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すべての人が唯一の神をふたたび崇拝する時ものみの塔 1957 | 6月1日
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『終の時』の始まりを示し,そして世が始まつて以来未だかつて無い患難の時が世の終結になる,と言われました。最終の患難は,偽のすべての崇拝者たちの上に突然降りかかるでしよう。イエスは,次のように言われました,『丁度ノアの時代のように人の子(すなわち,天的な御国に居られるイエス・キリスト)の臨在も同じようである。洪水の前の人々は,ノアが方舟に入る日までは食べたり,飲んだり,また娶つたり嫁いだりしていた。洪水が来てすべてのものを流してしまうまで彼らは全然注意を払わなかつたのである。人の子の臨在も同じようであろう。』(マタイ 24:7-22,36-39,新世)その洪水は,不従順な『神の子たち』の不自然な子供たちや,他の不注意な偽りの宗教家たちをみな,突然の急速な亡びに陥し入れました。ヱホバ神の8人の崇拝者と証者だけがノアの方船の中にいて,洪水を生き残りました。それで,唯一つだけの宗教が残つたのです。
39 古い世の亡びるときに,偽りの崇拝者たちはどんな行いの故に罰を受けますか。
39 ヱホバの定められたときに,丁度それと同じようになるでしよう。しかし,大洪水そのものは再び起りません。ヱホバの御子イエス・キリストは,今や王なる裁き主,刑執行者として天的な御国に臨在されています。この人類の時代中に,生ける真の神の清い崇拝の大いなる擁護者として,イエスは判定を下し,そしてヱホバ神を無視してヱホバ神に反対する悪い多くの崇拝の形式に対して裁きを執行するでしよう。すべての偽りの崇拝者たちは,悔い改めて改宗しない古い世とともどもに亡ぼされてしまいます。かくして,ヱホバの証者が絶えず与えてきた救命の証言と警告に注意を向けなかつた罰を受けるのです。第一次世界大戦後の今日について,イエスの予告された通りです,『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』― マタイ 24:14,新口。
40 この古い世の終にも誰が保護されますか。そしてその後に何を楽しみますか。
40 その御国は,この古い世のものでなく,神の創造する新しい世のものです。その古い世は終るでしよう。そして,その古い世ともろともに,幾十万人という偽りの崇拝者たちも終つてしまいます。『この世の神』であるサタン悪魔や,そして,この世の諸国民に悪い支配を行い,惑わしてきたすべての悪鬼の御使たちも,サタンと共々に捕えられ,封印された底の無い坑に閉じこめられます。(黙示 20:1-3)しかし,御国の伝道者は,この古い世の終にも生き続けるでしよう。ヱホバ神の任命した裁き主なる刑執行者は,忠実な伝道者たちに刑を執行せず,かえつて彼らを保護してその生命を守り,神の新しい世に入れられるでしょう。地上にいる彼らは,イエス・キリストの支配する設立された神の御国の祝福を楽しむでしよう。
一致した崇拝の美
41 それで,その大きな患難直後その地上の状態は,どのようですか。
41 その意味することを悟りますか。その意味することは,こうです。あらゆる生命の創造主にして不滅の源なる唯一の神ヱホバに,すべての人が再び崇拝を捧げる,という全能の神の目的が成就されたことを意味します。ヱホバの崇拝者のみ,悪魔を崇拝するこの古い世の終る大きな患難に生き残るでしよう。そのとき,ヱホバの御力と公正は現わし示され,次の予言は成就するでしよう,『ヱホバの栄を認むるの知識地上にみちて,あだかも海を水の掩うがごとくならん。』(ハバクク 2:14)洪水によつて昔の不敬虔な世界の亡ぼされた後のノアやその家族と同じように,御国を伝道するヱホバの証者たちは,あらゆる偽りの宗教の清められたこの地上で唯一の神の崇拝を一致して押し進めて行くでしよう。偽りの神サタン悪魔や,その悪鬼共は,宗教的な偏見や戦争を始めることができません。新しい世の御国は,真の宗教以外のものを何一つ許しません。
42 生きているすべての人間が再び唯一の神を崇拝するとき,地上には何がすぐに再現しますか。
42 すべての人類が最初に唯一つの神ヱホバを崇拝したとき,それは地的なパラダイスであるエデンの園の中で行われました。同じように,御国を伝道している生残者たちが,いまや間近に迫つている大きな患難の後に一つの汚れ無き清い宗教を行うとき,パラダイスは再現するでしよう。そのパラダイスは,以前にあつたエデンの東の方に再現するというものでなく,全地にわたつてつくられるのです。宗教の異る人々の間で幾千年にも亙つてなされてきた部族の戦争や国際的な戦争の恐ろしい結果も,消滅してしまうでしよう。患難を生き残る人々が,地を治めるという神からの仕事を行うからです。(創世 1:28)ヱホバ神は,イエス・キリストの支配する御国を通して,地的な人間の永遠の住家を美化する,という彼らの努力を祝福するでしよう。丁度,ヱホバを崇拝してヱホバに従つた昔のイスラエルの民の地を,ヱホバが祝福したのと同じです。それで,その地は『乳と蜜の流れる地……すべての地の中の美わしきものなり。』― エゼキエル 20:6,15。出エジプト 3:8。
