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「御心が地に成るように」(その2)ものみの塔 1959 | 1月15日
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の御座に坐りませんでした。しかし,聖なる金の箱の上には奇跡的な光がきらめいていたのです。その金の箱の中には,神の指によつて書かれた十のいましめの石碑が2枚入つていました。しかし,ヨハネに与えられたまぼろしの中では,神は天的な宮の中で御座に坐つていると示されています。
25 ヨハネの見聞きしたものによつて示されたごとく,神の御座かは何が発していますか。
25 御座からいなずまが発していたことは,『神は光りである』ということをヨハネに良く思い起させました。神は地球を創造されたとき『光あれ』と言われたのです。(ヨハネ第一書 1:5。創世 1:3)神の御力から実際のいなずまが出るだけでなく,天と地の被造物に向かつて開明の光,知識の光,理解の光,そして知恵の光が出ます。神の御座に坐つている方から,声の力が来ます。また音の器官によつてつくられる音の波や,特に声によつて伝えられる神の音信が来ます。時には,神の音信はその強烈さという点においてそして神の敵に対する裁きを宣明するという点において雷鳴のごとく轟き渡ります。『光栄の神は雷をとどろかせ給う。』(詩 29:3)来るべき事柄についての神の予言は,彼が人々を裁くために御自身の大きい霊的な宮に来ることを予告しました。―マラキ 3:1。
26 『七つのともしび』とは,どういう意味ですから。なぜともしびは,彼の前になければなりませんか。
26 神の御霊なる活動力は,人間の目に見えません。しかし,それは被造物をして動かしめ,働かしめます。神の御霊は,私たちの弱い目でも見ることのでき,そして私たちの他の感覚で知覚し得る結果を生み出します。神はその御霊なる活動力により,啓発を与えます。また普通の人間では考えることもできない事柄,理解することもできない事柄を啓示します。神は長いあいだ隠されて来た聖なる秘密に光を投げかけるのです。啓示を与えられるのです。神の御霊は,天の宮で神の御前に燃える『七つのともしび』のようです。それは神に光を与えるのではなく,神の御前に来る者たちに,事物を明るく照らすためです。その七つのともしびは,『神の七つの霊を意味する』とヨハネは言つています。七つの霊と言つても,七つの霊者のことではなく,神の御霊なる活動力は,七通りの仕方で見られるということです。七とは霊的な完成または完全を示す聖書の数です。それで,七つの霊は神の御霊の全き完全さを表わし示します。神は霊的な宮で御自身に奉仕する者たちを啓発する為,御霊なる活動力の十分必要な量を用います。そして,今度は啓発を受けた者は,他の被造物に霊的な光を反映し,神の真理を得させています。
27 それらの七つの燈台は,何に照り輝きましたか。この事実は何を表わし示しましたか。
27 七つの象徴的ともし火は『水晶に似たガラスの海』に光を照らしたにちがいありません。祭司たちは,そのところで洗うことができます。それで,神の七つの霊は,一つの制度すなわち神の目に清い被造物の群れを通して働きます。神の霊は清い制度を通して働き,その成員を援助して制度と神への捧げ物を清く保たせます。忘れてはなりません,ソロモン王の宮にあった大さな『海』は,約1万9600ガロンの水を入れることができ,そこで『祭司はその身を洗』いました。(歴代志下 4:2-6)神の真理は清い水のごとく,清めをなして,清浄にする力を持つています。24人の長老のごとく神の御前に来る人々は,そのような真理の水を必要とします。それは自分たちの祭司の義務を神に受け入れられるように行い,また善意を持つすべての人々の益を図るためです。この描写通りに,イエス・キリストに従う14万4000人の忠実な弟子たちで成り立つ会衆は,イエスから清めを受けると語られています,『会衆を清め,御言葉によつて水で洗い清めるためである。しみも,しわも,そのたぐいのものがいつさいなく,清くて疵のない栄光に輝く会衆を御自分に迎えるためである。』(エペソ 5:25-27,新世)神は宗教的な清さを信じます。神は清いものを御自分の近くに持ちます。
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聖書に通じている少年ものみの塔 1959 | 1月15日
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聖書に通じている少年
相互に関連している聖書の聖句を正しく用いることは,ある聖書の主題に光をなげかける助けとなります。ケンタッキー州(アメリカ)にある,ある学校の8年生の教室では,毎朝一人の生徒が,聖書を朗読するか,聖書の話をすることになつています。この割当ては前の日に行われるのです。がある時先生は,この割当てをするのを忘れたようでした。そこで先生は,ヱホバの証者のひとりであるジェームスに,即に席話をするよう頼みました。ジェームスは,神の御名ヱホバについて巧みに話しました。『君は伝道師になるべきだよ!』とひとりの同級生が叫びました。『どうして僕たちは教会で神の御名を聞かないのだろう』と,もうひとりが尋ねました。また他の者は『神はなぜ御名を持つていられるのだろう』と質問しました。先生の注解は次のようでした。『聖句をつなぎ合せられる生徒がいるということは喜しいことです。私は,いままでこれらの聖句をよく知つていましたが,結びつけることがどうしてもできませんでした。』それから間もジェームスは,7つの聖書の話をしました。毎週1回7週間つづけて行つたのです。でもまだ話すことになつています。彼の話した主題は,『誰が地上に苦しみをまねいているか』,『新しい天と新しい地』,『ある人々は,地上で永遠に生存する』,『14万4000人は天に行く』などでした。かなりの数の生徒たちが,ジェームスの示した証明の聖句を調べた後,『聖書に書かれている通りだ』と,認めざるを得ませんでした。
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