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  • ヒトラー ― 過去の人,だが忘れられてはいない
    目ざめよ! 1985 | 6月8日
    • ヒトラー ― 過去の人,だが忘れられてはいない

      去る1980年9月26日,金曜日の南ドイツ地方は,陽光の降り注ぐ,暖かな天候に恵まれました。しかし,午後10時15分ごろには肌寒くなっていました。ミュンヘンの有名な十月祭<オクトーバーフェスト>の巨大なビール・テントから大勢の人々が出て来て,出口に向かっていました。一つのメーン・ゲートの近くで,突如閃光が走ったかと思うと,耳をつんざくような爆発音がとどろき,200人以上の負傷者と13人の死者が出ました。

      捜査の結果,このテロリストによる襲撃の張本人はネオ・ナチとつながりのある人物であることが明らかになりました。それよりわずか8週間前に,イタリアのボローニャ市で右翼による同様の襲撃があり,鉄道の駅舎が爆破されて80人が命を失いました。その同じ期間に,フランスは第二次世界大戦以来最も激しい反ユダヤ主義者による暴力の波に洗われていました。

      ほとんどの人にとって,ナチズム(あるいはネオ・ナチズム)とヒトラーは同義語のようなものです。ですから先に挙げたような出来事により,ヒトラーは,少なくともニュース報道の中では長年のあいだ生きつづけてきました。そしてこれらナチによる新たな残虐行為は,ナチの行なったかつての残虐行為がまだ忘れ去られないうちに生じているのです。事実,ドイツの新聞,ニュルンベルガー・ナハリヒテンは,1983年12月現在,10人の裁判官と検察官を含む35人の職員が,「いまだにナチの犯罪[ヒトラー時代に犯されたもの]に関する入手可能なありとあらゆる資料を収集し,照合し,検討し,裁判所に持ち込む仕事に忙しく携わっている」ことを指摘しています。同紙は,「129件は依然として係争中で,1,700件以上の裁判がいまだに進行中である」とも述べています。

      それらはいずれも,一般の人々の注目を浴びることはほとんどないでしょう。しかし,大勢の人々が忘れようとしているナチズムに関する記憶をよみがえらせるのにかなり効果のあった出来事はほかにもありました。一例として,数年前に放映された「ホロコースト」というテレビ番組,あるいはドイツの一大衆誌がヒトラーの私的な日記を手に入れたという1983年のセンセーショナルな報道について考えてみてください。ある人々はこのニュースを最初から疑っていましたが,その日記が偽物と分かり,そのニュースは悪評を買いました。一人のドイツ人は失望しただけでなく,嫌悪感をあらわにして,「いつになったらヒトラーに担がれないですむようになるんだろうか」と言いました。

      カナダのトロント・スター紙が,「我々は総統と彼が率いていた国家に対して,引き続き恐怖感を抱くと同時に,興味を引かれ,魅了されてさえいる」と述べたのも不思議ではありません。これが事実であると思われるのは,ドイツの一情報筋が次のように述べているからです。「第三帝国の期間が遠い過去の出来事になるにつれて,同帝国に関する著作の洪水は激しさを増してきているように思われる。2万冊以上の出版物が登場し,専門家たちでさえそれらをすべて知ることは望めない」。

      ヒトラーとその第三帝国に対して世界がこのように興味を持つようになったのはなぜでしょうか。シュピーゲル誌は,ネオ・ナチの諸団体が「いよいよ戦闘的に」なっていることを伝えていますが,それらの団体と世界的なこの関心とは共に,歴史が繰り返す前兆になっていると言えるでしょうか。ネオ・ナチの出版物の中には,「我々は過去の遺物ではなく,未来の先兵である」と豪語する向きもあります。そうであれば,『ナチズム ― 再び台頭することがあるだろうか』とある人々が尋ねるのは,理由のないことでも,根拠のないことでもありません。