43 他のどんな生物はその美しいパラダイスを楽しみますか。なぜですか。
43 患難を生き残る者たちだけが,この美しいパラダイスを楽しむのでなく,無害な動物たちは,パラダイスの中を徘徊し,美しい鳥や,歌を歌う鳥は,パラダイスの中を飛びまわります。ずつと昔の大洪水の後に,動物や鳥はノアの方舟から出て来ました。聖書の予言の保証によると,この大きな患難のときには,動物や鳥も同じように保存され,新しい世の住民に服するでしよう。イエス・キリストの犠牲がある故に,ヱホバ神を崇拝するとき鳥や動物を犠牲にすることは必要でありません。―創世 8:15-22。
44 死んでいる悪行者に対するイエスの約束は,どのように実現されますか。しかし,先ず誰の後にされますか。
44 イエスが,苦しみの杭の上で犠牲として死なれたとき,自分の側で杭にかけられていた悪行者に,次の言葉を告げられました,『今日私はほんとうにあなたに言う。あなたはパラダイスで私といつしよにいるであろう。』(ルカ 23:43,新世)今では19世紀間も死んでいる,この同情心の富む悪行者に告げたイエスの約束は,どのように実現されますか。神の御国の支配下にあつて,死人からの復活を受けることによります。そのとき,パラダイスは私たちの地に再興されるでしよう。それだけに止まらず,アベルの時からイエスに洗礼を施した予言者ヨハネにいたるまで,ヱホバの忠実な証者たちは,犯罪の故に死んだ悪行者よりも先に復活を受けるでしよう。イエスは,そのことを保証せられました。(ヨハネ 5:28,29。マタイ 22:31,32)イエスの復活は,義者と不義者の受ける復活の先駈で,保証なのです。―コリント前 15:20。使行 24:15。
45 唯一つの神にささげるすべての人の唯一つの崇拝はどのように行われ保存せられますか。
45 復活を受ける昔のヱホバの証者は,患難を生き残る人々といつしよになつて再びヱホバの崇拝をするでしよう。しかも以前よりも大きな知識と理解を持つのです。復活を受ける者たちは,みなヱホバの知識と正しい崇拝を教えられるでしよう。唯一つのヱホバの清い崇拝に一致するのを拒絶し,かつ神なるヱホバに従うことを拒絶する者は,みな改善し得ないもの,矯正し得ぬ者として亡ぼされてしまうでしよう。心から進んで従う従順な崇拝者たちは,イエスのあがないの犠牲の恩恵を受け入れて処罰から自由に解放されるでしよう。そして,癒しを受けることにより人間としての完全さに向上し,祝福されたパラダイスの中で永遠に住むことができます。生命を持つすべての人間は,永久にわたつて,ヱホバという栄光に輝く御名を持つ唯一の神を崇拝するでしよう。
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神権的な戦略を用いなさいものみの塔 1957 | 6月1日
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神権的な戦略を用いなさい
東ドイツの一人のヱホバの証者は家から家の伝道をしていました。そのとき強く反対する人に会いました。どういうことになるかを直ちに知つたその証者は,すぐ次の廊下のところで赤のブラウスを緑のブラウスに変えました。街路に出た途端,共産主義者は赤いブラウスを着た婦人を見なかつたか,とたずねました。彼女は見なかつたと答えて立ち去つたのです。それでは,その証者は嘘を言いましたか。嘘を言つたのではありません。彼女は嘘つきではありません。彼女は神権的な戦略を用いたのであり,宣教のために行為と言葉により真相をかくしたのです。―マタイ 10:16。
神権的な戦略を用いて真相をかくす,ということと嘘を語ることとの差別はどこにあるのでしようか。或る人々はそのことを疑問に思うことでしよう。先ず気をつけて頂きたいことは,真相を語ると宣誓するなら,真相を語らねばなりません。神の御意を行うために献身した各クリスチャンは,神の御意を行つて,忠実を保つという誓を立てました。クリスチャンはこの誓を絶対に守らねばなりません。同じように,クリスチャンが証言台に立つとき,もし語るとするなら真相を語らねばなりません。時には,兄弟たちのことや神の業のことを知らせるよりも,語るのを拒絶してその罰を受ける方を選ぶこともできます。もちろん,クリスチャン兄弟たちに対しては,戦略を用いる必要はありません。兄弟たちには真相を語るか,又は兄弟の知りたいと思うことは兄弟に関係するものでない,ということと巧みに告げます。
証者たちは,業の禁ぜられている国であつても大きな働きをしています。神の御国の良いたよりを伝道せよ,といういましめを成しとげる唯一の方法は,神権的な戦略を用いることによるのです。人目につかない方法によつて文書は国内に運び入れられて配布されています。せつかく文書をかくしておきながら,訊問を受けたときにその在り場所を知らせるなどということは理に合いますか。もちろん合いません。それですから,霊的な戦のときには真相をかくすことにより敵を欺いても良いのです。それは無私の気持でなされています。誰をも害しませんし,かえつて多くの善をなします。
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