを受けました。多くの兄弟達は,今始めて靴を穿いています。ゴツゴツした険しいこの地方を証言するのに,靴は必要なものです。衣服が送られて,物質的な恩恵を受けたことは素晴らしいものでした,しかしそれよりももつと価値あるものは,たとえ物質的に貧しくとも,彼等は新しい世の社会の一部であると考えられて居り,そして新しい世の社会と共に活動を続けて行くよう援助を受けているという確信を台湾の兄弟達が持つたことでした。親切にもこの衣服を寄附された兄弟達の皆さんは,台湾の奉仕の増加に対して貢献したことにその報いを感ずるでしよう。
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宣教に対する要求ものみの塔 1954 | 9月15日
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宣教に対する要求
『兄弟たちにこれらの教訓を与えることより,あなたはキリスト,イエスの正しい奉仕者になる。』― テモテ前 4:6,新世。
1,2 ヱホバが,その目的を達成するのに用いるいくらかの手段は何ですか?
生ける神であるヱホバは,無限の智恵を持つておられ,多くの力と創造したものを用いることにより,その永遠の目的を果し,時に応じて特別な仕事を達成されます。ヱホバは過去の時代に火の燃える焔,暴風で浪立つ海,大魚,野の獣空の鳥,昆虫,人間,天使,そして天使長であるミカエルすら用いました。そしてまたこれらのものたちは,大いなる創造者の御意をするのに良く働いております。
2 天使長は聖書の中で言葉とも表し示されていますが,ヱホバは最初にそして全く直接に彼を創造しました。ヱホバが他のすべてのものを創造するのに,『主なる働き手』として用いられたものは,他ならぬこの天使長でした。(シンゲン 8:30。黙示 3:14)『すべてのものは彼によつて存在するようになつた。彼によらないでは何一つとして存在しなかつた。』(ヨハネ 1:3,新世)彼は宣教に対して必要な要求を割り当てられましたが,天の父に常に従つて父をよろこばせ,父の御意をするのをよろこんで行いました。地上の人間で救いの相続者たちを援助するため,他の忠実な天使たちがどのように奉仕するかは十分に知ることができません。しかし,それらの天使たちはヱホバの僕たちであり,その宣教を達成するのに必要な要求にかなつている者たちであるということは,まつたく確かなことです。ヱホバは『「その天使たちを霊となし,公やけの僕たちを火の焔となす。」……天使たちはみな公やけの奉仕のための霊であり,救いを相続しようとする者たちに奉仕するため遣わされているものではないか?』― ヘブル 1:7-14,新世。詩 104:1-4。
3 アベルとエノクは,どのようにしてヱホバの奉仕者であると明白に示しましたか?
3 昔しの時代に男も女もヱホバに良く奉仕しました,というのは,彼らはその課せられた宣教に対しての要求にかなつていたからでした。ヘルブ書 11章の中には,16名のそのような人々の名前が名誉を与えられ聖なる記録の中に記されています。最初の人アベルは,ヱホバの忠実な証者であつて,その嫉妬に狂つた兄カインによつて殺された時でも,アベルは沈黙しませんでした。ヱホバはカインに向つて話しかけられ,こう言いました。『聞きなさい! あなたの兄弟の血は,地から私にむかつて叫んでいる。』(創世記 4:10,新世)『信仰によつてアベルはカインよりも,より大きな価値ある犠牲を神に献げた。アベルはその信仰によつて,正義である方,すなわち彼の供物について証しを守られる神にたいして証しを立てた。それを通して,彼は死んではいるが,いまでも語つている。』(ヘブル 11:4,新世)エノクもまたその割り当てられた宣教に対する必要な要求にかなつており,その表の中に述べられています。アダムから7代目の人であるエノクもまた予言し,……次のように言つた『みよ! ヱホバはその千万の聖い者を率いてこられた。それはすべての者に裁きを行うためであり,すべての不敬虔な者が不敬虔な仕方で行つたすべての不敬虔な仕業と不敬虔な罪人らがヱホバに反対して語つたすべてのはげしいことがらを処罰するためである。』― ユダ 14,15,新世。
4 ノアのどんな活動は,彼がヱホバの奉仕者としての要求にかなつたことを証明しますか?
4 アダムとエホバは反逆と不従順のために,その楽園の家から追い出されましたが,その時から約16世紀後には,子孫たちの道徳は非常に悪くなり,その考えるところも想像することもみなたえず悪のみだけでした。それでヱホバは大洪水を地にもたらして,その悪い制度と,それを支持するものたちすべてを亡ぼそうと決心されました。ヱホバは,地上にいた正義の人々とある動物を救い生存させるために,難避所をつくるようにと命じました。それは異常の構造物であつて舟とも呼ぶことのできるものです。ノアは舟造りではありませんでしたが,ヱホバは彼にこの仕事を割り当てました。ノアはヱホバとその目的を成しとげるヱホバの完全な能力に大きな信仰を持つていて,その仕事を行い,時間通りに完成しました。ノアは建造する以外に,ヱホバの目的について口でもつて伝道しました。(ペテロ後 2:5)彼もまた宣教に必要な要求にかないました。
5 アブラハムは,その長い生涯のあいだに,認められた奉仕者としての要求をどのように果しましたか?
5 ヱホバは,大洪水後に別の人に仕事を割り当てましたが,その人はその仕事をなしとげるのに必要な信仰を持つていました。この人は忠実な奉仕をし,また変ることのない従順を示しましたので,ヱホバはこの人にすばらしい約束をされました。この約束は契約となり,信仰を持つすべての人類への希望を含んでいました。『聖書は,神が信仰の故に諸国民を正義と言明すると先見し,アブラハムに前もつてこのような良いたよりを与えた。「お前によつて,すべての国民は祝福されるであろう。」』(ガラテヤ 3:8,新世)神がアブラハムに命じて,その愛した子イサクをモリア山の祭壇で犠牲として捧げるように告げた時,彼にとつて最もつらい試験が課せられました。このことは,聖なる記録のために一つのことを予表していたのです。すなわち,信ずる人類を贖うための犠牲として,ヱホバ神がその愛せられた子イエスを捧げられたことです。アブラハムは信仰を持つていて,従順に従い,必要な予表はつくられました。しかし,ヱホバの恵みある御親切により,イサクは生命を助けられ,忠実な父親アブラハムのところに戻りました。―創世 22:1-18。
6,7 モーセの生涯において,良い奉仕者に対するどんな要求が明確に示されていますか?
6 時がたつて,モーセもまた宣教のための資格と力を持つ人の手本となりました。しかし,彼は最初必要な要求にかなう者とは考えませんでした。モーセがヘブル人の両親より生まれた時,幾万というイスラエル人たちはエジプトの束縛の下にいました。生まれた時から死んだその日に至るまで,信仰はモーセの生涯にあつて非常に重要な役割を果しました。エジプト王の命令の下にあつて,モーセはイエラエル人の他のすべての男の幼児と同じく,生まれた時に殺される筈でありました。彼の両親は,信仰を持つていましたので,その愛らしい子供を殺すのを拒絶しました。ヱホバの指示をうけて,子供はパロの娘にとりあげられ,王室で育てられました。モーセはそこで,エジプト人のすべての智恵を学びました。しかし,モーセはこれらの異常な環境の下にあつても,イスラエルの神であるヱホバの清い崇拝を棄てませんでした。モーセは,エジプト人の監督がくるしめていた彼の兄弟を救けようとしましたが,そのとき王<パロ>とのあいだに面倒なことが起り,その生命を守るためにミデアンの地に逃げなければなりませんでした。彼はそこに40年住み,エテロの牧者として働き,後にその娘と結婚しました。モーセは80歳になつて,正義という点で全く円熱し,ヱホバがいま彼に割り当てた宣教を行うのに全く充分の資格を備えました。ヱホバはこう申しました。『私はエジプトにいる私の民のくるしみを間違いなく見ており,彼らを働かせる者たちのために彼らの叫びを聞いている。私は彼らが悩んでいる痛みを良く知つている。……さて,私はお前をパロのところに送り,イスラエルの子孫である私の民をエジプトから導き出させよう。』(出埃 3:7-10,新世)ヱホバからこの話しを聞いて,モーセは大いによろこぶべきでしたが,しかし彼はエジプト人たちやその王の気質を知つていたので,その仕事を行うのを恐れました。その任務をする資格または力がないとモーセは言いました。ヱホバはこれを聞いて不快に感ぜられました。というのはヱホバはモーセの能力については,モーセ自身よりもよく知つていたからでした。ヱホバは,彼と共にいるであろうとモーセに告げましたので,モーセはこの確信を力にして頼り,その任務をなしとげようと出かけました。
7 モーセは,この割り当てられた仕事を果すのに必要な要求にかないました。その仕事を行つた時,彼は豊かに祝福されました。私たちすべてにとつて,これは良い教訓です。その制度を通してヱホバより割り当てをうける時,それはできないという言い訳をしてはならず,また不平を言つてはなりません。ヱホバは言い訳をうけいれません。ヱホバが言い訳をうけるとするならば,彼はその僕たちの分限を知らないということになります。無限の智恵を持つ神にとつて,そのようなことは全くあり得ません。私たちが従順であることは,言い訳をするよりも良いものです。従順は生命に導きます。言い訳は終りない死に導きます。
8 エレミヤは忠実な奉任者として働きましたが,そのことはどんな面で私たちを援助しますか?