  • それはどのようにして台頭したのか
    目ざめよ! 1985 | 6月8日
    • それはどのようにして台頭したのか

      「世界でも経済面で最高度に発展し,文化的にも洗練された国において,ナチ第三帝国のような野蛮な政体がどうして権力を握ることができたのだろうか」。歴史家のJ・ノウクスは「今日の歴史」誌の中で,このような示唆に富む質問を提起しました。この質問の答えを得るには,その背景に関する情報が幾らか必要かもしれません。

      ナチ党を設立したのはアドルフ・ヒトラーではありませんでした。1919年に,アントン・ドレクスラーという,ミュンヘンの錠前屋が,ドイツ労働者党(Deutsche Arbeiterpartei)を設立しました。1年後,その名称は国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)に改称され,1921年にヒトラーが同党の指導者になりました。ドレクスラーは後日,ヒトラーと対立して,この党から手を引きました。“Nazi”という語はこの党の名称の最初の語に由来しています。

      1923年に,ヒトラーとナチ党は政府の転覆を図って失敗し,ヒトラーは投獄されました。その間にヒトラーは,「わが闘争」(Mein Kampf)を書きました。この本の中でヒトラーは党の主要な目標と教えを詳しく述べ,「大衆を一国民としてまとめ上げること」をその至上目標と呼んでいます。そしてこの目標に到達するためなら,「いかなる社会的な犠牲も大き過ぎることはない」と宣言しました。国家は「一千年の未来の擁護者」であることを自ら実証しなければならない,とヒトラーは書きました。

      当初,ヒトラーとその党はまともに相手にされませんでした。ドイツの著述家クルト・ツコルスキーは当時,ヒトラーの大げさな話し方を聞いて,「人物など存在しない。あの男は自分で作り出しているわめき声だけの存在である」と述べました。ツコルスキーは大勢の人々の気持ちを代弁していたに違いありません。しかし,その人物は確かに存在していただけでなく,わめき声以上のものを作り出そうとしていたのです。

      ナチの政権を可能にした要素

      ドイツ人は第一次世界大戦に敗北して幻滅を感じていました。そして,ベルサイユ条約により科された厳しい制裁を重すぎる不条理なものとみなしていました。強力な政治指導力も存在しませんでした。経済状態は週ごとに悪化していました。世界的な不況で幾百万もの人々が職を失いました。絶望と不安感とが重々しく垂れ込め,生活は喜びのない息苦しいものになっていました。

      ナチ運動は,巧みな宣伝活動を通して大衆を組織し,喜んでその運動の政治目標を遂行する道具に仕立て上げることに成功しました。将来についてのその仰々しい約束には国民に訴える力がありました。また,ナチ運動は自らの目的を遂げるために,民衆が共産主義に対して抱いていた恐れをうまく利用しました。そしてプロイセンの軍国主義に新たなはけ口を与えたのです。この党は若い人々に刺激と冒険を与え,同志間の友情を味わわせ,より強大なドイツ国家の再生に個人的に参与しているという意気揚々とした気持ちを持たせました。

      政権を握ってからわずか6年後の1939年4月28日に行なった演説の中で,ヒトラーは自分が収めた成功について語り,秩序の回復,生産の向上,また失業問題に終止符を打ったことやベルサイユ条約の制限を振り捨てたことなどを挙げました。そしてこう付け加えました。「1919年に奪われた諸州をわたしは帝国のために取り戻した。……わたしはドイツ人民の千年間の歴史的一致を回復した。……しかも血を流すことなしにこれを行なった。したがってわたしは,我が民族にも,他の民族にも戦争の惨禍を臨ませてはいない」。

      セバスティアン・ハフナーは,ドイツ語の著作,「ヒトラーに関する所見」の中で,ドイツ人にとって「ヒトラーは驚異 ―『神から遣わされた者』― だった」と説明しています。こうしてヒトラーが成功した上に宣伝が巧妙だったため,ナチ党は人心をしっかりとつかむことができ,その運動は宗教的な色合いを帯びるようになったのです。党の目標を支持することはやがて“神聖な”任務となりました。

