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ボリビアにおける悪魔崇拝とカトリック教目ざめよ! 1971 | 11月22日
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しかしオルロではルシファー(悪魔)は,フアリ(エル・ティオ)への供物はソカボンの処女への供物となる点で,彼女と合祀されている。ラ・パトリアの記事はさらに次のように述べている。「…地下の領土から取り出された金銀の……『供物』は……,悪魔たち[悪魔に変装した男たち]によって,処女の名前を取って付けた神殿のあるソカボン広場へ運ばれる。銀器や金銀の装身具が何百というアーチの上に置かれ……司祭たちを先頭にたて,ルシファーを案内役にした悪魔たちの行列がその下を通過する」。
安全を求める鉱夫たち
オルロの鉱夫たちにとって生活はらくではない。朝5時に起き,パンとコーヒーだけで坑内の重労働に向かう者が少なくない。空腹感を殺し,寒気を防ぐためにコカの葉(麻薬のコカインを含む)をかむ者もいる。彼らは8時間から12時間激しい仕事をする。正午には外に出て,妻が送りとどけた,そまつだが暖かい食事をとる。生活がこれ以上苦しくならないように,鉱夫の多くは,エル・ティオへの信仰も含め,先祖から伝えられた迷信的な習慣に従わざるを得ない気持ちになるのである。
カーニバルの特別の供物のほかに,カトリック教徒の鉱夫たちは,時々エル・ティオへの供物を坑内に持ち込む。それはアルコールかもしれないし,麻酔性のコカの葉,またはたばこかもしれない。もし坑内で大きな事故が起きると,その坑内で一,二頭のラマを犠牲にしてエル・ティオをなだめ,血を周囲にふりまく。
ニューヨーク,パリ,ミュンヘンなどに住むカトリック教徒たちには,こうした習慣の多くはひどく不思議に思えるかもしれない。しかしこれは,現住民を教会の支配下に入れるのを容易にするために,カトリック教が異教の習慣に順応する典型的な方法である。使徒パウロが力説した原則とはたしかに大きなひらきがある。彼はこう言った。「光と暗と何の交際かあらん。キリストとベリアル[悪魔]と何の調和かあらん」― コリント後 6:14,15。
ソカボンの処女を信仰し,エル・ティオに献身しているにもかかわらず,宗教は鉱夫の日常生活にたいした影響を与えていない。真の慰めも希望も見いだせないまま,しだいに多くの鉱夫たちが,よりよい何物かを空しく求めて政治団体や共産主義に転向していくので,教会の影響力は着実に弱くなっている。
しかしさいわいなことに多くの人々が,真によりよいものについての福音を聞いている。彼らは聖書中に教えられている,真の神の清い崇拝にかんする知識を得ているのである。エホバの証人が人々の家で行なう無償の聖書研究をとおして,多くの人々は,『人を自由にする真理』を学び(ヨハネ 8:31,32),習慣や迷信的な恐れの束縛から解放されている。そして政治的約束を信ずるよりも,よりよい状態を確実にもたらす政府として,神の王国に全幅の信頼を置いている。
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真のクリスチャン愛目ざめよ! 1971 | 11月22日
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真のクリスチャン愛
● モザンビークで投獄されている男子のエホバの証人は,わたしたちの知る限りでは,ひどい仕打ちを受けてはいません。16人の証人の一群は全員同じ刑務所にはいっているので,交わりや集会をともに楽しむことができます。当局は最初その証人たちを別々にしたのですが,彼らが仲間の囚人にたいへんすぐれた証言をしたので,全員をいっしょにしたほうがより安全であると判断したのです。投獄中の証人の家族の世話をする面で,自由の身の証人たちは真のクリスチャンを見わけるしるしである愛の精神を表わしました。(ヨハネ 13:34,35)そうした困っている家庭のため募金が続けられており,店に行って記載額面相当の買物ができるよう,商品券が定期的に与えられています。つまりモザンビークの証人たちは,おとなと子どもを含め80人もの人々の生計をまかなっていることになります。これまでに証人たちはこうした援助をほぼ1年間にわたって続けてきました。
― エホバの証人の1971年度年鑑より
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