ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 生と死に対するヒンズー教の見方を考える
    目ざめよ! 1977 | 5月22日
    • 真の慰めと希望の基

      スマシャンには,ヒンズー教の様々な教えを描写した像が数多くあります。例えば,「生命の輪」と名付けられたものは,特に私の注意を引きました。円形をした大きな記念碑には,七つの情景が彫られています。最初のものは子供の誕生を示しています。二番目は子供が学校に通っている様子。三番目は男女が結婚したところ。四番目は家庭生活の一場面。五番目は病気と老齢の図。六番目は人の死。そして七番目は人を火葬場に運んで行く場面です。

      ヒンズー教では,この生命の輪を,正常な事柄,つまり物事のあるべき姿として描写しています。この循環に従えば,病気や死はいつまでもなくなりません。しかし,そのような教えは,嘆き悲しむ人たちに本当の慰めや希望を与えるものとなるでしょうか。

      入浴を終えた私たちは家へ帰りました。その晩,皆が他の事柄に忙しく携わっているとき,義妹が独りでさめざめと泣いているのに気付きました。そこで私は,「どうしたのですか」と尋ねました。すると,父がいなくなると寂しくなるし,もうその寂しさが感じられる,というのです。

      そこで私たちは,再びエホバ神について話し合い,私は,「エホバについてこれまでに学んだ事柄は,あなたを幸福にしましたか」と尋ねました。それに対して彼女は,「はい,もしこのすべてが実現するのなら,確かに喜ぶべき理由があります」と答えました。

      その時まで,私たちは復活について話し合っていませんでした。そこで私はこう尋ねました。「あなたが知っていたときと同じ性格を持った父に,もう一度会えるとしたら,どんな気持ちがしますか。もう一度会いたいと思いますか」。もちろん,「はい」という答えが返ってきました。

      そこで私は聖書を開き,使徒たちの活動 24章15節を読みました。そこにはこう書かれています。「わたしは神に対して希望を持っていますが,その希望はこれらの人たち自身もやはりいだいているものなのであり,義者と不義者との復活があるということです」。彼女は,初めて「復活」という言葉に出会ったようです。それは新しい概念だったのです。私は,復活は再生や輪廻と違い,死んで全く無意識になっていた者が実際に生き返ることであると説明しました。また,これまでに存在した人々の大半は,より良い状態がもたらされるときに,地上での命を再び受けることも話しました。

      義妹はこの聖書の教えを理解することができました。聖書の教えを学ぶことに深い関心を抱いていたからです。そして彼女は,その教えをヒンズー教の輪廻の教えと比較することもできました。ヒンズー教の教えによれば,人はやはり地上で命を再び受けますが,異なった人格を持つ者としてその命を受けるのです。その魂がある人の子宮の中に入り,別の人物として再び生まれて来るとされているからです。その結果,父が再び生まれて来ても,義妹は父を見分けることができないのです。それで,復活に関する聖書の教えは彼女を引き付けました。彼女は父が死んで寂しく思っており,自分が知っていたときと同じ父に再会したいと切に願っていたからです。

      さらに,輪廻の教えによれば,人はこの体制下で再び命を受けることになり,その状態の下では人は相変わらず病気になって死んでゆくということをも指摘しました。一方復活は,エホバ神が王国政府によってこの腐敗した体制を終わらせた後に行なわれます。(マタイ 6:9,10。ダニエル 2:44)その後,神の新しい事物の体制下で,啓示 21章3,4節に書かれていたような状態を享受できます。病気や嘆き,そして死さえも過去のものとなるのです。

      援助が必要

      話をしているうちに義妹の涙も乾き,ずっと気持ちも落ち着いてきたようでした。しかし,私は数日後出発することになっていました。それで彼女は,『だれが私を教えてくれるのか。どうしたら,聖書からこれらの事柄を学べるだろうか』ということを心配していました。

      私は聖書と数々の聖書研究の手引きを義妹に贈りました。そして特に,「人生にはこれ以上のものがある!」と題する小冊子に彼女の注意を向け,それを用いて聖書を研究する方法を示しました。最近手紙をやり取りした中で,私たちはこの小冊子に基づいて,聖書的な問題について論じ合いました。

      ジャムナガル市およびインドのその地方にはエホバの証人が一人もいません。しかし,この訪問を通して,特に若い人々が神のみ言葉の真理を探しており,必要とされる援助が与えられればそれに答え応じることが分かり,私はうれしく思いました。神のご意志であれば,活ける神エホバに関する真理を学ぶよう,その地方の人の幾人かを援助する器にやがてなることが私の願いです。その真理こそ,人をとこしえの命へ導くものなのです。(ヨハネ 17:3)― 寄稿。

  • 飢えの主要な原因
    目ざめよ! 1977 | 5月22日
    • 飢えの主要な原因

      ◆ 世界銀行の経済学者は,世界の飢えが食糧生産量の問題であるよりも,むしろ分配の問題であるとの結論に達した。大抵の低開発諸国において,食料を買う余裕のある裕福な人々は良い食事をしている。しかしサイエンス誌によれば,「低開発諸国において計画通りに所得が増えたとしても,貧しい人々が食生活を実質的に向上させ得ることはここ当分のあいだ望めそうもない」。これらの経済学者は,低開発諸国の人口の75パーセントが十分に食べていないものと推定している。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする