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  • 最大の利得となるのは何ですか
    目ざめよ! 1975 | 2月8日
    • 犠牲を払うだけの価値があるか

      人々は,物質の富の蓄積に必死になるとき,確かに大きな犠牲を払います。そこで次のような疑問が生じます。富はそうして蓄積するだけの価値があるでしょうか。そのような人々は真に偉大な目標に達するでしょうか。それとも生活の真の目的を実際に見落としているでしょうか。最も大きな利得は何かに関するまちがった考え方にあざむかれているでしょうか。「富の主要な力は必要物を供給することである,と想像する人は大ばかである。富は,百例中九十九までは,供給するよりも一層の欲望をかきたてるものである」と,かつてある人は書きました。

      中国のことわざに,『鳥は食物のために死に,人は金のために死ぬ』というのがありますが,昔から人々は,物質の富を求めてどれほど命を危険にさらしてきたことでしょう。命を失った人たちさえあります。多くの人は,法律に反する事柄や危険な活動に携わることによって早く富を得ようとし,最後に警察につかまるとか,殺されることさえあります。また,富を蓄えるために奴隷のように働き,健康を害してしまったり,愛する人々とともに過ごす時間をほとんど持たなかったりする人々もいます。家族の間で物質主義が強調されすぎると,子どもに対する親の愛は弱くなり,子どもたちも両親を尊敬しにくくなる,と多くの若者は感じていますが,もっともなことです。

      したがって,人生に対して物質主義的な見方をし,富の追求を主要な目標とすることは,不合理であり非実際的であると結論しなければなりません。多くの人が,物質の富の追求に対して示す平衡の欠けた見方とは対照的に,神のことばである聖書がこの問題について教えていることは,すべて健全で人の心を満足させます。もしその教えに従うならば,その教えは家族関係の改善に,また個人の生活を幸福なものにすることに大いに役立ちます。

      聖書が示す平衡のとれた見方

      多くの人が考えていることとは反対に,聖書は物質の富を持つことを責めてはいません。忠実で是認された,神の昔のしもべたちの中には,アブラハムやヨブのような資産家もいました。この事物の体制においては,お金は有益な目的に役立ち,『身のまもり』となることを聖書は認めています。―伝道 7:12。

      しかし同時に神のことばは,「金銭に対する」貪欲な「愛」を非とし,ある人たちは「この愛を追い求めて信仰から迷い出」た,と述べています。そればかりではありません。彼らは「多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」。ですから次のような強い警告が発せられています。「富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥り,それは人を滅びと破滅に投げ込みます」― テモテ第一 6:9,10。

      聖書は,物質の富を最も大きな利得として指摘する代わりに,次のように助言しています。「確かに,自ら足りて敬神の専念を守ること,これは大きな利得の手段です。わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできないからです。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」。(テモテ第一 6:6-8)同じ筆者,つまり使徒パウロは,別の手紙の中で,「あなたがたの生活態度は金銭に対する愛のないものとしなさい。そして,今あるもので満足しなさい。『わたしは決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない』と言っておられるからです」― ヘブライ 13:5。

      イエスは鋭い質問をされました。「全世界をかち得ても,自らを失い,あるいは損傷をこうむるなら,その人にとっていったいなんの益するところがあるでしょうか」。(ルカ 9:25)理性のある人ならばだれでもすぐに分かることですが,命は財産よりもはるかに貴重です。命がなければ何も楽しむことはできないからです。命は偉大な創造者エホバの賜物です。愛に富まれるエホバは,エホバを愛しエホバを崇拝する者すべてが正しい状態の下で永遠の命を得るよう確実な取決めをつくられました。では,神の義にかなった新しい事物体制の下でこのすばらしい永遠の命の賜物を受けるということは,人が望みうる真に最大の利得であり,最も貴重な賜物ではありませんか。

      問題をこのように正しく評価するならば,人は必ず,『神のもの』,すなわち人間が神に対して負っている崇拝と献身を『神に返し』,命の偉大な源から,生命という貴重な賜物を受けるにふさわしい者であることを証明するでしょう。―マタイ 22:21。詩 36:9。

      イエスはさらにこう宣言されました。「唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。(ヨハネ 17:3)このことばは,神のことばである聖書から知識を取り入れることの重要さをはっきりと示しています。聖書がわたしたちに教える事柄のなかで最も重要なものの一つは,『外部の人々との関係で適正に歩み,また何にも事欠くことがないように,手ずから働く』ということです。神は確かに,働こうとしない怠惰な者を嫌われます。―テサロニケ第一 4:11,12。箴 6:6-11; 21:25。

      さらに聖書は,家族の成員に,家庭における彼らの正しい位置や,どうすれば純粋の愛と敬意とをもって互いを扱い,仲良く平和に暮らせるかを示しています。(コロサイ 3:18-21)神のことばはまた,世界じゅうに見られる道徳的過失のような,いたるところで人類を悩ましている多くの問題の扱い方をも示しています。ですから聖書は,わたしたちがすべての問題において平衡の取れた見方を保ち,生活において霊的な面の重要な事柄を第一にするように助けてくれます。天の父との正しい関係を維持することを最重要視することにより,わたしたちは生活に真の目的を持ちます。それは,わたしたちの偉大な創造者エホバに奉仕し,仲間に善を行なうことです。

      わたしたちはみな,山上の垂訓の中に述べられているイエスの次の助言から益を受けることができます。「あなたがたは自分のために地上に宝を蓄えるのをやめなさい。……むしろ,自分のために宝を天に蓄えなさい。そこでは蛾もさびも食わず,盗人が押し入って盗むこともありません」。またわたしたちは,金持ちであろうと貧乏人であろうとみな,物質面で富んでいる人々に聖書が与えている助言から大いに益を受けることができます。「今の事物の体制で富んでいる人たちに命じなさい。高慢になることなく,また,不確かな富にではなく,わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を置くように。そして,善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,すすんで分け合い,自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え,こうして真の命をしっかりとらえるようにと」。―マタイ 6:19,20。テモテ第一 6:17-19。

      生命の創造者がお定めになった要求を満たすことにより「真の命をしっかりとらえる」― これこそわたしたちが得ることのできる最大の利得です。

  • 「施設利用……後始末も完全」
    目ざめよ! 1975 | 2月8日
    • 「施設利用……後始末も完全」

      「ものみの塔聖書冊子協会」

      「館内外念入りに」

      「[苫小牧]借りた会場は,借りたとき以上にきれいにして返す ―。そうは思っても,なかなかできないことが,二十七日の市民会館を会場にした人たちの手で清掃が行なわれていた。この人たちは,ものみの塔聖書冊子協会のグループで,同日午前九時から午後四時半まで,同市民会館で『エホバの証人の巡回大会』と銘打った集会を行なっていたが,参集後,南北海道の全域からのため,ざっと二千人。しかも昼食と,帰りの食事などについても全部持ち込みの自炊とあって物入りがたくさんあり,会場内外の人や物の出入りは目まぐるしかった。この中で“食事”“運送”“掃除”“自己奉仕”など,いくつものパートの係はテキパキと動き,この中でも掃除係は集会の合い間を利用 ポスターの掲示でよごれたガラスふきや,館内外の念入りなふき掃除。また集会が終わったあとも,一時間以上の時間をかけて,チリ一つない最後の後始末をしていた。

      「同市民会館では『このような利用者ははじめてで,恐れ入りました。宗教関係団体は,マナーをよくして会場をそうよごさないが,それ以上のマナーをこの人たちは見せてくれた』と話していた」― 1974年10月30日付室蘭民報。

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