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宣言ならびに決議ものみの塔 1974 | 3月1日
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の人間に対する愛とを働かせます。この点でわたしたちは人間より神に従い,キリストを通して与えられた神の命令,すなわち,滅びに定められたこの事物の体制の終わりが到来する前に『王国のこの良いたよりを,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えよ』という命令を遂行するうえで決して手をゆるめることはありません。(マタイ 24:14。マルコ 13:10)この決意を遂行するための助けを,わたしたちは神にあおぎ求めます。そして,わたしたちは,最後まで神に忠実な者となり,神の勝利から来る喜びと祝福にあずかるにふさわしい者とみなされますように。
14 ここに掲げた宣言ならびに決議に関し,「神の勝利」国際大会において何がなされましたか。そのすぐあとにどんな出版物が発表されましたか。どんな言語で?
14 上記の宣言ならびに決議は,エホバのクリスチャン証人たちの「神の勝利」大会において,先に掲げた本誌の二つの記事,「地の新しい王のために富を得る」と「王に敵する者たちとともにうち殺されるのを免れる」をまとめた話ののちに提出されました。この宣言ならびに決議がそこに集まった人々によって熱意と魂をこめて採択されたのち,「神の千年王国は近づく」と題する,堅表紙,全416ページの新しい本が発表されました。ドイツ語を話す土地では,その本のドイツ語版も発表されました。この新しい聖書研究手引きは,今のところ英語とドイツ語でしか入手できませんが,「神の勝利」大会に出席した人々が一致して採択した宣言ならびに決議を忠実に遂行してゆくための強力な,そして励みに満ちる助けとなっています。
15 この「ものみの塔」誌が発行されるまでに,そのような大会が全部で幾つ開催されましたか。幾つの土地で,そして合計何人が出席しましたか。その後に引き続きどのような大会が開かれていますか。
15 本号の「ものみの塔」の発行期日までに,全部で43のそのような「神の勝利」大会が世界の20の土地で開かれ,合計144万7,235人が出席しました。そして,エホバの喜ばれるところにしたがい,またエホバとやがて到来するその勝利とをたたえるために,同様の大会が引き続き開催されており,やがて,地球の東西南北全半球においてそれが開催されることになるでしょう。
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困難な状況下で奉仕するマラウィの奉仕者たちものみの塔 1974 | 3月1日
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困難な状況下で奉仕するマラウィの奉仕者たち
マラウィは,いまだにエホバの証人の残忍な迫害者として悪臭を放っています。エホバの民は迫害者の手を逃れるために,国境を越えてザンビアとモザンビークに逃げました。ザンビアに逃げた兄弟たちが計略にかけられてマラウィに送還されたことについては,ものみの塔協会の出版物ですでにお読みになったことでしょう。彼らが故国に戻った時,エホバの証人のおもだった代表者が何人か投獄されました。ザンビアから送還された後,再度苦しめられたエホバの証人は,再び国外へ逃れなければなりませんでした。今回は,ほとんどの人がモザンビークに逃げました。モザンビークの当局者は,彼らを好意的に受け入れました。現在,3万6,000人以上のわたしたちの兄弟やその子どもたち,また関心を持つ人びとが,10か所以上の難民キャンプで生活しています。
兄弟は,モザンビークの当局者から食糧品や医薬品だけでなく,耕作用の土地まであてがわれました。マラウィ会議党の青年団員が,兄弟たちを悩ますために国境を越えてキャンプにもぐり込もうとしていることがわかったため,同国政府はキャンプの回りに兵士を配備して,テロリストやマラウィ会議党の青年の暴漢から兄弟たちを守る措置を取りました。
当局は,難民キャンプの中で,毎週定期的に行なわれる集会や大会を開くことを兄弟たちに許可しました。ムランゲニの難民キャンプには,こうした集会のプログラムを計画する部門があります。キャンプの中には大きな大会広場があり,毎日午後4時になると,兄弟たちはここに集まって日々の聖句の討議をします。討議に先立ち歌の時間が1時間あり,兄弟姉妹は王国の歌を歌います。兄弟たちはそのうちの幾つかを忘れていました。というのは,1967年に業が禁止されて以来,マラウィでは王国の歌を公に歌うことができなかったからです。今や兄弟たちは,王国の歌をもう一度歌うことができ,それをほんとうに楽しんでいます。―エホバの証人の1974年年鑑より
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