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  • 正しい者が苦しみを受けるのはなぜか
    ものみの塔 1962 | 7月1日
    • 正しいことを行なってきた人でも,このような行いをするならばこらしめを受けるのは当然であり,こらしめは悲しい思いをさせるかも知れません。このような悪を行なって苦しみにあう人は,正義のために苦しむのではありません。従って判断をあやまったためとか,聖書の教えに従わなかったために苦しみを受けることのないようにしなさい。―ペテロ前 4:15,新口。

      悪を行なう者は神の教えを無視する放とうな生活を送るために,苦しみによくあいます。ヘロデ大王は不身特ちな行いのために,けがらわしい病気にかかって苦しみ,宮殿でうめき苦しむ声を何時もあげていたと言われます。今日,多くの人は不道徳な行いをして性病にかかり,みじめな生活を送っています。神の律法は正しい者の身の守りとなりますが,それでもなお正しい者が不当の苦しみを受けていると思われることがあります。それはなぜですか。

      正しいことのゆえに苦しみにあう

      多くの苦しみを味わった人が正義に快く従うようになるのは,よくあることです。苦しみを味わったゆえにその人々は柔和な心で神の律法に従い,正しい道に従います。しかし正しい人が苦しみにあうのは,おもにその人々が正しいという理由によるのです。ヨセフが不当にも投獄されたのはその例です。

      エジプトに奴隷となって売られたヨセフは,侍衛長ポテパルに買われました。そして間もなくポテパルの家をつかさどるようになったのです。ヨセフは顔が美しかったので,ポテパルの妻はヨセフと関係を持つことを望み,何度もヨセフに言い寄りました。正しい人であったヨセフは遂にこう答えました。「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって,神に罪を犯すことができましょう」。ポテパルの妻は大そう怒ってヨセフにぬれぎぬを着せ,ヨセフは獄屋につながれました。しかも2年近くのあいだ,不当にもそこに入れられていたのです。―創世 39:9,新口。

      正しいことをまげないこのような人を,偉い人であると思いませんか。そのためにあざけりや迫害を受けても,教えられたことを守る息子を持つ親は,その子供を誇りに思いませんか。神の子供たちがこの悪い世の誘惑に耐えて何時も正しい行いをするとき,神を喜ばせることができるのです。しかし神はなぜご自分の僕が苦しみにあうことを許すのですか。それは反逆した御使サタン悪魔の始めた論争のためです。それは人間の忠実にかかわりを持つ論争であり,正しい人であったヨブの場合にもそれは問題となりました。

      天における神の子たちの集まりのとき,エホバはサタンに言われました,「あなたはわたしのしもべヨブのように全く,かつ正しく,神を恐れ,悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。神は忠実なヨブにサタンの注意をひきました。この事から分かるように,神に対する人間の忠実が問題になっていたのです。サタンの答えもまた,それを裏づけています。サタンは直ちにヨブの忠実を疑う言葉を述べました。すなわちヨブが神に仕えているのは,神を愛するからではなく,多くの持ち物を与えられて祝福されているからであると論じたのです。「しかし今あなたの手を伸べて,彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向って,あなたをのろうでしょう」。そこでエホバはサタンに言われました,「見よ,彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。―ヨブ 1:7-12,新口。

      悪魔のあらゆるしわざにもかかわらず,ヨブは正しい道から離れませんでした。ヨブは,神を愛し,神を喜ばせたいと願うゆえに神に仕えていることを証明しました。ヨブは忠実を保つことを肝にめいじていたので,自分を責める者たちに向かって明言しました,「私は死ぬまで忠実を捨てることをしない」。―ヨブ 27:5,新世。

      忠実な人は何時でも,自分の信ずることのために苦しみにあうことをいといませんでした。特定の人あるいは国家のために,生命を捨てた人もあります。聖書には,全能の神を深く愛した人々の手本が数多くしるされています。その人々は神にほまれをもたらすため,またすべての人間を神から離反させると言った悪魔の主張のいつわりであることを証明するため,正義の道を歩むことを何にもまして望みました。正義の道を追い求めたために大きな苦しみにあいながらも,その人々は正しい態度を持っていました。