8 イスラエルの国民は,エジプトを去つて約束の地に入つてから,繁栄して,非常に多くなり,富み栄えました。しかし,彼らは間もなくヱホバの真の崇拝から離れそむき,そのまわりにいた異教の国民の悪鬼崇拝を行いました。ヱホバはこのことで非常な不快を感ぜられました。ヱホバは,宣教に対して充分の力あつた予言者エレミヤをエルサレムに遣し,信仰を失つた祭司たちや,偽りの予言者たちや,またユダの王たちにヱホバはバビロンの王を用いてその都と壮大な宮を亡ぼすと警告を与えました。そしてまた更には,イスラエル人たちは奴隷としてバビロンに連れ去られ,彼らはバビロンで70年のあいだ他の神々に仕えるであろうということをも警告しました。(エレミヤ 25:8-13。ダニエル 9:1,2)これらの祭司たちや,偽りの予言者たちはエレミヤを迫害しました。しかし,彼はその任務をなしとげ,宣教に必要な要求にかなつた者であるということを全く証明しました。彼らはある時に,エレミヤを君候たちのところに連れ来り,彼は暴動を起していると訴え,死刑にあたるべき者であると言いました。なぜ? 彼は,バビロンの王に都を譲り渡すよう人々に告げていました。エレミヤは何をしましたか? その事がらを処理するのに,彼は用意していましたか? 訴えた者たちに対して,エレミヤは次のように言いました。「我は汝らの手にあり,汝らの目に善と見ゆるところ義しと見ゆることを我に行え。されど汝ら良くこれを知れ,汝らもし我を殺さば,必らず罪無きものの血,なんじらの身とこの邑とその中に住める者に帰せん。ヱホバ我を遣してこのすべての言葉を汝らの耳につげしめ給いしなればなり。」偽りの祭司たちや告訴者たちにとつて,いまや局面は変りました。これを聞いて,人々は次のように言いました。「この人は死にあたる者にあらず,これは我らの神ヱホバの名によりて我らに語りしなりと。」(エレミヤ 26:14-16)祭司や偽りの予言者たちの言つたこと,またそそのかしたことによつてどのように昔しのヱホバの証者たちが,迫害されたかということをこれは説明しています。今日でもその通りです。サタンには新しい策略がありません。新しい衣服の中に古い策略を盛りこむだけです。パウロが次のように言つている通り,私たちはサタンの手段を知つています。『私たちがサタンによつて騙されないようにするためである。というのは私たちはサタンの企みを知らないのではないからだ。』(コリント後 2:11,新世)パウロは,これと対照をするものとして,次のことを私たちに思い起させています。『神の富と知恵と知識は何と深いのであろう! その裁きは何と測り難く,その道は何と探り難いものであろうか?』― ロマ 11:33,新世。
最大の奉仕者を紹介す
9 洗礼者ヨハネは,奉仕者としてのどんな特別無比の特権を正しく用いましたか?
9 ヱホバは,その予定の時にメシヤが表れ,まず最初にイスラエルに紹介されるよう目的を立てられました。ヱホバはメシヤを紹介するというこの貴重な宣教を行わせるのに,学者とかパリサイ人の中からは全く選びませんでした。ヱホバが選ばれたのは,辺鄙な田舎の人で,エレサレムにいた宗教支配者たちの言い伝えとか間違いに教えこまれていない人でした。ヱホバは,メシヤの道を準備するために洗礼者ヨハネを選び,ヨハネはメシヤが来たときに彼を人々に紹介しました。ヨハネは生まれる前からヱホバの奉仕に献身されていました。ヨハネが子供であつた時,献身した両親は彼を育てて訓練し,そして若い頃は,荒野で孤独な生活をいたしました。ヨハネはその荒野で,ヘブル語聖書に書かれているものを読み,また深く考え,自分の前にある仕事について自ら準備することができました。このようにして,彼は宣教に必要な要求にかなうようになりました。ヨハネの伝道の活動についての記事を読むならば,彼は恐れを持たない人であつて,何事をもかくさなかつた人であつたことが分ります。彼の話しを聴いていた聴衆の中には,多くの場合に学者,パリサイ人,そしてサドカイ人がいましたが,ヨハネはそれらの者に目立つような地位を与えて彼らを尊びませんでした。その代りに,彼らにむかつてこう言いました『あなた方まむしの子孫よ,来るべき怒りからどのように逃げるべきかを誰が示したか?』― マタイ 3:7,新世。
10 地上におけるイエスの短い期間の奉仕に,良い奉仕者としてのどんな正しい行いが特別に顕著ですか?
10 ヨハネがその宣教を初めて6ヶ月後に,イエスが洗礼をうけようと彼のところに来ました。ヨハネは躊躇して,こう言いました。『私こそあなたから洗礼をうけるべき者であるのに,あなたは私のところに来るのですか?』 イエスは答えて,『いまはそうおつしやるな。そのようにして正しいことをするのは,適当なのである。』(マタイ 3:14,15,新世)イエスの幼い時の生活については,彼がヱホバの霊によつて生まれ,ベツレヘムで誕生したということ以外には,聖書には殆ど記録が書かれていません。イエスはダビデの支族に属する処女マリヤから生まれました。今日ローマとコンスタンチノープルの図書館にある記録によると,若者イエスはその当時の政治や,国民の問題,論争に全然関心を払わなかつたと言われています。イエスは,ローマ人たちによるひどい束縛の絆から国民を解放する努力をしませんでした。イエスは,ヘブル語聖書を研究し,人々に天の御国について語るのに時間を費しました。またそれらの記録によると,誰も彼に読み方を教えなかつたが,彼は記憶でもつて聖書を知つていました。それで,当時の学者たちは驚きもし,また困りました。イエスがイスラエルの国民の問題に関心を持ちませんでしたので,彼の母親もまた困惑しました。それで彼女は天使ガブリエルが,その子は父ダビデの御座を相続し,その御国には終りがないと彼女に告げたことを思い出しました。ある時母親はそのことを子に話しました。しかしイエスはこう答えました。『女よ,あなたは私が誰であるかを知らない。』しかし,これらの記録は,聖書の一部ではありません。聖書によると,イエスは自分が誰であり,どんな任務を行うように運命づけられているかを知つていました。彼はこの任務をなしとげました。
11 その宣教の活動の時に,洗礼者ヨハネとイエスはどんな障害に会いましたか?
11 洗礼者ヨハネもイエスも,伝道に行つた時に多くの困難や障害に会い,それらを克服して行きました。『天の御国は近づいている! 悔改めて,罪のゆるしを得るために,洗礼をうけよ。』その待つていたメシヤは,この地上にダビデやソロモンの統治したような御国を設立するであろうとユダヤ人たちは期待していました。しかし,ヨハネもイエスも天的な,霊的な御国について語りました。ユダヤ人たちは,モーセよりも偉大な支配者でありまた予言者を待ち望んでいて,その者は来て彼らを圧迫していた異邦人の国民より救い出し,イスラエルを地上で最大の国民にすると期待していました。それで,すべての人々はその者に求めるであろうと彼らは考えていました。彼らの予言者イザヤが次のように記録したのを思い出していました。『その日エツサイの根たちてもろもろの民の旗となり,もろもろの邦人はこれを求め,栄光はそのとどまる所にあらん。』(イザヤ 11:10,ア標)また別の教えを聞いて,多くのユダヤ人たちは困惑しました。ヨハネは悔改めて罪のゆるしを得るようにと伝道しました。彼らはこの教えを聞いて不思議に思いました,というのは15世紀以上に亘つて,ユダヤ人たちは幕屋で,また後には宮で,こみいつた奉仕制度や犠牲を守つてきたからでした。それらの奉仕や犠牲の目的は,人々の罪を取り除くことであり,モーセを通して紹介された律法契約の取り極めの下にいて,ヱホバと常に調和を保つことでした。それですから,宗教指導者たちにとつて水による洗礼で象徴される悔改めを通して,罪が許されるなどということは,とうてい受けいれることができなかつたものです。しかし,多くの一般大衆はヨハネを予言者と認めて信じ,彼のところによろこんで来て洗礼をうけました。
12 偽りの教えのために生じている今日のどんな結果は,イエスの直面した状態とは反対のように見えますか?
