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  • 恐れずにエホバに奉仕する
    ものみの塔 1965 | 6月15日
    • 東ドイツの住民でした。ふつうなら東ドイツ当局は,住民が西ドイツに行こうとするのを妨害し,境界線を越えようとする者にはだれであろうと機銃掃射をあびせることさえあるのですが,驚いたことにこの4人の兄弟は,釈放されて公然と西独に送られたのです。彼らは兄弟たちに,あなたがたの組織があなたがたを求めたのだ,と告げました。協会が共産主義者によって投獄されたエホバの証者の釈放を最後に要求したのは,1956年から1957年にかけて,ソビエト政府に対する決議が全世界で採択されたときでした。

      この4人の兄弟はナチが政権を握っている間に投獄され,真理のゆえに合計23年間獄舎生活をしてきたのです。これはエホバに対するなんというすばらしい信仰の記録であり,またエホバの救いなのでしょう! 西独にきて,兄弟たちと共に大会に集まり,組織が「地上」で運営されているのを見ることなど,これらの兄弟たちにとっては全く思いもよらないことだったのです。ところがいま,夢のまた夢が現実となったのです。

      ある姉妹のご主人は警官でした。彼は妻を離婚しないなら失職するだろうと警告されていました。彼自身証者ではありませんでしたが,妻を捨てることを望みませんでした。妻は信仰をもっているからといって,自分をそまつに扱ったことはなく,いつもよい妻だった,と彼は言いました。そのために彼は警官の職を失い,いまは門衛として働いています。給料は以前の半分です。彼の妻は,いつか彼が真理を学ぶ日の来ることを願っています。

      ある男の人は,家で聖書の勉強をし,真理を学ぶことにおいてよい進歩を示しましたが,依然共産党員でした。しかししばらくして党に手紙を送り,脱党の旨,および自分の見地を伝えました。そこで彼の職場で集会が開かれ,彼の意見が公に討議されました。ひとりの幹部は,そういうクリスチャンはエホバの証者だけだ,しかし除名以外に党から出る道はない,と言いました。聖書に関心をもっていたその人は,自分から進んで除名の扱いを受けることにしました。彼は除名されました。そしていまはエホバに奉仕する自由をえたことを喜んでいます。

      ある日ひとりの姉妹は,聖書に興味をもつ婦人と一緒に野外奉仕に行きました。ある家を訪ねたとき,若い男の人に中へ招じ入れられたので,その人にくわしく証言しました。しかしふたりは,別の男がそのへやにはいってきて,しばらく聞いたのち急いで出ていったのに気づきました。それで姉妹は危険を感じ,証言を早くきりあげてその家を出ました。そしてすぐ近くの市場に行き木のベンチに腰をおろしていました。すると,さきほどの若い男が2人の警官に盛んに何か話しながらやってくるのが見えました。彼らは手分けしてあちこちさがしながら,ベンチのすぐそばを通りました。一緒の婦人はオーバーコートを脱いでいたので違って見えたのです。ふたりは静かにベンチにすわっていました。2時間後ふたりは無事に別の町に行くことができました。

      多くの伝道者は,時の緊急性と,多くの人がおとずれを待っていることを考えて,休暇開拓奉仕をしました。

      ある夫妻は2人の子どもを連れて休暇開拓奉仕をはじめました。ひとりの親がひとりの子どもを連れ,2組になって働きましたが,子どもたちも短かい証言をすることができました。彼らはあるカトリックの婦人に会いました。この婦人はミュンヘンで行なわれた大会の模様を西独のテレビで見ていました。しかし人々は西独のテレビをみることを禁じられているのです。彼女はエホバの証者が聖書を使って巧みに証言をすることを知りました。自分では聖書をもっていなかったので,証者が訪ねてくれたことを喜びました。休暇開拓者はその人を再び訪問して聖書を渡しました。現在,そこでは楽しい聖書の勉強が行なわれています。

      ある休暇開拓者は警官につかまって,伝道していた町から追い出されました。しかし彼は大胆にみことばの伝道を継続する決意をし,翌日また近くの町に行きました。その町には聖書に関心をもつ人がたくさんいました。ある家で若い女の人に伝道していたら,その人の父親もそれを聞いていて娘に言いました。「これはいい機会だ。この機会をのがさないほうがいい。この人は神からつかわされたのだ」。そういうわけで休暇開拓者は,その場で家庭聖書研究を始めることができました。

      エチオピア

      昨年中,エチオピアとエリトレアの御国奉仕者たちも忠実に働いて多くのわざをなしとげました。多くの面で昨年は最も発展し,エホバから祝福を得た奉仕年度であったと言えます。―箴言 10:22。

      昨年の半ば頃まで,牧師や当局者の激しい反対がつづいたにもかかわらず,聖書に関心をもつ人を見つけるための熱心な努力が行なわれました。伝道は新しい地方へと拡大され,多くの人が新しく聖書を学びはじめました。問題を起こすのはおもに牧師です。何ヵ月かまえ彼らは,「バプテスマの祝い」に集まった2万人以上の群衆の前で,エホバの証者を破門する決議を採択しました。群衆は,エホバの証者を非難する牧師たちの言葉に非常な好奇心を示しました。牧師の長は,ラジオ放送によってこの決議を正教会の信徒に伝え,正教会の信徒がエホバの証者にあいさつをすること,エホバの証者を仕事に雇うこと,埋葬することなどを禁じました。この発表があってからある親切な人は,不幸のあった家におくやみに行きました。その人は土地の習慣どおり,くさぐさのおいしい物をかごに入れてもっていきました。しかしすぐに追いかえされました。人々はエホバの証者や,エホバの証者と交わる人とかかわりをもちたくなかったのです。別の兄弟は妻と一緒に親せきの葬式に行くつもりでバスに乗りました。そのバスには同じく葬式に行く親せきの者や友だちが乗っていました。しかしふたりはバスから降ろされ,ほかに乗物がないので葬式に参列することができませんでした。そればかりではありません。ある兄弟は,正教会を侮辱した,という不当な非難をあびせられ,3ヵ月の懲役刑を言い渡されました。兄弟たちは,信仰を捨てるようにと言われました。捨てなければ職を取りあげられ迫害されます。ある兄弟は投獄されました。警官におどかされた兄弟も少なくありません。また,エホバの民の悪口を言い,組織を偽り伝えるために新聞,ラジオ,その他多くの手段が用いられました。

      こうして告発されたり,非難されたり,迫害されながらも,兄弟たちは年の聖句に一致して勇敢に行動しました。迫害も彼らの奉仕を停滞させたり,全能の神を忠実に崇拝することをやめさせることはできませんでした。多くの正直な人々は,エホバの証者の忠実さに興味をもち,同時に自分たちの指導者を非難するようになりました。決議を少しも心にとめない人もいました。ある人は兄弟に,「私はあなたの家で食事をして,牧師がどうするかみてやろう」と言いました。また,「牧師たちがごたごたを起こすのは,政府のご機嫌をとるためだ。彼らが教会のためを思ってそんなことをしているとでも思いますか」と言った人もあります。エホバの民については,「彼らは大酒したり,盗んだり,すぐに怒ったりしない」と言われています。エホバの証者についてよいことをいう人が少なくないということは,平和を愛する人たちが少なくないことを物語っています。私たちはこういう人たちがひとりでも多く,真理の知識で養われることを願っています。

      この遠い国の私たちの兄弟は,使徒行伝 5章39節のガマリエルの次の言葉から慰めを得ています。「しかし,もし神から出たものなら,あの人たちを滅ばすことはできまい。まかり違えば,諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1965 | 6月15日
    • 読者からの質問

      ● イザヤ書 14章12節から14節の適用について説明して下さい。これはサタン悪魔にあてはまりますか。

      イザヤ書 14章12節には次のように書かれています。「黎明の子,明けの明星よ,あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ,あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った,『わたしは天にのぼり,わたしの王座を高く神の星の上におき,北の果なる集会の山に座し,雲のいただきにのぼり,いと高き者のようになろう』」。

      イザヤ書 14章12節から14節が最初に適用されるのはサタン悪魔ではなく,ネブカデネザルから始まってナボニドスとベルシャザルで終わるバビロニアの王朝です。この王朝は,自分自身を高くあげ,古代の世界で明るく輝いた「バビロンの王」として4節に述べられています。バビロンの王朝がとくに望んだことは,エルサレムの王座に座した歴代の王より自からを上位にあげることでした。ダビデの王統から出る王たちは聖書の預言の中で星にたとえられました。そしてその王らがエルサレムで,「エホバの座」と呼ばれた王座に座したとき,彼らには輝きと,王者にふさわしい栄光がありました。そこでバビロン王は,イスラエルの王たちをれい属させ,最後に彼らを王位からひきおろすことを望んで,心のうちに言いました。エホバの天にのぼり,自分の王位を象徴的な「神の星」の上にあげ,イスラエル人が彼らの神に会った北の山の上に座そうと。この方法でバビロンの王は,自からをイスラエルの神の上にあげ,イスラエルの神に挑戦するかにみえました。ネブカデネザルがエルサレムで,「神の星」を退位させ,「エホバの座」をくつがえしたとき,それは彼自身にとっても,異教の世界にとっても,自からを天高くあげたかに見えたことでしょう。(マタイ伝 11章23節と比較してください。)したがって,シオンもしくはエルサレムに対してなしたことにより,「黎明の子,明けの明星」となったのは「バビロンの王」でした。しかし西暦前539年にバビロンが倒れたとき,このバビロン王朝の王たちは王位からおろされ,切り倒されました。ですからイザヤが彼らのことを,「あなたは切られて地に倒れてしまった」と言ったのは正しいことでした。

      しかしイザヤ書 14章12節から14節は2番目に,偽りの宗教の世界帝国である現代の大いなるバビロンの王サタン悪魔に適用されます。1914年,サタン悪魔は自分の位を,神の子イエス・キリストに与えられた王位の上に上げようとしました。しかし,1914年から1918年までに

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