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  • 王を賛美するのはだれですか
    ものみの塔 1981 | 3月15日
    • に反逆し,また他の被造物をエホバの崇拝から引き離そうと試みることによって,エホバの支配権の正当性に異議を唱えた最初の者です。エホバは,この邪まな者にその挑戦が妥当かどうかを証明するための時間をお許しになりました。エホバはさらに,この問題の決着がどのようにつくかをも明らかにされました。―創世 3:15。

      エホバの偉大さは賛美を呼び起こす

      7 (イ)ダビデの生涯においてエホバの聖霊はどんな役割を果たしましたか。(ロ)詩篇 145篇はどんな点で際立ったものですか。

      7 エホバの導きによってダビデに油そそいだのはサムエルでした。「そしてエホバの霊はその日以降,ダビデの上に働き始めた」と記されています。(サムエル前 16:12,13,新)ダビデは,エホバの霊がその忠節な者たちの上にどのように働くかを示す良い例です。エホバを賛美する詩の非常に多くを書くようダビデを促したのも神の霊でした。(サムエル後 23:2)その賛美の表明の最も優れたものの中に,詩篇 145篇があります。この詩は,エホバの善良さ・偉大さ・力強さ・義・永遠性・探りがたさ・その憐れみをほめたたえ,賛美し,称揚し,大いなるものとしています。ユダヤ人の学者たちがこの詩に敬意を抱いていることは,この詩がユダヤ人の日々の礼拝に三度現われる事実にうかがえます。ヘブライ語では,詩篇は“賛美”を意味するテヒリムという名称で呼ばれています。表題に「賛美」という単数形が用いられているのは詩篇 145篇だけです。

      8 エホバのみ名を永久に賛美するという決意には,どんな意味が込められていますか。

      8 この詩の冒頭の節は,喜びと感謝で満ちあふれています。

      「王なるわたしの神よ,わたしはあなたをあがめます。あなたのみ名を定めのない時に至るまで,永久にほめたたえます。わたしは一日中,あなたをほめたたえます。あなたのみ名を定めのない時に至るまで,永久に賛美します」。(詩 145:1,2,新)

      聖書注釈者は一般に,「定めのない時に至るまで,永久に」神のみ名を賛美するというダビデの決意を,ダビデに命がある限りという意味に解釈しています。しかしダビデの決意には別の意味が込められていないでしょうか。神のみ名を永久に賛美するためには,永久に生きなければなりません。ダビデは永遠の命という将来の希望を抱いていなかったでしょうか。確かに今日,一つのクラスとしての「ほかの羊」の「大群衆」は,死んで地上から姿を消すことは決してないので,エホバのみ名を永遠にほめたたえ賛美できるという希望を抱いています。―ゼパニヤ 2:3。ヨハネ 11:26。啓示 7:14-17; 21:4。

      9 エホバのみ業を完全に理解することについては何と言えますか。

      9 ダビデの賛歌は続きます。

      「エホバは偉大であり,大いに賛美されるべき方。その偉大さは探りがたい」。(詩 145:3,新)

      エホバの偉大さの証拠は常に存在しており,全人類は創造以来それを見ることができます。(ローマ 1:20)ところが,全人類がエホバの偉大さとその創造の業から益を得ているにもかかわらず,真の意味でのエホバの賛美者は比較的少数です。事実,エホバと,エホバの行なわれたみ業があまりに偉大なので,今日でも人類は,神の創造物の複雑なところを部分的に探り始めたにすぎません。族長ヨブは,ダビデと同じような見方をしていました。ヨブは神のことを,「探りがたい大いなることを行なわれる方,くすしいことを数知れず行なわれる方」と述べています。(ヨブ 5:9,新; 9:10; 26:14)そして使徒パウロも,神の壮大な目的について論じた後,次のように語らずにはいられませんでした。「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きはなんと探りがたく,その道はなんとたどり出すことのおよばないものなのでしょう」― ローマ 11:33,34。