12 大祭司たちは,年毎に動物の犠牲を捧げましたが,それらの犠牲は人々の罪を取り除くことができないということについて,ユダヤ人の宗教指導者たちは,理解できませんでした。人類に対するヱホバの律法の要求にかなうためには,完全な人間の犠牲が必要でした。エデンでアダムの罪のために失われたものを買い戻すためには,完全な人間の生命を犠牲にすることが必要です。イエスの弟子たちでさえも,御国が設立される前,また,すべての従順な人々に祝福が注がれる前に,なぜイエスが死なねばならなかつたかを理解できませんでした。弟子たちは,イエスを直ちに王とし,イスラエルの地的栄光を再び回復しようと欲しました。偶然なことですが,それは今日にある状態とは反対の状態であるということが分ります。偽りの宗教は,救われる者たちとは天に行くよう運命づけられている者たちであつて,神の御国はただ天での祝福を意味していると長いあいだ教えてきているからです。しかし今日,地の人々にたいする神の音信は,天の御国についての音信ですが,その御国は地に祝福を降らし,地をヱホバの栄光で充たし,地をよろこびの楽園とし,その地で従順な人々が幸福のうちに終りなく生活し,ヱホバを讃美してよろこびのうちに奉仕するようにいたします。
13 地上にいた時に,イエスは正しい奉仕者としての他の大切な要求をどのように成就しましたか? そして,どんな結果が生じましたか?
13 それで,イエスもまたその宣教にたいして十二分に資格と力を備えていたことが確かに認められます。イエスは神の言葉を非常に注意して研究しました。その読んだところを記憶し,彼のために書かれてある教訓に従いました。イエスはまた多くの弟子を集め,宣教させるために彼らを訓練しました。イエスは,譬えでもつて一般大衆に話しをしましたが,弟子たちには健全な教理を明白に説明しました。イエスは仕事について弟子たちを訓練した時,非常に実際的であつて,町から町へ,村から村へ,そして家から家へと彼らを連れて行き,人々にどのようにそしてまた何を教えるかを示しました。後にそのような訓練をしてから,彼は弟子たちを二人づつ組ませて遣わしましたが,それは彼らが個人的な経験をすることによつて貴重な実際の見聞を得るためでした。イエスが訓練した人々は,奉仕をするのに必要な要求をそなえていた力ある奉仕者になりました。
14 象徴を表わす洗礼について,ペテロは真の理解を持ち,また行いましたが,それは宣教についての別の重要さをどのように説明していますか?
14 例えば,ペテロを見てごらんなさい。五旬節<ペンテコスト>の日にペテロは一般大衆の大群集に伝道しましたが,その群集は彼がその時までに話しをした群集の中でも一番大きなものであつたということは疑いありません。その伝道の結果3000人は改宗し,後に洗礼をうけました。(使行 2:14-41)水に浸水して行う洗礼の代りに,水をふり注ぐことを信ずる者たちは,エルサレムにはそんなにも多くの者を浸水させる方法が無かつたのであるから,ペテロはその大群集に水をふり注いだに違いないと教えます。しかし,そのような事を教える者たちは間違つています,というのは当時にエルサレムの中とそのまわりには多くの池がありましたから,その池で大群集でも容易に洗礼をうけました。自分の庭園に水を灌ぐためにソロモンは池をつくりその池についてこう説明しています。『我はわが為に家を建て,葡萄園を設け,園を作り,庭をつくり,また果のなるもろもろの木を其処に植え,また水の塘池をつくりて樹木の生い茂れる林にそれより水を灌がしめたり。』(伝道之書 2:4-6)今日では,エルサレムにそれらの池の中三つの池が存続しています。それらの池は赤土焼きの管で共に結合されており,長さ約50尺,広さ20尺,そして深さは約12尺で,両端には石の踏段がつけられています。これらの池だけでなく,シロアムの池もあつたのですから,そこで大群集の浸水は容易に行われたことでしよう。ペテロはそれら幾千という人たちに水をふりかけませんでした。彼らが水で浸水をうけたことは疑いありません。その忠実な使徒は,宣教に対して本当に良く訓練をうけていて,またヱホバの霊の助けを得て,彼は最初の『御国の鍵』を用い,ユダヤ人たちに御国の特権を開きました。―マタイ 16:19。
パウロの宣教
15,16 (イ)イエスは何時そしてどのようにして12使徒の最後の者を選びましたか?(ロ)パウロはどんなことをしたために,真の奉仕者であるということが示されますか?
15 五旬節<ペンテコスト>の後に,イエスの敵にとつては腹立たしいことでしたが,御国の音信は急速に拡がりました。当時の著名なある人々は,御国の音信を認めて信じ,その音信を他の人たちに伝道し始めました。それらの人々の中に,サウロと呼ばれたタルソ人で才智ある若者がいました。彼の名前は後にパウロと変り,イエスの12使徒の一人になりました。
16 パウロはすばらしい経験を持つていましたが,その経験によつて彼は真理に改宗したのでした。彼はクリスチャンたちを迫害するためにダマスコに行く途中でしたが,その時奇蹟的にも栄光化されたキリストを一瞬の間だけ見ることができました。キリストはパウロに告げて,彼は選ばれた器であつて御国の音信を多くの人々に伝える者であると言いました。パウロは非常な熱心をもつて宣教に入りました。ある期間のあいだ注意深く研究して,宣教についての要求を学んだ後,パウロはヱホバ神奉仕のために自分自身のすべてを捧げました。彼は遠い国々に旅行し,行つた先々何処であつても良いたよりを伝道し教えました。パウロはある時ギリシヤのアテネの町を訪問しましたが,そこで宣教での彼の仲間たちと会う筈でありました。パウロはそのアテネの会堂で,ギリシヤ語を話すユダヤ人たちにメシヤの音信についての関心を起させようと努力しましたが,誰一人としてパウロの言葉に耳を傾けませんでした。彼は後になつて市場で,ある哲学者たちと聖書を討議する機会を持ちました。またエピクロス派の哲学者たちや,ストア派の哲学者たちと接するようになりました。エピクロス派の哲学者たちは,彼らの多くの神々は人間の事柄に関心を持つていないと考えました。生命に対する彼らの中心の目的は,感覚を満足させることでした。ストア派の哲学者たちは,生命のすべての利害は運命により支配され指示されていると信じていました。
17 アテネで,好奇心をもつたある聴衆たちのどんな態度にもかかわらず,ヱホバの奉仕者としてのパウロの責任感は曇らず,またなくなりませんでしたか?
17 パウロが屈せずに話すために,これら両方の群の者たちは明らかに悩まされましたが,遂にパウロに対して嫌悪の気持ち,ある者は彼のことをおしやべり屋と呼び,他の者たちは,一体彼が何物であるか不思議に思いました。(使行 17:18,新世)彼らは『おしやべり屋』という言葉を嘲笑するために用いましたが,それはパウロが道に沿つて食物の餌をあさつて集めるニワトリのようであるということを意味しました。というのは,パウロはここかしこで知識をとり上げ,それをこんどは自分のものとして他の者たちに伝えようとしている者のようであると思われたのでした。ああ,しかしこの哲学者たちは,パウロの質問に答えることができず,またイエスとよみがえりについてのパウロの議論を論破することができませんでした。彼らはしまいには捨鉢となり彼を捕えて,アレオパゴスに連れて行き,こう言つた「この新しい教えが何であるか知らせてもらえまいか?」 当時のローマの法律によると,「いかなる人といえども違つた神々や新しい神々を持つてはならず,また公やけに許されないならば外国の神々を自分勝手に崇拝してはなりませんでした。」パウロはピリピで初めてこの法律とぶつかつたのですが,そのピリピで,パウロを訴えた者たちは長官にこう言つたのでした。『これらの者たちは,町を非常にかき乱している。彼らはユダヤ人であるのに,ローマ人である私たちが取りあげてもならず,また行つてもならないような習慣を言い広めている。』― 使行 17:19; 16:19-40,新世。
18 アテネとエルサレムは,対称する時,ここでどのように見えますか?