      このことは,ウィリアム・L・シャイラーが自著「悪夢の歳月」の中で書いた事柄をよりよく理解するのに役立ちます。シャイラーは次のように書いています。「私はこの独裁者を初めてかいま見たこと以上に,群衆の熱狂のほうに興味を抱いた。……彼がほんのいっときバルコニーに姿を現わして手を振ると,群衆は気が狂ったようになった。数人の女性が失神し,群衆が自分たちの救世主<メシア>をもっとよく見ようと殺到して来た時に,幾人かの男女が踏みつけられた。群衆の目に,彼は救世主のように映ったのである」。

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      ナチは大衆を組織して,喜んで事を行なう道具に仕立て上げた

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      ドイツの一著述家は,多くの人にとってヒトラーは「神から遣わされた」人物であったと述べている

  • 再び台頭することがあるだろうか
    目ざめよ! 1985 | 6月8日
    • 再び台頭することがあるだろうか

      今日のドイツにおけるネオ・ナチの数は正確には分かりません。しかし,ドイツ連邦共和国内の政治的過激派を監視している一機関の推定によると,同機関が極右組織と呼ぶ諸団体は2万人以上のメンバーを擁しています。それらの組織は数多くの団体に分裂しており,メンバーの数が三桁になる団体はほとんどありません。

      これはナチズムの強力な盛り返しを物語るものとは言えないようです。なぜなら,それらの分子をすべて翼下に収め統率する能力を持つヒトラーのような指導者なしには,ナチズムは恐れるに足りないからです。これまでのところ,そのような新しい“救世主<メシア>”は登場していません。ドイツでは比較的名の通ったネオ・ナチの一人であるミハエル・キューネンでさえそのような存在ではありません。別のネオ・ナチの一人は,キューネンのことを,「地上における,アドルフ・ヒトラー総統の右腕」と呼び,ヒトラーについては,「我々にとって総統は,イエスがクリスチャンにとって聖なる者であるのと同じほど,聖なる存在である」と言いました。

      また,今日のドイツの状況はヒトラー時代以前の状況とはかなり異なっています。失業率は高いとはいえ,1930年代初めに失業率が30%に達した時とは比較になりません。わずか2年間にある品物の価格が35マルクから1兆2,004億マルクにまで上がった1920年代と比べれば,現在のインフレも大したことはありません。愛国心と軍国主義は今日事実上存在していないと言ってもよいでしょう。その上,現在のドイツ憲法には,独裁制が再び樹立されることを防ぐ安全弁となるものが盛り込まれています。

      それでも,ネオ・ナチズムを過小評価してはならないと考える人は少なくありません。ボン大学の歴史学者,カール-デートリッヒ・ブラッハーは,「1920年代にも,小さな団体しか存在せず,大きな組織のなかった状況が存在した」と警告しています。しかも,さまざまな国におけるテロリストの襲撃を見ても分かるとおり,少数の極めて献身的な人物がいるだけで,その人数とは全く比較にならないような危険をもたらすことが十分にできるのです。

      ほかの国々における危険

      キューネンはネオ・ナチの活動を行なったかどで,今年の初め,3年を超える懲役刑を言い渡されました。拘引される前,キューネンはドイツを逃れてからは,スイスの「極右団体にみがきをかけるために」時間を使った,と伝えられています。スイスの一新聞は,「この国において彼は,自分のイデオロギー『を代表する点で幾つかの団体が非常に力量のあるところを見せている』ことを察知し,満足感を抱いた」と報じています。

