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    ものみの塔 1960 | 9月1日
    • 16 (イ)イエスはどんな種類の話をしましたか。(ロ)その教え方という点においてはイエスはどのように私たちの模範ですか。

      16 話についてのイエスの模範は,愛の気持をいだいて忍耐づよく教えられたものを,私たちに示しています。彼は地上の弟子たちに語るだけということをせず,説明して教えました。イエスのたとえ話や説明の例はたくさんあります。マタイ伝 13章には,種子を播く譬話があります。この譬話は説明されたので,ふさわしい人々はイエスの話しを聞いただけでなく,その意味を理解しました。イエスは彼の話が自分の弟子たち,自分の教えた者に必ず益をもたらすようにしました。彼の言葉はみな良い理由をもつて言われました。彼は最初考えて,それから話しました。イエスの動機は愛でしたから,うわさ話をするとか,そしりを語りませんでした。彼はエホバのわざに献身していて,わずかな時間内に行なわねばならぬ仕事を持つていました。彼は御父のわざに専念し,彼の話に耳を傾ける人々を救うために,御自分の話を用いました。その会話は,彼のまわりにいた者たちを建ておこして,救いにいたらせました。彼は悪人に対するエホバの裁きを示して自分の敵共の前でも恐れずに話しました。それで,彼はエホバから学んだことを反映し,エホバがどのように話し方と教え方と教え給うたかを示しました。そして,彼が口を開く度ごとにその良い心のなかに豊かにあるものは何かを示しました。この手本に従いましよう。神とキリスト・イエスにならう者になりなさい!

      17 (イ)私たちが話しをする時間は,いま何で占められねばなりませんか。(ロ)なぜ私たちの目標は,いつも抑制した話でなければなりませんか。メリバでのモーセの経験から,私たちは何を学びますか。

      17 エホバ神とその新しい世の祝福については,良いことをたくさん語ることができます。エホバは御自分の御言葉を通し,また御自分の見える制度によつてこれらの良い事柄を告げています。たしかに,知りたいと思うことをことごとく学ぶだけの十分な時間はありません。それでは,クリスチャンがこの世的な話や無益な話にまきこまれて,そのように無益に話を浪費する,などということがどうしてできますか。(コロサイ 4:5,6)節制はぜひ必要です。エホバは聞いておられます。(詩 59:7,12,13)私たちがエホバの御わざをするときでも,注意して話し,神にさんびをささげなければなりません。モーセはメリバで話について間ちがいを犯したため,約束の地に入つて生命を楽しみませんでした。―民数記 20:10-12。

      18 救いを得るため,私たちはエホバの援助をうけつつ何をしようと努力しますか。

      18 いまこそ考えに深い注意を払い,私たちの言葉を制御すべき時です。そうすればくつわを地面に引きずりながら逃げ出してきた馬のごとき舌を持たないでしよう。私たちは噂話という火道具を持ちません。それは良く乾燥した燃え易い森の中で,マッチに点火するようなものです。むしろ,私たちは重要な伝道のわざと教えるわざを見失なわないように注意を払います。私たちの目標は,考えと話す力を使用する際にエホバとキリストにならい,他の人の救いをはかることです。このために,私たちはエホバの援助を願いつつ生命の与え主をよろこばせようとつとめます。なぜなら,私たちは自分自身の力では何事もすることができないからです。次の言葉をあなたの祈りにしなさい,「エホバわが磐わが贖主よ,わがくちの言わがこころの思念なんぢのまへによろこばるることを得しめたまへ」― 詩 19:14。

  • 「自然の法則」
    ものみの塔 1960 | 9月1日
    • 「自然の法則」

      「この丘,この谷」(英文)という本の中で,ハル・ボーランドは次のように言っています,「我々にとうてい理解できないような自然の法則がある。蔓草がしなやかな茎を強い支柱にからみつけて行つたり,豆の木が柱によじのぼつて行くのを考えてみるが良い。この北半球では,ほとんど例外なしに,みな時計と反対の方向にまきつく。なぜそうなのであろうか。………ハリケーンのような旋風も,フロリダ州やカリブ海を通つて海岸沿いにやつてくるときは,時計と反対の方向にまわりながら進む。台所の流しの下から流れ出る水のうず巻きも,ダムの基底部の小さな口から流れ出る水のうず巻きにしても,たいていのうず巻きは時計と反対の方向にまわる。

      「それは地球が回転しているためであるとか,あるいは他の例を持ち出すのは,なかなかけつこうなことと言える。そして,南半球では,北半球とは反対の方向にまわるのだと,物の分かつた口振りで言う者もある。これらは事実であるが,究極の答ではない。それは物事の起る仕方であつて,なぜ起るという理由を説明するものではない。そのような知識は種子の中に入つているのだろうか。風のことは私に分かる。また,風の方向も分かる。しかし,蔓草はそれとはちがう。蔓草は生物であつて,外部の力によつてあちこちに強制される風のようなものではない。人力のはかり知れない法則,ある生命の道,ある自然の必要性というものがある。私はそれらを認めることができるが,十分に理解することはできない。」

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