18 当時においてもまた幾世紀もの昔しからも,文化と教育の中心であり,独立自由の町で,模範的民主主義であると自ら誇つていたその場所に,いまパウロは立つていました。その自称の智恵を言い拡めていた偉大な哲学者たちは,全世界の有識者たちの注意をひきつけました。アテネ人は誇りを持つ富める人たちでしたが,いまアテネもまた第6の世界勢力ローマに服従するようになりました。一方にパウロはエルサレムから来た者でしたが,そのエルサレムとはヱホバが御自身の御名をよろこんで置かれた町であり,またイエスが人々を教え,そして真の宗教を始められた町でした。それだけに止まらず,パウロは真に自由な『上なるエルサレム』すなわちヱホバの制度の活潑な市民でした。(ガラテヤ 4:26,新世)上からの智恵を示すように,といま招待されましたが,このことからこの世の智恵を言い広める者たちにどんな結果が生ずるでしようか? 見てみましよう。
19-21 (イ)マース神の丘でのパウロの聴衆は誰でしたか? 彼は彼らに奉仕するのにどのように力を備えていましたか?(ロ)聴く者たちを啓発するために,パウロは,どのように話しをすすめて行きましたか?
19 幾世紀も年数を経たアレオパガス,またはマース神の丘は,昔しは町の有名な最高法廷の野外集会所でしたが,当時ではただの公共討論場にすぎませんでした。そこに,誇らし気な,身なりの良い,栄養の十分まわつたエピクロス派の者たちは良い席に腰かけました。その後ろには,重々しい顔付きをしたストイツク派の者たちがつめかけ,遠近から来た弟子たちが続いて従いました。裁判官であつたデオヌシオもまた来て,パウロの言葉をみな聞こうと席を取りました。終りに,ダマリスという婦人も席をしめました。(この時のパウロの話しで,この婦人は改宗してキリストの弟子になりました。)なんという聴衆なのでしよう! 司法関係の代表者たち,また有識者たちやこの堕落した学問と文化の世界都市の社会の人々が詰めかけていました。
20 さて,招待された講演者,すなわちヱホバの僕である使徒パウロを見てみましよう。パウロは小柄で,これといつて見栄えのすることもなく,ぜいたくな衣服を身につけていませんでした。アテネに来る前牢獄に入つていたこともあり,また旅行もしていましたから,その衣服は多分古くさくなつていたでしよう。いまそこで,パウロは人間の助けも慰めもなく,ただ一人だけで立つていました。勇気を失つて,すつかり滅入つていましたか? いいえ,そんなことはありません。実際の物の剣よりも鋭い『霊の剣』でパウロは装具をつけていたからです。それに宣教に必要な要求にかなつていましたから,彼はその『霊の剣』の使い方を知つていました。彼を導くヱホバの霊をうけて,パウロは次のように語りました。
21 『アテネの人々よ,あなた方は,あらゆる点において,他の者たちよりも宗教心に富んでいると,私は見ている。例えば,道を通りながら,あなた方の拝むものを注意深く見ているうちに,「知られない神に」と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。それで,あなた方が知らずに拝んでいる方について,私はあなた方にひろめ伝えているのである。』(使行 17:22,23,新世)なんという紹介の言葉なのでしよう! 哲学者たちのこの集まりに話しかけるのに,なんという仕方なのでしよう。『おしやべり屋』から出てくるこれらの言葉は,好奇心を持つ単純な聴衆たちにとつては,びつくりさせる驚きの効果を与えました。聴衆は,このようなことを全然期待していませんでした。全くパウロは少し話しただけで局面を変えました。いまでは,学問ある哲学者たちは,愚かで無智に見える『おしやべり屋』になりましたが,エルサレムから来た小さなツマらない人間は学問ある教師となりました。誇りを持つていたこれらアテネ人は,何も知らない一人の神を無智のうちに崇拝していたとはつきり認めましたが,パウロはその神について良く知つており,よろこびの心に満されながら,人々にその神を知らそうとしていました。パウロは,市場では,このような事を人々に話すことができなかつたのです。人々は市場で定期的に集まり,他の者たちを教えていたからです。しかしここではパウロは招待された講演者であり,思うことを何でも言うことができました。
22,23 パウロは,どのように巧みに生ける神を表し示しましたか?
22 それら不機嫌な哲学者たちが「この男をつれて来て,私たちをこんなにも困らすとは,一体誰が考え出したのだ」と言い合つているのをあなたは想像できますか? ああ,しかし待ちなさい! パウロは人々の無智を暴露し始めたばかりなのです。このように続けています『世界とその中のすべてのものをつくられた神は,天と地の主であられ,手でつくつた宮に住まわれず,また何か不足しているかのように人の手によつて仕えられる必要もない。神はすべての人に生命と息と万物を与えられるからである。神はまた一人の人よりすべての国民をつくり,地の全表面に住ましめ,そして指定した時代と人々の住む境界を定め命ぜられたのである。それは人々が神を求め……実際に神は私たち一人一人からは遠くはなれてはおらない。というのは私たちは神によつて生命を持ち,動き,存在するのである。あなた方のある詩人も言つたように「本当に私たちも神の子孫である。」』エルサレムから来た小さな『おしやべり屋』からなんという言葉が発せられるのでしよう。そうです。生命の言葉です! ―使行 17:24-28,新世。
23 パウロはその時シリシアのアラタスとまたクリンテスの詩から引用して次のように言つたのだとある人々は主張しています。『神より始めよう。すべての人の声をあげさせ,神の永遠の讃美に調子を合わさせよう。神は天,地,海,空気を充たされる。私たちは神の霊をここにもまたいたるところに動くのを感ずる。私たちは神の子孫である。』講演者は,その驚くべき論議を支持するのに,聴衆が権威あるものとは認めないヘブル人の予言者からではなく,人々の知つている人が書いたものを思い起させることによつてしたのでした。彼が続けて言う言葉を聴いてごらんなさい。『このように私たちは神の子孫であるからには,神たる者が金または銀または石のように,人の技巧や考案で彫んだもののようであるなどとは想像すべきではない。』誇りを持つていたそれら哲学者の自我はなんと縮こまり,また彼らはなんと不機嫌になつてきたのでしよう。パウロが語るのを止めるようどれ程に願つたことでしよう! 人に見られずにその会堂を出ることができたならば,非常によろこんだに違いありません。―使行 17:29,新世。
24,25 (イ)パウロは続けて,ヱホバのどんな要求を強調しましたか?(ロ)聴衆にむかつて,健全などんな教理を語ることにより,異常な公開集会にどんな最高潮の発展が結果として生じましたか?
24 しかし,みなさん,我慢しなさい。パウロはまだ言い終らず,もつと言おうとしています。神権的巧みさを用いてのパウロの次の言葉は親切なものです。深い智識を持たないこれら自称の賢人たちは,生命を得ようとして,このパウロの言葉をよろこんで聞きました。彼はこうつけ加えています『神は確かにそのような無智の時代を見逃がされていたが,しかし今やいかなる所であつてもすべての人は悔改めるよう人類に語られている。なぜならば,神は日を定め,その任ぜられた一人の方によつて正義のうちに地を裁こうと目的されているからである。神は死人の中から彼を甦えらせ,すべての人に保証を与えられた。』― 使行 17:30,31,新世。
25 死人の甦えり? 全く驚くべきことです。その瞬間に,アテネの哲学者たちは口を切りました。『ある者は嘲笑し始め,他の者は「別の時にこのことについて聞こう。」と言つた。』それで,その民主的大多数は突然にまた無作法の儀式でもつて声の投票により会の終つたことを宣言しました。『賢人』とうぬぼれていた彼らは,アテネの身分の貴い人が一人として甦えりを信ずることはないだろうと考えました。しかし,例のごとくに彼らは全然間ちがつていました。『パウロが彼らの中から出た時,………ある人は彼に従い,そして信者となつた。』そのような者のなかに,裁判官デオヌシオとダマリスという婦人がいました。(使行 17:32-34,新世)アテネの会衆は組織され,またヱホバの恵みある御親切により今日であつても多くのヱホバの証者はアテネの町で伝道し続けています。神の言葉がパウロによつて,自由にまた恐れなく用いられましたので,アテネの哲学者たちがつくり初めた『智恵』は馬鹿らしいもので,真面目に考えるにも価しないということが示されました。しかし,ヱホバの言葉は生命への道を含むと示されました。ヱホバの言葉だけが永遠に存続します。パウロのこの経験により,彼はその割り当てられた宣教に対しての必要な要求にかなつていたということが分ります。中断されましたが,しかしパウロはこの力強い明白な話しをすることにより,世俗的に賢く好奇心に富んでいた者たちの詭弁を巧みに暴露し,そしてまた霊的な必要物を意識していた少数者の信仰を確立しました。
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この世の組織制度に従うのを止めなさい。あなたの心を入れ代えることによつて新しくなりなさい。そうすれば,あなた方は神の善き,受け容れられる全き意志を証明することができる。―ロマ 12:2,新世。
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今日の正しい種類の奉仕者ものみの塔 1954 | 9月15日
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今日の正しい種類の奉仕者
1 奉仕者として,モーセはどんな正しいふるまい,またどんな悪いふるまいを表わしましたか?