      また,1938年3月,ヒトラーにより第三帝国に編入された,ヒトラーの故国のオーストリアにも,そのような団体がないわけではありません。年配のオーストリア人の中には,自分たちの歴史の中の第三帝国の時代を,ある種のあこがれを抱いて回顧する人もいます。そのような年配の人々は,だらしない服装をして麻薬文化に浸る今日の乱脈な若者たちのことを腹にすえかねており,「ヒトラーの支配下では,こんなことはあり得なかった」とこぼす傾向があります。そのような人々は,「夜になっても平気で町を歩けた」ヒトラー時代の思い出話にふけることさえするかもしれません。ヒトラー政権の行き過ぎは見て見ぬふりをすることにし,「今わしたちに必要なのは,小型のヒトラーだ」と言ってはばからない人もいるかもしれません。

      しかしネオ・ナチズムはヨーロッパ以外の場所にも見られます。フランクフルター・ルントシャウ紙の記事によると,第二次世界大戦の終わりに,ほぼ1万人のナチ党員が南米のさまざまな国に逃亡しました。それらの者たちが脅威になり得るでしょうか。パラグアイでナチズムが再び台頭する危険について,「ABCレビスタ」誌は著名な権威者たちとの一連のインタビューを掲載しました。同誌は,「ナチズムは生きているが,横になって眠っているのである」というイアイメ・S・エダン法学博士の言葉を引用しました。ある著名な政治家も,「国家社会主義は死んではいない」と述べて,同様の見解を示しました。

      米国ではどうでしょうか。米国ナチ党の創立者であるジョージ・リンカーン・ロックウェルは1967年に暗殺されました。しかし,ロックウェルのイデオロギーは依然として幾つかのネオ・ナチの団体に見られます。ロックウェルの死後10年たって,タイム誌は,「ナチ礼賛者の集団は政治的には無力で,その数も減少してはいるが,憎しみをかき立て,暴力を生み出す可能性は依然として高い」ことを指摘しました。

      では,再び台頭することがあるだろうか

      ドイツで発行されている南ドイツ新聞は,同国におけるネオ・ナチズムのことを取り上げ,次のように結論しています。「ドイツの歴史的な背景とナチ政権の犯罪行為とを考えに入れると,右翼活動が重大な危険をもたらすことはないかもしれないが,いずれにしてもそうした活動は恥さらしである」。ディー・ツァイト紙はそれ以上にはっきりと,こう断言しています。「西ドイツにおけるナチ運動の再興などばかげた概念である。そう言える一番大きな理由は,ナチの台頭を許した状況はもはや存在しないということである」。

      ですから,“小型の”ヒトラーが ― あるいは“大型の”ヒトラーでも ― 登場して,ナチズムを,ヒトラーの支配下にあった時と同じ位置にまで復興させる危険は,現在のところかなり薄いと思われます。ドイツの17歳の一生徒は,「僕たちは十分警告を受けています。そのようなものが二度と台頭しないよう僕たちが見守ります」と断言しています。

      二度と台頭することはないかもしれません。しかし,抑圧や残酷さは何もナチズムに限られたことではありません。また,ヒトラーが世界最後の独裁者でなかったことも時の経過は示しています。人々がさまざまな形態の政体を試みつづけるかぎり,抑圧的な政権は起こります。どうしたらその犠牲にならないよう自らを守ることができるでしょうか。ヒトラーの第三帝国にもう一度目を向けてみれば,一つの答えが得られるでしょう。

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      ヒトラーは,『我々にとって,イエスがクリスチャンにとって聖なる者であるのと同じほど,聖なる存在である』,とネオ・ナチの一人は語った

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      抑圧はナチズムに限られてはいない

  • ナチズムを退けた人々 ― それはだれか
    目ざめよ! 1985 | 6月8日
    • ナチズムを退けた人々 ― それはだれか

      「ハイル・ヒトラー!」 ヒトラーの第三帝国時代にはこういうあいさつの仕方が求められていました。しかし,フランクフルター・アルゲマイネ紙によると,「総統という人物に,神秘的な,いや宗教的とさえ言える考えを結び付けていた」人が少なくありませんでした。ですから,このあいさつは,支配者に当然示すべき敬意の域をはるかに超えた意味を持っていました。―ローマ 13:7をご覧ください。

