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  • エホバの証者が困難な状態下で働く国々からの報告
    ものみの塔 1963 | 7月15日
    • た。彼は学友に証者のいどころを尋ねましたが,友人は証者は混乱させるだけで,ろくなことはないから,その人たちのことは忘れてしまったほうがよい,としきりにすすめました。しかしその善意ある人は,失望しませんでした。友人の助言よりも,講師の助言を信頼すべきだと考えたからです。数日間さがしたあげく,証者が使っているらしいという集会所を教えられました。そこでは主任の牧師が地獄の火と永遠の責苦について説教をしているところでした。礼拝式が終ってから彼はその牧師に近づき,あなたはもしや証者ではないでしょうか,と尋ねました。牧師は彼が「その人たち」をさがしている理由について質問しました。なぜなら,その人たちは,「一風かわった偽りの聖書の教えを信じているので,きらわれ者だったからです。(彼はある伝道所に案内された。)牧師は,証者の信じている教義を批判した本を指摘し,それには『証者にかんする真相が』説明されているので,『あなたを彼らの悪影響から守るであろう』からぜひ読みなさいとすすめました。しかし学生はそれにも屈せずに証者をさがしつづけました。

      しばらくして彼は,ある喫茶店にはいり,ぜんぜん未知の人に,エホバの証者をだれか知らないか尋ねてみました。ところが驚いたことにその人は,すぐ近くに腰かけていたひとりの人を指さしました。彼はためらわずに証者に近づいて,聖書を研究したい旨をつげました。それでいまはすばらしい聖書研究が行なわれており,学生はすっかり満足して,真の宗教の研究によい進歩をみせています。

      東ドイツ

      1962奉仕年度の初頭には,東ドイツの兄弟たちにとって大きな変化が起りました。東独の共産主義政府が,ベルリンの境界線に壁を設けて東ベルリンと西ベルリンをしゃ断したとき,兄弟たちは新しい事態に直面したのです。いく年も用いてきた西ベルリンとの便利な連絡経路が,突然断ち切られたのです。これからどうなるでしょうか。

      御国活動に反対する者たちも,小気味よさそうに同じようなことを言って,直ちに活動を開始しました。彼らは西ベルリンの協会が東独の組織を新局面に順応させるために派遣した兄弟によそわせ,密告者たちを忠実な兄弟たちの間に潜入させようとしました。しかし兄弟たちはその手にのらず,密告者たちを見破ってしまいました。ですから活動は,彼らの「援助」に妨害されることなく進行しています。

      霊的食物の流れが再び伝道者たちに達したとき,ひとりの兄弟は喜んで,「まるで新しいジュースが管から流れてきたようだ」と言いました。エホバからのこの明らかな祝福によって伝道者たちは大いに力づけられました。エホバに突き破れない壁のないことを彼らは見たのです。人間が,真理を閉め出すために壁を築こうと,エホバは相変らず窓を開いて,祝福をゆたかに注がれます。―マラキ 3:10。

      正規開拓奉仕や,休暇開拓奉仕にはいる伝道者の数は増加しています。彼らは胸をおどらす経験を報告していますが,そのことは,音信を待ち受けている善意者が多数いることと,それを伝道しつづけることの急務を物語っています。伝道者たちの中には休暇を利用して,必要の大きい場所,人々がこの慰めの音信をまだ一度も聞いたことのない所,エホバの証者をほとんど知らない区域に伝道に出かけた者もいました。一軒のアパートを伝道したときその伝道者は,どのへやでも中に招じ入れられ,すべての人が興味を示したので,全部のへやを再訪問することができました。2週間の休暇が終った時に2人の開拓者は,自分たちが再訪問し,もっと聖書研究を望んでいる74人の人々の住所を,土地の伝道者たちに渡しました。

      共産主義者は,伝道者たちの信仰を打ち砕こうと全力をあげています。騰写版刷りの手紙による中傷運動は依然つづけられていますが,少しも成功していません。共産主義者たちはどんなうそでも宣伝に使います。

      昨奉仕年度中は,4人の姉妹を含めて,52人が新たに逮捕されました。同じ時に75人の伝道者が服役を終えて刑務所から出てきました。それで東ドイツの刑務所にはまだ242名がはいっていることになります。

