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クラサオ島へもたらされた,人の心をさわやかにするものものみの塔 1979 | 3月15日
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に聖書について話していました。そして今度は,そのうちの17人が,エホバの証人と聖書を研究することを認めてくれるよう刑務所長に嘆願書を提出したのです。その申請は却下されました。エホバの証人が週ごとの研究のために刑務所へ行ってみると,机に向かっていた看守は,その研究生に会う許可は取り消された,と告げました。そのエホバの証人は,家に帰ってから刑務所長に電話を掛け,所長と面会する取り決めを設けました。会ってみると,刑務所長はたいそう腹を立てており,研究をしていた宣教者と服役者の双方が刑務所内の他の者たちに話をして,問題を引き起こした,と言いました。というのは,刑務所に入るときに特定の宗教を奉じていた人はその同じ宗教を奉じたまま出所しなければならない,というのが同刑務所の方針だったからです。しかし,そのエホバの証人はそれだけであきらめる気持ちにはなれませんでした。そこで,長年の間「ものみの塔」と「目ざめよ!」両誌の予約購読者である,刑務所委員会の委員二人,および「目ざめよ!」誌の予約購読者である法務大臣と連絡が取られました。その結果,刑務所内での研究を続ける許可が与えられたのです。
聖書はこう述べています。「神のことばは生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣より鋭く,魂と霊,また関節とその骨髄とを分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができるのです」。(ヘブライ 4:12)今やこの強力なみ言葉が島のすみずみで力を発揮しているのですから,クラサオ島の人々の上に,人の心をさわやかにするものが神から一層豊かに注がれることを期待してやみません。
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偽りの宗教と戦争ものみの塔 1979 | 3月15日
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偽りの宗教と戦争
エホバの真の崇拝者は,仲間の人々との平和を保つため惜しみない努力を払っています。平和は神の霊の実の一つですから,そのような期待を抱くのは当然です。(ガラテア 5:22)偽りの宗教はと言えば,世の闘争を助長さえしてそれに深く首を突っ込んでいるのですから,雲泥の差があります。宗教指導者は他の人々の血を戦場で流させることに最大限の支持や祝福を与えてきました。これは何も今に始まったことではありません。昔の古代エジプトの時代でも,異教の祭司たちは戦争を提唱していました。
E・A・ウォリス・バッジは,偽りの神アモン・ラー(アメン・ラー)の祭司たちについて書き著し,こう説明しています。「エジプトがシリアやヌビアに向けて大々的に数多くしかけた襲撃は,エジプトの名誉と威信がかかっていたと同時に,アモン・ラー神の神殿やそこでの儀式を維持したり,祭司たちを養ったりするための資金を供給する目的があったと考えるのは道理にかなっている。ソスメス,アメンホテップ,ラメスの歴代の王たちがアメン・ラーに対して示したあさましいまでの忠順や彼らが聖所にささげたぜいたくな献上物は,事実上,これらの祭司が戦争か平和かの鍵を握っていたことを物語っている」― エジプトの神々,第二巻,12ページ。
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