      ヒトラーはまた,「国家社会主義の帝国は一千年間存続する」と豪語していました。このようにしてヒトラーは,聖書の述べるメシアと張り合う立場に自らを置きました。イエス・キリストは,一千年にわたって地を支配する政府を約束しておられたからです。―啓示 20:4,6をご覧ください。

      ヒトラーの支配する警察国家の中で,ナチの目標に対し公然と異議を唱えるのは危険なことでした。ですから,同政権の政策や行き過ぎがあらわになり,それも特に戦争に敗れたことが明らかになって初めて,異議が反対へと変わっていったのです。

      そうした反対は,1944年7月20日に,ヒトラーに対する暗殺未遂という形で頂点に達しました。それに関係した人々の中には,当初はナチズムに共鳴していた人や,ナチズムを積極的に支持していた人々がいました。それからちょうど40年後の1984年7月20日に,その暗殺計画が未遂に終わった後に処刑されるか,または他の形で犠牲になった人々をたたえる式典が行なわれ,その席上,ドイツ連邦共和国の首相が話をしたので,ヒトラーのことが再び新聞をにぎわしました。

      僧職者は反対したか

      当時のドイツの宗教指導者たちはどうだったのでしょうか。ヒトラーやナチズムに反対しましたか。カトリックの僧職者の態度はどのようなものでしたか。ベルリンのカトリック司教コンラート・グラーフ・プレイシングについて,新聞記者のクラウス・ショルダーはこう説明しています。「当時まだアイヒシュテットの司教だったグラーフ・プレイシングは,最初から,第三帝国のうちに,不幸をもたらす犯罪的な政権の影を見ていたごく少数の人の一人であった」。(下線は本誌。)同司教は公然と反対の態度を示しました。しかし,ドイツのカトリック司教会議の他の成員は,議長のベルトラム枢機卿を含め,ナチズムに対する異議をはっきり口にしようとせず,むしろナチズムを支持しました。ですからショルダーは続けて,「振り返ってみると,[ヒトラーとナチズムに対する]この忠節心は,釈明の余地がない,いや,許し難いとさえ思えるかもしれない」と述べています。

      プロテスタントの間では,ナチ政権に対する不退転の反対者としてしばしば挙げられるのはマルチン・ニーメラー牧師です。しかし著述家のH・S・ブレベックは,「彼がヒトラーの政治目標と一線を画していた唯一の問題は,『だれが教会を支配するか。教会自身かナチ党か』という問題であった。しかし,政治的には,無条件で支持していた」と述べています。1984年にニーメラーが死亡した折に,フランクフルター・アルゲマイネ紙は,「ドイツのほとんどのプロテスタント指導者同様,彼も当初,ヒトラーの指導による,待望のドイツ再生を歓迎していた」と評しました。

      同じほど啓発的なのはドイチェス・アルゲマイネス・ゾンタークスブラット紙(ジャーマン・トリビューン紙に英語で転載)に載せられた,1984年にドイツのハンブルク市で開かれたヨーロッパ・バプテスト連盟の会議の模様を伝えた記事です。同紙はこう述べています。「第三帝国の治政下におけるバプテスト教会の行動について,初めてはっきりとしたことが言われた。これまで,各教会区はこの扱いにくい問題に取り組もうとしなかった。しかし,この会議の席上,ドイツ地区の責任者は『告白』をした。……『我々は[ナチズムに対する]闘争に公に加わらなかった。……それにより神の律法に対する違反行為にはっきりとした態度で抵抗することをしなかった。我々は当教会のドイツ地区の者が当時のイデオロギーの誘惑に屈服して,真理と公正のためにもっと大きな勇気を示さなかったことを恥ずかしく思う』」。

