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過去を反映するハワイの音楽目ざめよ! 1973 | 8月22日
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ありました。フラ・ギルドにはいる人びとは,その前に規則の厳しいフラ学校で生活し,卒業までみっちりと訓練を受けました。
昔の楽器
昔のハワイの楽器のあるものは今日でも使われています。おもな絃楽器としては「ウケケ」というのが一つあっただけですが,これには二つの型がありました。
長い型のウケケは,たわみやすい細長い板に,ココヤシのせんいの線を2本張ったものです。それらの線は糸巻きで,1度または4度の正しい音程に引き締められます。もうひとつの型のウケケには第3の線があって3度の音程に合わされます。どちらのタイプの楽器も,絃の上端を口のところへ持ってきて,楽器に向かって歌うか,またはハミングしながら,指で音楽をかなでます。
昔のオーケストラの楽器の中でもいちばん変わっているのは鼻笛です。それは竹のふしのある部分で作られ,一方の側には鼻を当てる穴があり,他方の側の端には指で押える穴が二つあります。別の風変わりな木管楽器は,原始的なオカリーナに似た楽器です。これはヒョウタンで作られるもので,三つの穴があります。一つは鼻に当てる穴で,他の二つは指でふさぐ穴です。
打楽器の種類はたくさんありました。ココヤシの実の殻や,木や,ヒョウタンで作られた,種々様々の太鼓がありました。それらはたいてい,一方の端にサメ皮が張られていました。なかでも目だつのは『パウ』太鼓です。これは12世紀から13世紀中にタヒチから渡来したものです。それは,中をくり抜いたココヤシの木やパンの木で作られました。太鼓の下部には美しい彫刻が施され,上部の穴にはサメ皮が張られていました。この太鼓は,小型のココヤシの実の太鼓とともに,今日でも使われています。
それにしても,この音域の限られた,変わった歌い方の詩と踊りが,どのようにして今日のハワイの,旋律に富む軽快な音楽になったのでしょうか。
外国の音楽の影響
古い音楽から新しい音楽への過渡期は,1778年に,ヨーロッパ人が初めてこれらの島を訪れたすぐあとにやってきました。捕鯨船の乗組員や宣教師のグループは短時日の間に,ハワイの文化に大きな影響を与えました。島に立ち寄る水夫たちは,それぞれの国籍に応じてさまざまな音楽のレパートリーを持っていました。音楽の好きなハワイ人はすぐにそれらの歌を取り入れて,自分たちのものにしました。今日,南洋で好まれている歌の多くは,そうした昔の訪問者たちの歌の基本的な調べがもとになっています。
また,それらの昔の訪問者たちも,古いハワイの歌をたくさん取り入れました。たとえば,ハワイ人の大好きな歌,「ホレ・ワイメア」は,古いメレをモダン音楽に合わせたものです。また,美しい谷にちなんでつけられた「ワイピオ」という題名の,忘れがたいほど美しい歌がありますが,これは非常に古い歌から来たものです。
1820年代になって,宣教者たちは,文字のなかったハワイ語のためにアルファベットを作り始めました。やがて彼らは8音音階を紹介し,熱心な生徒たちに賛美歌や簡単なフォークソングを教え始めました。昔のハワイでは,和音は知られていませんでしたが,生徒たちはすぐにそれを学び,上達しました。ハワイ人はとくにテナー声部にひいでています。テナー声部は,多くの作曲家が,最もむずかしいと考えている部分です。
19世紀になって,若いドイツ人音楽家ヘンリー・ベルガーが,カメハメハ5世の招きによりハワイに来て宮廷の音楽士となり,王室の音楽教師をつとめました。今日世界に名高いロイヤル・ハワイアン・バンドは彼が組織したものです。この楽団は,今日にいたるまで,港にはいってくる客船を,ふ頭に立ってハワイの歌と踊りで迎えることを,定期的に行なってきました。また船が出るときも,船客に「アロハ」を言います。アロハには,さようなら,よくいらっしゃいましたという意味があり,また愛という意味もあります。