      10 神の力強いみ業について,一つの「代」はどのように他の「代」に告げてきましたか。

      10 「代は代へと,あなたのみ業を褒めつづけ,彼らはあなたの力強いわざを告げます」。(詩 145:4,新)

      確かに代は来ては去りました。その中にはエホバの力強さを語り告げた人々もいます。しかし次のようにも考えられないでしょうか。つまり油そそがれた残りの者も一つの「代」を構成し,それが別の「代」,つまり「ほかの羊」の「大群衆」にエホバのみ業を推賞し,その結果今度は「大群衆」がエホバの力強いわざをさらに別の人々に語り告げることができる,と。確かにそう考えられます。天的希望を持つ「代」であれ地的希望を持つ「代」であれ,わたしたちはこの言葉を注意深く調べることによって,エホバの偉大なみ業と力強いわざを知るようになりました。こうした事柄を他の人に告げるのは何という特権でしょう。(ダビデが詩篇 68篇で述べているエホバの力強いわざの例もご覧ください。)

      11 わたしたちは,エホバの尊厳とそのみ業を心に銘記していることをどのように示しますか。

      11 「あなたの尊厳の栄光に満ちた光輝と,あなたのくすしいみ業に関する事柄を,わたしは深く自分の思いに留めます」。(詩 145:5,新)

      わたしたちの創造者を正しい方法で賛美しようと思えば,栄光に満ちたそのご性格とくすしいみ業のことを考え,またそうした事柄を心に銘記しなければなりません。(マタイ 12:34)あなたはどのようにこうした事柄を銘記していることを示しますか。神がみ言葉の中で告げておられることを学ぶ時間を個人的に設けていますか。その際,いつまでも印象に残るようによく黙想して,意味を本当にのみ込むようにしますか。自分自身にエホバに対する十分な確信がないなら,そしてエホバへの真実の愛がないなら,どうしてエホバ神をほめたりたたえたりできるでしょうか。エホバの光輝と尊厳を認識するなら,わたしたちは熱意と確信をもって積極的に偉大な王について語るようになります。

      12 エホバに関する畏怖の念を起こさせる事柄について考えまた語るのはなぜ良いことですか。

      12 「そして彼らは,あなたの畏怖の念を起こさせる事柄の力について語り,あなたの偉大さについては,わたしがそれを告げ知らせるのです」。(詩 145:6,新)

      そうです,わたしたちには告げるべきことが非常に多くあるのです。畏怖の念を起こさせる多くの事柄は聖書の記録を通して明らかにされており,その記録には,エホバの力がご自分の忠実な僕には有利に,神の敵となる者には不利になるよう行使されたことが示されています。過去のこうした力強いわざの多くは,預言的な描写としての意味があり,また人類の今の世代が知らなければならない教えともなっています。「以前に書かれた事がらはみなわたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)こうした事柄について公に語ることは他の人に対する奉仕であり,他の人に対する愛の行ないでもあります。さらに,来たらんとする時代に関するエホバの目的について警告を与えるという一面もあります。そのことを告げ知らせる人々は,エゼキエル書 3章17-19節に描写されている見張りの者と同じ方法で自らを益することができます。近付きつつある「大患難」は,ご自分の明言された目的を遂行されるエホバの偉大さをさらに実証するものとなるでしょう。ですから,エホバがこの事物の体制において道を開いておられる限り,そのことを宣明いたしましょう。イエス・キリストの方法にならって,神の裁きについての警告を伝えることができます。―マタイ 10:28-30。ルカ 19:41-44。

      13,14 (イ)エホバの善良さについて述べなければならないのはなぜですか。(ロ)わたしたちには喜び叫ぶべきどんな理由がありますか。

      13 「彼らはあなたの豊かな善良さについて盛んに話し,あなたの義ゆえに喜び叫びます」。(詩 145:7,新)