      苦しみに対する正しい態度

      苦しみそのものは決して喜びではありません。しかしそれが愛する者のためになり,愛する者を喜ばせることになると知っているとき,人は喜んで苦しみに耐えることができます。それで使徒たちは,御国の良いたよりを伝道したためにむち打たれてのち釈放されたとき,「御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら,議会から出てきた」のです。使徒たちは伝道せよとの神の御命令に従っていました。またそれは神の御心を喜ばせることを知っていたのです。従って彼らは喜んでいました。「しかし,万一義のために苦しむようなことがあっても,あなたがたはさいわいである」と聖書は述べています。―使行 5:40,41。ペテロ前 3:14,新口。

      山上の垂訓の中でイエスの言われたことを,これでよく理解できます。「義のために迫害されてきた人たちは,さいわいである,天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり,また迫害し,あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には,あなたがたは,さいわいである。喜び,よろこべ,天においてあなたがたの受ける報いは大きい」。(マタイ 5:10-12,新口)クリスチャンは,神に対して忠実を守るために苦しめられるとき,悪魔を偽り者と証明し,エホバの御心を喜ばせていることを知って大いに喜びます。苦しみは喜びではなくても,神の御名の立証にあずかることは喜びです。そのときまた,忠実な者に約束されている報いのゆえに喜ぶことができます。―箴言 27:11。

      悪の組織制度の中に住み,罪に由来する不完全さを受けついでいるゆえに,今日だれでも苦しみを経験します。正しい人々は,神への忠実を守るゆえに苦しみを受けます。しかし彼らは勇気を持ち,喜ぶことができます。神の造る新しい世があり,それはいま目前に迫っているからです。新しい世において苦しみはなくなります。神は「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない」と約束されているからです。ですから今の苦しみのゆえに心を苦くしてはなりません。前途を見なさい。苦しみのない世界,神の約束された新しい世に,希望と信頼を置いて下さい。―黙示 21:4,新口。ペテロ後 3:13。

  • 真理を認めた牧師
    ものみの塔 1962 | 7月1日
    • 真理を認めた牧師

      協会は,孤立した区域を伝道するように兄弟たちを励ましました。ある開拓者夫妻は,休暇を利用して,彼らの任命されている孤立した区域からいくらか離れたところにある小さな村に伝道に行きました。ちょうど使徒パウロがしたように,市場で伝道した時,興味をもった人に会いました。特にある男の人は,開拓者の兄弟に,「あなたはどの宗教のかたですか」と尋ねました。「宗派に関係のないキリスト教です」と兄弟は答え,さらに多くの真理について話しました。ほんとうに新しい世が来るという考えに興味をそそられたその男の人は,「あなたがたのようなかたははじめてですが,どんな宗教をお持ちなのですか」ともう一度用心深く尋ねました。兄弟は率直に,「私たちはエホバの証者です」と答えました。彼は驚きました。そして怒った顔して兄弟を見ながら言いました,「でもそんなはずはありませんよ! エホバの証者は聖霊を信じないですからね。キリスト・イエスはただの人で,神ではないと彼らは信じています。それから地獄の存在は信じていません」。彼は,エホバの証者に反対の福音派が出している小冊子のほとんど全部の点を取りあげて,ながながと話しました。1時間ほど聖書を調べたのちその人は,聖書の真理と,宗教の教える偽りとの間の相違に驚きました。そしてついにこう言いました,「日曜日に私たちの教会に来て講演をして下さいませんか」。兄弟は答えました,「でもさっきまであなたが信じていたのと同じ偽りを信じているあなたの牧師さんが,それを許すと思いますか」。そのことなら牧師はもう信じていません。私がその牧師ですから」。集会が取決められて,ペンテコスト派の信者のグループに講演が行なわれました。兄弟は全部の人に小冊子を無料であげました。それから書籍を紹介して,いつもの値で出席者に配布しました。牧師は,自分のために数冊を求めて教会員を正しく導きました。彼にとって,それは恐らく初めてのことだったでしょう。―1962年のエホバの証者の年鑑より(ペルー)

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