真の宣教にたいする要求は,その時代,時代によつて異ります。今から約35世紀程前に,ヱホバの予言者モーセはエジプト人の智恵をみなうけて教育され,王室で育てられました。後に彼は全く成熟した人となり,ヱホバに従い,高慢な王<パロ>にどのように近づき,そしてどのように交渉するかを知つていました。モーセは温和でまた謙遜な人でありましたので,幾百万というイスラエル人にたいしても非常な忍耐を持つていました。それらのイスラエル人たちは,エジプトの奴隷の状態から解放されたばかりであつて,落ちついておらず,統一して管理することは容易ではなかつたのです。彼らは奴隷でしたので,エジプトの政府は必要なものを彼らに供給していました。それで彼ら自分自身の供給ということについては殆どまつたく経験が無かつたのでした。彼らは,荒野の旅行でヱホバがなされた備え物に対してしばしば多く不平を言つたのですが,一度だけを除いてモーセは決して腹立つようになりませんでした。その時にモーセは自制力を失い,そうです,ヱホバを忘れたのです。不平の言葉を口に出していた幾百万というイスラエル人にたいして,モーセは怒りの気持を発し,こう叫びました。『お前たち反逆者たち! お前たちのために水を出すのはこの岩からなのか?』(民数紀略 20:9-13,新世。詩 106:32,33)しかし,モーセは総体的に言つてヱホバの奉仕者としてその仕事について十分の資格と力を持つており,その仕事を良くなしとげ,ヱホバの恵みをうけつつ死にいたり,そしてヱホバによつて葬られました。―申命 34:5-7。ヘブル 3:1-6,新世。
2 (イ)正しい種類の奉仕者としてのイエスの模範的なふるまいは,私たちをいまどのように助けますか?(ロ)パウロのふるまいは如何ですか?
2 大いなるモーセであるキリスト,イエスは,地上の人間であつた時に,神の与えた宣教に対して必要な要求にかなつていたものの完全な模範でした。イエスはヱホバの言葉であるヘブル語聖書を熱心に研究し,若い時もまた大人になつてもその教えに全く従いました。彼の宣教は,彼の生命の仕事でした。イエスは宣教以外には,地上で他のどんなものにも興味を持たず,その割り当てられた仕事にすべての時間と能力を注ぎました。イエスは,彼の死とよみがえりの後に,その従う者たちに仕事を割り当てましたが,彼らはその仕事に対して良く教えをうけており,その仕事を良くなしとげました。忠実な使徒パウロは,イエスのようにヱホバの奉仕にまつたく献身していました。『一つのこと』が彼の興味と注意をしめていました。すなわち,それは御国の良いたよりの伝道です。(ピリピ 3:13,新世。使行 28:30,31)パウロは多くのことをしようとは努めず,上位のものをよろこばすためにこの世の事がらと関係を持たない兵士に自分自らを喩えました。パウロはエルサレムで法律の仕事を続けようとはせず,またタルソで天幕の製造も続けて行わなかつたのです。彼はそのすべての時間と力を割り当てられた宣教に献身し,兄弟たちに次のことを思い起させました。「私の行程を走り終え,ヱホバの恵みある御親切の良いたよりについて十二分に証言するよう主イエスよりうけたこの宣教をなしとげるならば,私は自分の生命を全然貴いものであるとはいたさない。」― 使行 20:24,新世。
3 誰によつて,新しい世の社会は建てられていますか? そして,どんな目的のために?
3 ヱホバが昔しに予言した事は今日,ヱホバの代表者により地の全地においてなされています。(イザヤ 51:15,16; 61:1-3。マタイ 24:14,15,新世)その仕事に従事する奉仕者たちには,特別の要求があります。ヱホバは,永遠に存続する新しい世の社会を全地に広く設立され,いかなる反抗をも許さずにその社会を建て続けています。その社会の成員は,みな奉仕者であつて,ハルマゲドンのヱホバの戦いを生き残る『新しい地』の目に見える中核をつくりあげます。今日では,この奉仕者の社会はいまだに地上にいるヱホバの油注いだ者の残れる者と,『すべての国家,種族,国民,そして言語』から集められているその仲間の善意者たちの群でなり立つており,各自はキリスト,イエスの下で正しい種類の奉仕者として奉仕する力と資格を備えています。(黙示 7:9,新世)ヱホバの新しい世を学ぼうと心から願つている他の多くの人々を効果的に助けるため,これらの奉仕者たちは必要な要求にかなわねばなりません。彼らはその宣教を真剣にとりあげねばならず,またとりあげています。というのは,その宣教を忠実に行うことは生命を意味し,失敗することは死を意味するからです。その宣教は,しばらくのあいだ行つて,それから止めてしまうというような仕事とはちがいます。イエスはこう警告しました。『鋤を手に握つてから,後ろのものを見るものは,誰一人として神の御国に適さない。』(ルカ 9:62新世)そうです。この仕事は次の千年間続くのであつて,その後ヱホバ御自身はすべての忠実な奉仕者にその宇宙的制度内での他の割り当てを与えます。(コリント前 15:24-28)なんとよろこびに満ちた前途なのでしよう!
4,5 今日の正しい種類の奉仕者は,どんな要求にかないますか? そしてどんな結果をもたらしますか?
4 他のものを巧みに教えることと,またヱホバに奉仕するために多くの方法で彼らを訓練するのに参加したいと願うことは,今日の要求の中にふくまれています。ちようどイエスのように,今日のヱホバの奉仕者たちはヱホバの書かれた言葉,ヘブル語聖書とまたそれを補足するキリスト教従ギリシヤ語聖書を熱心に研究するよう要求されています。新しい世の社会をつくり上げるのに要求されている他の義務は,いまその社会の増加しつつある大いなる群集になる資格を持つ主イエスの他の羊を探し求めることです。(黙示 7:9,10,新世)これら羊のように柔和な人々は,今日,地の国々で,孤立し,圧迫をうけ,そしてキリスト教国の偽りの牧者たちによつて奪い取られています。しかし,いま彼らは見出され,ヱホバの正しい牧者の下に一つの檻に共に集められ,良い牧場の正しい食物で養われています。(エゼキエル 34:1-15)イエスは,『他の羊』と言いましたが,その羊とは彼の天の共同相続者である『小さな群』とは別のものであることを意味しています。そしてこれらの他の羊をも一つの群に導かねばならぬとイエスは言いました。イエスは,御自分が天から地に降りて来て,この集めの仕事をするとは意味しませんでした。そうではなく,イエスは地上にいる彼の残れる兄弟たちを遣し,そして遣し続けて,このことをさせています。ペテロにむかつて,イエスはこう言いました。「私の小羊を養いなさい,私の羊を養いなさい。」そして,いまこの『終りの時』にあつて,イエス御自身はヱホバの言葉を従順に聞くすべての人にこの命令を適用するよう与えています。―ヨハネ 21:15-17。ダニエル 12:8-12。マタイ 24:14,15。黙示 22:17。
5 今日の「キリスト,イエスの正しい種類の奉仕者たち」は唯一つの方ヱホバに身を捧げており,彼が割り当てる仕事に熱心に献身いたします。(シンゲン 22:29)彼らはヱホバの羊を愛し,できるだけのことをして彼らを援助し,生ける神とそのキリストについて学ばせ,そして円熱した奉仕者にならせます。彼らは,ヱホバの目に見える制度が僕たちの益のために取りきめた集会に仲間の讃美者たちと共に交ることにより,このことをいたします。巡回大会,地域大会そして国家大会だけにかぎらず,会衆のすべての集会に出席すべきです。なぜ? なぜならば,私たちはこれらの集会の時にいかにしてより良く宣教の義務を遂行するかを学び,そして新しい世の社会の活潑な成員として互いに建ておこすのに参加するからです。それら集会の時に,他の区域から来るヱホバの御国の仲間の発表者たちと会い,宣教についての経験を聞き,非常に有益な知識や情報を得ます。また私たちが出席していることにより他の者を助けていることにもなります。奉仕者たちは,このようにしてすべての僕たちと密接な接触を保ち,僕たちの仲間となります。あまり円熟していない新しい人たちには,大切な援助が与えられます。羊は援助と慰めを多く必要とするということをイエスはよく知つていましたので,弟子たちのあいだでこれらのことをいたしました。イエスの時代のように,いまでも羊は偽りの牧者によつて圧迫をうけ,毛を奪い取られています。それら圧迫者の犠牲者は,その霊的必要物を強く意識しています。彼らは宣教での援助をうけるため,助言,導き,教えを必要としています。
6 (イ)肉体的に弱い者でもいまどんな面で宣教の仕事に参加することができますか(ロ)イエスはどんな譬話しをすることにより,彼に従うすべての者は熱心な奉仕者でなければならぬとはげまされましたか?