      わたしたちはエホバの強大な力だけではなく,その善良さや義についても世界に告げなければなりません。歴史を通じて,エホバ神はご自分の僕たちに善良さを示してこられました。僕たちが忠節に仕えるとき,神は必ず彼らを豊かに祝福されました。現在に至るまで,ご自分を愛する者たちに対するエホバの善良さは際立っています。そのために,彼らは感謝の表明をこんこんと湧き出させる大きな泉のようになっています。このような賛美の表明は必ず多くの人々を引き付けて,エホバの豊かな善良さを味わわせます。同じ考えを繰り返し述べることは,それを記憶にとどめる点で役立ちます。これは本当に祝福で,エホバがその民を扱われた方法に感謝する気持ちを片時も失わないようにする助けになります。わたしたちに対するエホバの善良さを公に,詳しく語るのは確かに有益です。

      14 わたしたちには今喜び叫ぶべき理由があるのではないでしょうか。アダムを通してすべての人は罪人になり,死の宣告を受けました。(ローマ 5:12)しかしエホバはご自分の義と公正に関連して大きな愛を示され,人類が陥っている窮状から脱出するための道を備えられました。この道は,イエス・キリストの贖いの犠牲によって備えられました。書き記されたエホバのみ言葉を通して,わたしたちはエホバの義の道と,地上の子らを扱うその扱い方とを知るようになりました。こうした事柄を理解するのは喜びであり,エホバについて喜び叫ぶ確かな理由となります。わたしたちには,次のように叫んだダビデ王の模範に倣う十分な理由があるのです。「わたしは,あなたの愛ある親切により頼みました。わたしの心があなたの救いを喜びますように。わたしはエホバに向かって歌います。豊かな報いをもって,わたしを扱ってくださったからです」― 詩 13:5,6,新。

      15 エホバの憐れみ,忍耐,愛に関してどんな実例がありますか。

      15 「エホバは慈しみに富み,憐れみ深く,怒ることに遅く,愛ある親切の大いなる方です。エホバはすべてのものに善良であり,その憐れみはそのすべてのみ業にあります」。(詩 145:8,9,新)

      人類史の初期から,エホバのすばらしい特質は,幾人かの人を救う目的が遂行される際に人間に示されました。エホバの道は大洪水の時に示されました。(ペテロ第一 3:20)ダビデはもちろんエホバの憐れみを受けていた人で,エホバを賛美する十分の理由がありました。ヨハネ 3章16,17節に記録されているイエスの言葉から分かるように,イエスはエホバの愛をみごとに思い起こさせています。その愛に感謝しているなら,わたしたちはエホバへの賛美を語りたくなり,他の人々を愛したいと思うようになるはずです。使徒ヨハネはこのことを,次のように語っています。「わたしたちの場合,これによって神の愛が明らかにされました。すなわち,神はご自分の独り子を世に遣わし,彼によってわたしたちが命を得られるようにしてくださったからです。愛はこの点,わたしたちが神を愛してきたというよりは,神がわたしたちを愛し,ご自分のみ子をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わしてくださった,ということです。愛する者たちよ,神がわたしたちをこのように愛してくださったのであれば,わたしたち自身互いに愛し合う務めがあります」― ヨハネ第一 4:9-11。

      16-18 (イ)時間のあるうちにどんな道を取ることがすべての人々に勧められていますか。(ロ)エホバの憐れみはわたしたちにとって何を意味しますか。(ハ)感謝にあふれるパウロのどんな気持ちに共鳴するのは良いことですか。

      16 人類の現在の代がエホバに対して行なっていることを見るにつけ,また幾世紀も続いている人間の邪悪な行為や暴力について読むにつけ,わたしたちは確かにエホバは怒ることに遅い方であると言うことができます。今の時に至るまでエホバが忍耐してくださっていることに,わたしたちは厚く感謝すべきです。ペテロ第二 3章9節と15節のペテロの次の言葉をかみしめるなら,わたしたちはエホバの偉大な憐れみと愛ある親切のことをよく考えるようになるはずです。「エホバは,……ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなたがたに対してしんぼうしておられるのです。……さらに,わたしたちの主のしんぼうを救いと考えなさい」。

