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菜園作りはいかがですか目ざめよ! 1974 | 8月8日
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子どもたちの希望も入れられるなら,彼らは畑作りにいっそう関心を持ち,作物の世話をすることにも協力的になるでしょう。しかし他にも考慮に価する事がらがあります。
市場で買うと通常高い野菜とか,使う度数の非常に多い野菜などを植えるのはどうでしょう。ある人たちはトマトを植えます。トマトがその地方で高いことも事実ですが,そればかりでなく用途が非常に広いからです。生のままサラダに入れられ,かんずめやジュースにすることも煮ることもでき,ソース用のピューレやペーストにすることもできます。
また植える野菜をうまく選ぶと,あとになってそれらの野菜はある種のこん虫を防ぎ,相互に保護しあいます。たとえば豆とジャガイモは畑の中で良い「仲間」になります。なぜでしょうか。豆はコロラド・ジャガイモ甲虫を追い払い,ジャガイモは豆の葉を食うテントウ虫を追い払うからです。トマトとアスパラガスを並べて植えるのも賢明です。
栽培地,その大きさ,そして植える野菜の種類が決まったなら,畑のどの部分にどの野菜を植えるかを紙の上に書き出し,一応の計画を立てます。そのさいに,異なる種類の野菜の列の間の必要な間隔を考慮に入れます。ハツカダイコン,レタス,ニラ,早できのキャベツなどの野菜は早く食べられるようになるので,取りやすい便利な箇所に植えるようにします。またトウモロコシのような大きな植物は,小さな植物から必要な太陽の光を奪わないような場所に植えます。
さて計画に従って植付けを行ないますが,注意して正しい間隔に,正しい深さに種をまいていきます。(この記事にのせられている表はこの点で役にたつでしょう)植え付けたあとは,定期的に見まわる必要があります。
畑の手入れ
週に一度くわを入れると雑草を防ぐことができます。またこれによって畑の表面に薄いほこりのおおいができます。これは保水に役だちます。土がぬれているときには耕さないのが賢明です。土のかたまりができ,それがかわくと固くなるのです。植物の根に近いところをくわで打つときには根を傷つけないように気をつけます。
水やりについていえば,普通なら週に1回か2回たっぷりやるのがいちばんよいようです。10㌢から15㌢の深さにまで水が浸透するようにすぶぬれにするほうが,少しずつ何度もやるよりはよいのです。少しの水をたびたびやるやり方は逆効果をきたし,養分を吸収する根を地面の近くに浮き上がらせてしまうことがあります。しかし植物の根は太陽に焼かれないように地中に深く入り込んでいなければなりません。したがって正しい方法で水をやることは,健康な作物に育てるのにとてもたいせつなのです。
野菜を栽培する人びとにとってひとつの大きな問題は害虫です。比較的に安全な粉末殺虫剤がいく種類か市販されています。注意書き通りに使用すれば,植物だけでなく,人間やあいがん動物にも害はないでしょう。しかしこの場合も,いわゆる「自然の方法」で害虫を駆除することを好む人がふえています。
中には安全な憤霧液を自分で作る人もいます。たとえば,細長いからいトウガラシを数本ひいて粉にし,それに等量の水と,(付着をよくするために)皿洗い用の洗剤を少量加えます。これは葉をたべる害虫を退けます。糖蜜を50倍の水で薄めて憤霧する人もあります。ひきつぶしたタマネギ,ニンニク,ハッカ,ゼラニウムの葉,アサツキ,ハツカダイコン,トウガラシ,カリフラワーの種などいろいろな物を混ぜて調合液を作る人もいます。
菜園作りを楽しんでください
時がたつにつれあなたの努力は報われます。つまり野菜が姿を現わします。育ちすぎないようによく見守ってください。豆などは適当な時期にとるとおいしいのですが,つるに長く置きすぎると固くなり,サヤインゲンなどはよけいに筋ばってきます。
植付けを行ない,辛抱づよく世話をして育てた野菜を摘んできて,家族がそれをおいしそうに食べるのを見ると大きな満足を覚えます。野菜を作る人のほとんどは,この満足こそ,菜園作りのもたらす最大の報いだと考えています。
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「少数意見」目ざめよ! 1974 | 8月8日
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「少数意見」
若い人々の共通の特性として他の多くの若者と同じように行動し信じたいという願いがあることに気づいておられますか。このことは,若い人々が聴く音楽やその衣服のスタイルにもよく表われています。しかし,当然の理由がある場合に,若い人がすすんで他の人々と異なる道を取るのは,なんと気持ちの良いことなのでしょう。
カナダ,ブリティッシュコロンビア州ビクトリアで開かれたエホバの証人の大会で,16歳になるひとりの証人は,学校で進化論の教えがなされた際,そのままそれを受け入れた大多数の学生に同意しなかった時何が起きたかを述べました。彼女は,次のように説明しています。
進化論は,生物学における主要な理論となっています。わたしの先生は,生物に関することならどんな主題でもよいから論文を書くようにと宿題を出しました。わたしは,進化論というこみ入った問題について書くことにしました。ただし聖書を使ってそれを反証したのです。わたしは,『進化論: それは,本当に生命の物語ですか』と題する24ページの論文を書きました」。
結果はどうでしたか。先生は,どのように反応するでしょうか。彼は強く進化論を信じていました。彼は聖書に基づく論理的な理由を偏見なしに評価するでしょうか。論文の表紙に彼は次のような講評を書きました。
「優秀な作品です! あなたは非常に多くの時間をかけ,多くの努力と思考をこの論文に投じました。あなたの信じている事がらに関して十分な論議が提出されています。わたしにとって,たとえ少数意見であっても自分の考えている事がらをすすんで述べる人の論理と考えを読むのは非常にさわやかなものでした」。
これは,ただ注意を引くためや強情であるゆえに他と異なる道を取ることとは違います。大多数が信じている事がらに対して例外の立場を取る当然の理由があったのです。そして,そのような場合,人が「少数意見」であってもそれをすすんで掲げるのは本当に,「さわやかなもの」です。
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