      そのうちのひとりは,マグデブルクにあったベテルの家族の一員で,1950年に共産主義者がベテルの家を襲撃した時に投獄された人です。そしていまだに終身刑をつとめていますが,年は75歳です。やはり終身刑を言い渡された人たちで,刑期を10年から15年に短縮された人たちもいく人かいます。ひとりの伝道者 ― 巡回のしもべ ― はヒトラーの刑務所で何年もすごしたあと,1950年からさらに12年間服役していましたが,つい最近,刑期のあける2,3週間まえに死にました。

      昨奉仕年度中,東ドイツの若い兄弟たちに新しい問題が生じました。一般徴兵制度がしかれたからです。しかし彼らは,勇敢に,しっかりした態度で決意しています。いままでのところ31人の伝道者が,兵役を拒否して逮捕されています。12年間禁止されていたにもかかわらず,そのように勇敢な若いクリスチャンたちが成長しているのを見て,政府の役人たちは驚きました。彼らが最初うろたえたことは,いろいろな刑を言い渡したことを見てもわかります。しかし最近,兵役を拒否する兄弟たちは,ほかの理由で兵役を拒否する者よりも驚くほど寛大に扱われています。

      使徒の時代と同じく,キリストのために苦しむのは,恐れるべき事柄ではありません。数年刑務所にはいっていた21歳の若い兄弟は,釈放されてからこう言いました。『刑務所にはいっていた期間がむだになったとは思いません。私は逮捕された時よりももっとしっかりした精神と,真理に対するより強い確信を持って家に帰ってきました」。エホバの御霊はしもべとともにあります。そして彼らがそれを求めつづけるなら,堅く立つために必要な力をすべて与えられて,忠実を保つことができます。

      ハンガリー

      新聞の報道によって,私たちのことは遠く広く知れ渡っています。私たちの活動を妨げるために,ラジオ,テレビ,雑誌がエホバの証者のことを取りあげ,映画まで方々で上映されています。私たちの活動を嘲笑するのがねらいです。

      エホバの証者はハンガリーでも厳正中立を守っています。軍隊にはいらないためにきびしい罰を受けています。しかし結局のところ彼らの態度は証言になっています。真理にいる姉妹と婚約していたある若い兄弟は,兵役を拒否して逮捕されました。しかし部隊指揮官は,この青年に罰をのがれる機会を与えてやろうと考えて,彼の婚約者を呼び,彼女の影響によって妥協させようとしました。婚約者はきました。そして集まった6人の将校の前で,未来の夫が10年から15年の懲役を科せられようとしていることを告げられました。彼女は彼と2人だけ別室で20分間話すことを許されました。それは彼を「正気にかえらすため」でしたが,彼女はその機会を利用して,エホバに忠実を保つように彼を励ましました。将校はがっかりしました。しかしその時姉妹は,将校たちと2時間以上話す機会をえ,中立を保つ理由を彼らに説明しました。ひとりの将校が姉妹を駅まで送ってきました。そして,この世の中にまだ,恐れを知らず,こうまで堅い信仰をもった若人がいるとはまったく感心した,と語り,こうつけ加えました。「そのような正しい平和を愛する人がなぜ,刑務所に入れられるのか理解に苦しみます。全部の人間が彼らのようになったらすばらしい事だろうに」。その若い兄弟は6年の刑を宣告され,その後最高裁判所で4年の刑にかえられました。

  • 区域を何度もまわる
    ものみの塔 1963 | 7月15日
    • 区域を何度もまわる

      ◇ オランダのアムステルダムでは,3週間か4週間に一度ずつ区域全体が伝道されているので,ここで働く兄弟たちは同じ家へ何度も来ると感じているほどです。土曜日の朝の雑誌活動の時に,一人の兄弟が会った男の人は喜んで雑誌2冊を求めました。1週間後に再びたずねる約束をして兄弟は帰りました。翌週,日曜日の朝に兄弟はこの人をたずね,さらに証言し,楽園の本を配布しました。その次にたずねた時,この人は兄弟がもっとはやく来てくれるものと思っていたと言いました。毎週たずねてくるのがエホバの証者の習慣であると考えていたようでした。実際,再訪問は毎週行なわれるべきです。この2度目の再訪問の時,彼はさらに文書を求め,研究も始まりました。この人は消防署に勤めていて家を留守にすることが多く,そのため,何度も伝道された区域に住んでいても中々エホバの証者に会う機会がありませんでした。彼は今非常に熱心に研究しており,消防署の同僚にもよく伝道し,献身を象徴する機会を待っています。この人は,伝道しすぎた区域はないという事の証拠です。―1963年年鑑から

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