      17 わたしたちは,サタンの配下にある事物の体制が滅びに定められているのを知っているのですから,遅くなり過ぎないうちに救いに関して必要な措置を取るよう,また神の忍耐を真剣に考えるようすべての人々に勧めたいと思います。(ゼパニヤ 2:3。啓示 18:4)わたしたちがすでにそうした命を救うための措置を講じたのは本当に幸いなことです。それでもなおアダムの肉の子孫として,肉の弱さに屈することがあり,ダビデや他の人と同じように過ちを犯します。そうしたことがあるために,イエスは,「わたしたちに負いめのある人びとをわたしたちがゆるしましたように,わたしたちの負いめをもおゆるしください。そして,わたしたちを誘惑に陥らせないで,邪悪な者から救い出してください」と祈ることを教えてくださったのです。―マタイ 6:12,13。

      18 エホバがイエス・キリストを通して設けられた備えは,わたしたちすべてにとって非常に多くの意味があります。わたしたちはいつでもエホバの愛ある親切と憐れみ,そしてエホバがわたしたちのためにしてくださったことすべてに対する感謝の念を抱いていたいものです。使徒パウロはそうした感謝の念を抱いていました。こう述べているからです。「わたしは,自分に力を授けてくださったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。わたしを奉仕の務めに割り当てて,忠実な者とみなしてくださったからです。……キリスト・イエスが罪人を救うために世に来られたとは,信ずべく,また全く受け入れるべきことばです。わたしはそうした罪人の最たる者です。それなのにわたしがあわれみを示されたのは,わたしの場合を最たる例としてキリスト・イエスがその辛抱強さのかぎりを示し,永遠の命を求めて彼に信仰を置こうとしている者への見本とするためだったのです。では,朽ちることなく,人が見ることのできないとこしえの王,唯一の神に,誉れと栄光がかぎりなく永久にあらんことを。アーメン」。(テモテ第一 1:12,15-17)この感謝に動かされて,わたしたちは引き続きエホバの王権を語り続けて,エホバをなお一層賛美してゆかなければなりません。

  • あなたは神の王権の忠節な宣明者ですか
    ものみの塔 1981 | 3月15日
    • あなたは神の王権の忠節な宣明者ですか

      「エホバよ,あなたのすべてのみ業はあなたをたたえ,あなたの忠節な者たちはあなたをほめたたえます。彼らはあなたの王権の栄光について語り,あなたの力強さについて話します」― 詩 145:10,11,新。

      1 イエスは神の王国をどの程度宣明されましたか。

      アベルの時以来常に,エホバ神はご自分を賛美する忠節な幾人かの僕たちを地上に持っておられます。エホバへの忠節という点で傑出した方である独り子イエス・キリストは先頭に立って,エホバの力強さや,全人類の益となる王国を告げ知らせました。イエスは,遣わされた者,エッサイおよびダビデの予告されていた子孫,指名された王として来られ,神の王国をご自分の教えの最重要な教理とされました。(イザヤ 11:1,10。マタイ 21:1-17)イエスは王国の良いたよりを携えて来られました。イエスは人々のただ中におられたために,指名された王であるご自分に代表される王国が近いと告げることも,ご自分の追随者たちにまず王国を求めるよう教えることもできました。(ルカ 17:20,21)弟子たちに祈りの仕方を教えられた際,イエスは王国が到来すること,そうなれば神のお名前が神聖なものとされ,神のご意志が天におけると同じように地においても行なわれることになる,という点を強調されました。―マタイ 4:23; 6:9,10,33。

      2 イエスは,エホバの王権の問題にかかわりを持つよう,どのように人々を動かしましたか。

      2 イエスは,他の人も自分に加わって来たるべき王国の良いたよりについて語るように招待されました。(ルカ 9:1-6; 10:1-12)イエスの追随者たちは,イエスの王としての臨在が将来のものであると理解していました。そのことはマタイ 24章3節にある,弟子たちが尋ねた質問から理解できます。「わたしたちにお話しください。そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在[つまりギリシャ語でパルーシア]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。さらにイエスは,ご自分の臨在の時が,その王国について語る特別の時であることを示し,それが証しのために人の住む全地で行なわれるであろうと述べました。権力を付与され,敵のただ中で支配する王としてのイエスの臨在が,1914年以来事実となっていることをわたしたちは知っています。わたしたちはその「しるし」を目にしてきたからです。―詩 110:1。ヘブライ 10:12,13。マタイ 24:14。

