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神のみまえに正しい立場を保つものみの塔 1964 | 1月15日
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の別の学校で,生徒のハンドバックを抜打に検査したところ,女生徒の80パーセントが避妊用具をもっていたことがわかりました。
トロント・デイリー・スター紙(1963年3月9日付)は次のように伝えています。「ウイニペッグ〔カナダ〕の高校生に妊娠する者が非常に多くなっているので,未婚の母親を収容する市の三つのホームは,彼女たちを特殊の学校に入れる方法を考慮中である。……昨年中同市では,537名の私生児が生まれている」。
今日の若者たちのセックスの乱行は,セックスを崇拝した昔のバアル崇拝者の放縦な儀式に劣らぬものがあると見られています。英国教育省の元の衛生局長ジョン・チャールス卿は,検察官が,十四,五歳の若者たちの「驚くべき早熟と腐敗」と呼んだある事件を例としてあげています。
『セックス・クラブ』と『妻交換クラブ』は,キリスト教国の至るところで繁昌しています。つい昨年の春,サンフランシスコ・クロニクル紙は「妻交換の流行 ― ベイ地方全域におよぶ」という見出しで,8行の広告から,「結婚外のセックスを望むカップルの申込みが殺到した」ことについて述べ,「彼らは二組以上の夫婦のグループをつくって,個人の家やホテル,モーテルに集まり,『交換パーティ』を開くが,そのパーティは相当さわがしいものだ」と伝えました。ある人々の想像とは反対に,このばか騒ぎには,尊敬されている市民で,一見したところ信心深い生活をしている人々まで参加しているのです。事実,そのうちのひとりは,「日曜日には早く起きて教会に行かねばならないので,土曜日には『交換』しない」と言ったほどです。―1963年4月3日,6日付。
この不道徳な風潮は指導層にまでおよんでいます。最近英国では,政府高官の不道徳行為が明るみに出されました。この「驚くべきことは」英国で生じましたが「イギリス海峡を越えたヨーロッパにもあり,ニューヨークの国連のガラス張のホール(無粋なカガミなどなかったが)の中でさえかなり目についた」とニューズ・ウイーク誌は伝えました。「ストックホルムとカイロではまたセックスとスパイにかんする別の醜聞が反響を呼んでいる」。
性の面の不道徳は,世界の至るところで,一般人や若者はいうにおよばず,金持や権力者の生活にも入りこんでいます。ある牧師の意見によると,いまの十歳代の者たちは,セックスを「飲み食いすることと同じほど簡単に」考えています。(1963年2月8日付,トロント・デイリー・スター)結婚外の性交は,神の律法に反します。しかし今日の人々も,古代イスラエル人のように,『だれもがしていることだからかまやしない』と考えているようです。そして宗教指導者のなかにすら,いまの時代の不道徳を黙許する人たちがいます。
「1963年3月11日付のロンドン・デイリー・エクスプレス紙が伝えたところによると,英国国教会の牧師,D・A・リメスは,彼の会衆に向かい,純潔にかんする聖書のおきては「すでに時代おくれなので,かえりみられなくなった」と告げています。また,そのおきては,人々の要求によりよく合致する道徳律と置き換えられねばならないと述べました。これと同じ論法で,英国の有力なクエーカー教徒の一グループが発行した70頁の論文は,「道徳というものは,安息日のように,人間のためにつくられたもので,人間が道徳のためにつくられたのではない」と述べています。だから,同性愛の表現ですら,道徳的に悪いものではない,というわけです。「クエーカー教徒の性の見方について」という論文集は,「組織されたキリスト教会の従来の道徳観をほとんど完全に否定している」と,1963年2月9日の「グローブ・アンド・メイル」紙は伝えています。
不道徳を避ける
道徳にかんするこうしたこの世の哲学は,なんと危険なものでしょう! もしそれを真に受けたなら,人は神のみまえにおける清い立場を失います。神のおきてはいまも,書かれた時と同じく,時代の先端をゆくもの,時代に即応したものです。キリストの使徒のひとりは,神のおきてに反して性欲を満たせると考える者に対し,バアル崇拝者のモアブ人に誘惑されたイスラエル人にどんなことが起きたかよく考えよ,と告げています。
「ある者たちがしたように,わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が,一日に二万三千人もあった。これらの事が彼らに起ったのは,他に対する警告としてであって,それが書かれたのは,世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。だから,立っていると思う者は,倒れないように気をつけるがよい」。―コリント前 10:8,11,12,新口。
クリスチャンは,みだらな隣人に誘惑されたイスラエル人のように,このセックス狂の世界の誘惑にのらないよう,常に注意しなければなりません。使徒パウロは初期クリスチャンに書き送りました。「だから,地上の肢体,すなわち,不品行,汚れ,情欲…を殺してしまいなさい。…あなたがたは,古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て,造り主のかたちに従って新しくされ,真の知識に至る新しき人を着たのである」。―コリント前 3:5-10,新口。
不品行を避けるためには,神の正しいおきてで心を満たすことです。そしてそのおきてと一致した生活をするよういつも努力しなければなりません。これは次のことを意味します。「不品行といろいろな汚れや貪欲などを,聖徒にふさわしく,あなたがたの間では口にすることさえしてはならない。また,卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは,よろしくない事である。それよりは,むしろ感謝をささげなさい。あなたがたは,よく知っておかねばならない。すべて不品行な者…は,キリストと神との国をつくことができない」。―エペソ 5:3-5。ピリピ 4:8,新口。
ですから神のおきてははっきりしています。不品行,姦淫,同性愛,獣欲などの不道徳な行為は,神の怒りを招きます。たしかに多くの人は,神の正しいご要求を知るまえに,また異邦人と同じ生活をしていた間は,こうしたことがらを行なっていました。しかし,神のみまえに正しい立場を得てそれを保つことを心から望むなら,人はいま,「不品行を慎み,各自,気をつけて自分のからだを清く尊く保ち,神を知らない異邦人のように情欲をほしいままに」してはならないのです。―テサロニケ前 4:3-5。コリント前 6:9-11,新口。
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『その本がもっとあればと思っています』ものみの塔 1964 | 1月15日
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『その本がもっとあればと思っています』
◆ アメリカ,テキサス州のエホバの証者二人は,近くの刑務所をたずね,副看守長に会いました。報告は次の通りです。「いすをすすめられ,1時間ほど一緒に話しました。囚人たちの聖書の勉強の助けとして,『ものみの塔』や『目ざめよ!』誌が必要ではないかとたずねました。副看守長はすぐに答えて言いました,『そのような本がもっとあればといつも思っています。今いただければ大喜びです。車のところまで行って,運ぶのを助けましょう』。私たちは全部で70冊の雑誌を配布しました。以前にたずねた時に配布した『新世界訳聖書』について聞いてみました。彼はこのように答えました,『あの本は下監房でみんなが読みまわし,ちょうど今もどって来たところです。上監房の者たちも見せてくれと言っているので,これからそちらにまわそうと思っていたところです』。1冊では足りないのではないかとたずねると,2,3冊あったほうが便利ですねと彼は言いました。副看守長は話の中で,私たちがたずねた事と,新世界訳や雑誌に非常に感謝していました。話によると彼はかつて空軍にいたころ飛行機で往復する間にものみの塔の出版物を多く読んだとの事です。私たちはこの刑務所をまたたずねるのをたのしみにしています。
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