6 これらのことすべてをなしとげようとたゆまず努力することにより,私たちは「キリスト,イエスの正しい種類の奉仕者」であることを証明します。そしてヱホバと共に新しい世の社会を建てるのに参加し,彼に永遠の讃美を捧げています。ヱホバがいま彼の目的のために割り当てる仕事に参加しないならば,私たちは今日ヱホバを真に崇拝することができないと良く認識しています。盲らの者でも,また寝床に横たわつている者でも,少しずつではありますが,訪問者に巧みに伝道するという習慣を培い,強めることができます。または,時折り友人に手紙を送り,新しい世,その完全な政府,そしていまその造り主であるヱホバに奉仕し,ヱホバを愛するよう選ぶすべての者たちに備えられている祝福を明白に語ることができます。(イザヤ 9:6,7)肉体上の障害または病気のために,ほとんど宣教のできない時,私たちは定期的にヱホバに祈ることにより,働くことのできる者の益を祈願することができます。パウロはこの正しい行いを強調してこう言いました。『あなた方は私たちのため祈ることによつて助けてくれる。それは,多くの人の祈りによつて私たちに与えられるものに対して,多くの人が感謝するためである。』『兄弟たちよ,主イエス,キリストと御霊の愛にあつて,あなた方も私と共におり,私のために神に祈るようお願いする。』(コリント後 1:11。ロマ 15:30)新しい世の社会の成員であつて,そして奉仕に制限をうけている者ははげましをうけるべきです。なぜ? そのような人は,当然に勇気を持つべきです,というのはイエスの『ポンド』(ミナ)とタラントについての譬話の中に慰めが見出されるからです。『ポンド』または『ミナ』の譬話の中で,イエスは働き人が明らかに同じ能力のある者である(各人は1ミナをもらつたからです)が,熱心においては異つていると示しています。それで,各人への報いも違つていました。他のタラントの譬話しでは,奴隷たちは違つた能力をもつ者(違つた数のタラントが与えられたことにより示されています)であつたが,熱心はみな同じでした。それでこの点からして,報いも同じでした。『お前の主人のよろこびに入れ。』これらの譬話から報いを決定したのは,生まれつきの能力によるのではなく,奴隷の熱心さ,主人の福利に対する注意深さ,主人の奉仕に示された熱心であつたということに注意してください。もつとも熱心な者は,もつとも大きな報いを受けます。―マタイ 25:15,23。ルカ 19:13,新世。シンゲン 22:29。
7 過去40年のあいだ,ヱホバの御国を続けて発表して来たことにより,どんな結果が生じていますか?
7 聖書もまた実際の事実も,キリスト,イエスが1914年にヱホバの御国で王座についたことを示しています。その特別注目すべき年は,イエスの予言した『諸国民の時代』に終りをもたらしました。(ルカ 21:24,新世)1914年以来,イエスは主の主そして王の王として敵の只中で支配しております,(詩 2篇; 110:2。黙示 17:14; 19:11-16)この事実は,イエスの命令に従つて全地の人々に伝道され,引き続いて伝道されています。(マタイ 24:14)その結果,幾千幾万という人々はヱホバとその王の側に立つて語ることを選んできています。そして,この活動は黙示録 7章9,10節(新世)に書かれてある大いなる群集のすべての人々が見出され,集められ,養われ,そしてヱホバ讃美に参加するよう訓練されるまで続きます。大いなる集まりが終る時,続いてハルマゲドンでのヱホバの怒りは注がれます。(ゼパニヤ 2:1-3)いまの古い死につつある組織制度は年少者犯罪,10歳台の暴力団,事業の不正,宗教の不誠実,政府の悪い失政,一般の腐敗で悩んでおります。しかし,この大いなる群集はこの古い組織制度のなやみやくるしみを棄てさつており,今日の新しい世の社会を増加しています。集められたすべての者は,その新しい世の社会にあつて生ける神ヱホバのよろこびを見出しています。このよろこびが生ずるのは,近い将来にヱホバの大いなる敵悪魔サタンはその地的勢力が亡ぶのを見,また悪魔自身もヱホバのキリストが統治する千年のあいだ底無い坑に投げいれられるであろうとヱホバが確かに保証されておられるからです。全地はその時にヱホバの栄光で充ちあふれるでしよう。
宣教のために私たちの口にある神の言葉
8 今日の正しい種類の奉仕者にとつて,どんな希望と確証は彼らを力づけ,支えますか? なぜ?
8 新しい世の社会は,毎日毎日その数において,また力において増加しています。幾千幾万もの多くの悩める人々は,その社会の備えものの中に今まで全然知らなかつたものを見出しています。ここに真の信仰をつなぎとめるかたい希望があります。真の神ヱホバの目的と限りない力は,そのたしかな希望の基礎をつくりあげます。それで,ヱホバの真の崇拝者たちは,人間の考案を語らずに,ヱホバの完全で永遠の考案,すなわち彼の終りない新しい世を定義し説明する言葉を大胆にいま語つています。(エペソ 3:20,21)今日心から讃美を捧げる者たちにたいして,ヱホバの昔しの保証はまつたくあてはまるものです。「われわが言葉をなんじの口におき,わが手のかげにて汝をおおえり。かくてわれ天をうえ,地の基いをすえ,シオンにむかいて『汝はわが民なり』といわん。」)イザヤ 51:15,16)キリスト,イエスは地から天にのぼり,従順な人類を死の呪いから解放し,彼の正しい奉仕者にならせるために,ヱホバに贖いの価を天で払いましたが,それから後に,彼はヱホバの新しい世の基礎になりました。幾世紀も後になつて,キリストがヱホバの王として天的シオン(西暦1914年)で御座について後に,新しい世の社会の目に見える中核すなわち地的な『体制』が現れ始めました。それに従つて,ヱホバの奉仕者たちは,天で御国が設立された『良いたより』を全地に亙つて宣明し始め,そしてその宣明は続けられています。ヱホバは,これらの代弁者たちがその栄光ある任務に忠実に従い,全地にわたつて活動する時,彼らを保護し,その手の蔭,すなわちなにものも反抗することのできない力のもとに保護いたします。―エゼキエル 9:2-4; 40:2。
9,10 心から願う者たちは,ヱホバの言葉からいまどのように,そしてどんな目的のために教えられていますか?