      3 パウロは神の王権を宣明することにどのように携わりましたか。

      3 「それは,その力強い働きと,その王権の光輝に満ちた栄光とを人の子らに知らせるためです。あなたの王権は,定めのない時に至るまでいつまでも存続する王権であり,あなたの支配は代々いつの時にも及びます」。(詩 145:12,13,新)

      イエスの弟子たちは,人々の注意をイエス・キリストによる神の王国に向けさせる点で顕著な存在でした。その優れた例が,使徒 28章23,30,31節に記録されていますが,それはパウロがローマで獄中にありながら王国を宣べ伝えた記録です。パウロはそれよりも前,クリスチャンが「キリストの代理をする大使」で,『神と和解する』よう人々を助けている,とコリントの人々に書き送っていました。(コリント第二 5:20)大使であれば当然王国と,自分が代表する王の側に立って語ることが求められますが,パウロはそれを行ないました。あなたは国王に関するこうした奉仕にあずかるようになりましたか。もしそうであれば,その王と王国を擁護して語り続けますか。

      4 パウロとヨハネは,わたしたちがエホバ神の忠節な崇拝者として今知らせることのできるどんな事柄を述べまた記していますか。

      4 王国の教えを説明するに当たって,パウロは王国の取決めにおけるイエス・キリストとエホバ神の関係や,エホバが宇宙の偉大な主権者であられることを常に示しました。「キリストの頭は神なのです」。(コリント第一 11:3)パウロはさらに,キリストの千年統治期間の終わりに生ずることについても語りました。(コリント第一 15:24-28)西暦1世紀の終わりごろ,忠節な使徒ヨハネも同じように,将来のエホバの力強い働きを示す言葉を記し,その王権の光輝を描写しました。(啓示 12:9,10; 19:6; 20:10,14; 21:3,4,22-24もご覧ください。)これらは,今日わたしたちがエホバの忠節な崇拝者として,神の王国の重要性と王国が人類のために行なう事柄を強調しつつ,人の子らに知らせることのできる事柄で,すべてがエホバへの賛美となります。この王国を,人の子らに語り,また説明して,人の子らに神の王国が唯一の希望であることを悟らせなければなりません。神の王国は後の代々にわたって存続するものです。a

      5 (イ)エホバの僕たちはしばしば何に直面しなければなりませんか。(ロ)第一次世界大戦中に反対に遭ったにもかかわらず,エホバの民はそれ以降何を行なうことができましたか。

      5 ヘブライ語のアルファベットの15番目に相当するサーメクという文字の後に,詩篇 145篇14節(新)が次のように続きます。

      「エホバは倒れてゆくすべての者を支え,かがんでいるすべての者を立ち上がらせておられます」。

      忠節な態度でエホバを崇拝し,その王権を宣明する人々は,エホバへの忠節ゆえにしばしば反対や困難な事態に直面します。(創世 3:15)しかし過去の事実から,エホバがその約束をたがえず,どのようにご自分の崇拝者を支えかつ助けられたか,また彼らが不当な圧迫を受けていた時に立ち上がらせてくださったかを知ることができます。(創世 15章。士師記の中の多くの例もご覧ください。)この20世紀の1981年に至るまで,わたしたちはエホバがどのようにバビロン的な不当な圧迫から,油そそがれた残りの者や「ほかの羊」を救出されたかを見てきました。第一次世界大戦中には油そそがれた残りの者たちの上に重圧が加えられていました。しかしエホバは彼らをその霊と真理のみ言葉によって立ち上がらせてくださいました。そのすぐ後のオハイオ州シーダーポイントで開かれた1922年の大会で,彼らはその王と王国を忠節な態度で宣伝する決意を固めました。それ以来エホバはずっと彼らを導いておられ,そのみ名と王国は世界中に知れ渡るようになりました。