ベルガーの影響を受けていた時代およびその後の時代に,今日知られているような,ほんとうにハワイ的なすぐれた音楽が無数に生まれました。ベルガーの時代の王家の人びとのなかには,非常な音楽的才能を示した人びとが数人いました。ハワイ王国の最後の女王,リリオウカラニはそのうちのひとりです。ハワイの歌のなかで最も愛され,最もよく知られている,「アロハ・オェ」(さらば汝よ)は,同女王の作品です。
この歌の曲は古いバラードからヒントを得たものです。しかし,郷愁を誘うその叙情詩は,リリオウカラニが,1878年に,オアフ島はワイアマナロのマウナウィリ牧場で,王の軍の若い将校と,現住民の若い娘との間の切ない別れの場面を見た時に,その思いに浮んだものです。女王は自分で作曲しました。ベルガーはそれを編曲し,1883年,ロイヤル・ハワイアン・バンドはそれをサンフランシスコで,ベルガーの指揮で演奏しました。そしてこの歌はすぐに有名になりました。
現代の楽器とその人気
19世紀の後半までには,ハワイ人はすでにギターをとくに愛用していました。1886年には,「彼らはこれを独奏楽器として,やさしい,柔らかいタッチで演奏する。この楽器はやさしい感情を実によく表現する」という報告があります。また,1879年に,あるポルトガル人の移民が持ってきた,4絃の小型ギター,ウクレレも,ハワイ人に愛されるようになりました。
ポルトガル人はウクレレを,「カバキンホス」と呼びました。これは「小さな木片」という意味です。しかしこの楽器は飛びはねるように演奏されるので,想像力に富むハワイ人は,まもなくその名前を,「飛び回るノミ」という意味の「ウクレレ」という名前に変えました。最初は単なる伴奏楽器と考えられていましたが,今日では,フラからクラシックにいたるまでどんな曲でもひける,ウクレレ独奏の真の名手がいく人かいます。ハワイではウクレレは非常に愛されていて,学童たちが道を歩きながらウクレレを弾いているのを見かけるのは珍しくありません。
しかし,純粋にハワイ人の創意の所産である楽器がひとつあります。それはスチール・ギターです。カメハメハ・スクールの,1890年代の一学生,ジョセフ・ケククは,古いギターをひいていた時,くしの背を絃に押し当ててかき鳴らしました。そして言いようのないほど美しいスチール・ギターの音色を初めて耳にし,それ以来その音色はハワイ特有の音となりました。
ハワイ音楽は,第1次世界大戦中に世界中で人気を博し始めました。そのレコードは,ハワイを最もよく宣伝するもののひとつです。訴えるようなハワイのクラシック音楽,ナ・レイ・オ・ハワイ,ブルー・ハワイ,リトル・グラス・シャック,スウィート・レイラニ,または非常に美しいハワイの結婚の歌を聞いたことのない人がいるでしょうか。
ハワイ人の歴史 ― その行ない,創造物への愛,そして感情 ― は,長い歳月を経て続き,全世界を楽しませています。過ぎし時代の音楽の追憶は,翼を休めずにこの時代まで飛びつづけ,ハワイ音楽を聞くたびに新たに思い起こされる影像を残しています。
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心臓発作を予防する目ざめよ! 1973 | 8月22日
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心臓発作を予防する
● 英国の座業就労者1万6,882人を対象に行なった研究の結果は,たとえ週末だけでも激しい運動をする人は心臓発作を起こす危険が少ないことを示している。「激しい運動は心臓血管系の健康を増進する」と,同研究を行なった医師たちは述べている。「軽い運動は……それほどの効果をもたらさなかった」。たとえばきびきびした歩き方で丘を登ったり,自転車に乗ったり,庭を掘ったり,雪をシャベルで掘ったり,泳いだり,かなりの時間きつい柔軟体操をしたりする激しい運動は,心臓に良い影響を与えるものとなる。しかし,どんな激しい運動を始めるにせよ,まず最初に医師に相談すべきであると,同医師団は警告した。
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