      ヒトラー政権を公然と退けた僧職者はごく少数にすぎなかったことを事実は示しています。しかも,そうした僧職者たちでさえ,純粋に聖書的な理由ではなく,普通,幻滅感や教会運営上の駆け引きを動機として行動していました。真相を言えば,大多数の僧職者たちは,一方でイエス・キリストのメシアとしての地位を信奉しようとしながら,もう一方で偽の政治的な救世主<メシア>とその“千年統治”に向かって「ハイル」と叫ぶことに何の矛盾も感じませんでした。それら僧職者の率いる教区民は,その惨めで,不敬虔で,非聖書的な模範に倣い,一様に後悔することになりました。―マタイ 15:14と比較してください。

      妥協しなかった人々

      しかし,ドイツでキリスト教の原則を果敢に擁護した一つのグループがありました。そのグループはエホバの証人です。僧職者とその追随者たちとは異なり,証人たちはヒトラーやナチスと妥協しようとせず,神の律法を犯すことを拒否しました。政治的な事柄においてクリスチャンとしての中立の立場を守り通したのです。(イザヤ 2:2-4; ヨハネ 17:16; ヤコブ 4:4をご覧ください。)圧倒的多数の僧職者やその信者たちとは異なり,証人たちはハイル,つまり救いをヒトラーには帰しませんでした。

      むしろエホバの証人は,イエス・キリストに関し,使徒ペテロに和して,「ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにないからです」と言いました。(使徒 4:12。詩編 118:8,9; 146:3もご覧ください。)エホバの証人の中には,ヒトラーのために軍事行動に加わって自分の手を血で汚した人は一人もいませんでした。彼らはヒトラーの軍隊に入ることを拒否したからです。―ヨハネ 13:35。ヨハネ第一 3:10-12。

      ヒトラーとナチズムに対して妥協しない立場を保ったために,エホバの証人は迫害され,幾千人となくあちこちの強制収容所に送られました。非人間的な残虐行為に面しても失われなかった証人たちの強固な信仰と忠誠心について,悪名高い死のアウシュビッツ収容所に入れられながら生き長らえたポーランドの社会学者,アンナ・パベルチンスカは所見を述べています。同女史は,自著「アウシュビッツの価値基準と暴力」の中で,エホバの証人は「強固な思想集団であり,ナチズムに対する闘いに勝利を収めた」と述べました。そして,証人たちのことを「恐怖政治をしく国家のまっただ中に浮かぶ孤島」と呼んでいます。同女史はさらにこう付け加えています。「アウシュビッツの収容所でも,これらの人々は同様のおくすることのない精神を抱いて行動していた。これらの人々は,仲間の受刑者や……囚人の中から選ばれた監督,そして親衛隊員の間でさえ尊敬を勝ち得ていた。いかなるエホバの証人も自分の信仰や信念に反する命令には従わないということは周知の事実だった」。そして,結論としてこう述べています。「エホバの証人は,あらゆる戦争や暴力を非とするその信条を守るために,受動的な抵抗を展開した」。

      確かに,エホバの証人はヒトラーとその第三帝国に妥協しませんでした。ナチズムにも,この世のほかのいかなる政治体制にも信頼や希望を置かなかったのです。より良いもののために,人間の支配を退けました。ですから,僧職者やその追随者たちとは異なり,ナチズムの霊的な犠牲者にはならなかったのです。

      はるかに良いもの

      今日でも同様に,エホバの証人はいかなる政治イデオロギーにも信頼と希望を置きません。神が約束しておられる,はるかに良いもののために,そうしたイデオロギーを退けます。そのはるかに良いものとは,神が設けられる政府のことで,それは義の新体制,すなわち全人類の諸問題を解決する体制を招来します。全地を治めるその一つの政府は神の王国で,神が任命されたメシア,キリスト・イエスのもとにすでに天に設立されています。―マタイ 6:9,10。ペテロ第二 3:13。