      6 エホバはどんな食物をご自分の民のために備えておられますか。

      6 「すべてのものの目は望みを抱いてあなたを見つめます。そして,あなたは彼らにその時節に応じて食物を与えておられるのです」。(詩 145:15,新)

      エホバの忠節な崇拝者たちは,今の時代に特に霊的な食物を必要とします。彼らは「自分たちの霊的な必要を自覚して」います。(マタイ 5:3)彼らは望みを抱いて,豊かな霊的滋養物を備えるエホバの取決めに頼ってきました。(マタイ 24:45-47)この点に関する神の僕たちの望みは,実際に十分に満たされており,自分たちが絶えず必要とする霊的な食物を,エホバが引き続き「時節に応じて」与えてくださることに確信を抱いています。

      7 エホバは,特に崇拝の問題に関してどのように供給者であられますか。

      7 この点と一致して,続く詩篇 145篇16節(新)はこう述べています。

      「あなたはみ手を開いて,生きているものすべての願いを満たしておられます」。

      エホバ神は全宇宙の中で,供給者として限界のない唯一の方です。エホバは天の父,生命の授与者であられます。その寛大さと愛ある親切は,すべての創造の業と,人間や地上の他のあらゆる生物のために与えておられる良い備えに見られます。エホバは人間に崇拝心を植え付けられたので,ご自分と,人間に対するご自分の目的を惜しみなく明示されました。そしてエホバ神に自らをささげる人々,またその崇拝と奉仕に携わる人々は,エホバのみ手が開かれて示される寛大さをますます多く味わうようになっています。こうした経験はどれも人を非常に鼓舞するもので,わたしたちはエホバがこの困難な終わりの日においてさえ,ご自分の僕たちにご自分の霊を与え続け,諭し・導き・霊的な助けで彼らを満足させてくださるという確信を抱くことができます。―詩 119:129。

      8 エホバはどのように忠節を示しておられますか。

      8 わたしたちがエホバに忠節であるので,神もわたしたちに対して忠節であられます。ですから,

      「エホバはそのすべての道において義にかなっておられ,そのすべてのみ業において忠節です」。(詩 145:17,新)

      エホバの献身した僕,またその王権の忠節な支持者となったわたしたちは,常に神を信頼することができます。神はご自分の僕たちを公正に情け深く扱われます。そのすばらしい特質は変化することがありません。それで,ひとたびエホバへの崇拝と奉仕に携わるようになったら,エホバはわたしたちを落胆させるようなことはなさらないという確信を得るのです。エホバは確かに「そのすべてのみ業において忠節」であられます。これも,わたしたちがエホバとその驚嘆すべき特質について他の人々に告げ,彼らがエホバを忠節な態度で賛美する献身の生活に加わるよう招待する一つの良い理由です。―詩篇 107篇と比較してください。

      9 エホバを呼び求めることにおいて信仰はどんな役割をはたしますか。エホバを呼び求めることはどのように行なわれますか。

      9 したがって,わたしたちは次の言葉を宣明することによってエホバを賛美できます。

      「エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者,ご自分を真実に呼び求めるすべての者の近くにおられます」。(詩 145:18)

      エホバを呼び求めるのは肝要なことです。それは真の信仰をもってなされなければなりません。(ローマ 10:10-15)詩篇作者は,正しい方法でエホバを呼び求める人々の近くにエホバがいてくださることを強調していますが,この正しい方法には信仰を働かせることも含まれます。(ヘブライ 11:6)このエホバを呼び求めるということは,内密に行なう事柄などではなく,人々の前で,自分たちがエホバを信じ,エホバに頼っていることを公に告げ知らせることにほかなりません。パウロは,良い事柄に関する「良いたより」を告げ知らせることや,他の人のために宣べ伝えることの必要を強調しています。エホバを呼び求める人々によるエホバへの賛美の叫びの声は,「良いたより」の忠実な伝道者で,エホバのことを他の人に告げる人が増えるにつれ,いよいよ大きくなっています。賛美者たちは彼らにエホバおよびその栄光と偉大さ,またその王権について知らせることにより,その人々の信仰を築き上げ,その結果彼らもエホバのみ名を呼び求めることに加わって,エホバに近付けるようになるのです。救いの道はそれを得ようとする人すべてに開かれています。人種や皮膚の色や国籍によって差別されることはなく,またエホバに信仰を置き,真実にエホバを呼び求める人々は失意落胆することもないからです。エホバはなんとすばらしい方でしょう! わたしたちがエホバと関係を持ち,またエホバに近付くことを許しておられるのです。これは,救いの神エホバに信頼し切ることの必要が以前にも増して明らかになってきている今の困難な終わりの日には,とりわけすばらしいことと言えます。