9 新しい天を植え,新しい地の基礎を置く方はヱホバです。しかし,ヱホバの証者は,その口にヱホバの言葉を持ち,殆どすべてのものが振り動かされるこの暗黒の時代に生き残ろうと願う人間にとつて,全能の神の御国こそ唯一つの希望であると伝道します。彼らは何処であつても,心から望んで聞く者たちに,自らをヱホバに献身するようすすめ,そしてまた新しい世の御座についた王の指導の下に忠実に奉仕するようにとすすめます。ヱホバの証者は,男,女,そして子供たちの心の中に新しい天と新しい地についての書かれた真理を注ぎこみます。ヱホバの証者はまたヱホバの書かれた言葉から,新しい世に対するヱホバの明確な取り極めを宣明します。ハルマゲドンでのヱホバの戦いで,ヱホバの主なる敵サタンに属する現在の組織制度が永久になくなつて取り去られる時,ただこれらの取り極めだけが全地の事柄を管理いたします。よろこんで学ぼうとする人々は,いま全地の国々において,ヱホバの記録された新しい世の原則,規則,そして規定を教えられ,それらの規則に一致していま生活するようすすめられています。
10 例えば,『家庭に勝るところなし』と言うのを良く聞きます。不完全な人間があらゆる時代に国家をつくりあげる基礎の中に家庭があります。家庭は結婚によつてつくり出されます。サタンの組織制度は,結婚を茶番にしています。今日の人間の社会にとつて,結婚は主として方便のものとなつています。ヱホバの証者は,ヱホバの書かれた言葉から,結婚は神の制定されるものであり,結婚に成功するためには清さと純潔を守らねばならぬと正しく教えます。結婚は新しい世で正しく取り扱われます。それで,おぼろに見える幸福な前途に分けあずかりたいと希望する忠実で正しい人々の心の中には,新しい世に対してヱホバの定められた原則がすでに確立されています。
11,12 イザヤ書 32章1節に言われている『君たち』は,いまどのように宣教に参加しますか? そしてどんな結果が生じていますか?
11 ハルマゲドン以前の仕事について,ヱホバはその忠実な筆者イザヤの手を用いて,更に次のように述べられています。『ここにひとりの王あり,正義をもて統おさめ,その君たちは公平をもて宰どらん。また人ありて風のさけどころ,暴風ののがれどころとなり,旱ける地にある水のながれの如く,倦みつかれたる地にある大いなる岩蔭のごとくならん。』(イザヤ 32:1,2)キリスト,イエスは,ヱホバが御座につかせた新しい世の王であることについては,すでに私たちは表し示しました。キリストは本当にいま正義をもつて,「敵の只中で」統治しています。(詩 110:1; 2:1-12。黙示 19:11-16)しかし,「公平をもて宰どる君たち」とは誰ですか? それらの者は,この悪い世または偽りの宗教の大きな制度に属する有名人では決してありません。たとえ,彼らのうちのある者が自ら『教会の君たち』と称しようと,彼らは決してそうではありません。また,「公平をもて宰る君たち」は,地上に残つている少数の君主たちの息子たちではありません。
12 この聖句で『君たち』と翻訳されているヘブル語は,サリムで,その意味は王の奉仕に参加する指導者または司令者です。その言葉は,丁度この意味でヘブル語聖書の他の多くの部分で用いられています。『君たち』とは,王に献身している地上の人々です。それらの者たちは,王の指示のもとに行う仕事に対して必要な要求にかなつている者たちです。彼らは王の他の羊を牧します。その羊についてはすでに大いなる群集ができていて,定期的に集つており,また新しい世の社会の中の場所を得るように養われ,準備をうけています。サタンは偽りの教理と宣伝の風でもつて,いま羊を混乱しようと努力しています。そして,もしもかき乱された羊を助けるという宣教の要求にかなう『君たち』や司令者というヱホバの御準備がないならば,サタンは多くの害を加えることができるでしよう。聖句の中で言われている『暴風雨』とは,亡びをもたらそうと図つて,サタンが今日真の宗教の社会の上に及ぼしている攻撃のことです。(イザヤ 32:2)王の羊は,真理のさわやかな流れを持ち来りてそれら謙遜な人々を導き力づける『君たち』の宣教によつて,保護をうけております。そして,彼らは大いなる岩,すなわち生きている神ヱホバの蔭の下に来ます。
13 宣教の仕事は,いま多くの国でなぜ成功していますか?
13 これらの『君たち』または司令者たちは,ギレアデの『ものみの塔』聖書学校や,または全世界に亙つてヱホバの証者が会衆内に準備している神権宣教学校というような手段によつて新しい世の社会内で良く教育をうけています。この仕事は,いま非常な成功のうちに多くの国々で行われています。その結果,幾千幾万という人々は,若きも老いたる者も,地のなやみより安全と安心を求めています。偽りの宗教制度の中には,希望は与えられません。しかし新しい世の社会の中には,ヱホバの良い目的を知つて非常によろこんでいる人々が見出されます。それらの人々は,長い間祈り待ち,そして希望していたヱホバの御国がいまや天で設立され,そしてその御国は間もなく,人類を長いあいだ圧迫し,私たちの正義の神ヱホバの御名に非難をもたらしてきたサタンとその組織制度を地より除去しさるということに確信を持つています。
14 どんな聖書的な助言は,宣教に対する正しい準備の重要さを強調していますか?
14 アベルの時代いらい如何なる時であつても,ヱホバの証者になることは大きな特権であります。特に現在の時代にあつて,ヱホバの証者になることは大きな特権です。というのは非常に多くの聖書の予言が成就されているからです。例えば,イザヤ書 60章1-3,8節を読んでごらんなさい。『起きよ,ひかりを発て,なんじの光きたり。ヱホバの栄光なんじの上に照り出でたればなり。みよ,くらきは地をおおい,闇はもろもろの民をおおわん。されどなんじの上にはヱホバ照り出でたまいてその栄光なんじのうえに顕わるべし。もろもろの国はなんじの光りにゆき,もろもろの王は照り出ずるなんじが光輝に行かん。雲のごとくに飛び,鳩のその住み家に飛び帰るが如くして来たる者はたれぞ?』 この命令はヱホバから来ています。そして,これはハルマゲドンでヱホバの怒りが起る前に,新しい世の社会は多くの仕事を行うことを意味します。これは,彼らの心を必らずよろこばせます。考えてごらんなさい!『王たち』や『国々』はやつて来て奉仕するようヱホバが任命した僕たちから慰めと光りを求めます。この奉仕をするためには,ヱホバの証者たちがある要求にかなうことは必要です。いまこそこの仕事にたいして準備をする時です。というのはすべての国々で多くの奉仕者が必要だからです。生命を救うこの仕事にあなたは興味を持つていますか? もしそうならば,その仕事に対して準備しなさい。イエスはこう言いました。『主人の意が分つていながら,その意にしたがつて用意しようともせず,また行わないような奴隷は,多く鞭打たれるであろう。』(ルカ 12:47,新世)この大きな宣教に対して準備しようと願うすべての者は,ヱホバはその制度を通してあらゆる可能な援助を準備されているということを知ります。「多く鞭打たれる」ことを避けなさい。宣教に対して準備することには多くのよろこびがありますが,これに反してあなたは多く鞭打たれることを楽しまれないでしよう。いまは,時間を失うべきではありません。敏速で,徹底的な行動は大切です。
無比の仕事はいま進行中
15,16 正しい種類の奉仕者は,どんな無比の仕事をいたしていますか? なぜ?
15 現代において,ヱホバの僕たちがする仕事は無比のものです。その仕事は,人々の家庭に行つて,興味あるすべての人々と家庭聖書研究を司会することです。この方法は,正直な心を持つ人々に大きな感銘をあたえます。というのは自分の家の静かなところで聖書を研究することができ,そして家庭にいながら神の新しい世と,またヱホバの言葉に従うすべての人に準備されている祝福について多く学ぶことができるからです。聖書の質問は,理解でき,記憶できる仕方で答えられます。これらのことはみな,『教会に行く支度をする』ために多くの時間を費すということがないのです。新しく興味を持つ人は,その学ぶことを他の人に語る重要さについて教えられます。そして,円熟した奉仕者で,宣教に対しての必要な要求にかなう僕たちは,これら新しく興味ある人々を援助します。このようにして,わずかな時のうちに他の人も,別の他の人々を『良く教える』ようになります。そして,その宣教の立場にあつて彼らには何が要求されているかを急速に学んで行きます。
16 ヱホバの設立された御国の良いたよりは,いま140以上の違つた国々で伝道されており,そしてその宣明はますます増し加つています。聖書が教えられていない国々では,人々は御国の真理を飢え求めています。ある場所では読むことのできない人々がいますが,しかし音信が読まれる時,人々は真理の響きを認めその音信を記憶し,そしてすぐその音信を近くの他の人々に忙しく語ります。これらの人々を援助して,ヱホバと彼の御国を学ばせるということは,なんという特権なのでしよう。しかし,ヱホバがその民に割り当てているこの種の仕事はまもなく終り,そしてキリストの使徒たちがよろこんで受けたように,キリストと真理のためにくるしみをうけるという機会はもはやなくなるでしよう。キリストの次の言葉を憶えて下さい。『刈る者はすでに報いをうけて,永遠の生命の実を集める。』(ヨハネ 4:35,36,新世)全国民に御国の良いたよりを伝道せよという主の命令を成就するためには,この宣教に必要な要求にかなう多くの宣教者と『君たち』が必要です。これらの者たちは,すべての国々で良く組織されねばなりません。主はその当時に『収穫は本当に大きい,しかし働き人は少い』と言いました。今日でも,そのことは全くあてはまります。というのは全世界が畠だからです。イザヤは,ヱホバの証者たちが全国民から集められ,そして働き方を教えられるということについて書いた時,現在に行う伝道の仕事を明らかに指し示していました。『なんじを創造せるヱホバいまかく言いたもう。………恐るるなかれ,我なんじと共にあり。われなんじの裔を東よりきたらせ,西より汝をあつむべし。われ北にむかいてゆるせと言い,南にむかいて留まるなかれといわん。わが子らを遠きよりきたらせ,わが女らを地の極よりきたらせよ。すべてわが名をもて称えらるる者をきたらせよ。我かれらをわが栄光のために創造せり。われさきにこれをつくり,かつ成し終れり。』― ルカ 10:2,新世。イザヤ 43:1,5-7。
17,18 いま宣教に参加している人々の予言された一致結合について,1953年の世界大会のどんな部分が説明していますか?