      1933年2月1日に,ヒトラーは初めてラジオを通して演説しました。自分がドイツをいかに変えるかを誇らしげに語り,自分と自分の党とに時間を与えてほしい,それから結果を見て審判を下してほしいと聴取者に訴えて演説を締めくくりました。12年後,その“千年統治”は惨たんたる終わりを告げました。ヒトラーの支配を非とする審判が下りました。その支配は惨禍をもたらしました。戦争が終わるまでに,その国民と国家,そして世界に深い傷跡を残し,見るも無惨な有様にしてしまいました。

      聖書の述べるメシア,キリスト・イエスの千年統治とは雲泥の差があります。キリストの千年統治が終わると,人間とこの地は,今日の堕落した状態と比べた場合,同じ地球とは思えないほどに変化していることでしょう。聖書の啓示 21章4節と5節に描写されているその時の状況をご自身でお読みになってみてください。それから,完全な人間が,テロリストの襲撃も,戦争も,有害なイデオロギーも,人間の幸福を損なういかなるものも全くなくなった,楽園の地での生活を満喫する様子を頭に描いてみてください。そして,自分もそのすばらしい情景の中の一人になり得るということを考えてください。―イザヤ 35:1-7; 65:17-25。ヨハネ第一 2:17。

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      カトリックとプロテスタント双方の僧職者の大多数が,ナチズムに対する異議をはっきり口にしようとはしなかった

      [12ページの拡大文]

      真の千年統治は神の王国によって実現する

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      僧職者はヒトラーを支持して,自分たちの手を血で汚した

      [11ページの図版]

      幾千人ものエホバの証人は(上に示されているヨハネス・ハルムスを含め),ナチズムと妥協しなかったために強制収容所に送られ,この死亡証明書の示すように,死亡した人は少なくなかった

      帝国軍事法廷検事総長

      ヨハネス・ハルムス……は11/7/1940に,軍隊の士気を阻喪させたかどで帝国軍事法廷により裁かれ,死刑の判決を受けた。……この判決は1/8/1941に執行された。

      帝国軍事法廷の印章

  • ナチズムの意味した事柄
    目ざめよ! 1985 | 6月8日
    • ナチズムの意味した事柄

      ウィリアム・L・シャイラーは自著「第三帝国の興亡」の中で,征服された国々にとってナチズムが何を意味したかを示しています。それは略奪と搾取,またそれ以上に悪い事柄を意味しました。例えばシャイラーは次のように述べています。「ユダヤ人とスラブ人はウンターメンシェン,すなわち人間以下の存在とされた。ヒトラーに言わせれば,それらの人々には生きてゆく権利などなかった。ただし,畑や鉱山であくせく働く奴隷としては必要かもしれないスラブ人のある者たちは例外であった。……ロシア人とポーランド人およびそのほかのスラブ人の文化は抹殺されなければならず,それらの人々には正規の教育も施してはならないとされた」。

      占領した国々からナチスが膨大な量の物資を略奪したことに言及してから,シャイラーは,幸い長くは続かなかったナチ政権がいつまでも忘れられないのは「物質を略奪したからではなく,人命を略奪した[ためである]」と述べています。シャイラーはこう続けています。「この点でナチは,人間が地上に存在するようになって以来ほとんど経験したことのないような堕落の極みに沈み込んだ。罪のない幾百万もの品位のある男女が強制労働に引いてゆかれ,さらに幾百万もの人々が強制収容所で拷問や責め苦に遭い,そのほかにも幾百万もの人々が……無情にも虐殺されたり,故意に餓死させられたりした」。シャイラーは結論としてこう述べています。「この途方もない恐るべき話は,加害者自身によって十分な証拠を挙げて実証され,証言がなされていなかったなら,とても信じられなかっただろう」。当然のことながら,被害者たちもこの恐怖について十分の証拠を挙げて実証し,証言をしています。

      聖書は人間の支配について,いみじくも,「人が人を支配してこれに害を及ぼした」と述べています。また,「自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません。エホバよ,わたしを正してください」とも述べています。ですから,聖書はこう諭しています。「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない」― 伝道の書 8:9。エレミヤ 10:23,24。詩編 146:3。

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