      10 エホバが,ご自分を恐れる者たちの願いを実現させてくださるのはなぜですか。

      10 「神はご自分を恐れる者たちの願いを遂げてくださり,助けを求めるその叫びを聞き,彼らを救ってくださいます」。(詩 145:19,新)

      エホバを本当に恐れる人々は,エホバに献身します。彼らの願いはエホバのご意志を行なうことです。わたしたちには,援助と救いの源としてのエホバに頼る理由が十分にあります。わたしたちは神のご意志を実践しようと努力しているからです。「そして,わたしたちは神に対してこのような確信をいだいています。すなわち,なんであれわたしたちがそのご意志にしたがって求めることであれば,神は聞いてくださるということです。さらに,なんであれわたしたちの求めているものについて神は聞いてくださるということを知っているなら,わたしたちは,神に求めたからには,求めたものは得られるはずだということを知るのです」。(ヨハネ第一 5:14,15)わたしたちが知るとおり,王国の良いたよりを宣明し,神の清い崇拝を推し進めるのは現代におけるエホバのご意志です。わたしたちの願いは,宇宙におけるエホバの主権をめぐる大論争を人々に知らせることであるべきです。たとえそうすることでかなりの反対を受けるとしてもです。このように,人類に対する神の忍耐と,人類が悔い改めて救いを得るのを見たいという神の願いを知ってエホバの音信を受け入れ,エホバに信仰を働かせる機会が,あらゆる種類の人々に開かれています。

      11 エホバはご自分の僕たちの,助けを求める叫びにどのようにお答えになりますか。

      11 ですから,この王国の業が遂行されるのを見るのはわたしたちの切なる願いです。わたしたちは独りで働くのではありません。わたしたちはエホバの僕ですから,エホバと共に働いています。この困難な「終わりの日」にいるわたしたちは,神に助けを求めなければなりません。そしてこの論争が山場を迎える時,エゼキエル書 38,39章に記されているように「マゴグの地のゴグ」が攻撃をしかけてくる時にはエホバに頼り,保護と救いを得るためにエホバを呼び求めなければなりません。ダビデ王は敵に追われていた時,際立った方法で救われました。キリスト・イエスはエホバの目的に関連して自分の命を捨てなければなりませんでしたが,エホバはイエスを復活させました。したがってエホバには,真理を敵視する人々がもたらすどんな圧力や反対をも克服することが可能です。命を失うかもしれない,したがって復活を通して救われることを必要とする僕たちの,助けを求める叫びにさえ答えることがおできになるのです。

      12 邪悪な者たちが滅ぼし尽くされる時,わたしたちに恐れる必要がないのはなぜですか。

      12 ですから,次のことはやはり真実です。

      「エホバはご自分を愛する者すべてを守っておられます。しかし邪悪な者は,これをみな滅ぼし尽くされます」。(詩 145:20,新)

      悪がその極みに達し,「大患難」が目前に迫っている現在,エホバはご自分を愛する者すべてを守られるという激励の言葉を聞くのはありがたいことです。(マタイ 24:21)邪悪な者たちが滅ぼし尽くされる時はすでに到来しており,邪悪な人々には警告が発せられなければなりません。しかし集団としてのエホバの僕たちは,邪悪な者たちにもたらされる「大患難」を通過し,それによって自分たちに対する神の救いを見る定めになっています。エホバは本当にご自分に忠節な者たちを愛しておられますから,邪悪な者たちに対して大いなる怒りを表わされる時にも,彼らをお忘れになることはありません。邪悪な者に罰を加える時にさえご自分の民を保護し救出されたエホバの力強い働きに関する例は,聖書中に無数に見られます。本当にわたしたちは,邪悪な者が滅ぼし尽くされる時が来て,エホバの王権に敵対する人々が除き去られるのを心から待ち望んでいます。