17 このことは,ヱホバがそのすべての証者たちを地上の1箇所に集めて,その所だけで伝道させるということを決して意味しません。むしろ,ヱホバはその証者たちを教えるために,彼らを密接な一致に集めることを示しているようです。ヱホバの言われている『我これをつくり』とは,ヱホバの栄光を表すために単位または制度としてかたく亙いに結ばれている者たちを意味しているようです。制限された仕方でしたが,このことが1953年7月19-26日のニューヨーク,ヤンキー野球場でどのようになされたかを見てごらんなさい。8日間にわたるヱホバの証者の世界大会の水曜日に,『ものみの塔協会』の会長は,『すべての僕のおもなる仕事』という題について,集まつた巡回,地域そして支部の僕たちに話しをしました。大きな野球場は一杯に埋まり,すべての人はあらゆる国でなされる伝道の仕事の概略に非常な興味をもつて聞き入りました。その伝道の目的は,王の他の羊を新しい世の社会に集めることです。ヱホバは希望の音信を全国民に宣明するため,地上に制度を設立されていますが,すべての者はその制度の指示の下に同じように働かねばならぬ必要を講演者は指摘しました。そのことはイエスが次のように命じたとおりです。『御国のこの良いたよりは,すべての国民に対して証しをするために,全世界に伝道さるであろう。そしてそれから全き最後が来るのである。』― マタイ 24:14,新世。
18 ヤンキー野球場でのその大きな聴衆には,地の多くの国民が代表し,そしてこの仕事をできるだけ早く終えることはいかに大切であるかを告げられました。全制度の活動は,非常な詳細に亙つて説明され,またすべての者が一つの大きな体として働き,諸国民への証言の仕事を完成する必要性が強く強調されました。これらの僕たちが行わねばならぬ仕事の性質は,ヱホバの言われた言葉の中にも述べられています。『国々はみな相集い,もろもろの民はあつまるべし。彼らのうち誰かいやさきに成るべきことをつげ,之をわれらに聞することを得んや,その証人をいだして己の是なるをあらわすべし。彼らききてこはまことなりと言わん。』― イザヤ 43:9。
19 (イ)ヱホバは今日の世界の指導者たちのどんな無益な努力を予言しましたか?(ロ)ヱホバはどんな責任をその証者たちにまかし与えますか?
19 世界の国民は,将来について極端に恐れています。そのことは人類を亡ぼしてしまう程強力で,より新しい致命的の武器が発見されていることから,当然なことです。国民はまた,そのような武器を用いたいという性質を持つているようです。彼らの証人である贋宗教の牧師たちや,いろいろの国の支配者たちは,慰めの音信を持つていず,人々に与えておりません。もちろん,彼らは将来に横たわつている危険について人々に警告し,世界が直面している非常な状態に対処するため惜しむことなく軍備に寄附するよう国民に求めています。しかし,国民の将来に何が貯えられているかについては,何一つ言うことができません。人類の保護と救いに対しての彼らの計画を語るようにとヱホバは招いていますが,彼らは何一つ持つていないのです。彼らへの助言は,その無益な努力をして達しようとする世界平和や繁栄については取り騒ぐことを止め,むしろヱホバ神の言葉に耳を傾けよということです。ヱホバ神はいま,地上にいるその証者たちを通し,全人類に対しては聖書からの慰めの音信を持たれています。その奉仕者たちにむかつて,ヱホバはこう言われています。「あなた方は私の証者であり,私が選んだ僕である。それで,あなた方は知つて,私を信じ,私が主であることを理解するであろう。私の前につくられた神はなく,私ののちにもないであろう。私だけがヱホバである。私の他に救い主はいない。」― イザヤ 43:10,11,ア標。
20 すべての国民に,いまなぜヱホバの証者の言うことに耳を傾けるよう促すべきですか?
20 注意深く調べてみますと,ヱホバの忠実な予言者イザヤは,この予言の成就の時を定めているということが分ります。その時とは他の諸国民が共に集つて,世界に平和をもたらし,平和を守る手段を探そうと努める時です。しかし,ヱホバによつて予言されている動揺の下に,状態はますます悪くなつて行きます。いまこの予言者イザヤは,霊感の下に,これら集まつた国民に忠告を与え,ヱホバの証者たちの言うことに耳を傾けるようにと告げています。というのは,ヱホバの証者たちはヱホバの目的を知つており,またこの危機の時代に導きとなる必要な知らせを国民たちに与えるよう選ばれている者だからです。ヱホバのみがその民を救うことのできる唯一の方で,すべての人は慰めと希望を得るため彼の言葉を求めるよう促されています。イエスは,次のように言つた時に,このことを指して述べていました。『主人が家人の上に任命して,正しい時に食物を与える忠実にして賢い奴隷とは実際に誰であるか? 主人が着いた時,そのようにしているのが見られるその奴隷は幸いである。私はまことにあなた方に言う。主人は彼を任命して全財産を管理させるであろう。』― マタイ 24:45,46,新世。
21 象徴的な忠実にして賢い奴隷のどんな義務は,正しい種類の奉仕者の現在の責任を説明していますか?
21 ヱホバの『忠実にして賢い奴隷』,すなわち任命をうけたキリスト,イエスの一致した残れる兄弟たちは,ヱホバの言葉よりの真理でもつて30年以上も神の民に奉仕しています。というのは,神の言葉の理解はますます明白になつて来ているからです。いまその奴隷は,「全地を襲う事柄の故に」悩んでいる諸国民に真理と慰めの音信を与えるよう命ぜられています。その悪魔のような計略から民を救うため,あることがすぐになされないならば,全くの亡びが来ることと彼らは見ています。イエスが,彼の忠実にして賢い奴隷をその全財産の上に『任命する』と言つたことに注意しなさい。ここで,『財産』とは,いま諸国民に発表されている真理について部分的に指し示しています。そして,奴隷がそのような財産の上に任命されていることは,その奴隷に配布者としての責任があるということを指し示します。自分自らをヱホバ神とその宣教の奉仕に献身しているすべての者に対して,ヱホバ神はこの大きな配布の仕事に参加するよう要求しております。その目的にむかつて,すべての者はその全力をつくし,諸国民に対するこの世界的な宣教に必要な要求にかなうよう努めるべきです。この仕事が全く終る時ハルマゲドンの戦いが来ます。その戦いは,目に見えないものでも,また見えるものでも,サタンの悪い制度を全く覆してしまうでしよう。その戦いは,蛇を底無い坑に投げいれ,キリストによるヱホバ神の永遠の支配に向つて道を開くでしよう。その正義の政府に対して反対するものはなにもなくなり,それは信ずるすべての生存者たちに平和と幸福をもたらし,ヱホバにほまれと栄光をあたえます。それで聖書を研究しなさい。宣教に必要な要求にかないなさい。奉仕者たちの新世社会の活動に参加しなさい。そして,今近づいているヱホバの新しい世で永遠に生きなさい。
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