      13 (イ)エホバはご自分の現代の僕たちをどのように守ってこられましたか。(ロ)エホバはご自分を愛する者たちのために何を蓄えておられますか。

      13 この「終わりの日」の期間を通して,エホバの僕たちは絶えず神に助けを求め,神に対する愛を示し続けてきました。エホバは,多くの困難な時期に,特に世界の様々な場所で業が禁じられ,幾千人もの人が強制収容所や獄中にあった第二次世界大戦中に,ご自分の僕たちを守り,保護してこられました。暴動も世界の多くの場所で生じました。それでも王国の良いたよりを宣明する業は進められました。エホバは僕たちに親切にしてくださり,増加させ,世界中の彼らの数を増やして慰めを与えてくださいました。キリスト・イエスによる王国支配が全地に広がることこそエホバの目的です。「ほかの羊」の「大群衆」はその患難を通過するのですから,地上に住む王国の臣民がいます。その後そのグループに,墓から復活して戻って来る多くの人々が加わります。ですから,邪悪な者たちを滅ぼし尽くすといっても,それはエホバの僕たちにとっては災難を意味しません。むしろエホバは,ご自分の僕たちが示した愛にこたえ応じ,彼らを守り,愛と憐れみと親切を彼らに示されます。そして愛をもってご自分の「ほかの羊」のためにすばらしい地上のパラダイスを蓄えておられますから,彼らはそこで永遠の命を享受できるでしょう。(ルカ 23:43)エホバの宇宙的な王権をめぐる大論争に決着がつくことは,エホバを愛する者にとっては喜び以外の何ものでもありません。またそれは,年が経つにつれて,エホバについての認識をいよいよ深くする機会を提供することになるでしょう。詩篇 150篇の最後の節が成就する時,つまり「すべて息あるもの」がエホバを賛美し,邪悪な者たちがすべて姿を消してしまう時に生きるのは何と喜ばしいことなのでしょう。―6節,新。

      14 わたしたちはエホバのどんな祝福について語ることができますか。

      14 過去を振り返り,エホバが与えてくださった数多くの祝福に思いをはせてください。豊かな霊的食物でどのようにわたしたちを満足させてくださったかを考えてください。今エホバの僕となる,エホバが与えてくださったすばらしい特権や,将来の心ときめく見込みすべてを一層深く感謝しましょう。ハルマゲドンを生き残る見込みがあるのですから,復活の時と,墓から出て来る人々に知識を与えたり,教育を施したりするすばらしい業が行なわれる時を望み見て喜んでください。そうした人々の多くは,最初に偉大な王エホバについて学ばなければなりません。彼らは再び命を与えてくださった恩のある方を,よく知らなければなりません。そうした事柄をだれが伝えますか。わたしたち皆がそれを行なえるのは喜びではありませんか。確かにわたしたちは永遠にエホバを賛美できることを切望しています。

      15 わたしたちには,神の王権に関してどんな特権がありますか。

      15 しかしながら今はどうですか。あなたはエホバの王権をめぐる大論争に関して何を行なっていますか。あなたは,エホバを信頼し日毎にその王権の栄光を語り告げる忠節な人々の一人ですか。わたしたち一人一人が,大いなるダビデである即位したみ子,イエス・キリストによるエホバの王権の忠節な支持者であれますように。そして次のように述べたダビデ王と同じく,エホバを公に賛美する個人的な決意が心からのものでありますように。

      「わたしの口はエホバの賛美を語ります。すべての肉なる者が,その聖なるみ名を定めのない時に至るまで,永久にほめたたえますように」― 詩 145:21,新。

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